<城壁に囲まれた街、ルッカ ’98/4>


 トスカーナ地方のおすすめスポットをピックアップしている「トスカーナを歩く」。今回はルッカを取り上げます。フィレンツエから電車で約1時間、人口約9万人のこの街は、周囲をぐるりと城壁に囲まれており、その内部には今も昔ながらの古い街並みが残されています。城壁の一部が残る街は、イタリアにはたくさんありますが、ほぼ全形が残っているところは数少なく、中でもこのルッカは、ある程度の規模があり商工業面でも発展していながら昔の面影を残すなど、新旧のコントラストがなかなか見事な、特筆すべき街です。私は一度訪ねただけですが、なんだか住みやすそうな感じがあって、イタリアのなかでもお気に入りの街のひとつとなりました。

グリニージの塔

*緑と赤茶色のコントラスト

国鉄ルッカ駅を降りてチェントロ(旧市街)の方に向かうとすぐ、目の前には緑豊かな小高い丘のようなものが広がっています。これが16〜17世紀に建造された全長4、2キロの城壁。19世紀初頭に木々が植えられ、現在は遊歩道のようになっていますが、高さ12mに及ぶ外壁とその所々に造られた11の砦はそのままの形で残っているのです。城壁上の遊歩道は街をぐるりと一回りすることができるので、そのままのんびりと散歩でもしながら歩くのもひとつの楽しみ方。色濃い緑と建物の赤茶色のコントラストがなかなか見事で、しっとりとした古都の雰囲気を醸し出しています。
さて、城壁門をくぐってチェントロに入ると、今度はてっぺんに木が生い茂っている奇妙な塔が目に入ります。これが、ルッカのシンボルでもある「グリニージの塔」。いわばそこだけ空中庭園のように感じで、塔のてっぺんの小さなスペースに数本の樫の木が植えられているのです。こんな塔があるのはイタリア広しと言えども、さすがにここだけでは? 一説によると「中世には木は再生のシンボルだったから」だそうですが、いずれにせよ、ここでも木々の緑とレンガの赤が見事なコントラストを見せていて、この街のセンスの良さを象徴しているような気がしました。
この建物のあるグリニージ通りは、ルッカのなかでも最も美しいといわれており、その両側には中世の面影そのままの歴史的な建物が軒を連ねています。ただ、もちろんそこでもごく普通の人たちがごく普通に暮らしているわけで、塔の上から眺めてみると、古い建物の屋上に小さな花壇が作られていたり、テラスにイスとテーブルが置かれていたり・・。それがまたなんだか絵になる風景でした。もちろん、塔から見下ろすルッカの全景も素晴らしく、サン・ミケーレ・イン・フォロ教会やサン・フレディアーノ教会の鐘楼もよく見えますし、古代ローマの円形闘技場跡を利用したメルカート広場も眺めることができます。

ルッカの全景

*ロマネスクの建物

ルッカに数ある教会のなかでも、ナンバーワンの美しさを誇っているのが、中心部にあるサン・ミケーレ・イン・フォロ教会。1143年に着工されて以来、14世紀まで建設が続いたというこの教会は、ファサード(正面)のてっぺんに大天使ミカエルの巨大な像が飾られ、その下の4層の回廊には、まるでレースのような繊細な彫刻が施されています。とにかく、柱一つ一つのデザインが異なっているのですから、豪華さの極み・・。真っ白な大理石の建物が、なんだか巨大な砂糖細工のように思え、私はただただ見とれるだけでした。特に素晴らしかったのは、夕日に照らされて教会が少しずつ赤く染まってゆく瞬間で、その美しさはたとえようもなく・・、多分、同じような思いだったのか、教会前の広場にしばし佇んでいる人々を何人も見かけました。
ちなみに、ミケーレ教会の隣にあるミケーレ広場は、地元の人たちの憩いの場所であるとともに、買い物のメッカでもあります。広場には市がたち、洋服屋のとなりに雑貨屋、その隣は食料品を扱う店など雑然とした雰囲気ですが、活気があふれ、特に夕方になるとかなりの賑わいを見せていました。
華やかで繊細な雰囲気の教会と隣り合わせに、雑然とした「日常」がある光景。最初はちょっと違和感もあったのですが、その場に身をおくうちに、なんだかそれもまたよし、という心境になっていました。見方を変えれば、地元の人たちが誇るべき場所であるからこそ、そこに人が集まり、その結果として市が立ち並ぶ、ということでもあるのですから。どんなに立派で豪華な教会であっても、それが地元の人たちにとって身近な場所でなくなっては、本来の意味を失ってしまうだろう、とふと思いました・・。

さて、もうひとつ、サン・ミケーレ・イン・フォロ教会と並んで有名なのが、サン・フレディアーノ教会です。ミケーレ教会と同じ頃に建立されましたが(ただし建設期間は30年余り)、この二つは全くイメージが異なり、フレディアーノ教会のファサードには黄金のモザイクが飾られています。ただ全体的に質素で静かな雰囲気があり、ミケーレ教会の華やかさ、周辺の賑わいに比べて、こちらはそれほど人も多くなく上品で落ち着いた表情を見せていました。フレディアーノ教会の前にも小さな広場があり、のんびり一休みしたいときにはお勧めです。
ちなみに、ミケーレ教会からフレディアーノ教会までの道は、ちょっとしたショッピングストリートになっていて、オシャレなブティックが並んでいます。最も多いのはファッション関係の店ですが、ルッカにはなぜか家庭用品や雑貨、食器などを扱っている店がかなり多く、どの店にも輸入物も含めてセンスの良い品々が揃っていました。
建物自体は昔のままで古いのに、一歩店に足を踏み入れると中は美しくコーディネイトされていて、最先端のものが並んでいる光景。その新旧のコントラスト、バランスの良さは絶妙です。こんなところにも、地元の人々の「暮らしの豊かさ」が表れているような気がしたのは、きっと私だけではないでしょう・・。
全体的に品良くまとまっていてハイセンス、でも気取りがなく溶け込みやすい。これがルッカの印象です。


<ルッカの光祭り ’98/6>

*街全体がキャンドルライトに包まれて


9月13日の夜、ルッカの街は幻想的なムードに包まれます。ドゥオーモを始め、サンタ・クローチェ教会やサン・フレデリアーノ教会など多くの教会、グリニージの塔、市庁舎、劇場、さらには主立った通りの商店やホテルなど、建物という建物の壁に、小さなグラスに入ったろうそくがずらりと並べられ、一晩中、街を美しく輝かせるのです。
教会や塔の場合は、建物の『層』ごとに、等間隔でろうそくが飾られていますが、商店やホテルなどのろうそくは、アーチ型の窓の形に合わせていたり、星をかたどっていたりして、それぞれ個性的な仕上がりになっています。場所にもよりますが、普通、ろうそくはだいたい10〜20センチ間隔に置かれますから、ひとつの建物にいったいどれくらいの数のろうそうが飾られているのか、もう想像もつかないほど。それがルッカ全体となると・・、多分、数十万本になっただのではないでしょうか!?


*点火はすべて手作業で

さらに驚いたのは、それだけの数のろうそくに点火する作業が、すべて人の手で行われる、ということでした。高いところはクレーンや梯子を使い、手が届くところは数人が手分けして、あらかじめ飾られているろうそくに、一本一本、明かりが点されてゆくのです。
私がルッカに着いたのは、祭り当日の夕方5時過ぎ。まだ空は明るかったのですが、すでに点火作業は始められており、街の至るところでろうそくの明かりが美しく輝いていました。風が強い日だったこともあって、点ける側から消えてゆく、というハプニングも見られましたが、作業は黙々と続けられ・・、ほぼ完了したのは夜8時過ぎだったように思います。光の輪が少しずつ大きくなり、やがてその建物を、通りを、街全体を包み込んでゆく様は、本当に素晴らしく感動的でした。
まさに「手作り」のこの光祭り、イタリアで見た数々の祭りは、どれも人間味にあふれた魅力的なものばかりでしたが、光祭りにはそこどこよりも「暖かみ」があったような気がします。祭りを支える地元の人たちの純粋さは、我が街を誇りにおもう気持ちの表われなのでしょう・・。祭りそのものだけでなく、人々の姿勢にも、感動するものがありました。


*パッセジァータを楽しみながら

もともとこの祭りは、サンタ・クローチェ教会の「聖なる顔」と呼ばれるキリスト像の遷移を記念する行事で、メインイベントはこの日の夜8時過ぎから行われる、信者たちの「ろうそく行列」とされています。花で飾られたキリスト像に導かれ、音楽隊の演奏に合わせて信者たちがゆっくりゆっくり街を練り歩くこの「ろうそく行列」の光景も、それはそれで素晴らしいのですが、やはり楽しいのは、幻想的な雰囲気の街をのんびりとパッセジァータ(散歩)すること。センスよく飾り立てられたショーウインドウを眺めたり、バールに立ち寄ってコーヒーやジェラートを食べたり、広場に腰を下ろしてくつろいだりしながら、人々は夜がふけるまで、この素敵な雰囲気に酔いしれるのです。
本物のろうそくを使っているから、雨がふればそれで終わり・・。実際に、この時は、途中から激しい雨になり、幻想的な雰囲気もあっという間に跡形もなく消えてしまったのですが、考えてみれば、一瞬のものだからこそ、より美しく輝き、人々の気分を高揚させてくれるのかもしれません。もしこれが、ろうそくではなく人工的な光だったら、祭りの魅力は半減するに違いありません。
「いくら合理的で安全でも、そんなことをしたら祭りの意味もない! 第一、楽しくないじゃないか・・」。
そんなルチェーゼ(ルッカ人)の声が聞えてきそうです。


