イタリアでも国民が本を読まなくなったと言われ、実際、統計の結果ではテレビを見る時間が増えたそうです。さてその実状は!?
RAI UNO, RAI DUE はニュースとバラエティが主で、RAI TREはドキュメントを主とし、なんと国営放送でも RAI TREには民間のコマーシャルがあります。アニメのハイジもついこの間までRAI DUEで、毎朝放送されていて、終わったと思っていたのですが、また今度は午後にRAIUNOで放映を始めました。まるで定番です。ちなみに受信料はL164,780.-/年ですが、見たいと思う番組がニュースと映画しかなく、テレビ好きのイタリア人も「ドロボーだ!」と言っています。
日本の漫画やアニメは人気があり、ハイジ以外にも民放でセーラームーン、らんま1/2、北斗の拳などが放送されているのですが、なんと月から土まで毎日続けて放送するのです。やっぱり好きなものは毎日見ないと、ラテンの血が騒ぎ、気が済まないからでしょうか?
悲しいことに最近の傾向としては、アメリカのホームドラマや映画が増え、まるでイタリアの街へのマクドナルドの侵攻を見る思いがします。そんな中で、純イタリア産の代表はバラエティ・ショーなのですが、特徴は、必ず数人の女の子たちの一団が踊る場面が何回もあることです。それは決してダンスと言えるほどの踊りではなく、可愛らしさを強調したような踊りなのですが、やはりここにもラテンの血が・・・
例えば映画の放送開始時刻が20:35、20:50などと、なぜか中途半端なのですが、それはさておき、なんとこれが時々、前の番組のずれで放送開始が遅れたり、映画が変わったりするのです。その上ひどい時には、映画が突然に放送中止になったりすることもあるのです。まるで鉄道のようですよね・・・やっぱりイタリアの体質なのでしょうか?
日本と比べてうれしいのは、最近の映画をすぐに放映する事と、もう一つは面白いCMです。商品名の連呼だけのCMを避けることも理由の一つなのですが、最低時間が決まっているのです。これにより、よりイメージを伝えるためのドラマ仕立てになっているので、ホント見応えがあり、また光の使い方が上手いものが多く劇的なのです。
1時間以下のバラエティはないので、娯楽好きと。そして最近はアメリカ好きが増えてきたと言うことができるのではないでしょうか。
無理に訳せば「半獣半人の森の神様方 聖マリア」となるこの教会は、879年にはすでにこの地 に小さな聖堂として現れていました。via Torinoから見ると、正面ファサードは斜めになりながら、ルネッサンス様式の特徴を持っています。 さて、その歴史は・・!?
ミラノの観光では欠かせない「最後の晩餐」のあるサンタマリア・デッレ・グラーツィエ教会を、時のミラノの当主、ルドヴィコ・イル・モーロから依頼され増改築し、華麗なルネッサンス様式を加えたドナート・ブラマンテ。画家であり建築家であった彼は、実はそれより5年前に、ミラノでの初仕事として、この聖マリア様の小さな聖堂から始まった教会の増築に関わっていたのです。
正面の入り口から入ると、真っ正面にその驚きの内陣を見ることができます。どんな理由があったのか私は知らないのですが、奥行きを感じさせるために「遠近法」を利用した装飾は目を見張るものがあります。とにかくすごいというか、よく完成できたというか、しばらくは、なんでこんな表現方法を思いついたか不思議でした・・。
でも、この少し強引な遠近法をどこかで見たことありませんか?!
ミラノのブレラ絵画館に行ったことのある人は必ず見ているであろう絵なのですが、実はマンテーニャの「死せるキリスト」のことなのです。この驚くべき短縮遠近法のキリストの絵に、内陣と共通するものを感じませんか? この絵自体が描かれたのは教会建設の1年後だろうとされているので直接は関係ないのでしょうが、作者のマンテーニャは、これより以前にマントヴァのドゥカーレ宮殿のある部屋に、この短縮法を利用してフレスコ画や装飾をほどこしていました。
「結婚の間」と呼ばれるこの部屋には、マンテーニャの得意な短縮法を用いて描かれた天井があります。部屋全体の完成度も高く一見の価値はあるのですが、実は建築家ブラマンテは、1477年までマントヴァに滞在していたことが分かっているのです。
おそらく、アルベルティ設計のサン・アンドレア教会のファサードを見に行ったのでしょうが、マンテーニャの部屋が完成したのが1474年、小さな街のことですから、必ずマンテーニャの作品も見る機会があったはずです! でも、これだけの理由ではなにか足りませんよね・・。
ブルネレスキは、ご存じフィレンツェの大聖堂の屋根を設計した人なのですが、実はブラマンテは、ルネッサンスを代表するブルネレスキとアルベルティの二人の偉大な建築家が具体化したルネッサンス精神に惹かれ、その作品からバランスを徹底して研究していたのです。・・そうです、そこで思い出されるのが、フィレンツェ大聖堂の屋根建設のいきさつなのです。
市民がフィレンツェの栄華を誇ろうと、どこにも負けないでかい聖堂を建設し始めたのはいいけれど、当時の技術では不可能であろうほどの大屋根を掛けざるをえなくなり、困って設計競技をした・・、という話。実はこの時さっそうと現れたのがブルネレスキでした。
恐らく・・、同じようにブラマンテもさっそうとミラノに現れたのではないでしょうか? ミラノで、聖マリアの教会が土地問題で困り建設出来ないでいるという話を聞きつけ、ブルネレスキの逸話とマントヴァで見たマンテーニャの作品を頭に思い浮かべて、この仕事をするのは俺しかいない、とひらめいたのではないでしょうか?
