この夏、ひょんなことから、我が家にホームステイすることになった、イタリア人の女子大生アンナ。彼女と過ごした1ヶ月は、私たち家族にとっても、とても楽しいものであり、また、色々と考えさせられることの多い日々でもありました。
・・というのも、アンナがあまりにも、私が抱いてきたイタリア人のイメージから、大きく離れていたから! アンナだけが特別なんだろうか、それとも、今どきのイタリアの若い女の子ってこんな感じなの? と思ったこともしばしばで、ちょっと大袈裟に言えば「目から鱗が落ちる」というような感じさえあったのです。
もちろん、それは悪い意味ではありません。多少、イタリアのことを知っているだけなのに、ついつい、これがイタリア、とわかったような顔をしてしまいがちになる私に「イタリアの現実」とでもいうようなものを、改めて認識させてくれたからです。
アンナは南イタリアのサレルノ出身で、現在、ナポリ東洋大学に在学中です。経済的にとても恵まれた家庭に育ち、高校卒業後は2年間アメリカに留学、昨年の夏休みも2週間かけて日本を旅行した、という経歴の持ち主でした。
初めて会った時の印象は、「イタリアの今どきの女の子って、こんな感じなの・・?」。というのも、アンナはオードリー・ヘップバーン似の(これを言うと彼女はとても恥ずかしがる!)とても愛らしい顔立ちをしているにもかかわらず、なんと眉毛にはブスッとピアスが突き刺ささり、洋服は上から下まで(サンダルまで)すべて黒、というファッションだったからです。
・・でも、一緒に暮らしているうちに、彼女の育ちの良さはよ〜くわかりました。明るくて礼儀正しいし、食事のマナーもきちんとしているし、考え方も二十歳にしてはしっかりしていたからです。サレルノのご両親からは何度となく電話がかかってきましたが、その時の様子やちょっとした会話などからも、品のよいご家庭であることは伺うことができました。
しかし・・、まず驚いたのは、彼女がなんとイタリア料理が嫌いだったことです。イタリアで生まれ育ったにも関わらず、パスタは大嫌い、ワインも嫌い、オリーブオイルも嫌い、と全否定! リゾットは食べなくはないけれど、それより日本の白いご飯が好き、サラダにかけるのはオリーブオイルではなくマヨネーズ。アルコールなら黒ビール党で、普段は麦茶か緑茶、そして、エスプレッソコーヒーなしでも全く平気、という具合でした。こんなイタリア人に会ったの、もちろん初めて。この"特別"な嗜好はアメリカ留学のなせる技か、とも思いましたが、パスタが苦手なのは昔からだったそうで「家族とリストランテに出かけると、いつも私一人だけがヘンな料理の頼み方をして、ミルクを飲んでいるから、お父様は別のテーブルで食べろ、ってすごく嫌がってた・・」と言って、笑っていました。
ちなみに、日本料理はアンナのお気に入り。特にお豆腐が好きで、冷や奴も、卵豆腐も、豆腐のおみそ汁も喜んで食べてくれました。我が家はどちらかというと和食が多く、焼き魚、汁物、煮物、炒め物、酢の物といった料理が頻繁に食卓に上りましたが、それでも全く問題なし。「たまにはイタリア料理が恋しくなるんじゃない? リゾットにしようか?!」と聞いても「イタリア料理より日本料理のほうが美味しい。ふだんは日本料理なんてなかなか食べられないから、すごく嬉しい!」という答えがかえってきました。
さて、アンナが"ヘン"だったのは、これだけではありません! 彼女はなんと「座禅」にすっかりはまってしまったのです。午前中、日本語学校で授業を受けたあと、何度となく横浜のお寺に通っては座禅を組み、仏教的な考え方やお寺の独特の雰囲気にも関心を持っているようでした。帰国前には、修行僧の方やご住職とも話をして、精進料理までご馳走になってきたほど。仏教にどこまで心を寄せているか、はっきりと口にしたことはありませんでしたが、少なくても『仏教文化』と称されるようなものに、かなり関心を持っていることは確かでした。
