<<アンセルミ・スガコのアンコーナレポート 1
    〜 アンコナ/ファルコナラにいらっしゃい>>


・アンコナ/ファルコナラって何処にあるの?

 イタリアといえばローマ、ミラノ、フィレンツェといった大都市をはじめ、南はナポリやシシリー島まで観光名所が沢山ありますが、アンコナなんて地名聞いた事無いという方が大半でしょう。
25年程前にマルケ州を直撃した地震によって、アドリア海を望むアンコナ港をはじめその周辺地域は大きな被害に遭い、アンコナ、ファルコナラの歴史的な建物の多くはこの地震により失われてしまいました。マルケ州は地震の多い地域で、ごく最近にも断続的に比較的大きな地震に見舞われ、史跡崩壊など大規模な被害を被りました。
街の復興に伴い、住む家を失った人に新たな住居が提供されましたが、それらは新興住宅地として新たに開発された近代的な造りの住居でした。アンコナから海岸沿いに連なるファルコナラの街並みが他の都市とは趣が違って見えるのは、こうした街の歴史によるのでしょう。この街ではイタリア人の“今”の暮らしを知る事ができます。



1)アクセス

 ローマやミラノ、フィレンツェから国内線の飛行機で1時間前後、アンコナ−ファルコナラ空港に到着します。空港から街の中心街までは車で5-10分、空港バスも発着しています。
列車を使うと各都市から特急や急行に乗っても3、4時間の長旅になりますが、内陸部からアドリア海沿岸に抜ける景色は素晴らしく、時間があれば列車の旅もお勧めです。ローカル線は季節によっても発着時刻が異なりますので、出発前に確認が必要です。


2)観光

*浜辺
 夏はアドリア海を望む海岸沿いに色鮮やかなパラソルが立ち並び、ローマやミラノといった都心からの海水浴客で賑わいます。アンコナ周辺は海岸沿い一帯がバカンスの為に用意されたリゾート地ですから、観光客が快適に過ごせるよう設備が充実しています。
その他の季節は“これと言って何も無い”というのが地元住民の大半のご意見のようです。

〜ファルコナラ.マリッティマの海水浴場に店を構えるMOIRAは、気立ての良い根っから明るいイタリア娘。MOIRAのBARはパラソルやロッキングチェアなどの貸し出しは勿論、喫茶軽食のサービスも充実しています。夏の終わりを告げる花火大会の日にはMOIRA手作りの特性ディナーが100食限定で用意され人気を集めています。9月15日“また来年、この海で会いましょう”と彼女は笑顔で最後のバカンス客を見送っていました。


*メルカート(朝市)
 毎週開かれる朝市はアンコナが木曜日、ファルコナラが月曜日、それぞれの中心街に所狭しと出店が並びます。買い物自慢の主婦が掘り出し物を探したり、若者は近くの縫製工場から流出するアウトレット商品の品定めに夢中です。

*街並みと史跡
 アンコナ港の周辺には2000年前の牢獄の跡や城跡などが残っていますが、観光資源と言うよりは、‘放ったらかし’という表現がぴったりする現状です。アンコナ港周辺には若者向けの店が数多く並び、港に建てられたディスコホールには深夜、若者たちは勿論、年配の男女も踊りに夢中になっています。
アンコナはマルケ州一物価が高いので有名ですが、街並みの新しさや港町特有の品揃えの良さ、住み易さから言うと仕方ないかも知れません。



〜「LA TAVERNA dei GUELFI」の愉快なオーナー、MAURIZIO。古城を改修したレストランは煉瓦造りの落ち着いた雰囲気で、豊富なパスタ料理と肉料理が目当ての常連客も多い。食後のティラミスやジェラートに熱いカフェをかけて食べるタルトゥホは病み付きになるくらい美味しい!


