モンテプルチアーノ通信(97年5月〜10月)

その1      歴史深く落ち着いた町「モンテプルチアーノ」
その2      カラビニエーレにて
その3      モンテプルチアーノめぐり
その4      モンテプルチアーノのワイン
その5      モンテプルチアーノのバカンス事情
その6      モンテプルチアーノの夏
その7      月明かりに照らされて・・、民衆演劇「ブルシェッロ」
その8      夏、最大イベント、樽競争! 「ブラビオ・デッレ・ボッティ」


歴史深く落ちついた街「モンテプルチアーノ」

トスカーナ地方の小さな街モンテプルチアーノに来て、2週間が過ぎました。ようやく生活も落ちついてきたので、これから少しずつ、この街の様子や近郊の観光スポット、イベント、そしてイタリア人の暮らしぶりや最近のニュースなどについて、ご紹介してきます。どうぞお楽しみに!

*小高い山の小さな街、モンテプルチアーノ

私が留学先に選んだモンテプルチアーノは、イタリア中部のトスカーナ州シエナ県にあります。人口はわずか1万4千人弱(・・といっても、これは周辺部も含んだ市全体の人口なので、旧市街に限るとたぶん2、3千人程度ではないかと思います)、オルチア川の渓谷とヴァルディキアーナ渓谷に挟まれた小高い丘の上に、まさに、ちょこんと存在していて、回りにはオリーブ畑や、まるで緑の絨毯のような色鮮やかな牧草地が広がっています。
地図で言えば、フィレンツエとローマのほぼ真ん中あたりになるのですが、とにかく「ド田舎」なので交通の便が悪く、ローマからのアクセスはイタリア国鉄(FS)のフィレンツエ・ローマ線で約1時間半、「キウージ」という駅まで行き、そこからさらにバスに乗り換えて約1時間といった具合です。でも、美しくのどか、のんびりした街で、治安もよく緊張感とは無縁のところです・・。


*メインストリートは1本

 標高650mの丘の上にあるモンテプルチアーノは、13世紀後半に造られたという立派な城壁で囲まれています。城壁内のメインストリートはわずか1本、街の端から端まで歩いても30分程度、距離にして2キロほどしかありません。石畳の急な坂道が続くこの通りには、モンテプルチアーノが勢いを持っていた14〜17世紀の建物が今もそのままに残されています。
切石積みの玄関、縦長の美しい窓、そしてそれらの周辺に施されている彫刻など、歴史の重みを感じさせるどっしりとした造りのものばかりで、街全体が中世にタイプスリップしたかのよう・・。メインストリートにつながる小道にも、さりげなくアーチが造られていたり、小さな広場に彫刻が施されていたりと、派手さはないものの、美しく落ちついた雰囲気に包まれています。

*「過去」と「現在」が同居する建物

残念ながら、やはり建物の外観は結構傷んでいますが、中はきれいに改装されていて、現在は裁判所として使われていたり、オフィスや商店、民家になったりしています。ブルスキ館と呼ばれる建物はカフェ&リストランテとして使われていますが、この店がまた伝統があり、創業は19世紀と百年以上の歴史を誇っているそうです。
ちなみに、私が通っている学校もやはり歴史的な建物の一つで、切石積みの玄関は高さ3mほど(現在はその一部に木のドアがはめ込まれていますが、これも相当大きい!)、広い階段の踊り場の窓からはトスカーナの美しい景色を見渡すことができます。また、天井はかなり高いので教室での話し声が見事に反響し・・、私の下手なイタリア語もとりあえず美しく聞こえます(?!)。

*日々刻々と色が変わってゆくトスカーナの景色

前述したように、モンテプルチアーノは小高い丘の上にあるため、街のあちこちから、トスカーナ地方独特のまるで絵はがきのような美しい光景を目にすることができます。街は南北に細長く造られているため、ちょうど東西両側に広々とした景色が開けているわけですが・・、あたりはなだらかな丘陵地で、色鮮やかな緑のなかに所々、菜の花で黄色く染まった畑があったり、道沿いに点々と糸杉が植えられていたり、畑のすぐ横に木々の生い茂る小さな森があったりと、変化に富んでいます。それがまた不思議なほどバランスがよくて・・、まるで、あらかじめ設計されたかのよう!
考えてみると、トスカーナの自然は、かつて人々が丁寧に開拓し、その後長い年月をかけて大切に守り育ててきたものなんですね・・。その努力に答えるかのように、街から見おろす景色は、日々、太陽の動きに併せて微妙に表情を変え、まぶしほどキラキラ輝いては人々の目を楽しませてくれているのです。
「トスカーナの優雅な食卓」(宮本美智子著)のなかに紹介されている、ボナコッシ伯爵の「今と同じ景色を400年先にもそのまま伝えるために、私たちは働いているのだ」といったコメントを、ふと思い出しました・・。


<カラビニエレにて>

*カラビニエリへ出頭

現在、イタリアに留学する場合は、まず日本で修学ビザを取得し、イタリアに入国後8日以内にクエストゥーラ(警察署)に出頭して、滞在許可証を得ることになっています。私もモンテプルチアーノに到着した翌々日に、先生に連れられて、地元の警察に出かけたのですが・・、そこで、大笑いのエピソードが生まれました!