実は、アンナのご両親は毎週教会に通う敬虔なカソリック教徒。彼女自身も小さい頃は一緒に教会に通っていたのに、それが、ある時から、キリスト教に関してやや否定的な味方をするようになったらしく、この6年間は教会に一歩も足を踏み入れていないそうです。「日本でお寺に通っている、なんてご両親が知ったら、ビックリして泣いちゃうかもよ!」と私はからかっていましたが、アンナは「別に、平気。関係ないもの・・」。
そして、私にまで、仏教のことを色々と質問してきました。こちらは、学生時代に学んだ日本史を思い出しつつ、おぼろげな知識とおおざっぱなイタリア語で必死に論戦する、といった情けないありさまでした。日本固有の大切な文化でありながら、基本的な知識さえあやふやな自分に愕然とし、外国人とつきあうのなら、せめてある程度の説明はできるくらい日本文化を知らなければ・・、と改めて反省したのでした。
ところで、アンナとは、毎晩夕食後に机を囲んで、日本語とイタリア語の交換レッスンをしていましたが、彼女の質問に答えているうちだんだん話が拡がって、ディスカッションになることもしばしばでした。なかでも興味深かったのが、二十歳の女の子、アンナの目から見たイタリアの姿です。「イタリア料理が嫌い、キリスト教が嫌い」と、イタリア文化のシンボリックな存在を否定する態度からも、なんとなく想像はしていたのですが、アンナは私にはっきりとこう答えたのです。
「イタリアは嫌い。イタリア人も嫌い。将来は日本に住みたい!」
「でも、この東京の暮らしがそんなにいいと思う? 物価は高いし、家は狭いし、どこに行っても混んでるし、騒々しいし。」
「でも、イタリアは怖い。サレルノは治安が悪いくて、東京のように夜遅く一人でなんて歩けない。今年だけでいったい何件事件があったと思う?」
もちろん私は、今や、東京の治安だって決していいとは言えず、子どもたちが外で遊ぶのも不安に感じるほどだ、と反論しました。
「でもね、東京の人は冷たいわよ! 同じマンションに住んでいたって、全くつきあいがない人もたくさんいる。イタリアのような地域社会なんて、今やすっかり崩壊してしまったわ。それに比べると、イタリア人は人と人との繋がりが深い感じがするし、みんなとても親切だと思うけれど・・」
「イタリア人が親切なんてとんでもない。外国人には親切かもしれないけれど、イタリア人同士だと結構イジワルよ。足のひっぱりあいばかりなんだから!」
さらに、アンナは移民の問題や失業率の高さにもふれ、大学を出ても、イタリアでは望む仕事にはつけそうもない、将来が開けない、と言って、やはりイタリアを否定するのです。今度は、こちらは、ここ数年のリストラや新卒者の就職難、フリーターの存在をあげて反論しましたが・・、これに関して言えば、確かにイタリアより日本のほうがまだマシな部分はあるので、イマイチ説得力なし。
でも、どうしても私は言いたいことがあって、こう続けました。
「でもね・・、アンナは、東京って、ゆとりのない街だと思わない? みんないつも忙しそうで、他人には無関心で、疲れた顔をしてるでしょう? イタリアのような近所づきあいもなくなってしまったし、人間関係はすごく薄っぺらよ。確かに、仕事のチャンスはあるかもしれないけれど、競争は激しいし、東京で生きていくのはとても疲れることなのよ。私からみれば、イタリアの暮らしはすごく豊かな気がする。世界に誇る文化があって、気候もよくて、食べ物も美味しくて、みんなすごく毎日の暮らしを楽しんでいる気がする・・。私はそれがホントに羨ましいと思っているんだけど!」
「Beh・・?! (それがなんだっていうの?)」
実は、私は今回初めて知ったのですが、この「beh」という言葉には、二通りのニュアンスがあって、軽い相づちの感じで「では? それで? じゃあ?」というような意味で使われる場合と、「だからなんだって言うの?、それがどうだっていうの?」と相手の意見に対して否定的なニュアンスで言う場合があるのだそうです。
アンナの場合はもちろん後者。この「beh・・」という言葉の後、彼女はもう何も言いませんでしたが、「イタリアの表面的な美しさや楽しさばかりじゃなくて、もっと現実を見て」と言おうとしていることは、よくわかりました。