3)近隣の街

 アンコナの海岸線を南に上がると、セニガリアやカットリカ、リミニといったイタリア国内はもとよりヨーロッパ近隣諸国向けの一大リゾート地帯が広がります。夏の海水浴シーズンにはヨーロッパ諸国から、特にドイツからの観光客で賑わいます。観光客の年齢層は比較的若く、バカンスを満喫する若者たちが目に付きます。一説によると、イタリア各地から休暇に訪れる女性達は一夏の恋を求めて来る事が多いのだとか。
リゾート地に相応しく、宿泊施設は設備が整い、ディスコや深夜迄営業しているバールが軒を連ねています。リミニの目抜き通りは華やかで、イタリア国内でも夏のディスコ大会で有名らしく、バカンスの終わりを告げる催しとしてTVニュースの画面を飾ります。
またサンマリノ共和国、ペルージャにも自動車で1−2時間ですから、この辺りを拠点に足を延ばしてみては如何でしょうか。


4)アンコナ港から船の旅

 貿易港であるアンコナ港からはクロアチアやギリシャへの客船が出港しています。クロアチアのイスという島までは高速船で3時間弱の旅です。クロチアはご存知の通り、内戦の傷痕が未だ癒えない国ですが観光を生業としている島々では観光客の呼び戻しに力を入れています。イタリアの若者がスキューバダイビングに訪れるなど、夏の観光スポットでもあるようです。イタリア人観光客に向けてシーフードレストランもあります。夏はジェラート無しでは生きられないイタリア人の要望に応えて島のあちこちに簡易冷凍庫に詰められたジェラートが売られています。
ギリシャへは大型客船が出港しています。アンコナ港からギリシャの港までは船中一泊ですが、アドリア海を抜けイオニア海に至る景色の移り変わりを楽しむ事が出来るでしょう。                     
 なお、アンコナ港の周辺にはクロアチアやギリシャへのパック旅行を取り扱う旅行代理店が数多くあります。


〜アンコナ市役所のホームページは、アンコナの歴史、観光案内、市役所のサービスまで盛り沢山。イタリア語版と英語版があります。
http://www.comune.ancona.it/


<<アンセルミ・スガコのアンコーナレポート 2
「 L'amore Italiano」 〜 マンモーニの国>>

イタリア人の夫と結婚して数ヶ月。アンコーナでの生活は思ったよりスムーズに運んでいますが、日本とイタリアの文化が正反対に位置することもあって、戸惑ったり驚いたりすることも決して少なくありません。


*マンマが一番!?


一番驚いたのは義母が、毎日のように昼ご飯時に連絡無しにやって来て、食事内容、洗濯物の干し方、タンスの中身まで、くまなくチェックを入れたこと。日本じゃ幾らなんでもそれは無いと思うのですが、彼女は悪びれた様子も無く、チェック終了後には“A Posto. Sei brava!”と言って帰って行きました。ここ数日前からは、さすがに家庭訪問は無くなりましたが、息子がどんな待遇を受けているのか母親には知る権利があるらしく、旦那に毎日電話を催促して、今日は何を食べたか詳細に報告させたかと思えば、ある時は両手いっぱいに母の手料理をぶら下げてやって来て“あの子は私の作るこのスペシャル料理が大好きなのよ”と一言。旦那も旦那で“彼女のスペシャル料理は空を飛びたくなるくらい美味しいよ”と言う調子です。
日本で生まれ育った私は理解に苦しむモードですが、これはうちの旦那の家庭に限った話では無く、ごく一般的なイタリア人家庭の普通の光景のようです。

友人の家庭では、こんな出来事もありました。彼女が、待ち望んでいた妊娠で喜びいっぱいの時、彼女の旦那の両親から“子供は男の子を産まないといけないよ。うちの家を継ぐ男が必要なんだから。”と言われたらしいのです。
イタリアは結婚しても女性は氏の変更をしませんが、生まれた子供は旦那の「姓」を継ぐ法律制度になっているので、男の子がいないと「姓」が途絶える事になります。彼女の旦那はたった一人の男性なのでこのセリフが飛び出した、という訳です。日本なら、同じ状況だったとしても、さすがにはっきり口に出して言うのは遠慮があるのではないかと思いますが、イタリア人は素直と言うか何というか・・、何だか日本よりプレッシャーが大きいような感じがしました。