ただ、大きく違うのは、当時すでにミラノドゥオーモの建設は始まっていて、市民の目はドゥオーモに向き、この小さな教会は最初はあまり注目されていなかったのではないかと思われます。でも、仕事を受けたブラマンテの気持ちは、きっと、ブルネレスキに近づいた! と感じていたことでしょう・・。
みなさんは、どう思われますか? 実は、史実以外は確証はないのですが、ブルネレスキのファンであった私が資料を集めると、こう想像できるのです・・。
ドゥオーモを背にして、ピアッツァの左側を歩いていくと、斜めに via Torino通りが伸びています。この通りの左側を進み、一本目の高級食料品店のペックのある通りを越え、ホンの少し行くとすぐに露天の花屋が出ているのに気づき、その奥に、ルネッサンス様式の、通りからは斜めになったこの教会のファサードが見えます。ドゥオーモから歩いて5分程で到着なのです。
いつも、中に入るのに待たなければいけないほど、入り口で並んでいる「最後の晩餐」。いつも修復工事中で、しかも、色落ちが激しいので、中にはがっくりする人もいるかもしれませんが、その解釈について、ちょっと変わったものがあるのでご紹介します。
全ての遠近法の線が彼(イエス)の頭の一点に集まってゆく。その無理を感じさせない遠近法をもって、全ての中心としてのイエスを浮かび上がらせるこの絵画は、既に1498年には・神の構図・として知られていたのです。その後、近代に入り、著名
な占星術の学術書を書いた、NicolaSementovsky-Kuriloによって、この絵画の持つ特徴はさらに検討されたのです。
この12人の使徒の図象は、各々特徴的な性格が表現されているのですが、それはまた人間の色々な本質の偶像でもあるのです。レオナルドは、神と人間との集まりを表現するために仕事に取りかかり、実はその集まりを構成することとは、キリスト教の本質の構成のことでもあったのです。神はその晩餐のまっただ中、その独特な表現方法の中で現世に運ばれ、現出するのです。
レオナルドは天(宇宙)を考えながら、潜在的な、自然と人間の存在する事に関わる、全ての可能性という概念(レオナルドの自然観)に一致させ、四つの基本要素にそって、まず12人の使徒を四つのグループに分けたのです。
そしてこの四つのグループは、二つに分かれイエスの側に、食卓に沿って配置されました。つまりイエスは絵画中心を占めながら、太陽を象徴し、そして一方、12の弟子の各個人は、人間の基本的なタイプを表しながら、黄道十二宮をも象徴しているのです。例えば、Simoneは、テーブルの一番右端に座り、黄道十二宮の最初の星座に、つまり十二星座のうちの牡羊座。2番目Taddeoは、二番目の星座の牡牛座。Matteoは、右から三番目で双子座。と、このように黄道十二宮の順番に従って、表現されているのです。
そしてその中で特に意味深長なのは、天秤座の割り当てが、イエスの右のGiovanniだということと、蠍座が、ユダだということなのです。ユダだけはここの修道僧の食堂の壁の中で、キリストをはじめとする他の使徒たちが、食事をする修道僧たちから見られる事を意識しているにもかかわらず、一人だけおかまいなしにその協調を壊すポーズをとっているのです。このことからすぐに「裏切り者」は誰か分かりますよね。
(注釈:黄道十二宮と十二星座は各々の星の呼び方が違いますが、本質的な違いはないと判断し、私が聞き慣れている十二星座の名前を使いました。)
こうやって見ると自分の星座は十二使徒の誰で、レオナルドはそれにどんな特徴を見いだしていたかが判って、興味深いのでは!?