*ホテル&アクセス

「サンタ・クローチェの光祭り」は、日本ではまだほとんど知られていませんが、イタリアでは結構有名で、観光客もかなりたくさんいます。ルッカは小さい街なのでホテルが少ないこともあり、早めに予約をしないと、市内に宿泊をするのが難しくなりますから要注意。私は行動が遅かったため、十数軒電話しても全く予約できず、結局、深夜ピサに移動して宿泊する破目になってしまいました。ルッカからピサまでは国鉄で30分程ですが、列車の本数はそれほど多くないため、注意が必要。せっかくの素敵な雰囲気なのに、後のことが気になってあまりのんびりできず、それがとても残念でした。
この祭りは、ろうそくの明かりに照らされた美しい街をのんびり散歩するところに醍醐味があるので、やはりルッカに宿泊するのが一番だと思います。ちなみに、もしルッカでホテルを選ぶとしたら、地理的には、街の中心地にあるナポレオーネ広場に面した「ホテル・ウニベルソ」がおすすめ。

#Hotel Universo piazza del Giglio 1
tel: 0583-493678 fax:0583-954854


<「斜塔」の街、ピサ ’96/10>

「斜塔」で知られる街・ピサを訪れたのはずいぶん前の話ですが、考えてみるとこのとき以来、私はイタリア人に興味を持つようになったように思います。倒れそうで倒れない「斜塔」はイタリアの象徴、なんて言われますが、傾いた塔が存在すること自体が日本人の感覚からかけ離れていて、それがまた魅力的。なんて不思議な人たちなの?! と強烈な印象を受けました。フィレンツェから気軽に出かけられ、見どころはドゥオーモ広場に集まっています。

*ピサの歴史を簡単に*

  古くは、ローマ帝国の海軍基地だった、という街ピサ。リグリア海に近い、という地の利を生かして、12世紀から13世紀にかけてはジェノバ、ベネチアと並ぶ海洋都市として栄え、海外にも領土をもつほどの権力を誇っていました。
 しかし1284年のメローリアの戦いでジェノバ軍に破れて以来、衰退の道をたどり、14世紀以降はフィレンツェの支配下に・・。ただ、メディチ家はピサを「科学の街」として保護し、以来ピサ大学は科学と数学の伝統校として、知られるようになりました。
 かのガリレオ・ガリレイはピサ大学に医学生として入学し、その後数学や物理学を学びましたが、ドゥオーモに釣り下げられたランプの揺れをみて「振り子の法則」を発見し、斜塔から物を落として「落体の運動法則」を証明した、という話はあまりにも有名ですよね・・。

*ピサの斜塔*

 ピサの一番の見どころは、やはり斜塔。これはドゥオーモに付属する鐘楼で、ピサ出身の建築家ボンナーノ・ピサーノの手で12世紀後半に着工、約180年の月日をかけてよって完成しました。南側に傾いているので、高さは南側が54.52m、北側は55.22m、6段の円柱の回廊を持ち、真っ白の大理石で出来ています(ただ、最近は酸性雨の影響で一部が黒ずみ、また観光客の落書きで汚れているそうですが)。
なぜピサの斜塔が傾いたか、と言うと、建てられた場所の地質が悪く、塔の重みを支えきれなかったということですが、実はそのことはすでに工事中にわかり、それでも強引に完成させてしまったとか・・。もちろん、補強工事などいろいろ試みはしたのでしょうが、まあ仕方がない、というノリ立ったのでしょうか? しかも、よく観ると、この塔は、途中から微妙に傾き具合が変わっているのです。要するに、工事途中に傾いてきたので、少し角度を修正して、さらに上に建てちゃった! わけです。
こんな感覚、絶対日本人には持ち得ませんよね・・。斜塔の美しさは感動的でしたが、ぼんやり眺めている内に、なんだか工事をしている人たちの様子が目に浮かんできて、思わず笑ってしまいました。イタリア人って、本当に素敵な民族です!

*斜塔に登ってみると*

 斜塔には294段の階段があり、かつては実際に上まで登ってみることができました。ここからの眺めはまさに絶景でしたが、はっきり言って、相当恐かったです。なぜなら、回廊は人が1人通れる程度の広さで、しかも一定の間隔で円柱があるだけ、手すりもロープも何にもなし。おまけに実際に歩いてみるとすべりそうなくらい傾いていて、後ろからど〜んと押されたら、そのまま外にまっ逆さま、という感じだったからです。みんな、回廊の内側の壁にへばりつくようにして登っていました。
 下部の回廊なら骨折程度で済むかもしれませんが、上の回廊から落ちたら、間違いなく死にます! 私が訪れた時は係員も全くいなくて、1日中「上り放題」状態だったのですが、これは今までに何人か犠牲者が出ているに違いない、とマジで思ったのでした・・。

*ドゥオーモと礼拝堂*

 

 斜塔の隣には、ドォーモ、さらにその隣に小さな洗礼堂があります。ドォーモは、ピサ・ロマネスク様式で、やはり真っ白な大理石造り、中は広々としていて、奥行きは100mもあるそうです。なかでも有名なのは、ジョヴァンニ・ピサーノが手掛けた説教檀で、その柱の部分には宗教上の人物などの彫刻が施され、パネルで円形に作られた檀には、キリストの生涯が描かれています。「信仰・希望・慈愛」を表しているととか・・。ちなみに、この説教檀のすぐ近くに、天井から釣り下げられたガリレオにまつわるブロンズ製ランプがあります。ドゥオーモが建築されたのは11世紀ですが、説教檀は14世紀始めの作品です。
 洗礼堂は、ドゥオーモに比べると小さな建物なので、見落としてしまいがちですが、
2階建てで、クーポラがあり、内部は直径35mの円形になっています。中に入ると、見た目はお風呂のような、八角形の洗礼盤とドゥオーモの説教檀を手掛けたジョヴァンニ・ピサーノの父親ニコラ・ピサーノ作の説教檀があります。比較するとこちらのほうが地味ですが、やはり檀にはキリストの生涯を描いた彫刻が施されていて、美しく仕上げられています。洗礼堂の建築は12世紀始め、説教檀は13世紀の作品です。

アクセス*

 フィレンツエから郊外バスで約1時間、列車なら1時間半で、いずれも本数は結構、多いと思います。ドゥオーモ広場までは、ピサ駅、バスターミナルともに歩ける距離なので、のんびり街を眺めながらお散歩を・・。途中、川を渡りますが、これはフィレンツェからゆったりと流れてきたアルノ川です。


<シエナを歩く ’96/4>

最近、人気を集めているトスカーナ地方。フィレンツェからバスに乗って、1時間余り行けば、中世の街並みをそのままに残した古都シエナと出会います・・。街全体がしっとりと落ちついた雰囲気に包まれていて、そこだけ別の時間が流れている、という感じ。もしフィレンツェまで出かける機会があるなら、1日のんびり散歩でも楽しむ気分で、足をのばしてみてはいかがでしょう? シエナについて、簡単にガイドします。

*シエナの歴史*

 この街が最も栄えたのは、12世紀から15世紀にかけてのこと。かのフィレンツェと対抗するほど力を誇っていた都市国家で、そのため、今も街には、当時の勢いを感じさせる立派な建物が残されています。しかし、1555年にフィレンツェのメディチ家によって攻め落とされ、その後はフィレンツェの支配下にありました。現在は、昔の面影を残す田舎の小都市という感じです。
 ちなみに、シエナ大学には国立の語学学校があって、夏休みなどには世界各国からやってきた学生で結構、賑わいます。最近は、日本からの留学生もずいぶん増えています。


*カンポ広場*

 街の中心地は、「世界一美しい」と言われた「カンポ広場」。
ここは扇形(帆立貝のような形ともいえる)の石畳の広場で、噴水「フォンテ・ガリア」もあります。石畳は、扇形の中心部から外に向かって放射線状に9つに区切られていて、少し傾斜がついていますが、これはかつてこの国に9人の執政官がいたことにちなんだもの、と言われています。
 広場の周りは煉瓦色に統一された中世のままの建物で囲まれているため、統一感があって美しく、なんともいえない不思議な雰囲気をかもし出しています。
 正面に見えるのは、現在は市庁舎になっている「プッブリコ宮殿」。2階、3階には美術館があって、シエナ派と言われたマルティーニやロレンツェッティの作品が納められています。また、そのすぐ隣には、広場を見おろすように煉瓦造りの「マンジャの塔」がそびえ立ち、時折、美しい鐘の音を響かせています。階段で上まで登ることが出来るそうですので、体力に自信のある方は、どうぞお試しを・・!

*シエナのドゥオーモ*

 カンポ広場から、200mくらいのところには、白と濃い緑とピンクの大理石を組み合わせて作った美しいドゥオーモ(大聖堂)があります。12世紀半ばから200年近くの月日をかけて造られたもので、正面のモザイクは本当に素晴らしい! 太陽に照らされると一段と美しく輝いて、見応えがあります。
 建物の中に入ると、3千平方mにも及ぶ床一面にモザイクの装飾が拡がっているそうですが、実は残念ながら、私は見たことがありません! 大聖堂は一般の人にも公開されているものの、
開館時間が決まっており、間に合わなかったのです。カンポ広場はいつでもOKですから、あまり時間が取れない場合は、先にドゥオーモを見てから、ゆっくり気の済むまでカンポ広場にたたずんだほうが、いいかもしれません・・。

*シエナといえば、やっぱりパリオ!*

「パリオ」というのは、カンポ広場で毎年7月2日と8月16日に開かれる「競馬」のこと。シエナの各コンラーダ(地区)がそれぞれ代表の馬と騎手を出し、騎手は中世の装束を身につけ、町の旗を振りかざしながら、まず広場をパレードし、その後レースが行われるのです。「パリオ」というのは、実は「旗」のことで、勝利者には聖母像を描いた旗が贈られます。
 コースは、カンポ広場をわずか3周するだけなので、時間にすると3分ほどですが、観客の熱狂振りはすさまじく、まさに広場がどよめくという感じです。馬も相当に気が荒いようで、時には騎手を振り落としたまま走っているものも見られるほど・・。そして、勝利を手にしたコンラーダは、夜更けまで宴会を開いて大騒ぎするそうです。

*おまけ*

 シエナでは、この「パリオ」にちなんだお土産物がたくさん販売されています。例えば、ミニチュアの旗とか、コンラーダの旗をモチーフにしたTシャツ、スカーフなど。値段もそれほど高くないし、これは他の街では絶対に手に入りませんから、おすすめだと思います。
 また、ここは田舎町なので街全体がのんびりしていて、治安も悪くありませんし、一人で歩いていても全然平気です。フィレンツェからなら、半日あればOKなので、ぜひお出かけになってみてください。なお、鉄道よりはバスが便利で、本数もかなりたくさんあります。バスターミナル(というほど立派ではありませんが・・)の近くには、メルカート(市)もたっていました・・。