*日本はEC加盟国???

本来、滞在許可証を得るには、県庁所在地であるシエナに出向かなければならないのですが、シエナはモンテプルチアーノから1時間40分もかかるため、地元のカラビニエレ(国家警察)で手続きをしてもらうことになりました。
そこで、先生が必要書類を確認しようとしたところ・・、窓口にいたカラビニエレ(イタリア語では組織も職員も全てカラベニエレで一緒)は「日本は<コムーネ>だから滞在許可証は必要ない!」と一言! <コムーネ>とはECのことで、日本はECの一員だというのです・・。この日、たまたま窓口付近には4、5人のカラビニエリがいましたが、みんながみんな口を揃え、自信を持ってこう言います!! 先生が唖然として「彼女は日本人だ。日本はコムーネじゃない。滞在許可証が必要なんだ。」と何度説明しても、聞く耳持たず・・、結局、シエナの問い合わせ窓口の電話番号を渡されて、その日は引き返したのでした・・。
先生はよっぽどあきれたのか、後日、授業中にいきなりこの話を始め、「いったい、いつから日本はECに加盟したんだ!! この国のカラビニエリときたら・・」と本気で嘆いていました。実は・・、情けないことに私はようやくこのとき、ことの次第を理解し、遅ればせながら大笑いしたのでした!
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*「カラビニエリ」と「ポリツィア」

ちなみに、カラビニエリ(国家警察)というのは、刑事問題や公安関係の任務にも就く特殊警察で、国防省に所属しています。一方、イタリアにはポリツィア(自治体警察)もいます。その違いを先生に聞いてみたところ「どっちも同じ!」とのこと。
実際に、交通事故の処理をカラビニエリがしている時もああれば、ポリツィアの時もあり、なんだかまだよく理解できません。
ただ、態度はカラビニエリのほうがずいぶんえらそうです!! おまけに制服も数段かっこよくて、ローマのスペイン広場では、本業よりも記念写真のモデルとしてひっぱりだこでした。モンテプルチアーノのカラビニエリでも、窓口には白馬に乗って颯爽とした彼らの写真と「nei secoli
fedeli(永遠に忠誠を!)」という言葉が掲げられていました。
でも・・、日本がどこにあるかくらいは、ちゃんと勉強してほしい!! (もちろん、口には出しませんでしたけど)
 


「モンテプルチアーノめぐり」

今回は、モンテプルチアーノの中心地「ピアッツァ・グランデ(グランデ広場)」とそこに面する「ドゥオーモ」、時計塔を持つ市庁舎「パラッツォ・コムナーレ」、そして、流れるようなフォルムの「サン・ビアッジョ教会」など、この街の象徴的なスポットをご紹介します。

*ピアッツァ・グランデ(グランデ広場)

15世紀に、建築家ミケロッツォによって設計されたというピアッツァ・グランデ。その名の通り、モンテプルチアーノでは最も大きな街の中心となる広場で、周囲には、パラッツォ・コムーネ(市庁舎)やドゥオーモ(大聖堂)を始め、ルネッサンス期の数々の風格あるパラッツォ(邸宅)が立ち並んでいます。決して派手さはありませんが、堂々としていて、落ちついた雰囲気をかもし出しています。
8月に行われる民衆演劇「ブルシェッロ」や「樽競争」は、このピアッツァ・グランデが舞台になりますし、夏には野外コンサート、野外での映画会なども開かれるとか・・。今の季節は、ドゥオーモ前の階段に座り込んで、ジェラートを食べながら休憩している人の姿を多く目にします。

*「ドゥオーモ(大聖堂)」

 後期ルネッサンス様式の建物。ファサードが未完のため外観はとても素朴ですが、内部はもちろんステンドグラスや彫像、絵画で美しく飾られており、なかなか立派です。ドゥオーモでは毎週日曜日にミサが開かれますが、時々、夜9時過ぎから合唱や楽器演奏のコンサートが行われ、ちょっとした社交の場に早変わり・・。といっても、決して派手な雰囲気はなく、みんなそれぞれに「特別なひととき」を楽しんでいる、という感じです。しーんと静まりかえったなかに、歌声や楽器の音色だけが美しく響きわたり、それはまさに神々しいほどの美しさです。
私はカソリック教徒ではありませんが、こんな雰囲気のなかに身を置くと、神の存在を信じ、祈りを捧げたくなる心境が、少しわかるような気がしました。時計塔を持つ市庁舎「パラッツォ・コムナーレ」

*「過去」と「現在」が同居する建物

14世紀後半から15世紀後半にかけて建設された建物で、どことなく、フィレンツエの市庁舎に似ています。現在ももちろん市役所として機能していて、市長もここで職務についていますが、内部は公開されていて、時計塔は午前中のみ無料で登ってみることができます。時計塔からの眺めは最高! まるでポスターのようなトスカーナ独特の美しいパノラマを楽しむことができます。ただ、階段がとても急で薄暗く・・、ちょっと恐いですが。