確かに私たちは、イタリアと言うと、陽気で明るくて、「mangiare,cantare,amare(食べて、歌って、愛する)」という言葉に象徴されるような国、というイメージを抱きがちです。旅行のパンフレットを見ても、TV番組や雑誌の記事を見ても、いつも、そのイメージを前提にして描かれています。
でも、実際にイタリアに住んでみると・・、失業率の高さや移民・難民の問題、豊かさにかなり地域差があることはすぐにわかりますし、物事を進める時の効率の悪さ、対応のいい加減さにうんざりすることもしょっちゅうでした。
こんな現実に、若いアンナが閉塞感を抱いていることは十分考えられる話。しかも、アメリカや日本の合理的で刺激的(?)な生活を体験してしまうと、余計にイタリアの欠点が目に付くのかもしれません。実は、かつて私も、生まれ故郷を「眠ったような街」だと思い、刺激と可能性を求めて東京に出てきたから・・、アンナの気持ちはすご〜くわかるような気もするのです。
「それでもね・・、アンナ。私はやっぱりイタリアが好きだし、イタリアは本当にベル・パエーゼ(素晴らしい国)だと思うよ! イタリアに行くとなぜかホッとしてリラックスできるし、外国なのに不思議に懐かしい気分になるのは、やっぱり、今の日本がなくしてしまったものが、そこにあるからだと思うのだけど・・。」
来年は本格的に日本に留学したいと言っていた彼女。日本に長期滞在した後、彼女が日本や日本人をどう評するか、私は今から楽しみにしています。
(おわり)
今回も友人の一人フランチェスカの話。
素敵なパートナーがいて、好きな仕事も手に入れた、理想的とも言える状態にある彼女。そろそろ30代半ば、ということもあって、周囲からは(もちろんパートナーからも)、早く結婚を、と言われているのだが・・、にっこり笑うばかりで、なかなか腰を上げようとしない。始めて彼女に会ったのは97年のことだが、確かその時も「今年こそ結婚しようと思うの」と言っていた。そして、昨年夏、再会した時も、やはり同じセリフを口にしていた・・。
「結婚したくないわけじゃないの。子供も欲しいと思ってる。でも、不安のほうが大きくて、あと1年、あと1年と伸ばしてばかりなの。」
イタリアの若者は、日本に比べて「大学生」でいる期間が長い。イタリアの大学は、入学するのは簡単だが卒業は難しく、順調にいったとしても6年くらい、7年、8年と通う学生も少なくない。当然、経済力はないから、その間は親元にいるか、親に仕送りをしてもらうかで、暮らしている。周りみんながそうだから、その状況に特に疑問を感じることもなく(感じているけれど、仕方ないと思っているのかもしれないが)、いわゆる「モラトリアム状態」が続くのだ。
さらに、イタリアは依然、失業率が高い。何をするにせよ、コネクションが幅をきかせる社会だから、望むような仕事はそう簡単には見つからず、せっかく大学を卒業しても就職できない若者が相当数いる。身分が不安定で、待遇も決してよいとは言えない仕事についていたり、大学にずっと籍を置いたままで、アルバイトやパートタイム、季節労働的な形で働いているケースも珍しくはない。「自立」に至る状況はかなり厳しいのが現実なのでさる。・・こうして、モラトリアム期間はますます延びてゆく。
「イタリアの若者の多くは、経済的にも精神的にも自立していない状態で20代を過ごすから、30代になったからといって、一度に、全ての責任を負いなさい、と言われても、不安のほうが大きくて、なかなか踏み出せないのよね。だから、急に結婚や出産なんて言われても、正直、戸惑っちゃう! 結婚して、子供でもできたら、今までみたいに楽しめない、とますます億劫になってしまうの・・。それに、経済的な理由もあって、最近は共働きがほとんどでしょ? 昔に比べたら、男性も家事や育児を手伝うようにはなっているけど、やっぱり負担が大きいのは女のほう。たとえ、夫婦が同じように仕事をしていても、出産とか育児とか、ほかにも、もし夫に転勤の話でも出たら、結局、キャリアを捨てるのは女性なのよね。男性は何にもかわらないままじゃない!」