<一瞬の美を求めて・・スペッロ市の花祭り「インフィオラータ」 ’97/7>


去る6月1日、ウンブリア州の小さな街スペッロ(SPELLO)で「インフィオラータ」という花祭りが行われました。石畳の細い路地に、いくつも色とりどりの花びらで描かれた「絵」が並べられ、それは華やかでした。感動的とも言える美しさでしたのでご紹介します。

*街をあげての「インフィオラータ(infiorata)」

 人口8千人弱のとても小さな街スペッロを有名にしたのが、この「インフィオラータ」というお祭り。祭り当日は、街のメインストリートを始め、曲がりくねった細い石畳や小さな広場、個人の家の玄関前など、あらゆるところに花びらや葉っぱを絵の具代わりにした絵が描かれます。もう、街中がキャンパスという感じで・・、お見事!の一言。艶やかで、ロマンチックで、とっても素敵な雰囲気でした。
 この祭りは、「コルプス・ドーミニ」という宗教的な儀式に基づいたものなのですが、ある時、一人の主婦が、祝意を込めて路地に花びらで宗教画を描くことを思いつき・・、それがきっかけとなって、街のあちこちに「絵」が描かれるようになったそうです。今ではスペッロ市が主催する盛大なイベントに成長し、多くの観光客を集めています。


*壮大な作品から、さりげない飾りまで

 メインストリートに描かれている作品は、縦約2m、横は7〜8mもあるかなり大がかりな作品で、十数人がグループになって制作しています。高校生や大学生から社会人まで顔ぶれは様々、作品のそばには制作メンバーが交代でついていましたが、汚されないように「見張り」をしている、という雰囲気ではなく、自分たちの作品を見て! と誇らしげに座っている、という感じでした。
 一方、細い路地にある小さな作品は、家族や友人数人など小グループで制作されており、大きさも縦50センチ、横1〜3mほど。中には子供達が作ったものや、まだ制作中というものもありました。さらに、自分の家の玄関先を花びらで飾り付けている人も多く、彼らがいかにこの「インフィオラータ」を誇りに思っているか、強く感じました。
 作品は基本的に宗教画が多いのですが、小作品の場合はデザインよりも色使いで勝負! とばかり、抽象的な模様を描いているケースもあり、花びらを並べた上にさらに花を飾って立体的に仕上げていたり、2色使いで陰陽をつけていたり、と、それはそれで見応えがありました。


*制作は一晩で・・

 制作メンバーに話を聞いたところ・・、制作手順としては、まずデザインを選び、台紙にそれを描いて色の配分を決め、その後、原画に忠実に丁寧に花びらを並べてゆくのだそうです。といってもキャンパスは路地ですから、実際に制作できるのは、祭りの前夜のみ。深夜12時頃から徹夜で作業した、ということでした。
 ちなみに、花びらはただ並べているだけで、ノリなどの接着材は全く使われていないため、風が強く吹くと花びらがとばされてしまいます。時折、制作メンバーが霧吹きで水をかけて花びらを固めていましたが、それでも、時間がたつとどうしても細かい部分が崩れてきて・・、最後はもういいや! とばかり、みんなで花びらを集めて振りまいて遊んでいる、という光景も見られました。


*一瞬の美を求めて

 「インフィオラータ」の大敵は雨と風! 残念ながら、今年は午後からいきなり大雨になって、数々のすばらしい作品が一瞬にして失われてしまいました。なんだかもったいなくて、制作者が可哀想な気もしたのですが・・、考えてみると、瞬間的なものだからこそ、いっそう美しく、輝いて見えるのかもしれません。特別なひとときだからこそ、懸命に取り組み、またそれを楽しもうとしているのではないでしょうか。
 作品はコンテストの対象となっていて、入賞作には賞金も出るのですが、みんな賞金が目当てというよりは、作品をしあげたこと自体に満足している、という風で、雨に流されても惜しむでももなく・・、なんだかとてもうれしそうでした。その姿が、私にはとても印象的で、こんな素敵なイベントがあるスペッロの街が少しうらやましくも思えました!


*コルプス・ドーミニ(CORPUS DOMINI)とは?


 「コルプス・ドーミニ(CORPUS DOMINI)」とは、ラテン語で「主の体」を意味します。キリストは、死に赴く前に弟子達と共に「最後の晩餐(
ULTIMA CENA)」を持ち、そのときに彼らにパンを分け与えて「皆、これを取って食べよ。これはあなた方のために渡される私の体である」と制定しました。この出来事に基づいて「最後の晩餐」の再現であるミサの中で、パンは「キリストの体」=「主の体」と考えられるようになり、キリスト教徒はそれを食すことによって主キリストとその救いに結ばれると受けとめているわけです。この「キリストの体」=「主の体」の制定を祝う日が「コルプス・ドーミニ」、日本では「キリストの聖体」と呼ばれる祝日になります。
 本来、「コルプス・ドーミニ」は、最後の晩餐があった「聖木曜日」に行われるべきなのでしょうが、「灰の水曜日(MERCOREDI'DELLE CENERE)」から「復活祭(PASQUA)」まで続く「四旬節(QUARESIMA)」という償いの期間があり、しかも翌日はキリストが十字架につけられて死んだ日にあたるため、日をずらして祝うことが伝統となったそうです。まず、復活祭後50日目の日曜に「聖霊降臨祭(PENTACOSTE)」があり、次の日曜が「三位一体の主日」、さらに次の日曜が「コルプス・ドーミニ」とされています。

 ちなみにキリスト教では、日曜日のことを主が復活した日「主日」と呼んでいます。イタリア語で「日曜日」は「ドメニカ(domenica)」と言いますが、これは「ドメニカーレ(domenicale)」=「主の」という意味の言葉からきています。初期のキリスト教では、安息日(sabbato)はユダヤ教時代のまま、週の最後の日である土曜日とされていましたが、次第に日曜日を安息日にするようになり、今では世界的に日曜が休みとなっています。ただ、今もユダヤ教では土曜、イスラムでは金曜が安息日とされています。
 なお、「インフィオラータ(INFIORATA)」は宗教用語ではなく、「花で飾った」という意味のイタリア語になります。


(注) この項は、神学生時代を含め二度にわたってローマで暮らした経験を持つFrancesco Yang Yeol Kim氏からの情報に基づいて記述しました。kin氏からは、今後、キリスト教の歴史や文化に関する参考文献などもご紹介頂けるということですので、順次紹介していきたいと思います。イタリアの文化や歴史を知る上で、やはりキリスト教に関する知識は欠かせないものですから・・。どうぞご参考に!

*スペッロへの道

 スペッロ市は、サンフランチェスコ教会で有名なアッシジのお隣にあります。人口約8千人のとても小さな街ですが、ちゃんとイタリア国鉄の駅もありますので、車がなくてもOK! ただし本数は多くはないので、あらかじめ時刻表をよく確認しておく必要があります。また、イタリア国鉄には日曜日運休という列車が結構あるので、それも忘れずにチェックしましょう。
 ちなみに、ローマからはフォリーニョ(FOLIGNO)乗り換えで2時間余り、フィレンツエからはテロントラーコルトーナ(TERONTLA-COLTONA)乗り換えで3時間弱になりますが、直通列車もありますし、この日に限ってローマ発のツアー列車も運行されているので、日帰りで楽しめると思います。もし日程に余裕があるなら、ペルージアやアッシジと組み合わせて、のんびりとウンブリアの空気を味わってみるとよいのでは・・?
 スペッロの「インフィオラータ」は最近、徐々に人気が高まっているようで、観光客も決して少なくありませんが、それでもローマやフィレンツエのような雑踏、喧噪とは縁遠い街ですから、のんびりと散策できると思います。街全体が会場なので、入場料なども必要ありません。グッビオの「ローソク競争」と並んで、絶対におすすめのイベントですょ!!
 なお、前述しましたが、「インフィオラータ」はキリスト教の「コルプス・ドーミニ」の日に行われるため、年によって日程が変わります。ご注意を・・! 


<グッビオが燃えた1日「Corsa dei ceri」(ロウソク競争) ’97/6>

5月15日、トスカーナ州のお隣にあるウンブリア州の小さな街「グッビオ」で、伝統ある「ロウソク競争」が開かれました。イタリアでも有数のビッグイベントで、まさに街は1日中興奮状態! 通りのあちこちから音楽が聞こえてきて、ワインを飲みながら歌っている人、踊っている人をたくさん見かけました。

*「Corsa dei ceri」(ロウソク競争)とは

「Ceri」というのは、高さが3mくらいある巨大な木製の燭台を型どった山車のことで、この祭りは、グッビオの守護聖人サン・ウバルドの祭りの前日に行われます。
グッビオの住民は、10代の若者からオジサンまで黄・青・黒をシンボルカラーにする3つのグループに分かれ、それぞれの衣装を身にまとって、自分たちの「ceri」を肩に担いでは街を練り歩くわけですが・・、それだけでは終わらず、なんと祭りの最後に、それぞれの「ceri」を担いで、旧市街からサン・ウバルドの聖堂がある標高827mのイノジン山頂まで、一気に坂道をかけあがっていくのです。
夕方6時に行われるこのメインイベント「Corsa dei ceri」(ロウソク競争)は、相当な迫力! 「Ceri」はかなり重さがあるため十数人で担ぐのですが(ちょうど日本の御神輿のような感じ)、イノジン山頂までの坂道はかなり急で距離も相当あるために、交代要員が「ceri」の後を追いかけて何十人も走ってゆくのです。歓声とともにドドドドッという足音があたりに響きわたり、観衆からはそのたくましさに多くの拍手とかけ声が贈られます。
グッビオの男性にとって、「Corsa deiceri」は男らしさの象徴であり、またそれに参加したかどうか、最後まで走り通したかどうかが、強さの証明になるんだそうです。おみやげ物屋さんでは、なんと、その証明書まで売られていました・・。