*緑の大地に美しく陰を落とす「サン・ビアッジョ教会」

色鮮やかな緑の絨毯の上にどっしりと腰を下ろしているサン・ビアッジョ教会は、建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ベッキオの代表作と言われています。周囲の豊かな景色を見おろすことができる、まるで「自然のテラス」のような場所にあり、モンテプルチアーノの人たちにとても特別な場所のようです。16世紀半ばに建設された建物は二層になっており、さらに高いドームが作られていて、そのフォルムはなんとも言えない美しさ。隣接する鐘楼は八角形で、一見すると本堂とつながっているようですが、実際は別の建物で、本来は双塔でした。ただ、左側の塔は未完のままです。
このサン・ビアッジョ教会の回りには芝生が生い茂り、ちょっとした休憩スペースになっています。天気の良い日は寝ころんで本を読んでいる人や、周囲の景色を眺めながらのんびりお喋りしている人、犬を連れて散歩している人なども、よく見かけます。日曜日の午後などは、若者達がここに集まってにぎやかにサッカーをしていたりもして、それが教会に似合うような似合わないような・・。でも、ドゥオーモとはまた違った、穏やかな雰囲気が漂っていて、とても心地よい場所です。



「モンテプルチアーノのワイン]

 今回は、モンテプルチアーノを紹介する上で絶対に欠かせないモノ、地元の名産「VINO ROSSO(赤ワイン)」がテーマです。ワイン好きの方はよくご存じだと思いますが・・、モンテプルチアーノは、ワイン王国イタリアが誇るDOCG(統制保証原産地呼称)ワインの生産地で、街には由緒あるカンティナ(ワイン蔵)やエノテカ(ワイン屋)が軒を連ねているのです。
 「VINO NOBILE DIMONTEPULCIANO」と名付けられたこのDOCGワインは、イタリア大統領主催の晩餐会にも出されるという逸品で、このワインを目当てにモンテプルチアーノを訪れ、何本も買って帰る観光客も少なくありません。
モンテプルチアーノが誇る「VINO NOBILE DIMONTEPULCIANO」と、800年近い歴史を誇るカンティナ「CATTAVECCHII」についてご紹介します。

*「VINO NOBILE DI MONTEPULCIANO」

 
モンテプルチアーノ近郊の道路を行くと、あちこちに「VINO NOBILE DIMONTEPULCIANO」の生産地を示す看板を見つけることができます。トスカーナはイタリアの中でも有数のワインの産地ですが、ここモンテプルチアーノでは、14世紀にはすでにワインの取引が始まっていたとか。16世紀半ばにはローマ法王パオロ3世にも献上され、17世紀にはその名を広く知られるようになりました。
 今世紀に入って、1966年7月12日、イタリア政府・農業大臣によってDOC(統制原産地呼称)ワインに認定され、さらに1980年7月にはDOCG(統制保証原産地呼称)ワインに昇格しました。
 「VINO NOBILE DIMONTEPULCIANO」の生産に関しては厳しい制限があり、使用されるブドウは1ヘクタールの畑から最大8万リットル分まで、さらに2年間の熟成後、その収穫量の最大70%の使用まで、とされているそうです。


*「VINO NOBILE DI MONTEPULCIANO」にも種類あり

 オレンジがかった深いルビー色をして、ほのかにすみれの花の香りが漂う、という「VINO NOBILE DIMONTEPULCIANO」。アルコール度数は最低で12、5度あり、通常、オークの樽で2年間熟成されますが、同じ「VINO NOBILE DI MONTEPULCIANO」でも「riservaServiti」と称される上級種はさらに1年長く3年熟成されたものに限られています。
 ちなみに「VINO NOBILE DIMONTEPULCIANO」は辛口で、ローストやグリルなどの肉料理、チーズによく合い、2時間前には開栓して室温(18度から20度)で飲むのが最適とされています。


*創業1200年のカンティナ「GATTAVECCHI」

 モンテプルチアーノのなかでも伝統あるカンティナ「GATTAVECCHI」は、13世紀に建てられたサンタ・マリア・ディ・セルヴィ教会に隣接しています。実は、このカンティナは、教会の建物の一部(地下)を利用してワイン蔵にしているのです。
 地下二層になった石造りの蔵は、ワインの熟成に温度、湿度とも最適な環境だそうで、中に入るとひんやりとした空気が漂い、まるで時がとまったかのよう・・。あたりはワインの香気に包まれていて、なんとも言えぬ風合いがあります。
 ここでは「VINO NOBILE DI MONTEPULCIANO」のほかに、DOCワインの「ROSSODIMONNTEPULCIANO」=熟成期間の短いフルーティなワイン、「VINSANTO」=甘口のデザートワイン、「GRAPPA」=「VINO NOBILE DIMONTEPULCIANO」の絞りかすを発酵させて蒸留したリキュール、さらに自家製のオリーブオイルや蜂蜜も扱っていますし、同じシエナ県のDOCGワイン「CHIANTICLASSICO」や「BRUNELLO DI MONTALCINO」も置いてあります。


  *気になるお値段は?


 「GATTAVECCHI」に限らず、モンテプルチアーノのカンティナはどこも気軽に試飲をさせてくれます。まずはいろいろと試してみて、好みのワインを見つけるのが先決! 
ちなみにお値段は・・、「VINO NOBILE DIMONTEPULCIANO」の場合、当然、生産年によって異なりますが、高くても3万5千リラ(約2500円)、安いものだと1万5千リラ(約千円)でOKです。また「ROSSO DI MONTEPULCIANOD」なら7千リラ(約500円)で手に入ります。
 観光客が、重たい荷物をものともせずに大切そうに抱えて帰る理由が、よくわかりますよね!


