麻生さん(1/19)
 「平凡を愛する」・・・このセリフは印象的でした。なかなか言えませんよ、こんなこと。普通、芝居を作るときにはどうしても、主役の方にいいセリフを使いたくなると思うんですね。でも、ある種核心をついたこのセリフを、なんとも憎らしい敵役に言わせてしまう。この芝居を見ていると、普通はアンデルセンに肩入れをしたくなるでしょう。自分の才能を信じて、それを思いのままに表現することのできる生き方。「白鳥のように生きる」、これはまさしく夢を実現することですからね。でも、そういった生き方にはそれ相応の悩みがあって、その相克の中でアンデルセンは苦しむわけですが、その対極にいる人物がシュミット。この二人の対立は「夢」と「現実」の対立に他ならない。大概、このような対立させられる人物って、ものすごくいやみな人物なのです。で、そんないやみな人物がやりこめられて終わってしまう。ところがこの芝居はそうではなくて、アンデルセンのような生き方に両手をあげて賛成している結末ではありませんね。だから、シュミットに「平凡を愛する」なんてセリフを言わせることで、ものすごく深みのある人物に感じさせることができる。そうすることで、アンデルセンの悩みも余計にクローズアップされるし、観客に与えるインパクトも大きくなるように思います。
 なんだが、長々と書いてしまいましたが、要するに、この芝居はよくできているということを言いたいわけです。これも脚本の東由多加さんのすごさなんでしょうね。

イリちゃん(1/25)
 いいお話です。教育的には、アンデルセンの生き方を学ぼう、という見方をすればいいんでしょうね。悩みを克服しながら・・・・とかいう。
 でも、麻生さんの話を聞いて、この「青春のアンデルセン」のよさが一段とわかるようになりました。ぼくも、シュミットを擁護するような終わり方がきっと気に入っているのではないかと。アンデルセンが悲しむことを望んでいたのではないかと。ほんと、おっしゃるとおり、深みがある。このミュージカルを観たあとは、観た人はどちらかの生き方に傾倒するかもしれません。でも、どちらでもいいんですね。「どちらがいいのか」と真剣に考えるだけで、この芝居を観た価値があるのですね。
 東さんは、「このミュージカルを通して、現代の若者に、青春について考えてもらいたい」とおっしゃっていました。
 ぼくも、30を過ぎてからも、何回も「アンデルセン」を見返していますが、その度に感動します。逆に、観たくなることが多くなったといってもいいでしょう。だから、ぼくは、いろんな人に、このお芝居のよさを伝えたいです。

イリちゃん(2/18)
 知らなかったんですけど、「俺たちの祭」に、国谷さんがゲスト出演していたんですね。壇ふみさんの再就職先の店員の役で。二人とも「ふみ」さんだな(^^;)
 国谷さんのような超ベテランの人の情報って、なかなかキャッチしにくいんですよね。KIDの初期のパンフレットマガジン「MUSICAL」を開けない限り、ない。坪田さんが「気まぐれ天使」に出演するとかは書いてあるのですが、個人情報は少ないほうですね、恭兵さんがテレビデビューする前は。けっこう、KIDの人たちって、50年代前半のドラマには、たくさん出演しているんですけどね。「太陽にほえろ!」だけでも、けっこうあります。整理した資料がありますので、次回アップします。361チャンで、200後半〜300話近くになれば、実際に見ることができますね。

麻生さん(2/28)
 KID全曲集、すごいですねえ。こうしてみると、結構たくさんの曲があるのに驚かされます。初期の頃で印象に深いのは『黄金バット』の「花雪風」。何故といわれると困ってしまうのですが、好きなんです。サビの部分「はな、ゆき、か〜ぜ〜」という部分が耳に残って、しばらく離れなかったのも思い出されます。それから「縦縞のシャツを着て」。確か坪田さんの歌だったと思いますが、もし私のベスト10を作るとすればランクインするかもしれません。「ここで〜何時間も〜待っていたのです〜」この歌い出しを坪田さんが歌うと、ぐーっとその歌の世界が目に見えてくるような気がしてくるんです。ずっと恋人を待っているもの悲しげな女性が見えてくるような心持ちになるのです。