*興奮状態に包まれて・・

祭りの当日は、まず午前中に、市庁舎と執政官宮殿のあるシニョーリア広場で、「alzata dei ceri」(ロウソク立て)と呼ばれるイベントが行われ、その後「ceri」が街を練り歩きます。「ceri」が通りを行き交う時は、やはり周囲から拍手やかけ声がかかりますが、通り沿いの家の2階や3階の窓からは色とりどりの紙吹雪がまかれ、それが風で舞い上がって、なんとも華やかな雰囲気に・・。
また、街にはそれぞれのグループのバンドも繰り出して、あちこちで演奏を行っていましたが、すでにワインが入っているせいか、にぎやかな音楽に誘われて踊り出す人も多く、もう町中が興奮状態に包まれているようでした。いかにグッビオの人たちが「ceri」を誇りに思っているか、この祭りを愛しているか、ひしひしと感じられました。
ところで、「Ceri」が街を練り歩いた後、メインイベントの「Corsa deiceri」までの時間は、街の人たちは執政官宮殿に作られた「臨時食堂」で、グループごとに食事をする運びになっているのですが、これまた異常な盛り上がりで、飲めや歌えの大騒ぎ! お皿やワイングラスが楽器に早変わりし、あちこちから景気のいいリズムが聞こえてきました。あまりにも楽しそうだったので、写真をとってもいいかと声をかけると、一斉にポーズをとり始めて、さらに大騒ぎに・・。また、ほろ酔い加減で街を歩いていた10代のグループのなかには、噴水に飛び込んで騒いでいる子もいて、私は、どこかの国で見た光景?!、とつい笑ってしまいました。
もちろん、騒いでいるのは若者だけではなく・・、私は見ず知らずのオジサンからワインをちゃっかりご馳走になりました! グッビオの人たちに、とても楽しい思い出をプレゼントしてもらい、こちらまですっかりハイになってしまった記念に残る1日でした。


*グッビオへの道

1年に1回のお祭りですので、わざわざこの時期にあわせて観光に出かけるのは難しいと思いますが、多少無理をしても見に行く価値はありますので、グッビオへのアクセスもご紹介しておきます。
車で出かけられれば、時間的な制限もなくベスト! ただ、公共交通機関を利用するなら、ウンブリア州都ペルージアからバスに乗るのが最もわかりやすいと思います
。平日は1日に8便、休日は4便あり、所要時間は約1時間です。できればグッビオに宿をとって、1日たっぷり楽しめると最高ですが、ペルージアからの日帰りでも十分楽しめると思います。絶対におすすめですよ!!


<聖地アッシジ ’96/12>

 イタリアの守護聖人である聖フランチェスコゆかりの地「アッシジ」。丘の上に静かにたたずむ聖フランチェスコ教会には、世界各国から多くの巡礼者や観光客が訪れています。その空間だけ、過去と現在が融合しているような雰囲気、そしてその厳粛さには、きっとキリスト教徒でなくても心を動かされることと思います。私が訪れたのは、ほんの数時間のことですが、強烈な印象が残っています。

*アッシジの街*

 イタリア中部ウンブリア州、緑豊かなスパジオ山脈麓の丘陵地にあるアッシジの街。人口は2万5千人ほどの小さな街ですが、周囲にはオリーブ畑や葡萄畑が拡がり、美しい糸杉が点在し・・、その景色はまるで絵のような美しさです。
 その起源はローマより古いと言われているそうですが、中世の都市国家の面影を今でも強く残していて、街は城壁に囲まれ細い石畳の路地がくねくねと続いています。まるで街全体が特別な空気に包まれているよう・・、何百年か前にも、このままの姿でここにあったのかと思うと、不思議な感動があります。時が止まってしまったかのような気さえします。

*聖フランチェスコ教会*

 聖フランチェスコが眠るこの教会は、彼が亡くなった2年後、1228年に建設が始められ、20年余りの月日をかけて完成しました。全体が2層構造になっていて、下部は天井が低く薄暗くて、どっしりと落ちついた雰囲気ですが、上部は天井も高く、窓からは日も射し込んで明るく、暖かさに包まれています。
 上部の聖堂に描かれた壁画が、画家ジョットと弟子達の手による28枚のフレスコ画「サンフランチェスコの生涯」、ジョットのデビュー作とも言われています。28枚のうちの1枚が、有名な「小鳥に説教する聖フランチェスコ」、派手さはありませんが、穏やかで柔らかな雰囲気に包まれた、素敵な作品です。
下部の聖堂には、チマブエやマルティーニによる美しい壁画が残されていますし、さらに階段を下りると、聖フランチェスコの墓もあります。なお、聖フランチェスコ教会はイタリアでも指折りの有名な教会ですから、クリスマスの時期には、ミサの様子が全国にテレビ中継されたりもするそうです。やはり、イタリアの人たちにとっては特別な場所なのでしょうね・・。
 ちなみに、この教会には日本人の神父様がいらっしゃいます。最近は日本人観光客も多くようで、教会やジョットの絵画について日本語で丁寧に説明してくれました。帰国してからお礼状を出したら、アッシジの写真と一緒にお手紙を頂いて、とても感激したことがあります。もうずいぶん前のことなので、もしかしたらもうアッシジにはいらっしゃらないかもしれませんが、そんなこともあって、私にとってアッシジは、より印象的な場所となりました・・。

*聖フランチェスコのついて*

 聖フランチェスコは1181年生まれ。アッシジの恵まれた家庭に育ち、若い頃は、自由奔放な日々を送っていましたが、ある時、神の啓示を受け(1201年とも1206年とも言われている)、自分の持っているものをすべて放棄し、無一文となって、キリスト教に身を捧げるようになったのだそうです。とてもストイックな生活をしながら、布教活動を続け、民衆に語りかけるとともに、自然に対しても感性豊かに接し、自然の素朴さを讃えた歌を書き残している、と言います。

*聖女キアーラと聖キアーラ教会*

 聖フランチェスコは1210年に、フランチェスコ修道会を設立しましたが、彼は忠実な使徒で美しい乙女キアーラにもクラリッセ修道会を設立するようはげました、と言います。アッシジの街を挟んで反対側、東の端には、聖女キアーラに捧げられた聖キアーラ教会が建てられており、ここは聖フランチェスコ教会の上部の聖堂をそのまま再現するかのような造りになっています。こじんまりとしていますが、白とピンクの大理石が優しい雰囲気をかもし出しています。内部には、聖女キアーラ像や彼女の生涯を描いたフレスコ画、墓が残されています。

 *アッシジへのアクセス*

アッシジは、ぜひおすすめしたい街ですが、交通が不便なのが残念。国鉄なら、ローマーフィレンツェ線のテロントラ駅かフォリーニョ駅で乗り換えて、サンタ・マリア・デリアンジェリ駅で降り、そこからさらにバスで10分程度、となります。
 なお、ペルージャ、グッビオといった、やはり中世の面影を残す街に、長距離バスが運行していますから、それをうまく利用するのもいいと思います。バスからの景色もなかなかですよ・・。


<中世の街オルビエート ’96/9>

 このところ、イタリア人気は高まる一方。リピーターも増えたせいか、最近は滞在型の旅行を楽しむ人が増えてきたようです。私自身も、まずベースとなる街を決めて、そこからあちこちにミニトリップを楽しむというパターンが多いのですが、今回はローマから日帰りで出かけられる小さな街「オルビエート」をご紹介します。
 本当にこじんまりとした静かな街ですので、ローマの喧噪から離れてみたいときには、ぜひオススメ! また、ここは上質の白ワインの産地としても知られていますので、ワイン好きの方は要チェックです・・。

*ローマからオルビエートへ*

 ローマのテルミニ駅から、フィレンツェ方面に向かう列車に乗っておよそ1時間半、やがてブドウ畑の拡がる大地の向こうに、岩山の上に建つ古い街並みが見えてきます・・。
 オルビエート駅は小さくて、まさに田舎の駅そのものですし、駅前もバールとホテルが何件かある程度のひっそりしたものですから、多少不安になりますが、気にせずに駅前のフニクラーレ(ケーブルカー)の乗り場へ。オルビエートの街へはあっというまに到着します。バス便もあるのですが、旅の気分を盛り上げるには、やはりフニクラーレでしょう・・! 

*サン・パトリッツォの井戸*

 フニクラーレの駅をおりると、あたりは公園のような雰囲気になっています。まずはそちらで一休み! 後は気の向くまま足のむくまま、雰囲気を楽しみながらのんびりと散歩するだけ(オルビエートの旧市街は端から端まで歩いても2キロにみたないほど小さい)なのですが、実は散歩に出かける前にぜひチェックしてもらいたいスポットがあります!
 公園の北の端にある「サン・パトリツィオの井戸」。案内の看板もありますので、すぐわかります。
 もともと、オルビエートはエトルリアの街として栄えたところですが、中世以降は教皇領として発展し、1527年の「ローマ略奪」(神聖ローマ皇帝カルル5世のドイツ・スペイン傭兵軍がローマに進駐して、手当たり次第に略罰を働いた事件)の時には、教皇クレメンテ7世が逃げてきた、という歴史を持っています。「サン・パトリツィオの井戸」は、その時に敵に包囲されても水源を確保できるように、と教皇が造られたもので、深さは62mもあります。 ユニークなのは、水を汲みに降りる人と汲んで上がってくる人がぶつからないように、二重の螺旋階段が造られていること。この井戸は、現在も公開されていて、実際に水のあるところまで降りてみることが出来るそうです。残念ながら私は見逃してしまったので・・、もし訪れた方がいらっしゃったら、どんな様子だったがぜひ教えて下さい!
ちなみに・・、聞いた話では、イタリアでは底なしの浪費家のことを「サン・パトリツィオの井戸のようなポケットを持っている」と言うんだそうです!
 なお、最初にここを見るようオススメしたのは、帰りは歩き疲れて、街の中心地ドゥオーモ広場からバスで駅まで向かう人が多いようなので、私のようについ見逃してしまうから・・。井戸からドゥーモ広場までは、1キロ強あります。

*ドォーモへ*

 

 「サン・パトリツィオの井戸」を見た後は、のんびりとカブール通りを歩いて、ドゥオーモ(大聖堂)へ。13世紀に建築が始まり、最終的に完成をみたのは1600年、という壮大なドゥオーモは、イタリアでも有数の美しさで、特にファサード(正面壁)は見応えがあります。金をふんだんに使ったモザイクが埋め込まれていて、陽の光を浴びるとキラキラ輝いて、それはもう見事! こんな小さな街に、こんな素晴らしいものが、と感動的ですらあります。
 また、正面入り口の柱にも細かな彫刻が施されていますが、右側の2番目が「最後の審判」ですので、お見のがしなく。ドゥオーモ内部のステンドグラスや大理石でできた床のモザイク、ドゥオーモの外回りの石畳(やはりモザイクになっている)も、とてもステキです。
 私が訪れたのは秋ですが、ぽかぽかと暖かい日だったので、入口の階段に座って、優雅なひなたぼっこを楽しんできました。ただ、ドゥオーモは誰でも入ることができますが、時期によって公開時間はまちまちですし、昼休みも長いので気を付けて下さい!