でも、蠍座だったりして・・・・
ただ、絶対に気を付けたいのは写真撮影時にフラッシュをたかないこと。文化遺産の破壊はやめましょう。強い光で絵画の色の褪色が進みます。
正面ファサードを入ってすぐ、床に一本の真鍮の線が、左右に走っているのをご存じですか? 奥の祭壇やステンドグラスに目を奪われた人はきっと気が付かないのですが、実はこれがカレンダーなのです。
右手にある第一礼拝堂の天井に穴があり、そこから正午になると光が射し込み、一年の中でのその時を示すのだそうです。礼拝堂から床の真鍮の線にそって歩いていくと、星座の図が配置されているのに気づき、そしてずっと行くと、その真鍮は壁に上がり、そこに山羊座の図が大きく表されているのが見えます。
そうです、キリストの誕生日は冬至なのです。残念ながら現在は礼拝堂が工事中のために、光がどの様に当たるか想像すらできませんが、薄暗い聖堂の中で山羊座の図が光輝くのでしょうか? ぜひとも一度クリスマスの時に見てみたいものです。
晴れた日に登るとほんとに気持ちのいいドゥオーモの屋上。ガッレリアはもちろん、遮るものがないので周りをよく見渡せます。
そんな景色の中で、すぐに目に付くのがトーレ・ベラスカ。建築関係者はみんな知っているのですが、この頭の上に岩を載せたようなアンバランスなビルは、住宅とオフィスの27階建で地下もあり、設計はBPRと言うグループで、1958年に建てられたものなのです。
きっと不格好だったのでしょう。当時、この建物は、国際的に冷ややかに扱われたのです。そして、この設計グループのメンバーの一人はミラノ工科大学で教授をしていたのですが、数年後には、古い教授法に反対しての学生運動の標的にもなってしまい、ポスターやビラにこの建物は登場したのです。
この建物はミラノの現代建築を語る上では絶対にはずせない建物なのですが、それ以上にこの外観と学生運動の標的になったいきさつを振り返ると、まさに、ミラノのくさびに思えてなりません。(もともと記念碑を意識して設計されています。)冬のミラノの霧の中から突然この建物が現れるのは迫力があり私は好きです。
このミラノ工科大学での教授とは、建築家リチャード・ロジャースのおじです。そして、リチャード・ロジャースはロンドンのロイズビルを設計し、パリではイタリア人建築家レンゾ・ピアノと、ポンピドー・センターを共同設計した人です。そして、ご存じとは思いますが、レンゾ・ピアノは大阪の関西新空港を設計した人なのです。
レンタカーはイタリアの小都市を効率よく回りたい時や、公共機関の不便な田舎へ行くときにぜひ利用したい交通手段です。初夏のイタリア郊外の景色は特に素晴らしいし、時間があれば「アグリツーリズモ」にもぜひ挑戦してみて下さい。
ただ、日本とは反対に右側通行の上、ピアッツアがあったり、ロータリーがあったりと道路状況が日本とは違いますし、オートマティック車はほとんどないので、運転に自信のない人には決してお薦めしませんが・・・。
イタリアではいわゆる「乗り捨て」ができるので、例えば、ローマで借りてトスカーナの田舎を回って北上し、フィレンツェで返すということも簡単な話です。準備する物は、クレジットカード、国際免許書、道路地図といったところでしょうか。
ちなみに、お得なウィークエンドプランは5日間プランまでそれぞれあるので、欲張ればトスカーナのめぼしい小都市を全て回ることも可能でしょう。ぜひ、列車ではなかなか行けないような所へ行ってみて下さい。
フィアットの「プント」(小型車です。4人で2泊3日の旅で使いましたが、大きさ性能共に充分でした。)で、例えばM社の場合、1日:Lit172,500(約1万3千円)+走行距離150kmまで無料。それを越えると Lit310/kmの追加料金が必要。
でも、お得でお薦めなのは、ウイークエンドプラン。例えば、土曜日発で月曜に返す3日コースで、同じプントの場合、Lit200,100(約1万5千円)+走行距離450kmまで無料、超過は同じく Lit 310/kmとなります。かなりお得です。
これは最長5日間までのプランがそれぞれあり、5日プランの場合、木曜日発で火曜日返却、基本料金が Lit 400,200 +750km(同じ車種)となっています。もちろん金額によって車種は選べ、ステーションワゴンもあります。
ちなみに料金表には、この3日プランの条件として、金曜日の正午から借りて月曜の朝9時までに返す事と書いてあるのですが、私達の時は窓口対応者が「営業開始時間からでも借りれて、返すのも月曜の営業時間内ならいいよ」と言ってくれて、実際返したのも、午後6時頃でした。
なお、数人で運転する場合は、借りるときにそれを伝え、契約書にドライバーを明記してもらいます。ガソリンは基本的には車を返す時に満タンにして返しますが、もちろんそのままでもよく、返却が営業時間外になった場合は、契約書の店用のページと車の鍵を営業所に投函すれば、後日カード会社から請求がきます。
ガソリンは日本の値段とほぼ同じか、やや高め。つまり、他の物価と比べるとイタリアはガソリンは高いのです。スタンドは日曜日でも全部閉まることはなくどこかが開いています。但しスタンドも時々ストをしますので要注意です。スタンドの中にはセルフサービス方式のところがありますが、わかりやすいのは、クレジットカード式よりも自動販売機式で、これは、最初に1万リラ札を機械に入れると、自動的に払っ
たお金の分だけ、ガソリンが出てくる仕組みになっています。
高速道路料金は、例えばMilano-Firenze間、距離300kmでだいたい\3,000ほどです。ちなみにRoma-Firennze間は、距離280kmになります。また、駐車場代は安かったと思います。田舎の街では無料もところもたくさんありました。
イタリアの高速道路は、日本のように名前ではなく番号が付いています。例えばミラノーナポリはA1、フィレンツェーピサはA11と言う具合です。道路地図であらかじめ番号を確認しておけば慌てません。
入口はチケットを取るゲートと、完全自動(テレパスといいます)のゲートとに分かれ、出口は現金払い、カード、テレパス用と分かれます。空いているからとテレパス用に行くと出れなくなります!