ごもっとも! 既婚女性が家事と仕事の両立に頭を悩ませるのは、どの国でも同じ様なものらしい。さらに、育児と仕事の両立ということになると、話はもっと複雑になる。
実は、日本で未だに「3歳児神話」が幅をきかせているのと同じように、イタリアでも「3歳までは母親が育てた方がよい」という考え方が根強く残っているらしいのだ。もちろん、今の時代、公然とこう口にする人はずいぶん減っているが、内心では、子供を1日中他人に預けて仕事を続ける、ということに抵抗感を感じている人は少なくない。これは年齢層によっても違ってくるようだが・・、例えば、母親自身がそう思っている場合、母親は子供を預けて仕事をしたいと思っていても、夫や祖父母が反対する場合、他人ではなく祖父母の預けて仕事をしたいが遠く離れて住んでいるため不可能など、いろいろなパターンがあり、非常に複雑。いずれにせよ、(私も母親の一人であるからよ〜くわかるのだが)まだ幼い子を他人にゆだねて仕事をする、というのは、やはりとても勇気がいることのなのだ。フランチェスカ自身もこんな風に言う。
「正直に言えば、私自身も、3歳までは子供のそばにいたほうがいいんじゃないか、と思っているの。もし、子供を人に預けて仕事をしたら、やっぱり、心のどこかで後ろめたい気持ちを感じんじゃないか、って。かといって、そんなに長く休んだら、やっと見つけた大事な仕事を失うかもしれないでしょう? 仕事したい人は他にいっぱいいるんだから。一回やめてしまったら、次の仕事なんてそうそう見つからないわ。子供が欲しくても、そう簡単にはいかないのよ」
ちなみに、フランチェスカはローマ大学を卒業しているのだが、学生時代の友人がどのような選択をしたか聞いてみたところ・・、一人は早く結婚し、子供もいるとか。彼女は育児中も勉強を続け、子供が大きくなった今はパートタイムで働いている。しかし、不安定な身分に不満や失望を口にすることも多く、フランチェスカにとっては「理想的なケース」とは言えないようだ。一方、別の友人は、大学卒業後、安定した公務員となり、やがて結婚、出産。産休を挟んで現在も仕事を続けているが、子供は自分の母親に見てもらっているそうだ。
正直に言えば、私自身もフランチェスカと考え方が似ていて、他人が子供を保育所に預けることに対して何かを言うつもりはないが、自分はそれをするつもりはなかった。といっても、仕事は続けたかったので、仕事のスケジュールにあわせて、ベビーシッターさんと保育ママさんにお願いしながら、なんとか乗り切ってきた。まぁこれは、たまたま私がフルタイムの会社勤めではなかったから出来たことでもあるのだが、それでも、まるで自転車操業状態の大変な数年間ではあった。仕事を続けながら子供を育てることの大変さ(肉体的にも、精神的にも)をひしひしと感じ、落ち込んだり、悩んだりの繰り返しであったことは確かだ。
フランチェスカの迷いがわかるからこそ、何をどう言えばよいのか、気の利いた言葉が思い浮かばなかった私。とりあえず「でも、結婚したら、少し考え方も違ってくるかもしれないし、子供が生まれたら生まれたで、今までとはまた違った楽しみや喜びに気が付くこともあるかもよ?!」と付け加えてはおいたのだが・・。
次に彼女に会えるのは多分、今年の夏か来年の夏のことだろうが、さて、彼女の人生に変化は訪れているだろうか。
今回は、友人の一人フランチェスカに、彼女のマンマについて語ってもらった。
現在、60代の彼女のマンマは、夫に仕え家族のために生きる、という伝統的な価値観の元で育った人。その人生も、彼女自身の考え方もとてもイタリア的な、いわば「典型的」なマンマの一人だ。フランチェスカは、現在仕事のために親元を離れて暮らしてはいるが、もちろんマンマが大好きで、「たま〜に、マンマの愛情が少し重たい気分になるときもあるけれど、理想のマンマはと言われると、私もマンマだと思う。私もマンマのような女性になりたい」と言う。では、彼女のマンマはいったいどんな女性? どんな価値観を持っている人なのだろうか?