*ドゥオーモ広場から石畳をお散歩・・*

ドゥオーモの横はちょっとした広場になっていて、バールやお土産物屋さんが並んでいます。また、正面にはエトルリアの美術品を展示するファイナ考古学博物館があります。さらに広場から続く石畳の道を行くと、大きなバルコニーのあるポポロ宮殿や旧市街につながります。
 小さな通りの両側にもリストランテやお土産物屋さんはありますが、まだまだ観光客が少ないこともあって、なんだかひっそりと静まり返っていました。まぁ、だからこそ、のんびり散歩を楽しめるというものですが・・。

*おみやげは白ワイン*

 

 お土産物屋さんで目につくのは、やはり特産品の白ワイン「オルビエート」。たいていの店で試飲をさせてくれます。リストランテの看板などにも、葡萄をモチーフにしたものが目に付きました。お味は、軽くて飲みやすい感じだったような・・。(実は、私はイタリアファンにあるまじきことにワインが苦手で、残念ながらよく覚えていません!)
 ほかには、オルビエートと裏にサインが入った、素朴な感じの手描きの陶器もよく見かけました。大小のお皿やエスプレッソカップなど、とっても可愛くておすすめなのですが、実はこれはオルビエート産ではありません。近くにある陶器の街デルータで作られているものです。アッシジでも、同じような陶器を見かけましたが、こちらはこちらでちゃんとアッシジと名前が入っていて笑ってしまいました・・。でも、値段も手頃だし、重ささえ我慢できるのなら、いいお土産になると思います。

*アクセス*

 ローマ・フィレンツェ間は、わりと列車の本数がありますので、午後からでも気軽に出かけられると思いますが、国鉄の駅の周りには、時間をつぶすようなところはバールくらいしかないので、やはり到着した時に、時刻表をチェックしたおいたほうがいいと思います。
 なお、フィレンツェからは2時間半かかるので、1日コースということにして、アッシジやペルージアと組み合わせたほうがムダがないかもしれません。ただ、近い割に交通の便が悪いのが難点です。


<トスカーナの温泉 キャンチアーノ・テルメ ’97/11>

  日本と同じく火山国のイタリアには、温泉地として知られる街が数多く存在しています。トスカーナ地方にも「キャンチアーノ」「モンテカティーニ」「サトゥルニア」といった有名な温泉があり、バカンスシーズンは大いに賑いを見せていましたが、実はそのほかにも「ヴァーニョ・ビニョーニ」や「ヴァーニョ・サン・フィリッポ」といった知る人ぞ知る小さな温泉があり、これがなかなかユニークなのです。温泉といっても、いわゆる日本の温泉とは少し違っていて、最初は戸惑うやら驚くやら・・。でも、ゆったりした雰囲気があって、それなりにリラックスすることができます。
日本ではまだあまり知られていないトスカーナの温泉を、2回に分けてご紹介します。
まず第1回は、キアンチアーノ・テルメをピックアップ!


*「飲む温泉」、キアンチアーノ・テルメ!

モンテプルチアーノのすぐ近くにある温泉地で、イタリアでも有名な高級リゾートです。日本で言えば「軽井沢」に近いイメージなのでしょうか、メインストリートには4つ星ホテルが立ち並び、高級ブティックやレストラン、そしてリッチな別荘もたくさん見かけます。全体がとてもおしゃれな雰囲気で、街をぶらぶら散歩するだけでも楽しめるのですが、実は、ひとつ問題が・・。ここの温泉はなんと「飲む温泉」だったのです!
最初はそうとも知らず、タオルと一応水着を持って出かけた私たち。ところが、どこにもそれらしき建物がなく、大きな公園とコップを持って歩いている人だけが目に付くのです。そう、この公園こそが「温泉」で、中に「飲泉場」があり、みんなこの水を飲むのが目当てだったのです。
キャンチアーノには「アックア・サンタ」「サンタ・エレナ」「パルコ・フーコリ」の3つの公園があります。それぞれ「温泉」の成分に差はあるそうですが、特に胃腸を始めとした内臓に良くきくとされており、どの公園もお年寄りで大賑わい。飲泉場の近くにはイスが並べられていて、みんなそこに座って本を読んだり、お喋りをしたりしながら「温泉」を飲んでいるのです。そして、しばらくしたら公園内を散歩したり、バールで休憩したり、ミニコンサートを楽しんだりして、数時間を過ごしていました。イタリアのバカンスは普通、最低でも1週間ですから、滞在中はみんな毎日のようにこれらの公園に出かけて「温泉」を飲む、これがキアンチアーノ・テルメの正しい楽しみ方というわけです。ちなみに入園料は、公園によって差があり、6千〜1万リラ(約450〜750円)でした。


*ドレスアップしてダンスホールへ

キアンチアーノ・テルメにある3つの公園は、設備の点でもそれぞれ特徴を持っていました。「パルコ・フーコリ」は家族連れや若い世代を意識して、中にテニスコートやパットゴルフ場、子供のための遊び場があり、本格的な野外ステージも備えています。このステージではロック系のコンサートからタンゴ、オペラまでが上演され、それを目的で出かける人も少なくありません。もちろんすぐ側にバールがあり、後ろの座席ではテーブルを囲んでコーヒーやお酒を飲みながら楽しむこともできるようになっていました。
一方、「アックア・サンタ」と「サンタ・エレナ」には豪華なダンスホールが作られています。バカンスシーズンはしばしばコンサートやダンスパーティが催されていましたが、その開演は夜9時過ぎ。公園自体は7時半頃には閉園になりますから、お客さんは一度ホテルや別荘に戻り、食事を済ませて改めて出かけてくるわけです。イタリアの熟年カップルはとてもお洒落で、ダンスパーティはもちろんのこと、ただ「温泉」を飲みに出かけるだけでも、みんなビシッとドレスアップしていますから、とても華やか! スーツにネクタイの男性もいれば、華やかなワンピース姿にフル装備のアクセサリー、という女性もいて、日本人の感覚から言えば結構ハデなのですが・・、それがとても素敵で、私は心からいいなぁと思いました。いくつになっても周囲に遠慮することなく、自分たちの時間を楽しんでいる・・、さすがイタリアですね!


*1か所だけ「入る温泉」も・・

最初にキアンチアーノ・テルメは「飲む温泉」と紹介しましたが、実は1か所だけ「入浴」できる場所があります。メインストリートからちょっと外れた「シレーネ」と呼ばれるところですが、ここは入浴できるといっても本来はマッサージやエステを受けるための設備で、建物内には個室がずらりと並んでいます。基本的に予約制でそれぞれの部屋に担当者がおり、部屋の中には大きめのバスタブとベッドが置かれています。もちろん毎回お湯を入れ替えてくれ、さらにバスタブの中に背もたれを沈めて、ゆっくり体を横たえることもできるようにしてくれるのです。実は私が住んでいたアパートのバスタブはとっても小さくて、肩までゆっくりお湯につかることができず、(イタリア人は入浴はせいぜい週1回で普通はシャワーですますため、バスタブそのものがないアパートも決して珍しくないのです!!)、どうしても我慢ができなくなって一度だけここに出かけましたが、オゾン風呂に20分入るだけでも2万5千リラ(2千円弱)と結構高くて、気持ちよかったけれど少し悲しかった! マッサージやエステを受けると軽く10万リラは突破するみたいです・・。


<トスカーナの温泉 ヴァーニョ・サン・フィリッポ ’97/12>


 先月号では、トスカーナ地方の人気温泉リゾート「キャンチアーノ・テルメ」を取り上げてご紹介しましたが、ここは街の雰囲気はよくても、基本的に「飲む温泉」であるため、正直なところ私たち日本人にはなんだか物足りなさが残るのも確かです。やっぱり、熱いお湯にゆったり身を沈めてこそ温泉! というわけで、今回は実際に入れる温泉、しかも「露天風呂」に近い感覚で楽しめる「ヴァーニ・サン・フィリッポ」をピックアップしてみました。とても豊かな自然環境に包まれた、知る人ぞ知るイタリアの「秘湯の湯」を具体的にご紹介します。


*森のなかの天然温泉「ヴァーニ・サン・フィリッポ」

モンテプルチアーノから約30キロ、車で40分ほどのところにある「ヴァーニ・サン・フィリッポ」。山のなかにひっそりとたたずむこの温泉は、なんと森を流れる川そのものが温泉になっているのです! 付近は一応「自然公園」のような感じで整備されており、遊歩道も作られていますし、ベンチも置かれています。といっても、管理者が常駐しているわけではなく、出入り口にカギがあるわけではないので、入退場は自由。いつでも気軽に出かけることができますし、地元の人以外にはあまり知られていないので人も少なくとっても静か・・。緑を眺めながらのんびりとくつろぐことができます。
場所はローマとシエナを結ぶ「カッシア街道」からアミアータ山の方向(正確に言えば「アバディア・サン・サルバトーレ」方向)に少し入ったところになります。正確なところはわかりませんが、たぶん村の人口はせいぜい2、3百人で、温泉のある自然公園以外には建物も数えるほど。通り添いにレストラン(バール兼用)が1軒とホテルが1軒あるだけで、あとは個人の住宅が十数軒並んでいる程度ですし、バスも1日数便しかありません。本当にひっそりとしています。