高速道路はまさに「高速道路」で、朝と夕方の混みそうな時間帯を避ければ、ほぼ流れています。混んだとしても大阪、京都で運転していた私から見れば問題にならないほどのもので(バカンスシーズンは分かりませんが・・)、周りの車の速度に合わせれば平均110km〜140kmぐらいで走れます。ただ日本のように電光掲示板の道路情報があちこちにはなく、道路状況は注意しながら走って下さい。
標識に関しては、高速道は緑色なので見分けやすく、道路の番号を見ればどの高速道かすぐに分かります。他は特に日本と変わったものはなかったように思います。
なお、冬は霧がよく発生し、通行止めや渋滞が起こったりするので、出発前に道路情報を仕入れておいたほうがよいでしょう。また、走行中の突然の濃霧の場合は、急に渋滞が始まったりするので、注意して下さい。慣れない人は、冬の朝夕の北イタリアでの運転は避けた方が得策だと思います。
イタリア語ができる人ならそれらの情報入手源の一番手軽なのは朝のテレビニュース(RAI TRE)で、毎朝、旅行者向けに道路情報やスト情報を数回流しているので、それを見れば大きな事は分かりますし、イタリア語ができない人でもホテルの人に尋ね、高速道路情報センターの電話サービスで確認してもらえば確実です。
ゆっくりと確実に運転すれば、田舎は街中でも交通量自体も少なく、ひやっとするような目には余り遭わないはずです。フィレンツェやローマなどでは、要人来訪のために急に道路が封鎖されたりして、ふいに渋滞が起こったりしますが・・・
道路標識は、都市名を間違えない限り、行き先案内標識に従って行けば難なく目的都市に導いてくれます。日本にない標識は、街の中心地のマーク(標的の様なマークが都市名の横に描いてあります)、信号の赤矢印(その指す方向には点灯中は行けないのです、決して注意して進めではありません!!)、追い越し禁止のマーク(赤い車と黒い車の絵が並べて描いています)など。変わったものでは売春婦が道路に立つのを禁止する標識がありますが、これは全国的なものではありません・・。
駐車するときは、車内に、外から見える範囲内には物を置かない方が賢明です。ちなみに、鉄道沿いのキャンピングカーの群はジプシーの住居で、それ以外の場所でも、今は地域によってはアルバニア難民のための住居に使っている場合もあるので、その近所には駐車しないほうがよいです。
そして、ほんの少しだけ、日常茶飯事のように起こることを紹介すると・・、高速道路のサービスエリア、ガソリンスタンド、料金所での釣り銭ごまかし、及び、客が渡した金額を少なく言うことや、一般道での車上狙い、市街地での信号待ちの時に膝に載せているカバンをひったくる、等々。
ちなみにミラノでは最近、運転手のはめている時計のロレックスを狙うひったくりが数件起きています。その手口は2組のバイクで来て、まず一台目が車のサイドミラーを歪まし、運転手が左手を出しそれを直そうとしているところを、もう一台が襲い、時計を腕からはずし奪うという手段です。そのほか、イタリアの保険会社に直接確認したわけではないのですが、イタリアのレジデンツァ(住民票)を持っている人は、日本の住所で取得した国際免許書で運転し事故を起こした場合、レンタカーの保険はおりないと聞いたことがあります。もっともらしい話ですよね・・・
なお、小都市を訪ねる場合、城壁内の旧市街には入らないよう気をつけて下さい。季節や場所にもよりますが、多くは許可車のみの通行となっていて、一般車は城壁外の駐車場に止めなければなりません。バカンスシーズンになると、旧市街の道路には観光客があふれていますので、間違って城壁を越えてしまうと、先に進もうにも進めず、後戻りもできない、という悲惨な状況になってしまいます。要注意です!!
インターネット利用者ならご存じでしょうが、今、エイビス、ハーツなど大手のレンタカー会社は、各々のホームページに、世界各国の主な都市の支店所在地や連絡先、料金などの情報を掲載しています。
ちなみに、エイビスの場合、予約はメールでは受け付けていませんが、日本支社に直接電話で申し込むと3日前までなら割引制度があります。もし、予約日時に遅れてしまったら、そのまま自動的にキャンセルになってしまいますが、特にキャンセル料などは設定されていません。なお、保険については、レンタル料に含まれている基本的な自動車保険のほかに、イタリアの場合は盗難保険と搭乗者保険を追加するよう勧
められました。その費用が意外と高いので、ちょっと苦しいですが・・。
バカンスシーズンは、予約もかなり込み合うようです。お早めにどうぞ!
では、ぜひみなさんもイタリアの田舎を満喫してみて下さい!
Buon viaggio !