<モンテプルチアーノのバカンス事情>

*毎年同じ顔ぶれで・・

 最近、ここモンテプルチアーノでよく耳にするのが「いつ、こちらの来たの?」というセリフ。のどかなトスカーナの山の上にあるこの街は、夏のバカンス地として知られているため、6月なかばになると急ににぎわいを見せはじめ、活気づくのです。
 もちろん観光も兼ねた短期滞在型のバカンス客も少なくありませんが、目につくのが、毎年同じ家で、1〜2カ月過ごす、という人たち。特に子供連れのご夫婦やお年寄りなどは、静かなこの街がお好みらしく・・(にぎわうといっても、ローマをはじめとした大都市の喧噪とは比較にならないほど静かですから!)、中には家まで買っている人もいるようです。
というわけで、夏場になると毎年同じ様な顔ぶれがモンテプルチアーノに集まり・・、路地や小さな広場などあちこちで「いつ、来たの?」「最近、ミラノはどう?」「**さんはお元気?」といった挨拶が始まります。当然、彼らは地元の人たちとも顔見知りですから、最初は2、3人でお喋りしていたのに、気がつくと5人も6人も集まって延々とお喋りをしている、という光景もよく見かけるのです。


*バカンスの過ごし方

 さて、モンテプルチアーノに集まる人たちが長い休みをどう過ごしているか、というと・・? 一言で言えば「休養」でしょうか。特に何か特別な目的があるというわけではないようで、美しい景色を眺めながらテラスでのんびりくつろいだり、街を散歩したり、子供連れの人は毎日のように公園に出かけたり、といった具合です。
 ただ、モンテプルチアーノの近くには、フィレンツェ、ローマをはじめ、シエナ、モンタルチーノ、ピエンツァ、トラジメーノ湖など日帰りで遊びに行けるスポットも多いため、時には、観光に出かけたり、好みのワインを探しにいったり、近くの温泉に出かけたり、という風に「お出かけ」をして楽しんでいるようです。
 ちなみに、トスカーナには温泉が多く、モンテプルチアーノの隣街は「キャンチアーノ・テルメ」(といってもここは飲む温泉)、「バーニョ・ビニョーニ」(温泉のお湯を引いたプールがあります)、頑張って足を延ばせば「サトゥルニア」(川が温泉になっていて、適当な場所を選んで好きに入ることができます)にも出かけることができます。


*バカンスを兼ねて、勉強を!


 イタリアも含めてヨーロッパには、バカンス期間を利用して何かを学ぶ、という人が少なくありません。実は、私の通っている語学学校「ilsasso」にも、バカンスを兼ねてイタリア語を学んでいる、という人が多く、みんな2週間から1カ月、アパートを借りて、モンテプルチアーノに滞在しています。彼らのほとんどは車でやってくるので、平日は放課後、ドライブや食事に出かけ、週末は少し足をのばして1泊旅行に出かけたりしています。
 学生は大半がドイツ人ですが、これは、この10年ほどドイツでトスカーナ旅行がブームになっているためだとか。ほかにもスイス人、オーストリア人が目に付きます。「ilsasso」は小さなプライベートスクールなのでいろいろと融通が利き、先生方ともすぐに親しくなれますから、今年でもう3回目、4回目という人も多く・・、最近は学校でも「今年はどれくらいいられるの?」「最近、仕事はどう?」といった会話がよく聞かれるのです。


*モンテプルチアーノの人たちのバカンスは?


 前述したように、モンテプルチアーノはリゾート地、夏場は稼ぎ時なので、商店がすべて閉まってしまう、というようなことはありません。オーナーや店員さんがバカンスに出かけるときはアルバイトの人を見つけたりしているようですし、店をしめる場合も、せいぜい1週間から10日のようです。
 ちなみに、彼らがどこにバカンスに出かけるか、と言うと・・、やはり「海」という答えがほとんど。いくら美しい土地でも、やはり年中、山の中にいると「海」が恋しくなるのでしょうか?! 具体的には、リッチョーネ、リミニ、エルバ島、イスキア島といった答えが返ってきました。その目的は? ひたすら泳ぐ、日光浴をする、おいしい魚介料理を食べる、といったところ。


*最後に・・


 イタリアでも、ハイシーズンの7、8月はホテルの宿泊費もアパートの賃貸料も、飛行機代も高くなります。おまけに、どこもかなり混雑していますので、バカンスの時期を選べる人は6月か9月に出かけることも多いようです。ただ、まだまだ一般的には、やはりバカンスは7、8月という雰囲気が強く、8月15日の祝日「ファラゴスト(聖母マリア被昇天の日)」をすぎると、そろそろバカンス気分も終わりに近づいているくるそうです。モンテプルチアーノも、きっと急に静かになるのではないでしょうか・・。