さらに、イタリアでは共働き家庭では両家の母親が交代で子守をするのが通常で、子供は完全に母親依存型なのですが、その影響もあってか、子供の数や生活設計にまで旦那の母親が口を出すのが当たり前のようなのです。
我が家も私の年齢が今年34歳と言う事もあって、旦那の母は“子供は何人欲しい?”と事あるごとに聞いてきますが、私が“最低2人、出来たら3人”と答えると、“旦那の収入だけでは子供は一人だけ、共働きでも2人は大変だから、誰か子供を見てくれる人が必要だけど、あなたは家族がこっちにいないから難しいわよ。やっぱり子供は一人ね。”と、子供の数まで勝手に決めてしまいます。

一緒に買い物に行けば、“あの子の給料でこんな高い食材を買ってたら食べて行けないから、日本料理は月に一回くらいにしなさい。”と言われたり、“あの子は果物が好きだからアレとコレと買いなさい。”と勝手にかごに入れられてしまったり。この過保護(???)には何だかついていけそうにありません。
初めは、私が外国人なので不慣れな点をカバーしてくれているのかと思っていましたが、どうも違ったみたい・・。話を聞けば、どこの家庭も同じような感じなので、本当に驚いてしまいました。
ただ、こちらでは普通、カップルは5〜7年は付き合って、お互いの家族と密接に付き合ってから結婚するようなので、問題は余り無いみたいですが・・。

「独立独歩」を叩き込まれ、長年、独り暮らしをしてきた私としては、今更この生活には馴染めそうもなく・・、これからいかに旦那の母と良い関係を築き、お互いに無理無く(?)付き合っていくかが、今後の大きな課題のようです。さて、どうなりますやら・・。

<<アンセルミ・スガコのアンコーナレポート 3 〜イタリアの恋人たち>>

今回は「FIDANZATI」〜イタリア恋愛事情についてレポートします。数人にインタビューしましたが、インタビュー後に別れてしまうカップルもあって、なかなか大変です・・。
旦那の親友のANTONELLO(アントネー)28歳と恋人のFABIORA(ビリー)24歳は、交際4年目を迎え、お互いの家族とも交流を深めて現在結婚に向かって準備中のカップル。彼らにイタリアの恋愛事情について語ってもらいました。


ビリー:

「私たちが知り合ったのは11年前の海辺で、お互いが数人のグループだったの。私は初めて会った時から彼の事が気になってたけど、彼には当時恋人がいて13歳の私には見向きもしなかったわ。それに私は当時バレーボールに夢中で、他の女友達に比べて幼かったから。」


アントネー:

「当時僕には同級生の彼女がいて彼女を大切に思っていたし、彼女以外の女性にちょっかいを出すようなタイプの人間じゃないから僕は。ビリーの事は可愛いとは思っていたけどソレだけ。僕は17歳で、彼女は未だ13歳だったんだよ。分かるでしょ?」


すがこ:

「アントネーは当時は彼女がいて、ビリーは13歳で、それからどういう経緯で現在にいたるの?」


アントネー:

「僕はその彼女と5年間付き合ったんだけど、よくある事情でお互いが新しい相手を見つけた方が幸せだという結果になったんだ。その後、何人かの女友達とデートしたり、友達の紹介で女性と知り会う機会は多かったけど"FIDANZATA(彼女)"を見つける事は難しかったんだ。ビリーを含めてグループで遊びに行ったりはしてたんだけど、ある日ビリーと2人で話す機会があって、彼女を女性として意識するようになったわけ。」


ビリー:

「私は遊びに行ったりするボーイフレンドはいたけど"FIDANZATO−彼"は20歳を越えても見つけられなかったの。ずっとアントネロの事が好きだったのよ。彼には彼女がいたけど4、5年付き合って別れるカップルは多いし、私にもチャンスはあるかもしれないと思ってきたの。彼が彼女と別れてからたまにグループで会ったりしたけど、私に対する彼の態度は13歳の時から変らなかったから、ずっと片思いだったのよ。私は既に18歳だったのによ。分かる? すごく辛い思いを長年してきたの。」


アントネー:

「僕にしたら、彼女のような可愛い女性が僕を思ってくれているなんて考えられなかったんだよ。それに彼女にはどうしても13歳の時のイメージが残って、自分のFIDANZATAとして考えられなかったんだ。でもある日、2人で話していて急に恋が芽生えたんだ。こういうの説明する必要って無いよね? それから2人で出掛ける機会が多くなって現在に至るわけ。」


すがこ:

「凄い。8年間もアントネーを思い続けてきたの、ビリー? 彼に新しい恋人が見つからなかったから良かったけど、これで新しい恋人が出来てたら、更に待ち続ける事になってたの?」


ビリー:

「分からないけど、たぶん他の男性を見つけてたわね、きっと。私たちイタリア人は恋人時代が長いから、更に5年も待ち続けてたら私も歳を取っちゃうもの。幸い彼は他の女性を見つけられなかったから、私たちが現在こうしていられるのよ。」


すがこ:

「ビリーは長年の恋を実らせたわけね。」


アントネー:

「そう。僕が彼女の初めてのFIDANZATOって訳。だけど僕は以前の彼女と5年間付き合ってきたし、他の女性とも付き合いがあったから大抵の状況が2度目、3度目な訳でしょ?でも彼女には初めての事ばかりだから大変だと思うよ。僕は彼女と同じ気持ちで考えてあげられないからケンカも多いんだよ。彼女にしたら重大な事でも、僕にしたら"あぁ"って感じになってね。」


すがこ:

「将来については?」


アントネー:

「僕は彼女の様な素晴らしい女性とは、直ぐにでも結婚したいと思ってるよ。ただ今は未だ沢山の事を準備しないと。時期がきたら彼女と結婚して、子供は3人作って幸せに暮らしたいんだ。」


ビリー:

「私も同じよ。子供は最低2人、出来たら3人欲しいの。生活の為に仕事が必要なら仕事を見つけるし、良い奥さん、良い母親になりたいの。」


クリ(旦那):

「日本じゃ知人の紹介で、知り合ってから数ヶ月で結婚する事も多いんだって。若い時から何年も付き合って結婚するイタリアとは随分事情が違うよ。日本は何でも早いんだよ。のんびりしてるイタリアとは大違い。」


ビリー:

「あなた達も知り合ってから1年以内に結婚したじゃない?」


クリ:

「・・・・!!」

<<アンセルミ・スガコのアンコーナレポート4
〜 イタリアの母への道"AMORE MIO(アモーレ・ミオ)”>>


イタリア生活4ヶ月、現在妊娠4ヶ月目に入りました・・。
こちらの人達は、子供が出来たと言う事を知らせるのに、"IL FURUTTO DI NOSTRO AMORE −私たちの愛の結晶"という、何だかくすぐったい言い回しをするようです。
この"AMORE"という言葉は、ごく一般的な会話の中でもよく耳にします。例えば、近所の子供に会った時に"COME STAI, AMORE MIO?"と軽い感じです。他に、小さな動物や可愛い物を表現するのにも、必ずと言って良いほど使います。
私の妊娠を知った友人たちや近所のおばさん連中は"AMORE、AMORE"と祝福してくれましたし、顔は知っていても話したことの無いおばさん達まで"VIENE QUI, CARA MIA,AMORE MIO"とほっぺにキスの嵐です。

2週間もしない内に、町中の人から"AMORE,AMORE"と呼び止められる状況に、主人のCRISTIANOは"誰か君の妊娠を新聞の記事に書いたんじゃない?"と照れています。小さな街なので、噂はあっと言う間に広まってしまうのでしょうか・・?未だに謎です。
近所の店でよく顔を合わせてたシニョーラ達は、それまでは私が"何処の国から来てるのか"興味はあったようですが、特に質問を受けるような事はありませんでした。ところが"子供が出来た"ことで一気に急接近、"まぁー、日本から来たの? 近くに両親が住んでないとお産も不安でしょう?"と心配してくれます。また、ツワリが酷く体重が落ちていた事もあって、お腹が小さいと心配するシニョーラ達は、いつも"AMORE"と言って私のお腹を撫でてくれます。