6月1日。イタリア国鉄(FS)の時刻表が夏用に変わりました。毎年冬用と合わせ、年2回の恒例ですが、今回は列車に変化があったのです。というのは、インターシティ(IC)の便数が半減し、代わりにEurostar(ES)というペンドリーノの一種が増えたのです。見た時はFSのロゴも変え、てっきり「国鉄も努力してるんだな」と思ったのですが、実際ESに乗ってみると・・・・
料金はICに比べ高く、その上大変なのは座席予約義務! もちろん、これをしなくても列車には乗れるのですが、反則金を取られのです。
近郊移動が一番困り、まるで飛行機に乗るように切符を買わなければいけないのです。あー、めんどくさい! これに伴って発券を近代化してくれれば問題はまだ軽いのですが、大都市以外の駅ではまだまだ設備が整わず、発車1時間前になると、もう切符を売ってくれず、列車の中で反則金と共に払うしかないのです。
ESに乗ってしばらくすると、まるで車掌とぐるになっているかのような、車内サービスがお菓子をタダで配ってくれます(でもお菓子一つでだまされないぞー!!)。ICでは、まさに車窓を眺めながら・・、といった旅情があり、またコンパートメントなのでリラックスできるのですが、ESは座席がずらっと並んでいるだけ。そして、座席番号の付け方が変わっているのですが、まだ窓口発券者が慣れておらず、私達の乗り合わせた車両では、2人連れで切符を購入したほとんどの人が並んで座れないということが判明し、発車してもしばらくは乗客どうしで席替えをする羽目になりました。その上、ひどいのはトイレで、これがまたよく壊れているのです。友人の場合は全車両中6つの内の4つが壊れ、トイレにまで列ができていた・・、と話していました。
とにかく速くしようとしているらしい・・、しかし現実には列車と架線の関係が悪いらしく、特にフィレンツェーミラノ間はとにかくよく遅れるのだそうです。ちなみに30分以上到着が遅れると50%返金されるのだそうですが、当然ながら29分まで遅れても何もありません。経験ではICの方が遅れなかった気がするし、第一ずっと快適だった・・。
ただ、今後はESの汚名を返上するために、しわ寄せがICに来ることが予想されます・・・
ICの手軽さと安さが半分の本数になり、まず6月1日からのたった2週間ほどで、「かせぐ国鉄」としてESは世論に登場。座席予約しなければいけないので切符が買いにくい上に、値段が高く、予約なしで乗ると罰金なので「FSの巧妙な戦略」とも「悪夢だ」とも言われました。しかしその後の調査で、ほんとんどの列車到着が遅れているということがわかり、今度は「巨大なめくじ」と呼ばれました。
3週間目にしてすでに、乗客から9000件を越える払い戻し請求がされていると見られています。・・なんと遅れ30分以上は、ざらにあるということなのでしょうか!?
自分で首を絞めた格好のFSですが、当面は直前にならないと時間予定の分からない近郊移動者と、レールパスでふらりと移動するような旅行者が、高い値段、あるいは罰金の被害を被るのではないでしょうか? だって、ちょうどよい時間はみんなESになっているのですから。ICならのんびりと列車の時刻確認をして、乗り込み空いている席を見つけ、座るだけで良かったのに・・。
結局、時間の節約のため予約せずに罰金を払うか、それとも切符を買うことに神経を使うかのどちらかなのですが、はっきりいってどっちも負担ですよね!!
バカンス! この言葉を街で耳にするようになる頃、すでにまわりはバカンスに向けまっしぐら。気がつけば6月後半から7月前半までのみんがいなくなる前に「かた」をつけたい話や、友人同士の間でも「バカンス前に一度会おうよ」となり・・、とにかくあっという間に予定がつまります。
彼等のバカンスに対する思いは熱く、その期間は職種や立場によって違うのですが、一般で2週間、幸せな人では1カ月もあり、日本のお盆休みをベースとしての夏期休暇とは違い、純粋な夏休みとして待ち望んでいるのです。でも全員が8月に「バカンス!」というわけではなく、例えば民間の会社勤務で、責任のある重要な立場にいる人は、仕事の都合でなかなかまとまった休みは取れず、長くて1週間、あるいは2〜3日という場合もあり、また最近は交代で休んだりします。
個人的には、ミラノの場合は他の街と比べると、バカンスに行かない(行けない)人が多い気がしますが、さて、そのミラノのバカンス・スタイルを少しだけ具体的に見てみると・・?!