ローマ育ちのフランチェスカだが、もともと両親はミラノで暮らしていたのだそうだ。といっても、出身はパパがウンブリア州、マンマはトスカーナ州で、結婚当初は仕事の関係でミラノに住んでいた。ミラノ時代はマンマも外で働いていたが、パパに転職の話が持ち上がり、仕事の内容や条件、待遇、そして、それぞれの実家に地理的に近いことも決め手の一つとなって、ローマに移り住むことになった。マンマはやむなく退職。その後は専業主婦として、2人の子供を育てた。
フランチェスカによると・・、「マンマはいつも家族のことを第一に考え、家族のために生きてきた人。とっても愛情豊かで優しくて、家族の絆を大事にしていて、そういう意味ではとても典型的なイタリアのマンマね! 兄は結婚し、私も別に住むようになったけど、今もしょっちゅう連絡を取っているし、よく会っているわ。30歳を過ぎた私に対しても、顔を見れば、人前でも何のためらいもなくキスするのよ。5年間に結婚した兄にだって、三日とあけず電話してる!」。
念のために付け加えれば、イタリアではキスは挨拶代わりだし、結婚した子供にしょっちゅう連絡をするのもよく耳にする話。聞いた話では、特に息子の場合は、その奥さんに対するチェックが厳しく、まるで監視でもしているかのように(本人にそのつもりはなくても、奥さんからすればそう思えることだろう?!)、新居に日参し、食生活から洋服にまで目を光らせる母親も、少なからずいるらしい。まぁ、これはちょっと行き過ぎだと私は思うが、それも息子への愛情から来ていることは間違いない・・。
「ローマやミラノのような大きな街だと、家の問題もあって、結婚するとたいていは別に住んでいるけれど、田舎だったら実家のすぐ近くか、同じ建物に住む人が多いわね。それに、別に住んでいても、同じ街だったら、週1回は子供夫婦が実家を訪ねるのが普通じゃないかしら。日曜日のプランゾ(昼食)はいつも一緒という家も少なくないと思う。もし、仕事で遠くに住んでいて、普段はなかなか実家に帰れないような場合でも、ナターレ(クリスマス)とかパスクワ(復活祭)とか地元のお祭りの時なんかは、やっぱりみんな実家に戻ってる。家族揃って賑やかにお祝いするのよ。イタリアの家族は、本当によく集まると思うわ。」フランチェスカは続けた。
もちろん家庭によって違いはあるが、イタリア人にとっては、それがごく普通の家族であり、当然のことだと受け止めている様子。客観的に見て、日本より家族の結びつきは強いように思うし、彼らもまた、それを誇りに思っている様子が伺える。少なくともイタリアには、「結婚して独立したら、親は親、子供は子供」といったような考え方はない感じがする・・。
さて、フランチェスカには理想のマンマ像についても聞いてみた。大事なことはなんでも話せて、厳しいけれど厳しすぎないで、適度に近く適度に距離を置いて接してくれる人、物理的に離れて過ごすしてはいても、気持ちはいつも子供のそばにある人、それが理想のマンマだそうだ。
何があっても子供の見方で、いつも大らかに暖かく見守ってくれる母親。確かにこれは、どこの国のどんな親子にも、理想であるに違いない。私も常々そうなりたいと思ってはいるのだが・・、これがまた、実行するのはなかなか大変! 特に、「適度な距離」というのが難しい。概して、母親は父親よりも口うるさくなりがちだし、細かいことを気にしがち。我が家も、最初はアドバイスしているつもりが、だんだん「指示」になってしまって、後で反省することしきりだ。子供を束縛したり、自分の価値観を押しつけたりすることなく、かといって野放しにもせず、年齢に応じてある程度の方向性を示しながら見守っていく、というのは、頭ではわかっていても、そうそう思う通りにできることではないのだ。理想の母親への道は、遠い・・!