イリちゃん(3/1)
 「花雪風」、すごい歌詞なんですよね〜(^^;)。でも、コーラスのせいか、曲もいいですね。この曲、「一つの同じドア」のLPに収録されていたから知っていたんですが、2年ぐらい前、「黄金バット」のCDが発売されたので、本家本元の「花雪風」が聴けますよ(^^;)
 「十月」は、もちろん観てないんですが、好きな歌は、ラスト近辺の「風の別れ」、「それでも夕焼け」かなあ。ほとんど加川良さんが歌っているから、恭兵さんの声はコーラスの中にしかないんですが、いちばん聞き取りやすいのは、劇名と同名の「十月は黄昏の国」かな。

結花さん(4/6)
 初めて観た舞台は「キッチン」です。確か高校の受験勉強中に「柴田恭兵の翔べ青春」というラジオ番組で舞台を知り、『あの「俺天」のひとだぁ』と思うや否や、一人きりで読売ホールへ行ったのを覚えています。以来毎度、なかなか理解者もなく観劇はいつも一人でございました。まだ幼い(?)頃でしたので、ただただ恭兵さんがステキ!というだけの感想で、「シンガポール」でシュートが決まらないときはどうすんのかなぁとか、「ポアロ」の時キートンが足を骨折してたなぁとか、「2月」後楽園は寒かったけどビニールのクッションが配られたとか、皆さんが語られているような”作品”としての感想が全くないことをお詫びします。
 歌については「全曲集」を拝見して『わぁ〜お懐かしい!』やら『そうだった、そうだった』と、かなり自己満足気味な口ずさみ方なので、重ねてお詫びします。
 ここで、私の観た舞台のナンバーだけでのベスト10です。
 
1位 時の魔法              直子ちゃんがかわいいんだな
2位 ピアアンジェリ            曲もいいけど、歌詞が印象的
3位 FILM                歌詞に泣けた!
4位 裸のジョージ            Mフェアで聞きたい
5位 ピアニストを撃つな         3人3様の歌い方
6位 冬のピクニック            変拍子なんですよ。いまだに恭兵さん、こんな格好してますよね。夏のシャツにジャンパー・・
7位 LIKE A HARD DAYS NIGHT   永ちゃんじゃないですよ
8位 ポルシェスパイダー         恭兵さんのダンスが懐かしい、足上がってた
9位 妹よ                 いもおぉ〜とよ〜
10位 2月のサーカス           2月は体がさむ〜い、2月は心がさむ〜い、2月はサイフがさむ〜い・・・・
番外 let's make shining summer  このロゴが入ったTシャツ持ってました
 
 要するにいいかげんな記憶しかない!でも、こうして思い出しているとなんだかすっごくワクワクする。イリチャンありがとうございます。

イリちゃん(4/7)
 でも、ホントうれしいです。結花さんのような方の思い出の一助となって。ぼくもベスト10を。でも、キッチン〜ポアロのベスト10というのは気持ちが悪いので(^^;)、ぼくは、それぞれベスト5ということにします。
 
 シンガポール
1.僕らの四季          歌詞の重さがいい。
2.White Dream         昔はこれが1でした。
3.冬のシンガポール       暗い感じの盛り上がりが好き。
4.時の魔法           坪田さんとのデュエットの中ではベストナンバーか?
5.センチメンタルシティボーイ  序盤のかっこいい歌。
 
 キッチン
1.哀しみのキッチン          イントロがキュンときます。
2.冬のピクニック           情景がわかるKIDらしい歌。
3.LIKE A HARD DAYS NIGHT  舞台で観ると感動です。
4.ストリートキッド          情緒系じゃないのに入選です。
5.胸に響く言葉           これは情緒たっぷり。
 
 ポアロ
1.憤りがあるうちならば  この歌はぼくにとって大切な歌。群を抜けています。
2.今            この歌もいい歌。ジーンときます。
3.心は孤独な       舞台で聞くと飲み込まれます。
4.恋は殺人ゲーム    記憶に残るコーラスです。
5.天使伝説        恭兵さんのソロではマイナーな方ですが、いい歌です。
 
 というわけで、結花さんの返答をお待ちしてます(^^;)。結花さんとは「時の魔法」と「冬のピクニック」と「HARD DAYS NIGHT」しかシンクロしてませんね(^^;)
 それにしても、「シンガポールでシュートが決まらないとき」、笑いました。ぼくもそっくりおんなじこと考えたことあります。たぶん、観た人みんな気にするんじゃないかと思います・・・・(^^;)