私達の年代では、仕事や研究から逃れ、「休息、回復のためのバカンス」というのがもっとも多く、中にはタオルミーナのシネマフェスティバルに1週間も行くというものや、この機会に自分の好きなことを集中してするぞーという、趣味を発展させようと燃えている人もいます。
羨ましいのは、外国語の習得にその国に滞在するという学生たち。2カ月から3カ月も夏休みとして現地で過ごせば、きっと話せるようになるだろうし、友達もできるし、楽しい夏休みの過ごし方だと思いました。またそういった受け入れ宿泊施設がたくさんあるのがいいですよね。また、学生用だけでなく社会人用にも、例えばバカンス地で「2週間でプロ料理技術を習得!」から「森の中でサバイバル技術を学ぶ!」といったものまで、いろいろコースがあり、この時期は休息のためだけでなく、何かを収得するにも良い期間のようです。
私達の年代では、毎年できるだけ新しい場所を訪れるようにする、という人が圧倒的に多く、積極的に行するのだとあらためて感じました。ちなみにその行き先の上位は、バカンス費節約派・紅海(エジプト)、昔からの変わらない人気の海・サルデーニャ島、ラテンの恋を求めて・キューバ、といったところでしょうか。
日本のようにはっきりとはわからず、海の好きな人は毎年海へと、車の運転が好きな人はどこへでも車で行くなど、ひたすら自分の好みに忠実にマイペースに過ごしている人が多いのですが、目新しいのはロンドン行くことだそうです。というのはロンドンは以前と比べ景気も良くなり、新しい建物も増え、活気が出てきたのがその理由らしく、去年までは目立たなかったのが、今年は「ロンドンが面白いらしい」という人が増えたのだそうです。ちなみに今年のイタリア国内は、アメリカ人旅行者がかなり増えています。
街にイタリア人がいない。というのは大げさにしても、大部分がバカンスに出かけるので、ほとんどの商店は閉まり、医者も不在となり、なにせ短くて2週間ですから街に残る人にとっては住み難くなります。
今年の場合は、役所が「ちょっとは街に残る人のことを考えよう」と、商店のバカンス期間を調査し、市民にどこがいつ開いているのかという情報を提供するのだそうです。老人が街に残る場合が多いのですが、暑い中、食料品を遠くまで買いに行く後ろ姿はとても気の毒なのですよ、ほんと!
普段からでも、室内で動くものがあれば察知して、警報が永久に鳴るという恐ろしいものを付けていたり、バカンスの時だけ全ての扉や窓に太い鉄製の閂を取りつけ封鎖するという原始的なものまで、いろいろ対策はあるのですが、泥棒もまたあの手この手で来るのだそうで決め手はないみたいです。
今年の春過ぎ、ジプシーが、目を付けた家の建物の壁に空き巣にはいるための暗号を書いて廻っている、という話があったのですが、その結果がバカンス後に分かるはずなのです・・。日本人というだけで目を付けられたりするミラノなので、さて、私達の家はいかに!?
いろいろバカンスの様子を探ってみましたが、バカンスの事よりとにかく8月はミラノに残っても面白くなく、暑いだけだというのが私の印象となりました。ミラノ観光するなら8月は避けたほうが良さそうです。
無機質で人工的なテーマパークでの体験ではなく、生きていることを実感させてくれる様々なイタリアでの出来事。そんな中でも必ず話題にのぼるのが犯罪の話。旅行者も一度は遭遇、あるいは見かけるジプシーから、夜の街角に立つ性転換者の売春婦まで、犯罪者の国籍もいろいろなのですが、さてその犯罪事情は・・・
いろんな国の観光客が被害に遭い、一瞬のすきを狙うものが圧倒的に多く、特に一人旅は悪質な手口に巻き込まれやすく大変なようです・・・
ボックス席に座りハンバーガーをほおばりながら話し込んでいる時に遭遇し、荷物を横に置いていようものなら、後ろからカバンごと奪われてしまいます。強引にいきなり奪うものから、手の込んだものでは2人一組でまず一人が獲物の背後に座り、その後、もう一人がテーブルに近づき、いきなり足下に小銭をばらまき気を引いている間に、背後からカバンを奪い去り、小銭をばらまいた共犯者は小銭集めもそこそこに、足早に遠ざかるのです。
発生場所:混んでいるマクドナルドならどこでも。バールのテラス席でも時々起こります。
ミラノに来て初めて知ったのですが、ウインドーショッピングをしている最中も狙われるのです。巾着型のカバン、あるいはデイパックなど背中で荷物を持ち歩いている人が被害者なのですが、ウインドーに夢中になっている間に財布だけきれいに抜かれるのです。加害者はジプシーだけではありません、ご注意を!(友人の友人はパリのフォーションの前でもやられました!)
発生場所:人混みのある場所ならどこでも。(夢中になれるようなディスプレイがあることが条件か?)
そして・・、一人旅にはいろんな事が起こるようで、なかでも私が記憶しているのは、ナポリでの話で、今年の春の事。学生の一人旅の彼は、その日到着したナポリ駅の公園ベンチで何か食べようとしていた時、ひとりの男が話しかけてきたのだそうです。その後、一緒に駅のバールまで行き、なんとその男に勧められるまま、飲み物を飲んだのだそうです。するとそこから彼の記憶は途絶え次の日の朝・・、気が付いたときには身ぐるみはがされ公園のベンチに寝てたそうです。恐らく睡眠薬入りの飲み物だったのでしょう・・。いやー、この手の話はミラノより、ローマやナポリにごろごろしてますね!
ちなみに、ミラノのドゥオーモ前では、ハトの餌を何気なく渡し写真を撮り、法外な値段を請求するという有名な手口があるのですが、今年の6月。ある中国人旅行者にそれを仕掛けたところ、その詐欺師と同じツアー旅行者も加勢しての大喧嘩になり警察が駆けつける。という事件がありました。さすが中国人はエネルギーが違うと思ったものの、みんながこの手口に対してこれだけ抵抗すれば、この手口はなくなりますよね。それとも価格に納得して払う人がまだいるのでしょうか?