*ファンゴ(泥)で「天然エステ」を・・

さて、まず公園の入り口近辺に適当に車を停めて山道を下って行くわけですが・・、しばらく進むと小さな川があり、あたりには温泉の匂いが漂っています。実はこの川の水(ぬるま湯?)がすでに「温泉」になっていて、さらに先に進むと川が自然に塞き止められてできた「窪み」が何ヶ所かあり、これが言わば「露天風呂」のようになっているのです。「窪み」は数十人が入れるような大きくて深いプールのようなところもあれば、せいぜい4、5人が入れる程度の小さなところもあり、お湯の温度も場所によってかなり差があります。大きなところはぬるめなので、暖まるというよりは水遊びをするという感じなのですが、小さなところは38〜40度くらいはあって、ゆっくり暖まることができます。
お湯は白濁していて、底にかなりのファンゴ(泥)がたまっていますから、最初足を踏み入れた時はぶよっとしていてなんとなく気持ち悪いのですが、実はこのファンゴがポイント! 底からすくい上げてみると、真っ白でクリームのような柔らかさなのです。成分が強いせいか、最初は直接肌にのせるとその部分だけぱっと赤くなってしまいますが、すぐに赤みは消え、後はすべすべしてきます。女性客のほとんどはこの「天然エステ」に夢中! 顔も腕も真っ白にしてマッサージにしている姿は、はためから見るとちょっと不気味でもあるのですが、もともと周りにほとんど人がいないので、だれも気にしていないようでした・・。
ちなみに、私もせっかくのチャンスだから、と「天然エステ」にトライしてみたところ、ファンゴが本当になめらかで気持ちよく、なんだかとてもリラックスすることができました。もちろんお湯に入るだけでも体がじんわりと温まり、後々までぽっかぽか! ただし、髪の毛は、濡れたところが後でバリバリごわごわになってしまいましたので、それなりにケアが必要です。体を拭いた後、よく見ると肌に温泉の成分が残って白い粉がふいたような状態になっていましたから、どうやらこの温泉の成分はかなり強力なようです。


*入れるのは夏場だけ

緑の木々に囲まれ、鳥の鳴き声も聞こえてくるというとてものどかな天然温泉「ヴァーニョ・サン・フィリッポ」。でも、全く問題がないわけではありません。ここはまさに天然の「露天風呂」なので、当然ながら混浴です。みんな水着を着用して入りますが、着替える場所などはないので、あらかじめ水着を着込んできて適当な場所で脱ぎ、帰りは茂みなどを利用して人目を忍んで着替えるか、体が乾いた頃にそのまま洋服を着込んで家に帰るかになります。また、電灯などはないので日が暮れると真っ暗になってしまいますし、ふきっさらしですから、冬場は寒くて入れないと思います。実際に利用できるのは多分5月頃から9月頃まででしょう・・。
なお、「ヴァーニョ・サン・フィリッポ」にあるホテルには、温泉のお湯を引いたなかなか立派なプールがあります。基本的には宿泊客のためのものですが、状況によって日帰りでもOKだそうで、入場料金は確か1万8千リラ(1200円)位でした。一応、住所と連絡先をご紹介しますが、田舎街のホテルなので英語が通じるどうかは未確認です。

「HOTEL TERME」
53020 Bagni S.Filippo (Siena)
tel 0577-872982 fax 0577-872684


<コッローディ村のピノッキオ公園 ’98/1>


 トスカーナ地方のおすすめスポットをピックアップしている「トスカーナを歩く」。今回はフィレンツエの西、約60キロのところにあるコローディ村の「ピノッキオ公園」をご紹介します。山の麓の小さな村に静かにたたずむこの公園は、いわゆるアミューズメント施設とは全く雰囲気が異なっており、緑のなかを子供と一緒に(もちろん大人だけでも)ゆったりのんびりと散策できるとても素敵な場所です。まだ日本人の姿はほとんど見かけませんが、フィレンツエからなら日帰りで出かけられますので、機会があればぜひお出かけになってみてはいかがでしょうか?


*イタリア生まれの人気キャラクター「ピノッキオ」

子供たちに大人気の「ピノッキオ」と言えば、ディズニー映画を思い出されるかもしれませんが、この物語が生まれたのは1883年のイタリア、フィレンツエでのことでした。わがままでいたずらっ子で次々ととんでもないことばかりしでかすのに、なぜか憎めないキャラクターのピノッキオは、以来100年以上も世界中で愛され続け、子供たちだけでなく大人にも親しまれています。現在でも木製のピノッキオ人形はイタリア土産の定番中の定番となっていますし、他にもボールペンやらノートやらキーホルダーやら、様々なピノキオグッズが土産物屋にあふれています。
名作「ピノッキオの冒険」の作者であるカルロ・コローディ(本名:カルロ・ロレンツィーニ)はフィレンツエで生まれ育ちましたが、実は彼の母親がこの村の出身だったため、子供の頃は夏になるとしばしばここを訪れていたのだそうです。ペンネームにその名を用いるほど、この村に特別な思いを抱いていたであろう作者・・。美しく静かなこの村に、その気持ちを受け継いで、しかしあくまで主役は作家コローディではなく、物語の主人公ピノッキオとして、公園が造られたのは1956年のことでした。


*まずはストーリーの「復習」から


ピノッキオ公園は、年月をかけて少しずつ整備されてきました。現在の形になったのは1987年のことで、中には遊具のある遊び場やモザイクの壁で囲まれた広場、物語の展開をたどりながら散策できるブロンズ像の置かれた小径、物語と同じく「あかえび屋(Gambero Rosso)」と名づけられたレストラン、売店などが点在しています。
まず、入り口を入るとすぐ隣に「あかえび屋」があり(ここには「ピノッキオ」「ゼペット」という名前の2種類のランチメニューが用意されています)、順路にそって進むとブランコや滑り台、シーソー、ジャングルジムなど数種類の遊具がある広場に出ます。いきなりハイになってしまった息子をしばらく遊ばせて、満足したところで次のエリアへ。
今度は高さ2メートル位のモザイクの壁に囲まれた正方形の広場ですが、このモザイクはすべて物語の場面を描いたもので、赤、青、緑、白とカラフルな色合いなのにとても柔らかな雰囲気。ただ、その絵は子供向けの可愛いらしいものではなく、美しいのだけど結構おどろおどろしかったりして、なかなか迫力がありました。
さて、ここでおもむろに持ってきた絵本を開き、壁にそってぐるりと歩きながら、早速、ストーリーの「復習」開始。実は私もピノッキオのストーリーなんてすっかり忘れていて、「うそをつくと鼻がのびる」「怠けていたのでロバになってしまう」「最後にクジラに飲み込まれる」ことしか、思い出せなかったのです。ふ〜ん、なるほど、そうだったのねぇ・・、ピノッキオが高い木につるされ、死にそうになったところを、妖精に助けられるなんて、全く記憶から抜け落ちていました! そして、いよいよ「物語の小径」へと足を踏み入れたのです。


*物語の展開そのままに・・

曲がりくねった道が延々と続く「物語の小径」は、周囲に木々が生い茂っているので、まるで緑のトンネルをくぐっているかのよう。物語の世界にすんなりと入れたのも、そのせいかもしれません。まず最初に目にするのは、「C'era una volta...(昔々あるところに・・)」から始まる、原作の最初の一文を記した看板。そしてその次に、逃げ出したピノッキオを捕まえようと通せんぼをした巡査のブロンズ像が置かれています。背をかがめ巡査の股の間をくぐり抜けてさらに進むと、今度は物言うコオロギの像が・・。さらにピノッキオをだますキツネとネコ、妖精、金のなる木、大ヘビ、棺をかつぐ4匹のウサギ、ロバになりかけたピノッキオなどなど、次々とブロンズ像が登場。(このあたりのストーリー展開を説明するとかなり長くなるので、ぜひ本を読んでみてください!)
さらに進んで行くと、ピノッキオとゼペットじいさんが再開する大クジラに突き当たりますが、このクジラがとってもユニークで、いきなりピューっと潮を吹き出して驚かしてくれるし、階段を上がればクジラの頭のところに上れるようになっているし、お腹の中にも入れるし・・。おまけに、お腹の中の一番奥にはちゃんと小さな部屋が作られていて、中に失意のゼペットじいさんが座っていました。ここにはなぜかコインがたくさん供えられていて、ちょっと笑ってしまいましたが。
ストーリー展開にそったブロンズ像は一応ここで終わりになりますが、その後も道沿いに、手を振るピノッキオ像や生け垣で作った迷路、実際に子供が乗って遊べるボート(残念ながら動きませんが)、洞窟のなかの宝箱などが置いてあって、最後にまたモザイク広場に戻ってくるような造りになっていました。



*大道芸のステージも・・

歩くだけでも楽しいピノッキオ公園ですが、もうひとつ面白かったのは、野外ステージで行われていた大道芸です。私たちが訪れた日は、人形劇とキセルを使った火吹き芸を行なっていましたが、なんと火吹き芸を子供に体験させてくれるのです。実はただキセルに強く息を吹き込むだけでいいそうなのですが、中には間違って息を吸い込んでしまいむせて泣き出す子がいたり、しつこく何度も挑戦したがる子どもがいたり・・。子供たちはすっかりピノッキオの世界に引き込まれていて、ポカンと口を開けて見入っている姿はなかなか可愛いいものがありました。
そのほか、地面を盤にした巨大なチェスで自由に遊ぶこともできますし、ピノッキオにまつわる絵や版画、工芸などを展示している小さな美術館もあり、1日かけてのんびり楽しめるようになっています。また、売店には人形から文房具、カード、便箋、カレンダー、ゲームなどなど、ありとあらゆるピノッキオグッズが揃っていますので、ピノッキオフリークには見逃せない場所ではないでしょうか?!


