糖尿病の歴史                      もとのページへ                                          

インスリンの発見以前は多尿、口渇、るい痩、化膿症などがみられる消耗性疾患ととらえていた。19世紀になって尿糖の原因はブドウ糖であることが示された。1877Lancerauxにより若年者にみられ、治療の難しい“やせの糖尿病”と、肥満者にみられ食事療法および激しく体を使うことで改善する“肥満の糖尿病”の2つの病型が提唱された。1889von Mehring Minkowski は犬のすい臓を全摘すると糖尿病になること、すい臓にすい摘出犬の糖尿病を改善させる物質が存在することを示唆した。1902年このような内分泌物質にホルモンという名が与えられた。1921年にトロントのBanting,Bestらがインスリンの抽出に成功した。1922年世界で初めてL.Thompson少年に投与された。わが国では1923年東北大学熊谷らにより抽出、Kumagai Extrakt 1923年使用が記録されているが、注射部位の腫脹、疼痛が著しく、東京大学第3内科の病歴の記載ではリリー社のIletin注射に変更されている。日本では1904年以降血糖測定法としてPavyの変法(隈川、須藤)が考案された。血糖測定の進歩により、食事やブドウ糖の負荷による血糖の経時的変化に対する理解が深まった。大正末期に坂口康蔵は患者の糖排泄閾の正確な測定法を確立し、腎性糖尿と糖尿病を区別した。インスリンの発見により糖尿病がインスリンの作用不足による疾患であることは明白になった。糖尿病の病態、病因の解明をするためにインスリンを測定する試みが続き、まずバイオアッセイ、次に1956年、Berson and Yallow はインスリンのラジオイムノアッセイを確立した。ケトーシスに陥りやすい“やせの糖尿病”患者では血中インスリンが著しく低下していること、“肥満の糖尿病”では高インスリン血症をしめすこともあるとわかった。1975年以降はラジオレセプターアッセイ、1983年なぜインスリンがそのような働きをするのか研究し春日ら(春日正人 神戸大学大学院医学系研究科 糖尿病代謝・消化器・腎臓内科教授)は細胞内におけるインスリン情報伝達系の主要な経路を解明した。すなわち、インスリンの細胞内情報伝達の入り口であるインスリン受容体自身に、蛋白質チロシン残基燐酸化酵素活性(インスリン受容体キナーゼ)が内在し、それがインスリン依存性に活性化されることを世界ではじめて明らかにした。次いでこの酵素活性が遺伝子変異のため欠失している症例が、インスリン抵抗性糖尿病を呈することを発見した。遺伝子の一塩基置換により糖尿病は発症するという点からも注目されインスリン受容体キナーゼにより燐酸化されたインスリン受容体基質にPI3-キナーゼが結合し、インスリンの代謝作用を伝達していることを明らかにした。さらに下流でほか異なる機能を持つキナーゼが働いていることを明らかにした。など1980年台はインスリンの作用の研究がさかんになった時期である。インスリン作用の研究より、“肥満の糖尿病”において標的器官でのインスリン感受性の低下(インスリン抵抗性)がしめされると、2型糖尿病において、インスリンの分泌不全とインスリン感受性の低下のどちらがより主要な、発症以前より存在する病態であるかという論争が盛んになった。日本人は欧米人に比べインスリン分泌能の低いものが多い可能性があり、そのようなもので肥満、運動不足などでインスリン抵抗性が増大するとインスリン分泌が追いつかず糖尿病を発症しやすいと考えられる。

インスリン発見以前は、有効な薬剤はなく、古くから一部の糖尿病患者に食事療法が行われていた。19世紀後半以降の食事療法の多くは炭水化物を制限し脂肪で熱量の不足を補うというものであり、軽症糖尿病では効果があったが、重症例ではケトアチドーシスを誘発した。20世紀初頭の日本においても糖質を制限し、熱量の不足を肉、卵、豆腐などで補う食事が主流であった。インスリン抽出の成功とほぼ同時期に影浦尚視、坂口康蔵らは糖質代謝が正常の者では糖質を著しく制限した蛋白脂肪食が耐糖能を悪化させ、これに糖質を加えると耐糖能が改善することを見いだした。この後インスリンの普及とあいまって以前のような極端な糖質制限は行われなくなり、1940年代以降現在のように摂取熱量の制限を基本とする考えが広まった。

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参考文献:日本内科学会誌 特集 内科−100年のあゆみ(内分泌・代謝)

                糖尿病の歴史

                赤沼安夫 本田律子 戸辺一之 著