結花さん(4/9)
 イリちゃんのベスト5、わかるわかるぅ〜
 コメント読んで思い出しましたよ、そうだったそうだったと。「ポアロ」には、まだまだいい曲があったんですよね。「憤りがあるうちならば」での"憤り"という言葉、今だに私のボキャブラに欠かせないものでありまして、『人間、憤りを感じているほど頑張れるもんよ』なぁんて人に言ってたりしてますもん。「心は孤独な」での台詩のところ、一生懸命覚えたんですよ。「恋は殺人ゲーム」も良かったよね。
 当時はまだレコードの時代で、サウンド自体暖かみがありましたよね。このHP見付けてからどうしてもレコードが聞きたくなって実家に所在確認をしたけど、考えてみればプレイヤーが無かったんだ。(TT)

イリちゃん(4/9)
 ポアロは、当時、レコードと同時にカセットも買っていたので、今も車の中にあります。他のKIDのレコードは、昔テープにダビングしているので、ポアロのテープといっしょに車の中にあります。
 でも、結花さんもそうだと思いますが、当時、同級生がトシちゃんやマッチなどの歌謡曲を聴いていた時代に、ぼくは、ひとり、SHOGUNやキッドのレコードを聴きまくっていました。今考えると、すごく偉いことをしていたな、と(^^;)。KIDの新年会で、イントロクイズがあったんですが、サラムムの「言葉のレッスン」を、高校生だったぼくが、おずおずと手を挙げて答えたことがあります(^^;)。司会の飯山さんにほめられて、もらった賞品が、ハメールンの笛のLP。お金がない学生でしたから、非常にうれしかったです。
 というわけで、一つの同じドア、驢馬、ハメールン、メロス(メリーゴーランド)、メロス(観覧車)、サラムム、シンガポール、ポアロ、KYOHEI LIVEの9つのLPは、2枚ずつ持っています(サラムムは3枚(^^;))。高校生の分際で、ずいぶんお金をKIDに使っていたんです。いちばん痛かったのは、霧のマンハッタンのビデオ(\14,800)でしたけどね・・・・(^^;)

ノンさん(5/14)
 私は今から11年くらい前から5年間ほどKIDにはまってました。恭兵さんが好きで見に行き出したのですが、しばらくすると、TVの方が忙しくなったからか、余りKIDには出られなくなり、いつのまにか私は、長戸さんのファンになっていました。JAJAのコンサートにも行きました。人が前の方に固まって?激しい中にも温かみの有るLIVEでした。
 又、京都で公演の有る時、1人で舞台稽古を見せてもらった事があり、それもとても印象に残っています。客席の前の方でたった1人で見ていて、心ではとても感動して拍手したいのに何か悪くって出来なかった事を思い出しました。
 私はKIDが殆どで他のは四季のを2回ほど見たことは有りますがやっぱり、KIDの方がだ〜んぜん温かみがあって、いいですよねえ。皆さん。
 ところで、ここにこんな事書いたらおこられそうですが、KIDっていまいったいどういうふうになっちゃったんですか?私は結婚してここ6,7年子育てに時間を割いてきてKIDに目がむけられなかったんですが・・・でも私の予感では悪い予感がするのですが・・・・
 長戸さんの最近の状況とかもどなたかご存知でしたら教えてほしいです。もう結婚とかもされているのかなあ。

ノンさん(5/16)
 舞台稽古見られたのはやっぱり貴重なたいけんなのですか?たしか東京に遊びに行ったときに、渋谷にあったKIDの事務所に遊びに行って、そこに北村さんがいて、今度京都に行くから見に来たらいいよ。みたいに言ってくれたんで行ったんだったと思いましたが・・・友達も一緒に行くはずだったんだけど、都合つかなくてそれなら1人で行っちゃおうと思っていったのは覚えています。
 それにしても、KIDっていろんなとこフランクな感じがして良かったですよねえ。公演のパンフ売りも役者さん達本人が出てきてうったりだとか、まああれも、売るための1つのパフォーマンスなのかな・・・それでも嬉しかったです。
 歌といえばもう何がどれの歌か忘れてしまいましたが、覚えているフレーズを。
 「生きよ〜生き〜よ君が人生の時〜」っていうのとか、「さ〜み〜し〜い〜ひとの〜さみしいまち〜に〜愛のシグナルがあがるよ〜さあ〜」とか、「君は〜見たでしょうか〜」っていうのとかこれらは何の時の歌でしたでしょうか?もうすっかり忘れてしまってて・・・
 でもまた、KIDずきのひととお話して、いろんな事思い出してひたってみたいです。私がはじめてみたのはスーパーマーケットロマンスです。その時は恭兵さんも出てて、たしか飯山さんとのダブルキャストだったと思います。それから始まってたしか最後に見たのは夏の・・・・・何とかって言うような題名だったようなきがしますが。すみません。なんでもうろ覚えで。