*終わりに

私は河島英昭さんの「イタリアをめぐる旅想」という本に収められている「子供の楽園〜ペッシャ、コッローディ、フィレンツエ」というエッセイを読んでからというもの、どうしてもここを訪れたくなり、帰国直前の去年9月中旬に息子と年下の留学仲間と3人で出かけてきました。モンテプルチアーノからはバスと電車、タクシーを乗り継いで片道4時間近くかかり、ちょっとハードな旅でしたが、それでも行っただけの価値はある、と大満足でした。 小さな村なので交通の便が悪いのが難点ですが、フィレンツエからなら日帰りも可能ですのでぜひおすすめします。また、ルッカ・コローディ間は15キロで直通バスもあるため(本数は多くありませんが)、ルッカ観光と組み合わせるのも一つの方法だと思います。
アクセスはフィレンツエから国鉄でペッシャに向かい、そこからバスかタクシーを。バスは駅前から出ていますが本数が少ないので、乗り遅れてしまったらタクシーを利用した方がいいでしょう。タクシーは駅前のバールで聞けばすぐ連絡先を教えてくれます。料金は約2千円でした。なお、ピノッキオ公園は1年中、朝8時半から日没まで終日オープンしており、入場料は約千円でした。

問い合わせ先
ピノッキオ公園 tel 0572-429342
コローディ財団 tel 0572-429614

ピノッキオについては簡略化された絵本がたくさんでていますが、原作は36章からなる物語で、かなりドラマティックです。
大人でも十分楽しめますので、久々に読み直してみてはいかがですか?
原作の日本語訳は、福音館書店から「ピノッキオの冒険」 (C・コルローディ作 安藤美紀夫 訳)などが出ています。


<ワインの街、モンタルチーノ ’98/2>

 トスカーナ地方のおすすめスポットをピックアップしている「トスカーナを歩く」。今回はワインで有名な街、モンタルチーノをご紹介します。ちょっと交通は不便ですが、ワイン好きな方にとっては、一度は訪れてみたい場所のひとつ。小ぢんまりしていて、美しく静かな田舎街です。車があればフィレンツエから日帰りでOKですし、シエナからならバスもあります。


*静かにたたずむ美しい街で


モンテプルチアーノから30キロ強、車で30分ほどのところにある小高い丘の上の街、モンタルチーノ。名前が良くにているのでよく混同されやすいのですが、ここモンタルチーノは人口わずか5千人で、ゆっくり散歩しても1時間もあれば充分すぎるほどのとても小さな街です。ポポロ広場を中心に、13〜14世紀の建物が今も美しく残されており、静かで落ち着いた雰囲気なのですが・・、街の大きさの割に観光客が多く、城壁の側の駐車場にはバスが何台も止まっていたりするのが、この街の特徴と言えば特徴。実は、このモンタルチーノで生まれた赤ワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は、イタリア大統領主催の晩餐会でもサービスされるという指折りの逸品で、みんなそれを目当てにここを訪れているのです。


*城塞はエノテカ(ワイン蔵)!


そんな観光客が必ずといっていいほど立ち寄る場所が、街外れにある壮大な城塞。実はここの内部は今、市直営のエノテカ(ワイン蔵)として使われていて、ブルネッロを始めとした地元産の様々なワインがずらりと並べられています。一人5千リラを払えば気の済むまで試飲もOKです。必要熟成期間が4年というブルネッロは、世界的に知名度も高くかなり高級なワインとされているため、値段も決してお手軽とは言えないので、この機会にぜひ、と思う人がほとんどなのでしょうが、私が出かけたのはちょうど週末だったこともあって順番待ちの行列ができるほどの賑わいでした。
ちなみに、一般的な店でブルネッロを買おうとすると、そのお値段は安いものでも4万リラ位(約3千円)。日本の感覚ではそれほど高くはないのかもしれませんが、同じDOCGワインの一つ、モンテプルチアーノが誇る「ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノ」は1万2千リラ(約千円)位からあるのですから、なんと倍以上ということになります。「あれはブランド料だから」という声もなきにしもあらずですが、まぁ、味わい深く、香りも素晴らしいことは確かなようですから、それはそれで仕方ないのかもしれません。なお、ここは市直営のエノテカということで、他で買うよりは多少値段も安くなっているそうです。ローマから遊びに出かけたある友人は、感激してなんと十本以上抱えてかえりました・・!


*城塞から見渡す素晴らしい景色


1361年、シエナ軍によって建造されて以来、約600年の月日を超えて、今もどっしりと高台に腰を下ろしているこの城壁は、上から見るとちょうど五角形になっていて、角の部分に立派な塔が造られています。実際に城壁の上を歩いて回ったり、塔に登ってみたりもできますので、酔い覚ましもかねて、眼下に広がるトスカーナの景色を眺めながら、しばし中世に思いをはせてみるのも一興でしょう。季節は、やはり緑鮮やかな春から初夏がおすすめです。
公共交通機関を利用するなら、シエナからTRA.INのバスで約1時間、車ならフィレンツエ、またはシエナからカッシア街道を利用し、途中でモンタルチーノ方向へ向かいます。渋滞もほとんどなく、なかなか気持ち良いドライブコースですょ。


<ローマの噴水を訪ねる ’96/8>

 永遠の都ローマには、有名な「トレヴィの泉」を始め、ほんとうにたくさん噴水があります。その彫刻の素晴らしさもさることながら・・、それぞれの噴水には結構ユニークなエピソードや由来が残されていて、なかなか興味深いものがあります。広場にたたずんで噴水を眺めているだけでも、気分はすっかり別世界!   ローマに残る美しい噴水について、自分なりに本や雑誌をめくっていろいろ調べてみましたので、写真と共にご紹介します。(写真は、今年4月に撮影してきたものです)


*なぜローマには、たくさん噴水がある?*

  その謎を探るには、帝政ローマ時代までさかのぼる必要があります・・。ご存知のように、今から2千年も前に、すでにローマの街には水道が作られていましたが、この水道と噴水が深く関わってきます。  水道を作るには、当然、ばく大な資金と権力が必要になります。水道が存在するということは、それだけローマが豊かだったから・・。当時は、水道には必ずと言っていいほど末端に噴水が造られていたそうですが、噴水は、目に見えにくい水道に代わって、その存在を誇示する象徴だったのでしょう。噴水は、水道作りを手掛けた人々の「名誉」と「誇り」を表していた、と言われています。

*トレヴィの泉*

  おなじみの「トレヴィの泉」は紀元前19年、20キロに渡って引かれた水道の末端に造られたました。ただ、当時は今ほど豪華絢爛ではなく、樋(とい)から流れ落ちる水を、3つの水盤で受ける程度の簡単な作りだったそうです。  しかし、やがてそれは破壊されてしまい、長い間そのまま放置されていました。修復の話が持ち上がったのは、17世紀になってからのこと、大芸術家ベルニーニが手掛けるはずだったのですが、計画の途中でベルニーニが亡くなったため中断し、その後18世紀になって、教皇クレメンス12世が本格的な修復を計画します。このときはコンクールで設計する建築家を選ぶ、という方法が取られ、選ばれたのはなんと無名の若手ニコラ・サルヴィの作品。ポーリ宮殿の壁面を生かす、というユニークな設計でした。  なお、「トレヴィの泉」の彫刻はブラッチの作品で、水盤の上には貝殻の馬車に立つ海神ネプチューン像と2頭の海馬を操る海神トリトーネ像、そしてポーリ宮殿の壁面には2体の女神像と、その上方に4体の女神像があります。確か、4体の女神像は春夏秋冬を表している、と聞いたように思います。 この「トレヴィの泉」で、肩越しにコインを投げると再びローマに戻れる、という伝説は、 有名な話。でも、こんな噂もあるんですよ! 1枚目のコインは、ローマに帰らせてくれ、2枚目のコインは願い事をかなえてくれ、3枚投げると恋人や夫と別れられる・・。新婚旅行でお出かけの方はご注意を!

噴水の写真4枚(JPEG形式 約100KB) 

*ナヴォーナ広場の四大河の噴水*

  クリスマス・シーズンに、おもちゃの市がたつことでも知られているナヴォーナ広場は、南北に細長いかなり大きな広場ですが、ここには3つの噴水が造られています。その中央にある最も大きな噴水が「四大河の噴水」で、これはベルニーニの作品です。  この噴水を建築した当時、ベルニーニには、ボロミーニという強力なライバルがいましたが、実は、この噴水の前にはボロミーニが建てたサン・アニエーゼ・イン・アゴスティン教会があります。ベルニーニは、この「四大河の噴水」にナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川を表す4つの彫像を造りましたが、ちょうど教会に面するナイル川の像には「ボロミーニの教会なんか、見るに耐えない」とばかり頭から布をかぶせ、ラプラタ川の像には「今にも倒れそうな教会を支えてあげよう」とばかり片手をあげさせた・・、というのです。もちろん、これは噂話で、実はベルニーニの噴水のほうが、先にできていたのだそうですが、笑ってしまいますよね・・! なんて口の悪いローマっ子!! なお「四大河の噴水」の北側には、やはりベルニーニの「ムーア人の噴水」、南側には一九世紀になって作られた「ネプチューンの噴水」があります。

*蜂の噴水とトリトーネの噴水*

  ベネト通りとバルベリーニ広場の合流地点にある、こじんまりとした可愛い噴水が「蜂の噴水」です。やはりベルニーニの作品で、17世紀に作られました。蜂はバルベリーニ家の紋で、豊かさを象徴する貝と組み合わせた彫刻になっています。かつては荷馬車の水飲み場だったとか・・。さりげな〜く立っているので、お見のがしなく! この「蜂の噴水」のすぐ近く、バルベリーニ広場の中央にあるのが「トリトーネの噴水」。大きな貝の上に、法螺貝を吹く半人半魚の海神トリトーネが施されています。こちらもバルニーニの作品で、アンデルセンの「即興詩人」にも登場する有名な噴水です。

*ナイアーディの噴水*

  テルミニ駅の近くにある共和国広場の中央にたつのが「ナイアーディの噴水」です。19世紀後半に彫刻家ルッテリが手掛けたものと言われ、ギリシャ神話の4人の水の妖精が刻まれていますが、その姿が裸に近かったため、完成後、市当局が足場を外すのをためらった、というエピソードも残されています。

*夜の噴水めぐり*

 上記の噴水以外では、スペイン広場の「舟の噴水」、クイリナーレ広場の「ディオスクーリの噴水」、マッティ広場の「亀の噴水」などが有名です。  多くの噴水は夜ライトアップされていて、格別の美しさを見せていますので、市内観光ナイトツアーなどを利用して巡ってみてはいかがでしょうか・・?  なお、時間に余裕がある方は、ぜひチボリにも足を運んでみてください。

*おまけに・・*

  「噴水」とは言えないけれど、ローマの水道の歴史を感じさせるこんな写真も撮影してきました。ご参考まで!