スリに狙われやすい人も、生活しているうちに予防する事に慣れ、単純な手口による被害には遭わないでしょうが、こんな事もあります。
皆が寝静まった時、何階に住んでいようとも、竪樋を伝って開いている窓から侵入し、催眠ガスを使い住人をさらにふかーい眠りにおとしいれ、金目のものを奪って行くのです。朝起きたときにひどい頭痛がするらしく、すぐにやられたと分かるそうですが・・(日本でもあるかな?)
犯人は被害者の帰宅途中をつけていて、その生活パターンをある程度把握した後に侵入しているようで、催眠ガスを使わずとも、真っ昼間に入られ根こそぎ持って行かれる場合もあります。
マルペンサ空港へ車で出迎。駐車場へ止めていた車に日本からの知人と荷物と一緒に乗り込み一路ミラノへ。すると、途中の高速道でタイヤに異常を感じ路肩に止めてみるとなんとパンク。困ったなー思っていると、そこへ親切な車が止まり「どうしたんですか?、パンク?私達も以前空港に止めていてやられました。まったく悪質ないたずらですよ」といいながら近づいてくる輩が・・。実は彼等はパンク修理を半ば強引に手伝うふりをして、トランクの荷物を狙う窃盗団なのです。
これはすでに車を駐車場に止めた時点から狙われていて、空港で待っている間に、タイヤに穴を開けられ、その後は高速道で待機している別働隊に携帯電話で連絡、ジャストタイミングで襲われるのだそうです。めったに遭わない手口ですが、パンクさせられるのがとてもつらいですよね。
人づて、語学学校経由で部屋を探した場合に遭遇します。家賃収入を隠し、税金を支払いたくない大家は、部屋を賃貸している事実や、警察署に誰が住んでいるかを申告する義務があるにもかかわらず隠す傾向にあるのです。滞在許可証の更新の必要がない短期滞在の留学生には問題は起こらないのですが、長期の場合は滞在許可証の更新時に、毎月きちんと、しかも割高な家賃を払っているにも関わらず、最初の申告義務を無視している大家から、住んでいるという証明のサインが貰えず、右往左往する事になるのです。大家が脱税したいがために、その結果、一生懸命見つけた家を引っ越す羽目になる場合もあるのです。
大家はボランティアでしている訳ではない、と言う事実を認識してない人が巻き込まれやすいのですが、それにしても悪徳大家が多い気がします・・
以上、思いつくままでもこんなにあるミラノ犯罪事情です・・。
ミラノを始め、ローマ、フィレンツエ、ベネチアなど観光客の多い大都市は、やはり「要注意」なのですが・・、モンテプルチアーノのような田舎街は全く事情が違います。実は、先月、こんな出来事がありました!
ある日本人留学生が、出発直前になってパスポートがないことが気づきました。彼女曰く、盗難はまず考えられないから、持ち出した時に道に落としたか、電話ボックスにでも忘れてきたかもしれない、とのこと。とりあえず警察に届けに行き、念のため、コムーネ(市役所)にも聞いてみたところ・・、なんとパスポートは「落とし物」として届けられていたのです。誰がどこで拾ってくれたかは不明、ただモンテプルチアーノの住民がわざわざコムーネまで届けてくれたことだけは確かです。「イタリア人は、道に何か落ちていても、盗んだと間違われると嫌だから決して拾わない」と話に聞いていましたが、さすがモンテプルチアーノ! もう、一同びっくりしました。 ちなみに、この街では「事故」はあっても、盗難をはじめ「事件」はほとんどないそうです・・。のんびりイタリアを旅行するなら、田舎が一番ですね!
今年の夏前、つまり私がロータリー財団の奨学生としての滞在を終えるほんの少し前、「精神的な拠り所となるような文化センターを自分たちで作ろうじゃないか」という話のもとに、30代から50代までの働き盛りのイタリア人が集まり、文化協会ができました。そしてこの協会を背景として「文化センターに茶室を建てたい」という話が持ち上り、私達は「まず現況を見てくれ」と相談を受けたのです。
その頃の私達は日本へ一度戻らなければならず、この茶室の話を聞いたときは「イタリアで茶室を建てると言うだけでも大変なのに、資金集めからとは・・」と正直言って戸惑いました。その後、日本に戻った間もあれこれと考えた末、この大変な計画に関わることに決めたのですが、それは、夏に日本の不況を身近に感じ、どこにいてもどのみち大変な思いをして仕事するのなら夢のある方と関わりたいと思ったこと。そしてもうひとつは、日本もイタリアも好きだということがあったように思います。
文化センターは7月からすぐに工事を始めました。ほとんど自分たちで改装し、もと工場だった建物は、今ではすっかり見違えるほど明るい雰囲気に変わりました。名前も「CAMPI DI LUCE」(光の生まれる場所)と決まり、今年の12月13日・14日の落成式に向け、残りの工事を急いでいます。建物は地上2階、地下1階で、広さは1000平米ほどあり、中には道場が二つ、会議室、診療室が3つ、サロンなどがあり、広い空間をゆったりと使っています。行われるコースは、合気道、空手、居合道、生け花、禅、中国拳法等々、そして診療は針治療、精神療法、指圧等々があります。その中で私達の茶室計画は、資金集めからなので今すぐに完成という話ではないのですが、出来るだけ早く実現させるようにと頑張っています。