<モンテプルチアーノの夏>

  夏のバカンス地としても知られるモンテプルチアーノは、今、毎日のようにコンサートや映画会、イベントなどが催され、華やかな雰囲気に包まれています。こういった催しは、もちろん観光客のためだけに行われているのではなく、地元の人たちの夏の楽しみにもなっているのですが・・、まるで映画のワンシーンのような、素敵な光景があちこちで見られて、なんだかうっとりしてしまいます。ごく普通の人たちの、ごく普通の毎日が、なんて豊かに彩られていることか! モンテプルチアーノの夏の光景をいくつかご紹介します。


 クラシックカー・レース

 7月6日(日)、モンテプルチアーノでクラシックカーのレースが行われました。朝10時過ぎに、4、50台のクラシックカーがモンテプルチアーノを出発、約30キロ先のコルトーナまで走り、午後はまたこちらに戻ってきて、最後はモンテプルチアーノの市街を通り、中心地のピアッツア・グランデに集合する、というものでしたが、「レース」というよりは「モストラ(品評会)」に近い雰囲気で、みんなピカピカに磨き上げたクルマを得意げに運転し、愛車を見せびらかしていました。
 70年以上も前の、本当に動くの? というような大きなクラシックカーもあれば、イタリアではまだ現役の「フィアット・チンクエチェント」も含まれているのが、ご愛敬! なかに1台だけ、ホンダのクルマも含まれていました。得に出場制限などは無い様子で、要は自分が誇りに思っているクルマならいいようです。市場価値などは関係ないとばかり、チンクエチェントのドライバーも観衆に手を振りながら、道を通りすぎ・・、それはなかなかいい雰囲気でした。
 クルマがピアッツァ・グランデに戻ってきた頃には、モンテプルチアーノの住民も見物に集まり、品評会の開始! 写真を撮ったり、中をのぞき込んだり、ボディにさわってみたり・・、なかには、顔馴染みのドライバー(レースは毎年行われており、モンテプルチアーノからの出場者もいるため)を見つけて世間話をしている人たちも見られました。
 クルマ自体も興味深いものがありましたが、それよりもレースの雰囲気やドライバー(あるいは助手席に乗っている女性!)の誇らしげな顔のほうが、私には印象的でした。小さな街の、さりげなく、でも心ときめくようなイベントに・・、私もうっとりしてしまいました。


 Il CINEMA SOTTO LE STELLER (星空の下の映画会)

 人気をよんだイタリア映画「チネマ・パラディーゾ」の中に、夏の夜、小さな街の広場で映画会が行われ、町中の人がうっとりとキスシーンを見つめる、という場面がありました。そのときは、これはあくまで映画の中のこと、と思っていたのですが・・、この夏、実際に、その素敵な時間を経験することができました!
 7月中旬から8月中旬まで、モンテプルチアーノでは、週末を中心に「星空の下の映画会」が行われているのです。上映作品は、古いものから新しいものまで毎回変わり、子供のためにディズニー映画の「101匹わんちゃん」と「ノートルダムの鐘」も含まれています。モンテプルチアーノでは、広場ではなく古い屋敷の小さな中庭で行われていますが、入場料はわずか8千リラ(約600円)、4歳以下の子供はただで入れてくれますし、椅子は自分で好きなところに持っていくこともできます。
 空を見上げれば無数の星が鮮やかに輝き、聞こえてくるのはただ映画のセリフだけ・・、なんてロマンチックで素敵なことか。「こんなシュチュエーションに置かれたら、愛も語りたくなるわけだ!」と私は勝手に納得してしまいました。
 ちなみに映画会は、みんながゆっくり夕食をとった後、夜9時半から始まります。子供向けの場合も同じ開始時間なので、夜11時頃まで、街をうろうろしている子供たちがたくさんいるのですが、親も周囲の人たちも別に驚くでも注意するでもなく・・、その光景にもちょっとびっくりしました。まぁ、夏休み中だからこそでしょうが、子供にだって夏を楽しませてあげなきゃ、と考えている様子、イタリアではごく当たり前のことだそうです!


 22' CANTIERE INTERNAZIONALE d'ARTE

 7月26日(土)、モンテプルチアーノで「第22回国際芸術祭」が始まりました。約2週間に渡るこのイベントは、テアトロ・ポリツィァーノ(劇場)を始め、ピアッツァ・グランデ、教会、フォルテッツァ(要塞)の中庭などを会場に、毎日夕方から深夜にかけて行われます。内容は日替わりで、ピアノコンサート、バイオリンコンサート、アンサンブル、オーケストラ、独唱、演劇、ダンスなどなど。入場料は5千リラ(約400円)から2万リラ(1500円)と信じられない安さです。
 18世紀に建てられたテアトロ・ポリツィアーノは、この小さな街では信じられないくらいとても豪華な劇場で、4階までボックス席あり、天井や壁、階段などには見事な絵や彫刻が施されています。天井が高いので反響も良く、ここで聴くコンサートは格別! とってもおしゃれな雰囲気で、ちゃんとドレスアップしてくる人たちも少なくありません。
 一方、ピアッツァ・グランデやフォルテッツァの中庭での野外コンサートは、石段がステージに早変わり、その前に適当に椅子が並べられているだけです。で行われる優雅れの気軽な雰囲気なので、ジェラートを食べながら聴く人もいれば、勝手に好きなところに座り込んでいる人も。後ろの方では子供が走り回っていたりしますし、生演奏をバックにすっかり自分たちの世界に浸っているカップルもちらほら見かけました。素敵な音色のおかげで、きっと愛も深まったことでしょう・・・!