9TH TEAMさん(5/16)
 友人の話だと、お通夜の日に柴田さんみえたそうです。ワイドショーでも涙ながらに話している様子が放送されたらしいし。
 柴田さんは早々に帰られたようですが、三浦さんや峯さんなどは会場に泊まって飲み明かしつつ、歌など唄ったみたいです。(「お酒ください」や「右腕の歌」など・・・!)
 ちょうどその時にTBSが柳美里の取材にきていて、その模様も近々放送されることでしょう。
 ところで、今日はノンさんの質問へのお答えです。
 ほんと、たまたまですが本日発売の「ぴあ」演劇情報のところで長戸さんの名前を見つけました。
 <オフィス東京印> 『GO TO BANK』7/14〜16 新宿シアターモリエール
で、公演するみたいです。金井のミッちゃんやセカンドの子の名前も一緒でした。そして、長戸さんは現在「J.CLIP」という事務所に所属してるはずです。
 それから肝心の『結婚』ですが・・・まだしていないようです!(去年の夏、情報)

まじまじさん(5/19)
 ピンクのエンサイクロペディア、歌詞まで載せていただいてありがとうございました。
 恭兵さんのファーストコンサート(広島)は、当時満席ではありませんでした。(でも、あぶない刑事で人気が出て、その後行ったコンサートは満席でしたよ。)でも、そのおかげで、とってもわきあいあいの雰囲気でコンサートが進んだように記憶しています。それに、手作りの恭兵人形を、ステージ前でご本人に渡すことができました。そのときの恭兵さんのやさしい目を忘れることはできません。
 質問ですが、恭兵さんのソロのコンサートツアーってこれまでに2回くらいしかありませんかね?

イリちゃん(5/21)
>ノンさん
 公開稽古はよくやっていましたね。一人で見ると、いいことありそうですからね(^^;)
 KIDの役者さんたち、売り物だけでなく、自宅に、「チケット買ってください」って、電話かけてましたよ。ぼくは、大塚さんが多かったです。
 歌、「遠い国のポルカ」ですかね。最初の歌は、ラストで使われる「君が人生の時」。2番目の歌は、出だしで使われる「遠い国のポルカ」。3番目は、たぶん名和さんが言っていると思うのですが、「5月のひばりに」でしょうか。
 
>9thさん。
 ぼくはワイドショーも見ていませんが、「この街のことを」を合唱したらしいですね。峰さんや三浦さんは飲み明かして歌っていたんですか。「お酒ください」も「右腕の唄」も、峰さん、三浦さんの代表ソロですもんね。歌詞もいいですしね。
 9thさんは、「ロマンス」のパンフレットに、メンバーが載ってますね。はじめは、パンとサーカスっていう名前ではなく、普通に「第9期研究生」だったのですね。
 でもすごいなあ。Acting、Dance、Song、Special。Specialって何ですか?(^^;)。「新島合宿では、夜を徹して歩き続ける」。厳しそう。でも、いい思い出なんでしょうか・・・・
 
>まじまじさん
 ラブコネコンサートとファーストコンサートとSHOUTとAGAINのコンサートの4つでしょうか。あ、そうか、「ツアー」ですよね(^^;)。じゃあ、後ろの3つですね。AGAIN以降のコンサートは知りません。
 ファーストコンサートは、「なんとなくクリスタル」新曲キャンペーンとの連動でしたから、世間の人が恭兵さんの歌を聴きに来るとしたら、放送が終わったばかりだった「赤い嵐」の主題歌「5マイル・アヘッド」を知っているかいないか、にかかっていた(^^;)。ただ、はっきりいえば、赤い嵐はよく見られていたけど、「5マイル・アヘッド」の売れ行きはよくなかった。恭兵さん自身も、当時、「もっと売れてほしい」と言っていたし。「クリスタル」と「5マイル」以外はほとんどKIDの歌ですからね。というわけで、全国的に大盛況ではなかったですよね。
 当時のコンサートは、東さんの演出・構成でしたからね。ファーストコンサートのパンフレットにも、東芝EMIの社長の寄せ書きが載っているし。単独シングルであるはずの「5マイル」や「クリスタル」のジャケットにも、「KIDレーベルのマーク」が付いていますしね。萩原さんや林さんが、バックで踊ってたり。ファーストコンサートは、KIDの舞台の一つととらえなければいけないですね。
 ぼくは、54年のラブコネクション発売記念コンサートに行けなかったことを今でも悔いているのですが、こちらのほうは、どなたか行かれた方はいらっしゃらないでしょうか。何を歌ったのかしら?ものすごーく気になる!7月3日、ラフォーレ原宿、とありますから、この日限りのコンサート。なんという貴重な・・・・
 ちなみに、同じ月に同じ場所で、「KID SISTER CONCERT」(^^;)というのも行われていますね。坪田さんと川船さんと金井さんの3人。これも観たかった!これは何を歌っていたんでしょう?もしかして「ラブコネコンサート」と同じ日