そんな「CAMPI DI LUCE」の活動を支えている協会の人たちは「イタリア人は怠け者」とは誰が言ったのか? と思いたくなるほど彼らは働き、また個性豊かです。そこで、この人間味溢れるメンバーを、一人一人の素顔を追いながら「CAMPI DI LUCE」を通して連載で描写してみようと思いつきました。
イタリア人男性の良い意味での「父性」、そして広〜い心と理解力を持つピエロは、やはり大家族の長男であった。彼の本名はピエトロ(バチカンの教会の名にもなっている!)というありがたい名前だが、小さい頃からずっと父がピエロと呼んでいたためについに通称となったそうだ。
彼の教える空手は私が今まで知っていたものとは違い、自分を守るためとか、体を鍛えるためとかではないらしい。彼の言葉を借りれば「人間の精神は宇宙であり、永遠である。この世に存在するために肉体をかりているのだが、その体の動きを知ることは現在を生きるために大切で、空手は筋肉の動きや体の中のエネルギーの流れを知るためにとても役に立つ」のだそうだ。性格が明るい上にとても親切なのできっと教えるのも上手いことだろう。以前はベルルスコーニの前妻の息子にも空手を教えていたそうだ。しかし、空手のマエストロは本職ではなく、屋根金属工事職人の親方が普段の姿なのである。
毎朝6時には起きて瞑想をし、8時には工房へ行き仕事を始める。「ちょっと手を貸してくれないか」という言葉のままに、イタリアの工事現場を見るには良い機会だと、彼の仕事を手伝った。がしかし、空手のマエストロとでは、はなから体力が違い、安易に引き受けたことを始めてすぐに後悔した。軽々と銅板を持ち上げ私に手渡す。持ったまま一歩も動けない私。でも「体の使い方が違うんだ」と、全身を使っての作業の中で体のポジションをあれこれと教えて貰い、「なるほど」とピエロの空手が少し分かった気がした。
ある日ピエロ家のビデオが動かなくなった。ピエロが電気屋に持っていくとなんと中から鋏が。それ以前にもテレビを壊した下の息子は、みーんなが認めるやんちゃ坊主だが、ピエロは決して手は出さないのだそうだ。諭すのだそうだ。が、その後息子は再び鋏を中へ・・(息子は確か小2のはず)。以来、ピエロ家のデッキは故障のままで、今でも鋏が入っている。ピエロ曰く「あいつはエネルギーが余っているから、柔道を習わすことにした」。私:「どうして、空手じゃないの?」、ピ:「柔道は空手より体力を使うから、彼にはちょうどいいんだ」。その後の柔道の参観の後日「息子はどうだった?」と訊くと、「彼は自分よりも体が大きくて、しかも年上をみんな倒したんだ」とすごく嬉しそうに語った。 campi di luce の改装作業を子ども達と手伝いに来たときの一幕。床タイルを貼りながら小5の娘に、「きつい仕事だろう、勉強しなかったらこんな仕事しかないんだぞ。勉強すれば机があって、座って仕事ができるんだぞ。勉強しろよ」なんて、ふいに真面目な顔を見せる一面も。すでに娘は成績表にottimo(最優秀)がずらりとならぶ超優等生なのに。
ある映画で尺八を吹く虚無僧を見て、その音色に惚れ込み「これだ!」と思いついた彼。日本へ行くという知人に頼み、ついに尺八を手に入れた。もちろん竹の一本ものではなく、二つに分かれるタイプのものだったが、その後しばらく、どうしてもどうやっても音がでなかった。ミラノに尺八教室があるとは聞かないし、新しい日本人に会う度に「尺八吹ける?」と尋ねていたのだが、誰も見つからない・・。買うのを頼まれたその知人(イタリア人)も自分用に買って帰ってきていたのだが、「日本では簡単に音がでたのに、ミラノに戻ってきてからは一度も音が出ない」などとミステリオーゾな発言をするし、ある人(日本人・テノール歌手)は「首振りだけで3年だよ」と言う・・・。しかし、それでも音を出したい一心で毎日30分ほどは音の出ない尺八と格闘し続けていたのだそうだ。「昨日はちょっと音が出たが耳の下が痛くなった」とか、「全然ダメだ」とか、彼は会う度にそんなことを言っていた。
一ヶ月も経った頃だっただろうか、ある日知り合ったベルディ音楽学院の教授が尺八を吹けると言うことが分かり、早速、尺八を持って吹き方を教えて貰いに行ったところ・・、ピエロの吹く様を見るやいなや、その教授は驚き、「尺八の裏表が逆です」と言ったそうな! なんと、口を付ける向きが逆だったのだ。それを聞いた我々一同は、よくまあずっと逆で吹き続けたなと、呆れるやら感心するやら・・。(ちなみに、件のミステリオーゾな発言の主も逆さまにしていた!)
今では「曲を作った」とか言って、フオーとか、フーとか「曲だ」と言われなければ分からないような音を聴かせてくれています。
いやはや、書き出すとまだまだあるいろんなエピソード。豊かな人間性を感じさせる彼の言動は、一緒にいる人を暖かくさせます・・。