・・で、とりあえず私が得た結論は、子供との「適度な距離」を保つためには、母親が子供を生きがいにしてはいけない、ということ。母親自身が自分の人生を大事にし、家族のために、と思うのと同じように、自分のために生きることは、決して悪いことではないと考えている。母親が日々生き生きと、前向きな姿勢で過ごしていれば、自分のなかでうまくバランスを取りながら、子供に向き合っていける、と思うのだが。
話がちょっと横道にそれてしまったが、フランチェスカによれば、実は彼女のマンマにも、迷ったり悩んだりしていた時期があったらしい。
「マンマは、パパの仕事のために自分の仕事をあきらめたの。全く知らない街に移り住むことになって、でもパパは仕事でいつも忙しく、外国に出張することも多くて、最初は一人でどうすればいいかわからない状態だったって。それから、環境にもだんだん慣れて、子育て中心の日々を過ごしてきたけど、子供が大きくなって時間を持て余すようになると、何をしていいかわからなくなって、不平や不満をつのらせていった時もあったみたい。よくグチをこぼしたりもしてたから。でも今は、お年寄りのために働く、ということを見つけて、自分の人生に満足しているわ。家族ともとてもいい関係だし、幸せだと思う・・。」
私はまだフランチャスカのマンマに会ったことはないけれど、機会があれば是非実際にお目にかかって話を聞いてみたい。「理想のマンマ」と呼ばれる人にも、きっと本人だけにしかわからない複雑な想いがあって、それをもっと深く知りたい、と思ったから。
次号も引き続きフランチェスカの話。「ドンナ・イタリアーナ」の出産・子育てに対するホンネを紹介する。
イタリア滞在中に知り合った友人の多くは、私と同年代の女性だった。仕事のこと、結婚のこと、そして出産、子育てのこと・・、私は彼女たちとしばしばお喋りを楽しみ、時にはグチをこぼしあったり、励ましあったりしながら長い月日を過ごした。決まって出てくる言葉は「わかる、よ〜くわかる、どこの国でも現実は似たようなものね!」。
今、日本では出生率の低下が大きな問題となっているが、実はイタリアは日本以上に出生率が低い。結婚しない女性も増えているし、たとえ結婚しても30歳前には子供は産まない、産むとしてもなるべく後に、せいぜい一人、という傾向がはっきり表れている。私が親しくなったイタリア人女性は、そのほとんどが仕事を持っていたが、20代後半から40代前半という年齢層にも関わらず、既婚者のほうが少なく、そのほとんどが子供を持っていなかった。偶然とは言い切れない、何かがある。
かつて、イタリアと言えば、誰もが「マンマ(母親)を中心とした大家族」をイメージしたものだが、今では、そんな家庭は少なくなってきている。もちろん、その傾向には地域差もあるし、年代差もあるのだが、仕事のために実家を離れて住む独身世帯や核家族は大幅に増えているのだ。この20年位で、イタリアの伝統的な生活スタイルは全く変わってしまったのよ、と誰もが言う・・。
では、なぜそうなってきたのか? 今、30代前後の友人のイタリア人女性たち="ドンナ・イタリアーナ"は何を考え、何を求めているのだろうか?