ノンさん(5/21)
 長戸さんの件有難うございました。今もKIDでではなくても、がんばっておられるみたいで、なんかほっとしました。もうすっかり辞めちゃっててちがうしごとしてる、とかだと、とっても寂しいですし。いま、すごい久しぶりに、昔のKIDのパンフレットを出してきて(もちろん全部嫁入り道具です)見ていました。もう、KIDにのめりこんでいたのは私が18〜22,3歳の頃で、まさに私の青春そのもの・・・です。色々見てると、悲しいほどに昔の自分のアツーい気持ちを思い出します。わたしは、歌は好きですが、踊りなんて全然出来ないし、演じる事のいろはも知らない。でも私はKIDが好きなんだ。実家は関西でしたが、とにかく東京に行ってKIDのサポートの仕事でもいいからいっしょに何かをしたい!そんな気持ちが高校を卒業する頃にあったのに、親の頭が固すぎることもよーくわかってたしで、そんな自分の気持ちを結局親に話す事すら出来ず、全然違う道を選んでしまった頃の、なんともいえない不完全燃焼っていうか、そんな気持ちをおもいださずにはいられませんでした。特に研究生にまずはとてもあこがれていましたので、スーパーマーケットロマンスの最後のところに、9期生の方の事とか書いてましたけど、ここだけでももう、穴があくほど見ていました。

9TH TEAMさん(5/29)
 「スーパーマーケット」のパンフの通り、9期研究生だったのですが、あの“夢組”というのは、実はウソです(^^;)。本当は“連帯組”にずっと所属しておりました。見ていただければわかると思いますが、各クラスの人数のバランス悪いですよね・・・(いいかげんなパンフだこと。。)実際には、均等に25人くらいずつおりました、最初は。まあ、そのうちに1人減り、2人減りで最終的には18人くらいずつの2クラスになってしまいましたが・・・
 で、Specialですよね(笑)一応、毎週1回組まれてはいましたが、特にカリキュラムが決まっていたわけではなく、その時々でミュージカル映画のビデオを鑑賞したり、『自分自身で自分の顔を語る』なーんてビデオを撮られたり、、、あ、名和さん指導のもとスローモーションの稽古!ってのもありましたねぇーー(^^;)。『かれが殺した驢馬』にも出演されていた、今は亡き、池田鴻氏に発声の仕方なども教わりました(なんか、どんどん蘇ってくるのがコワイです・・・)

9TH TEAMさん(5/31)
 正確な月日。「夢・玉の井決死隊」は見たことないので分かんないですが、「おしゃべり人物伝」はもしかしたら、分かるかもしれません。私は再放送で録画したのですが、「この放送は●年×月に放送したものです」というテロップが入っていたような気がしました。でも、「おしゃべり人物伝」は全部は持ってないんですよ。沢村栄治と沖田総司しか持ってなかったような気がするので、全部は調べられないです。うーんでも、2話だけじゃ、全然足りないですね(^^;;
 この前、CMの出演に関して、事務所の方に聞いたことがあるんですけど、キッド時代のCM出演については資料がないって言われたんですよ。ってことは、ドラマについてもキッド時代の資料はないと思うんです。やっぱり、頼りになるのはイリちゃんのところが一番じゃないないかと・・・(笑)
 あとは、大宅文庫へ行って雑誌のバックナンバー調べるしかないのかなぁ・・・(^^; 大宅文庫って知ってますか?幡ヶ谷にある雑誌専門の図書館なのですが、テレビ雑誌のバックナンバーもあったと思うんです。貸し出しはできないので、その場で閲覧コピーするだけで、しかも、制限もあるみたいなので、全部調べられるかどうかは分からないですが・・・(^^; っていうより、調べに行く時間もあまりない・・・(^^;

