ポンペイの遺跡





ポンペイの町はサルノ川の河口近く、海抜40mの高さにある古い溶岩でできた岸壁の上に誕生し農作を主産業としていました。町の発展・拡張はギリシャ人により始められ系統的な道路造りも行われました。内陸アルペン山脈のふもとから侵攻してきたサムニウム族の力により町の面積は66ヘクタールになり紀元前4世紀の終わりにまだナポリもそれほどの発展もみられておらず、近隣のどの町より力のあるものとなりました。
       

       

  

町は東西南北に走る縦2本・横2本の主要道路により9つの区画に分けられていました。
  

主要道路沿いには居酒屋や喫茶店のような商店が建ち並び、それぞれの区域は祭礼を行う区域、選挙を行う区域、商業的性格を持った区域などがありました。ローマ帝国の介入で町の整理、改良が行われ排水溝、歩道、雨水をためる貯水槽が各建物にもうけられ、水道をポンペイまで延ばし浴場、給水場、裕福層の邸宅には直接水道がひかれました。





   

   


ポンペイの人口は二万人で、商人、奴隷(ギリシャ人やアジア人など)、奴隷から解放された自由人が大部分で、サムニウム族を祖先とする貴族やローマ貴族は少数でした。ポンペイは、五年の任期でさだめられた二人の指導者により治められその下に8人の協力者と特別の功績で選ばれた百人のポンペイ市民により構成された最高会議がありました。市民生活に興味深いニュース(選挙や公演予告や経済ニュース)が専門家により文字や図にして建物の壁に布告として張り出されました。またあちこちの壁に沢山の落書きが商人、恋人達、学生、スポーツファン、旅人、ペテン師、売春業者などにより書かれています。

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参考文献: 
ポンペイ 今日と2000年前の姿 
BONECHI EDIZIONI “IL TURISMO”
古代ローマの食卓 パトリック・ファース著 目羅公和 訳 東洋書林

ポンペイの輝き 古代ローマ都市 最後の日 朝日新聞
上級ワイン教本 WSET・クリストファー・フィールデン著 ミヨコ スティーブンソン 遠田 敬子 柴田書店
JAL WSET ワイン教室