一番日本との差を感じるのは、男性も妊娠やお産の勉強を良くしている事です。初めての子供で舞い上がっている旦那のCRISTIANOに、子供を持つ友人達が色々とアドバイスをしてくれるようで、今では彼の方が私より知識がある感じです。仕事そっちのけで妊娠、出産の講義を受けているようですから・・。
毎月の検診にも旦那が同伴、先生にいろいろ質問して、まるで自分が出産するかのよう。食べ物はもちろん、私と子供の健康管理は彼の仕事になっています。
街中の人から祝福されているのに、家族が他人事では済まされないのもあるのかもしれません。CRISTIANOに限らず、どこの家庭も旦那が出産、育児に心血を注いでいるようです。

今までは息子がどんな結婚生活を送っているのか気を揉んでいたお義母さんですが、私の妊娠を知って180度変わってしまいました。
"あの子の事は心配いらないわよ、自分でなんでも出来るから。あなたは自分と子供の事だけ考えてればいいわよ、マンマ!"と顔を合わせるたびに言っています。どうやら私は、旦那のパンツや靴下にアイロンは掛けなくてよくなったようです。

子供の教育方針でもめていた私たち夫婦ですが、周囲の人達が我子供の事のように祝福してくれるのを見ていると、厳しい躾など出来そうも無く、出産後の状況に思いを巡らす私です。
イタリア人は本当に街中の人が子供を大切にしていて、日本人の私の目からは少し"甘すぎるのでは"と思われる程です。但し、周囲を見回しても、グレた若者は殆どいないし、いつまでも親の脛をかじってちょっと頼りない感じはするけど友好的な人がほとんどだから、イタリア式の教育方針も悪くはないかなーと思うこの頃です。
来年の出産まで半年余りですが、イタリアのマンマに成る道程は長そうです。


130年ぶりの猛暑の、イタリアはアドリア海沿岸より

<アンセルミ・スガコのアンコーナ・レポート 〜 イタリアの家族>

先日、夫の友人夫婦に待望の子ども、FRANCESCO君が誕生したので、お祝いを持って行きました。マンマになったCRAUDIAは、自分で手作りした子供部屋を私たちに披露してくれました。イタリアのマンマは、子供部屋の装飾から産着まで殆どを手作りして、子供の誕生を待つようです。子供のお披露目と共に、子供部屋のお披露目もされる訳ですが、どこのマンマも器用に可愛い子供部屋を作っています。何処の家庭を訪れても感じる事ですが、家の中が見事に片付いている事といったら・・。まさに、にショールーム状態です。
自宅を購入しても、インテリアや小物は奥サンがデザインし手作りするケースが殆どだそうです。知り合いの殆どの家庭が共働きですが、どの主婦も朝早くから大量のアイロン掛け、大晦日モードの掃除、手抜きの無い料理と、その素晴らしい働きぶりには感心してしまいます。勿論、旦那さんたちも家事を手伝って子守りもしてくれますし、夫婦がお互いに助け合って家庭生活を築いているという印象が強いのです。

来年1月中旬の出産予定まで後4ヶ月余りですが、私も子供部屋のインテリアの製作、産着や毛糸の外出着を作るのに時間を費やしています。女の子が欲しい夫は、ピンク色やリボン、レース付きの産着の可愛らしさにウットリしながら "YURIKOにはこれを作ってあげようよ" と注文してきます。(私たちの子供は女の子だったらYURIKO=百合子、男の子はKAI=海です。)残念ながら未だ性別がはっきりしていないので、夫が希望するような産着は作ってあげられませんが。
お義母さんはと言うと..、すでに男の子の孫がいるお義母さんは、私たちには女の子を望んでいる様子。メルカートで女の子用のベビー服を見ると我慢できなくなるらしく、既にピンクの産着のコレクションがある、という話です。
お義母さんに"好きな人と結婚して子供を授かって、SUGAKOは申し分無い幸せ者ね"と言われました。本当にその通りだと改めて我が身の幸せを振り返ります。
イタリアでの生活を通して感じるのは、イタリア人の殆どが家族を大切に考え、普通の人間の幸せを噛み締めて、生活していると言うことです。
イタリアには、アルバニアやクロアチアのように内戦の絶え間無い国からの難民が沢山押し寄せて来て、普通の幸せを手に入れる事の難しさを教えてくれるからでしょうか。
日本の友人達にこちらの生活の様子など書いて送ると、"一生をアイロン掛けや掃除、旦那と子供の面倒を見て終わるなんて...イタリアの女性には人間としての自立とかいう意識は無いのかしら" と返事が返って来ます。
最近の日本人は目の前のチマチマした幸せを噛み締めて生きる事を何故嫌うのでしょうか。戦争の無い平和な国に生まれ育って、普通の人間の幸せに満足できず、"人とは違う人生" ばかりを追い掛ける人達を見ていると、少し寂しい気持ちになってしまいます・・。
SUGAKO ANSELMI