「今のイタリアには、カザリンガ(専業主婦)なんて存在しないのよ! カザリンガにはなれないの!」そんな刺激的なコメントを発したのはシルビア。フィレンツエ近郊で生まれた彼女は、私が通った語学学校の先生で、パートナーはいるが結婚はしていない。
彼女によると、30代半ばになる彼女の大学時代の友人は、結婚はしていてもほとんどが子供を持たず、ディンクス状態にあるそうだ。現在、イタリアではほとんどが大学に進学するが(ちなみに、イタリアの国立大学は基本的に誰でも入学できる。ただし卒業するのは非常に難しく、4分の1程度と言われる)、大学を卒業するのは26、7歳というのが平均的。それから就職し、キャリアを積むとなると、結婚はまだしも、出産どころではない、というのがホンネらしい。
また、結婚しても仕事を辞める人は非常に少なく、それは出産後も変わらないという。理由としてまずあげられるのは、経済的な問題。イタリアはまだ全般的に給与水準が低く、その一方で、綺麗な家に住みたい、いい車が欲しい、バカンスをたっぷり楽しみたい、という欲求は高まるばかりだから、豊かな生活を手に入れるためには夫婦2人で働かなければならない、というわけだ。シルビアの「カザリンガなんて存在しない」という声も、それを表している・・。
もちろん、女性が働き続ける理由はそれだけではない。彼女は「マンマはもちろん大好きだけど、彼女の世代の女性の生き方は反面教師だった」とも言う。かつて、女性たちは結婚すると選択の余地もなく大家族の一員に組み込まれ、夫や夫の両親に従って、人生のほとんどを家の中で過ごしていた。子供をたくさん産み、育て、夫の両親にも仕える。家事も手抜きせず、家の中をぴかぴかに磨いて、パスタもパンもソースも、時にはオリーブオイルまで手作りする。おまけに、夫は「遊び人で名高い(?)」イタリア男・・、それでも、ただじっと帰りを待つ。まるで映画のワンシーンのようだが、それは決して大袈裟な話ではないとか・・。実際に他の友人は「パパがBAR(立ち飲みのカフェ)に行くのは当たり前のことで、しょっちゅう友達とお喋りしたり、カードをしたりしていたけど、マンマがBARに入るのは一度も見たことがない」と話してくれた。そんな人生は送りたくないから、まず自分の仕事を持ち、結婚した後も自分の世界、外で自由に過ごす時間を持ち続けたい、というのである。
出生率の低下傾向もこんな新しい価値観と深く関わっているのだが・・、実は原因はこれだけではない。イタリアの失業率の高さは非常に深刻で、大学を出ても仕事の就けない若者はかなり多い。仕事を見つけるには大都市に出て行かざるを得ず、そうなると実家を離れ、アパートを借りて暮らさなければならない。当然、核家族も増える。大都市は物価が高いから生活は苦しく、夫婦で働く必要がある。子供が欲しいと思っても、手伝ってくれる祖父母は近くにいない。条件にぴったりあった保育園に入れるのは難しいし、ベビーシッター代も高い。さらに、仕事を探している人は山ほどいるのだから、いくら法律で産休が認められていると言っても、中小企業や個人企業では出産をきっかけに会社に居づらくなったり、やめざるを得なくなるかもしれない。
「こんな状況では、なかなか出産に踏み切れない、持ったとしてもせいぜい一人、というのは無理もない話でしょ?!」。彼女の言葉に、私はうなずくしかなかった。まさに、どこかの国の『現実』と同じ、私や私の友人たちがずっと感じてきたことと大差ないからである。かくして、日本の出生率は急落の一途をたどり、1.38人となった・・。
ただ、シルビアはこんなことも言っていた。彼女よりも若い世代、今の20代前半くらいの女性の考え方は少し違っていて、保守的、伝統的な生活への揺り戻しが来ている、というのだ。上の世代に比べて、早く結婚しようとする傾向があり、子供も欲しいと言う。「それは、急進的な私たちの世代が、反面教師になっているのかもしれないわね。」と彼女は言った。ただし「それでも・・、産むのはやっぱり一人だって!」と付け加えながら。
次号も、"ドンナ・イタリアーナ"の結婚観、仕事観、家族観を紹介する。