写真4枚(JPEG形式 約90KB) 


<ローマのオアシス・・ボルゲーゼ公園 ’96/6>

新緑が本当に美しかった4月のローマ。街を歩き疲れたときは、ボルゲーゼ公園に足をのばして一休みを・・。ローマっ子たちの素顔が垣間見られます。ここは、トスカーナのシエナの名門、枢機卿を務めたボルゲーゼ氏が17世紀に家族のために作った庭園だそうです。美術館あり、動物園あり、芝生ありで、のんびり出来ます。馬に乗った人やサイクリングを楽しむ人も確かいたような気がします。

*スペイン階段を上がると・・*

 スペイン階段を頑張って登り、道沿いにいくと、広大なボルゲーゼ公園にたどり着きます。「双子の教会」があるポポロ広場からでもOK(ポポロ広場の上はピンチョの丘と呼ばれていてます)。まずは、ローマの街並みをゆっくり見下ろして、公園の中に入っていきます。後は、どうぞご自由に、時間の許す限りくつろいで頂ければ・・。
 相当広いので大変ですが、どんどん進むと馬術競技場が、さらにその奥に動物園が、途中で左に曲がると、国立近代美術館や、エトルリアの芸術品を収めたヴィラ・ジュリア美術館があります。ここは「夫婦の寝棺」という有名な作品があることで知られていますが、残念ながら、私はまだ訪れたことがありません。なお、ボルゲーゼ美術館はベネト通りからボルゲーゼ公園に入ったほうが近くて便利です。

*ボルゲーゼ美術館*

 ボルゲーゼ美術館には、ナポレオン1世の妹でボルゲーゼ家に嫁いだ「パオリーナ」の彫像や、ベルリーニ作の「ダヴィデ像」「アポロとダフネ」など、見応えある作品が数多く収められています。私は、前回イタリアに行ったときに訪れましたが、ここの係員のオジサンはとても親切だけど、手が早い!(でも、もういないかもしれませんね)。
 ベネト通りから行けば、すぐわかると思います。もちろん案内の標識も出ています。

*ボルゲーゼ公園で過ごす人たち*

 ちょうど季節が良かったせいか、赤ちゃんを連れてひなたぼっこに来ていたり、おばあさん同士でお散歩に来ていたり、べったりくっついているカップルをたくさん見かけました。
 バールでパニーニやサンドイッチを買って、ここで一休みするのもいいかも知れませんね。公園内でも販売していますし、ジェラートもあります。みんなのんびりとくつろいでいるので、片言でもイタリア語で話しかけると、結構、コミュニケーションが取れて楽しかったりします!
 ちなみに、公園は入場料などは必要ありませんが、美術館や動物園に入るには、多少お金がかかります。

ボルゲーゼ公園から見下ろしたポポロ広場の写真 23KB/JPEG


<バチカン市国を歩く ’96/3>

 今から70年ほど前、1922年に誕生した、世界で最も小さな国「バチカン市国」。ここは、カトリックの総本山サン・ピエトロ寺院を擁する国(実際には、街といったほうが、いいかも!)で、美術品の宝庫でもあります。本当は、丸1日かけてゆっくり楽しみたいところ・・。キリスト教徒でなくとも、厳粛な気持ちになる場所です。バチカンのあれこれを、簡単にご紹介します。

*バチカン市国*


この国の元首はもちろんローマ法王、ちゃんとした独立国家です。ただ、目に見える国境はありませんし、入国するのにパスポートやヴィザはいりません。人口は約千人で、当然、教会と関係する方ばかりですが、独自の造幣局や放送局、郵便局、病院、天文台、神学校などがあって、鉄道の駅も存在しています。
 バチカンは、スイス偉人の衛兵さんによって守られていますが、これは16世紀からの伝統で、彼らは、昔ながらのかのミケランジェロがデザインした制服に身を包んで、サン・ピエトロ広場にたっています。この人たちが、みんななかなかカッコイイ! 一応、真面目な顔をして、直立不動の体勢をとっていますが、カメラを向けたり、目があったりすると、ときどきニッコリ笑ってくれるのがご愛敬。制服は、赤とオレンジと濃い青、3色の幅広ストライプで、中世のイメージをそのまま残しています。

*サン・ピエトロ広場*

観光でバチカンを訪れると、まず始めに足を踏み入れるのは、サン・ピエトロ寺院前に拡がる大きな楕円形の広場。設計したのはベルリーニで、正面に寺院があり、周りは4列の大理石の柱が並ぶ回廊になっています。サン・ピエトロ広場には、なんと40万人を収容できるそうですが、ちょうどそこに集う信者達を見守るように、回廊の上に聖人の像が飾られていて、その数は140体にもなります。また、広場の中心にはオベリスクが立ち、その両側に噴水が、そしてオベリスクと噴水の間には床に白い大理石が埋め込まれている場所があります。このポイントに立つと、回廊の4列の柱が1つに重なって見えるんですねぇ・・。まぁ凝ったものだと感心しました!
 毎週日曜日の正午には、ローマ法王がご自分の部屋から広場の信者に祝福を与えられます。お姿が見えるのは、サン・ピエトロ寺院に向かって、右手の回廊上のバチカン宮殿、最上階の2つ目の窓。もちろん、法王がどこかお出かけの時はダメです。

*サン・ピエトロ寺院*

 
サン・ピエトロというのは、キリスト12使徒のひとりで、初代の法王、聖ペテロのこと。寺院は、キリスト教を迫害した皇帝ネロの時代に殉教した彼のお墓の上に建てられたそうです。いまのような壮大な寺院が計画されたのは15世紀のこと、それからラファエロやミケランジェロが設計に加わって、17世紀始めに完成しました。建物を上から見ると、十字架の形をしていて、奥行きは185m、クーポラの頂上までは130mほどあります。収容人員はおよそ6万人。世界で最も大きな教会です。

 クーポラは、ミケランジェロの設計で、これは彼の生涯最後の大事業だったとか。でも彼は、何一つ報酬をうけなかったそうです。クーポラにはエレベーター(伊語でラシェンソーレ)で上がることが出来て(更に延々と狭い階段を上らなければなりませんが・・)ここからの眺めはもう最高! ローマで最も高い建物ですから、目の前を遮るものは何もなくて、すばらしい景色を楽しむことができます。バチカン市国の全体像も眺めることができますし、絶対おすすめです。ちゃんと売店まであって、ここでしか扱っていないものもいくつかあります。私が行ったときには、日本人のシスターがいらっしゃいました。エレベーターの乗り口は、確か、寺院の向かって右側にあったと思います。料金もそれほど高くありません。

 サン・ピエトロ寺院のなかに置かれた美術品で見逃せないのは、やはりミケランジェロのピエタ像。彼の25歳の時の作品で、聖母マリアが十字架から降ろされたキリストを抱く姿を刻んでいます。これはもう感動的な美しさで、大理石でできているとは思えないほど柔らかく、優しく・・、私は思わず立ちすくんでしまいました。聖母マリアのうつろな表情が印象的です。ただ、昔はそのまま飾られていたのですが、以前、何者かに傷つけられるという事件がおきて、今はガラス越しでしか鑑賞できません。

 ほかには、正面にあるハトを描いたステンドグラスや、ブロンズのピエトロ像も必見。ピエトロ像は、信者がその右足にキスをしたり、手でなでたりするために、指がきえるほどすり減っています。


*バチカン美術館*

かつて法王庁は、神の名の下に世界最上の美をバチカンに集めたとか・・。サン・ピエトロ寺院に隣接するバチカン宮殿のなかには、いくつもの礼拝堂や広間があり、その数は1400以上にもなると言います。それらが美術館、博物館として公開されているわけです。

 とにかく広いので、全部見ようと思ったらどれだけ時間がかかることか・・。時間によって
順路が4つに色分けされていますので、それに従うのが無難です。でも、絶対に見落とせないのは、修復が終わったシスティーナ礼拝堂。ここは法王選挙の会場にもなるところで、壁や天井一面にフレスコ画が描かれています。作者はミケランジェロ、天井画は聖書の創世記をテーマにしており、正面を飾るのは「最後の審判」です。

 この「最後の審判」には、ミケランジェロ自身の姿も描かれています。そして、かれと確執があった法王ジュリオ2世の姿も・・。でも、ジュリオ2世はなんと大事なところを蛇にかみつかれている、という無惨な描かれ方で、これではあまりにも、と後に修正が加えられたそうです。今回の修復で、本来の姿に戻すか、それとも、修正を加えたままにするか論議が分かれましたが、結局、修正有り、が結論となりました。

 ミケランジェロは、精神的な苦痛と、天井に絵を描くという無理な姿勢を続けたことで、膝に水がたまり、背中も曲がってしまった、と伝えられています。また、作品が完成するまでは、法王にさえ見せようとはせず、かたくなに、懸命にこの作品に取り組んだそうです。

 ほかには、ラファエロが12年かけて制作したという「ラファエロの間」や、塩野七生さんの作品でお馴染み「チェーザレ・ボルジア」の居室なども、見応えあります。

 バチカン美術館は、お休みが最終日曜日以外の日曜で、冬場と土曜日は午後1時までしか、入館できません。また、サン・ピエトロ広場から美術館までは、歩くと10分くらいはかかりますから、ご注意を・・。

*おまけ*

 バチカン市国には、内部を走る黄色いバスがあります。それに乗ると、許可なしでは入れないという庭園の様子なども垣間みれますので、お時間があれば利用してみては? バス停は、サン・ピエトロ広場にある観光案内所と郵便局前です。郵便局では、ここだけにしかない切手がいろいろ売っていますので、記念にどうぞ・・。