 最後に・・

 モンテプルチアーノの夏は、いろんな楽しみを持っています。みんなが自分のペースで、のんびりと毎日の暮らしを楽しんでいるのです。ときには、あまりにもみんなのんびりしずぎていて、じれったくなることもあるのですが、今、私は「ごく日常の光景のなかの豊かさ」をつくづく感じています。もちろん、こういった暮らしはモンテプルチアーノのだけの話ではありません。ローマ、フィレンツエを始め、パルマ、ラベンナ、ボローニャなどなど、私が訪れた様々な街でも同じ様な光景に出会いました。やぱり、イタリア人は「人生の達人」ですね!


<月明かりに照らされて・・、民衆演劇「ブルシェッロ」>

 今回は、モンテプルチアーノの中心地「ピアッツァ・グランデ」で開かれた民衆演劇「ブルシェッロ」について、ご紹介します。夏の間、この街では様々な催しが行われますが、そのなかでも最もロマンチックで可憐なイベントが毎年8月中旬に行われる「ブルシェッロ」です。ごく普通の人たちが演じる素朴な舞台劇ですから、セットも決して豪華ではありませんが、月明かりに照らされて美しく輝く舞台は、それは素敵でした・・。 


 「ブルシェッロ」とは・・


  資料によるとモンテプルチアーノの「ブルシェッロ」は、1930年代末に始まり、50年代から60年代にかけて広く知られるようになったそうです。
 イタリアでは、モンテプルチアーノに限らず多くの小都市で、昔から夏の娯楽の一つとして、地元の人たちによる素朴な野外舞台劇が行われてきましたが、ここモンテプルチアーノの「ブルシェッロ」は、セリフのほとんどが「歌」で、いわば「オペラ」のような作品に仕上げられているのが特徴です。といっても、歌い手はみんな素人ですし、ステージはドゥオーモ前の石段、セットもベニヤ板で作ったような簡単なものばかりですから、一般的な「オペラ」のイメージとは全く雰囲気が異なっています。ただ、衣装はなかなか華やかですから(もちろん作品によって多少異なるでしょうが・・)それを見るだけでも楽しめますし、なにより、舞台の向こうには満月が輝き、頭を上げると星空が見え、静まり返ったなかにただ歌声と楽器の音色だけが響く、という独特の雰囲気は素晴らしいものがありました。多少の失敗もこの雰囲気が包み隠してくれる、というとちょっと言い過ぎかでしょうか・・・?!


 *今年の上演作<コルトーナのサン・マルゲリータ>


 「ブルシェッロ」の作品は毎年変わりますが、そのほとんどは地元と関わりのある宗教的なエピソードや伝説になっています。今年の上演作は<コルトーナのサン・マルゲリータ>。聖女マルゲリータはモンテプルチアーノに近いコルトーナという小さな街の出身(正確にはコルトーナの近郊)ですが、彼女の亡き夫がモンテプルチアーノ出身だったこと、さらに今年は聖女マルガリータの生涯となんらかの関わりがある年だったため、この作品が選ばれたようです。
 上演作が決まると、まず一般を対象に出演希望者を募り、冬の間ずっと練習を重ねて、ようやく晴れて8月にお披露目となります。なんといっても出演者は素人の集団ですし、当然それぞれ本業があるわけですから、歌の練習ひとつをとっても相当大変だったことでしょう。わずか4日間の公演のために(今年は作品にちなんでコルトーナでも特別上演されたため5日間でしたが)、どれだけの時間を費やしたことか・・。
それだけでもモンテプルチアーノの人たちの「ブルシェッロ」に対する特別な想いを理解することができると思います。


  *なごやかな雰囲気に包まれて


 上演当日、開演の夜9時半になると、まず出演者がピアッツァ・グランデに並べられた客席の間を通って入場してきます。普通、開演前と言うと「張りつめた空気が漂う」というイメージがあると思いますが、ここではちょっと違っていました。出演者は客席に知り合いを見つけると手を振ったり、言葉を交わしたり、反対に客席からも時折声援がとんだり・・。とてもなごやかな雰囲気で、どうやら公演前の緊張感よりも晴れて上演日を迎えたという幸福感、満足感のほうが強いように見受けました。このノリは、やはり民衆演劇だからこそでしょうね! でも作品の出来映えをトータルでみると決してレベルは低くなく、十分見応えがありました。
 ちなみに、出演者には子供もたくさん含まれていますが(終演は夜11時過ぎにも関わらず!)、自分の出番が終わると客席の家族や友達のところに駈けていって遊んでいたり、眠たそうな表情をしながらも頑張って歌っているような姿も見られ、それはそれでなんだかほほえましいものがありました・・。


  *「ブルシェッロ」を見るためには


 「ブルシェッロ」の上演日程は毎年変わりますが、基本的に8月15日を含む4日間となっています。チケットは前売りもありますが、自由席なので当日直接会場に行ってもOK。今年の料金は一人15000リラ(約千円)でした。野外ステージで、すぐそばにバールもありますから、ワインを飲みながらみるもよし、ビールを飲みながらみるもよし、自分好みに楽しむことができます!
 なお、日程、上演作などの問い合わせは、ツーリスト・インフォメーション(0578ー758687)まで。