<<アンセルミ・スガコのアンコーナレポート 番外編
夫のクリスティーノ氏からのイタリアの家族>>

*イタリア語の原文

Il rapporto genitori-figli, in Italia, e' unico al mondo perche' i figli rimangono "attaccati" ai genitori in molti casi, fino a oltre 30 anni di eta', non contribuendo in alcun modo all'economia familiare; questa situazione viene "tollerata" dalle famiglie perche' i genitori della gente della mia eta' proviene da un'epoca storica (1950~1970) in
cui in Italia c'erano dei gravi problemi economici per cui le famiglie non potevano aiutare in alcun modo i propri figli cosicche', secondo me,queste persone che hanno sofferto questa situazione vorrebbero in un certo senso compensare quello che hanno sofferto loro. Attualmente questo orientamento sta cambiando, i genitori di adesso hanno vissuto inun periodo abbastanza agiato e senza troppi problemi economici o socialicosicche' non c'e' quel tipo di attaccamento che caratterizzava i genitori della gente della mia generazione, adesso i figli sono piu' "liberi" ed autonomi rispetto a prima e tendono a staccarsi prima dalla famiglia.
La mia opinione e' che i figli, giunti ad una certa eta', devono essere liberi di scegliere autonomamente la propria strada con la possibilita' di scegliere la propria vita, il ruolo di "genitore" si deve esaurire con l'educazione del figlio fino ai 14~15 anni dove il genitore deve insegnare quello che e' giusto e quello che e' sbagliato enon come DEVE fare qualcosa il figlio, come deve essere fatto qualcosa spetta al ragazzo, questa sara' la sua vera maturazione.
Questo e' quello che penso io del rapporto con i figli, c'e' pero' da dire che ancora non e' nato il mio primo figlio, riusciro' a comportarmicosi' come ho detto??


*意訳

イタリアの親子の関係は、世界でも唯一の独特なものでしょう。子どもたちは、30歳代になっても、両親と様々な面で深く関わっていて、経済的にも依存している部分があるからです。
こういう状態が、家族から「大目に見られて」きた背景には、私たちの両親の世代が育った時代である1950年から70年にかけて、イタリアが経済的に深刻な状況に置かれていたことがあります。彼らは、家族から様々な援助を受けたりすることはできませんでした。だからこそ、自分たちが望めなかったことを、自分の子どもたちに与えることで、言わば「埋め合わせ」をしているような面もあるように思います。
しかし、現在、この傾向は変わりつつあります。今の親は、経済的、社会的な問題に悩むことなく、とても豊かに育ってきました。私の両親の世代に見られるような特徴=家族との「密着」はなくなり、以前に比べて、より自由に、家族からも自立して、生きていこうとしています。
私は、子どもはある年齢に達したら、自分の人生を自由に選び、可能性を信じて自らの道を進んでゆくべきだと思っています。両親の役割というのは、子どもが14、5歳になるまでに、何が正しく、何が間違っているかをきちんと教えることであって、決して、子どもに何かをさせることではないでしょう。子ども自身にまかせること、それが、本当の意味での「成長、成熟」に結びつくのではないでしょうか。
これが、私が考える「親子」の関係です。でも、もしかしたら、まだ自分の息子が生まれていないから、こんな風に言えるのかもしれません。 果たして、本当に、そのとおりにできるかどうか・・?!
Cristiano Anselmi