  *最後に・・


 私は、この「ブルシェッロ」を見るまで、正直なところモンテプルチアーノのドゥオーモにほんの少し物足りなさを感じていました。イタリアには各地に彫刻やモザイクで飾り付けられた豪華絢爛なドゥオーモがあるため、ファサードが未完成なためになんの装飾もないモンテプルチアーノのドゥオーモは、あまりにもシンプルすぎて、もの寂しく映っていたのです。
 でも「ブルシェッロ」の当日、月明かりに照らされて輝きながら、ただ静かに、街を見守るように建っているドゥオーモを見て、思い違いをしていたことに気がつきました。シンプルだからこそ、ドゥオーモ前で行われる「ブルシェッロ」が映え、人が美しく見えるのではないかと・・。今は、このドゥオーモがモンテプルチアーノの良さを象徴していると心から思っています。



<夏、最大イベント、樽競争!
「ブラビオ・デッレ・ボッティ(BRAVIO DELLE BOTTI)」>


 今回は、モンテプルチアーノの夏の終わりを飾る一大イベント「ブラビオ・デッレ・ボッティ(樽競争)」についてレポートします。毎年8月の最終日曜日に行われる「ブラビオ」と呼ばれるこの祭りは、急な坂の続くモンテプルチアーノのメインストリートを、8つのコントラーダ(地区)の代表選手が重さ80キロの樽を転がしながら登っていく、というなかなか迫力あるレース。祭りが近づくと普段は静かなモンテプルチアーノの人たちがそわそわし始め、街はこの話題で持ち切りになります。大人も子供もこの時期になると急に自分たちのコントラーダへの帰属意識が高まる様子・・、モンテプルチアーノを離れて働いている人や学生なども実家に戻って、家族とともにこの祭りを楽しんでいます。
レース前には、各コントラーダ・オリジナルの中世の衣装に身を包んだ人たちの行列も行われ、それは華やかです。


  *「BRAVIO DELLE BOTTI(樽競争)」の始まりは・・



 イタリアの夏の祭りといえば、同じトスカーナ地方のシエナの「パリオ(コントラーダ対抗の競馬)」が有名ですが、実はもともとはモンテプルチアーノでも、樽を転がすのではなく競馬スタイルで行われていたそうです。
シエナの「パリオ」の場合は、街の中心地カンポ広場に土を入れて特設会場(円形コース)を作るため現在も昔のままのスタイルで実施されていますが、モンテプルチアーノは街の入り口にあるプラート門近辺からドゥオーモ前のピアッツァ・グランデまでの2キロ近いメインストリートをコースにしていたため、実際に馬を走らせるのが難しくなり、20年ほど前から「樽競争」となりました。なぜ樽になったかというと・・、モンテプルチアーノはイタリアでも有数のワインの産地であるため、それにちなんでワイン樽が選ばれたようです。


*選手の引き抜き合戦も!


前述したように、モンテプルチアーノは街の入り口から中心地のドゥオーモ前広場ピアッツァ・グランデまで延々と急な坂道が続いています。ごく普通に歩いても息が切れるほどなのに、そこを重さ80キロ、しかも安定が悪く左右にふらふらする大樽を転がして上るわけですから、これはなかなか至難の業! 体力だけでなく技も慣れも必要になってくる、というわけで、祭りの1週間前になると毎夜9時過ぎからわざわざ車を止めて樽転がしの練習が始まります。
練習は各コントラーダが順番に行いますが、事故がないように選手の前は白バイが先導し、選手の横や後ろには世話役や応援の人たちがぴったり張り付いて声をかけたり、転がし方の指導をしたり・・。大の大人がそれは真剣に取り組んでいて、その熱心さにはちょっとびっくりしました。他のコントラーダには負けてなるものか、という緊迫した空気が漂っているのです。まぁ、それだけモンテプルチアーノの人には想い入れのある特別なイベントということなのでしょうね。一方、街の人たちはと言うと、夕涼みがてら樽転がしの練習風景を見物に集まっては噂話に花を咲かせています。この時期にあわせて里帰りする人たちもたくさんいるので、久々に昔なじみと顔を合わせて挨拶をしている姿もよく見かけ、バールもいつも以上に賑わっていました。特に祭りの前夜は街全体がうきうきしているようで、深夜12時過ぎまで人通りが絶えませんでした。
ところで、樽を転がす選手は、実はコントラーダ代表といっても「雇われ選手」で、なんと毎年「引き抜き合戦」が行われるのだそうです。昨年あるコントラーダで優勝した選手が今年は別のコントラーダから出場するというのもよくある話だとか。祭りのずいぶん前から、水面下では激しい駆け引きが行なわれているようで、引き抜かれた選手にはそれなりの契約金も出るという話です。地元紙の「ブラビオ」特集号には各選手のプロフィールやコントラーダとのエピソードなどが細かく紹介されますが、有名な選手にはそれぞれユニークなあだ名がついていて笑ってしまいました。


*モンテプルチアーノの「時代絵巻」


祭りが近づくと、樽転がしの練習以外にも様々なイベントが行われます。イベントには「ブラビオ」を主催するモンテプルチアーノ市の公式行事と各コントラーダが主催するものの2通りがあり、公式なのは「ブラビオ」の実施を宣言する行事、優勝旗「パリオ」の披露(毎年図柄が変わるため、その年のパリオが発表されます)、ドゥオーモまでのろうそく行列など。一方、各コントラーダは、世話役やボランティアの人たちの主催でトスカーナの伝統料理を出す「タベルナ」と呼ばれる食堂を開いたり、子供たちが参加する樽競争などのミニイベントを行って、雰囲気を盛り上げています。
公式行事の場合、各コントラーダの代表は必ず「バンデイエッラ」と呼ばれる地域の旗を掲げ、それぞれの歴史を物語るようなオリジナルの中世の衣装を身にまとって出席することになっているのですが、各コントラーダから10〜15名、主催委員会のメンバーも含めると合計100名近くが美しいいでたちでピアッツア・グランデに集まるため、その眺めはまさに豪華絢爛! まさに「時代絵巻」そのものです。さらに、公式行事が始まるときは必ず仰々しいラッパの音色が鳴り響き・・、まるでドラマを見ているような素敵な雰囲気でした。
ただ、参加者は炎天下の下、分厚いビロードの衣装や帽子、皮のブーツなどを身に付けてずっと立っているわけですから、見ているだけでも暑くて大変そうでした。でも、観光客に写真撮影をせがまれるなどちょっとしたスター扱いですから、それはそれで気持ちいいのかもしれません!


*お揃いのスカーフを身に付けて


「ブラビオ」が近づくと、モンテプルチアーノの住民は家の軒先にそれぞれのコントラーダの旗「バンディエッラ」を掲げます。日本で言えばちょうど祝祭日に日の丸を掲げるような感覚なのですが、それが国旗でも市町村の旗でもなくコントラーダのものであるところがいかにも地元意識の強いイタリアらしいところ! とにかく、街の通りという通りがすべて色とりどりのバンディエッラで埋め尽くされ、祭りの気分を盛り上げています。
さらに・・、ブラビオの応援に使う小型のバンディエッラやスカーフもあり、ブラビオ当日は、手には小型バンディエッラを持ち、体にはスカーフをつけて、応援に精を出しているのです。もちろん、みんながみんなそうしているわけではありませんが、年配の人たちから子供まで、時にはペットの犬さえこのスカーフを身につけていたりします。帰属意識を高めるという意味もあるのでしょうが、みんな一緒になって祭りを楽しんでいる感じがしますし、それぞれ結構おしゃれに着こなしていて、イタリア人のセンスのよさが表れていました。


*あこがれの的「バンデイエッラトーリ」


ところで「バンデイエッラ」というのは、実はただ飾るためだけのものではありません。各コントラーダには「バンデイエッラトーリ」と呼ばれる旗手が2人と「タンブロ」と呼ばれる小太鼓をたたく人が2人いて、バンデイエッラトーリはそのタンブロの音にあわせてバンデイエッラをくるくる回したり投げ上げて交換したりして、その腕前を披露する習慣があるのです。これは公式行事には欠かせないもので、ブラビオ当日はレースに先立って「競技」として行われ、優勝チームも発表されます。
この「バンデイエッラトーリ」は子供たちのあこがれの的! ブラビオが近づくと、彼らのまねをして小型のバンデイエッラを振り回している子供たちが、あちこちで見られますし、子供たち自身がそのバンデイエッラの腕前を披露する機会も用意されています。こうして長い時間をかけて腕を磨き、やがて彼らがコントラーダの代表として活躍するようになるわけです。
ちなみに、この「バンデイエッラ」の習慣はモンテプルチアーノに限った話ではなありません。イタリアのお祭りにはどんな小さな街でも必ず「バンデイエッラ」と「バンデイエッラトーリ」が登場し、華やかさを添えています。イタリア人にとって「バンデイエッラ」は特別な存在、地元に対する誇りや伝統の継承を意味するものとして大切に扱われているのです。私には、彼らの生き方を象徴するもののようにも感じられました。


 祭りの後の賑わい


 朝10時の記念式典から夕方6時過ぎに始まる樽競争、それに続く表彰式まで、昼休みは挟むもののほぼ丸1日かけて行われる「ブラビオ・デッレ・ボッティ」の祭り。レース自体はほんの数分で終わってしまいなんともあっけないのですが、その後もまだまだ興奮状態は続いています。
ブラビオ当日はどのコントラーダもタベルナを開きますから、そこにみんなが集まって飲めや歌えの大騒ぎ! 優勝したコントラーダのタベルナは異常なほどの熱気で夜遅くまで賑わっていましたし、優勝旗「パリオ」を掲げて街を練り歩いたりもしていました。特に今年の優勝チームは数年ぶりの快挙だったため、ブラビオの翌週の日曜日にもまた優勝祝いが行われたほど、盛り上がっていました。
一方、負けたコントラーダも決してしゅんとした雰囲気ではなく、それなりに楽しそうに騒いでいましたから、結果は結果、まぁいいから飲もうか!、といった感じだったようです。
「人生を楽しむ」ことにかけては超一流のイタリア人たち、もしかしたら、もう来年の8月に向けて作戦が話し合われ始めていることかもしれません?!