コアラさん(6/3)
 私は、『遠い国のポルカ』から、KIDにはまってしまったコアラです。
 初めての出没なのに、失礼しますが・・・「♪君は〜見たでしょうか〜♪」は、『夢の湖』、『5月のひばりに』は「♪な〜り〜たかった!♪」だったと思うのですが・・・
 ネットサーフィンをしていて、長戸さん情報を見つけました。ホンダのCMに、声だけ出演しているみたいです。まだ、オンエアに遭遇していないので、確認していませんが・・・ホンダのサイトにのってたので、間違いないと思います。
 週刊ポストの柳美里さんの連載も最終回ですね。6/26に単行本として発売されるとか・・・
 ところで、TBSが取材していたのはいつのオンエアなんだろう?東さんの葬儀の詳細が、出ているサイトがあるの知っていますか?あれが、KID最後のステージになるのかな?一緒に『この街のことを』歌えたこと、しっかり心に刻んでおきます。

イリちゃん(6/4)
>9thさん
 池田鴻さん、驢馬の「この光を」を歌っている人ですよね。この歌、たしかに、素晴らしい声量だもんな。
 IOHの公認サイトと連絡を取り合いました。ちなみに、公認サイトはこちら、黙認公認サイト(^^;)はこちら、です。
 ぴなさんは、舞台の打ち上げにも参加し、KIDの役者さんたちの写真も撮っておりますので、お久しぶりの方は、ぜひご覧ください。
 
>コアラさん
 「夢の湖」ですか、すいません・・・・、間奏中の名和さんのセリフだと思ってました(^^;)。夢の湖という芝居は観てないんです。教えていただいてありがとうございます。ノンさん、そういうわけですので、間違っておりました。ほんとにごめんなさい。
 東さんの葬儀のサイト?(^^;)。そうなんですか、全然知らないんです。ぼく、ネットサーフィンはしないので(^^;)。リンク集も作らないといけないかもですね。今すぐにでもしろと、言われているのですが・・・・
 KIDの最後のステージは、去年の春のセカンドカンパニーの公演だそうですよ。

すももさん(7/1)
 「We Love Kyohei 掲示板」に、FM局でキッドが特集されるという書き込みをしたすももです。
 オンエアリストを書いてみますね。
 
  「黄金バット」(プロローグ)
  「花・雪・風」
  「U.S.A」
  「ロビンソンクルーソー」〜里見八犬伝〜
  「それでも夕焼け」〜十月は黄昏の国〜
 
 リクエストを募集していたものの、ほとんど監修の田家秀樹さんの選曲だったようです。恭兵さんの曲はおろか、『十月〜』以降の舞台の話題もほとんどありませんでした…。期待させてしまって申し訳ありませんでした(T_T)
 しかしながら、キッドの歴史というか、意外な方が関わっていた事など初めて知ることも多く、キッドに疎い私にはとても勉強になりました。私はアルフィーファンでもあるのですが、アルフィーがらみでよく話題になる元ガロの大野真澄さんや、加川良さんがメンバーだったり、吉田拓郎さんがキッドに関わっていたり(これはメルマガを読んでビックリでした!)と、驚きの連続でした。
 拓郎さんは、アルフィー、中でも坂崎氏(大の拓郎ファン)との交流が深いので、ファンという程ではないけれど私もある程度のことは知っているつもりでした。しかしキッドとの関わりは、坂崎氏さえも知らなかったようです。レコード会社つながりだったんですね。
 恭兵さんのメルマガに拓郎さんの名前を見つけた!というようなことをメールしたのですが、それが採用されてちょっとビックリしました。
 それにしても、もう少し時代を広げてくれたらなぁという感じでした。イリさんはオンエアされた曲はすべてご存知なのですよね。この選曲、いかがでしょうか?

なおりさん(7/1)
 キッドのラジオ番組は、DJをしているアルフィーの坂崎さんはキッドのことを全然知らないようで、「へ〜」って言いながらやってました(^^; 先週の放送では、東さんのことを「あずま」って読んでたって(^^; ほとんどトークの40分くらいのコーナーでした。
 簡単に再現しますね(^^;
 キッドの出世作の作品として、黄金バットのプロローグが最初にかけられました。リクエストっていうより、このコーナーの監修をしている田家さんの選曲によるものみたいです。プロローグ、たぶん、復活版じゃないと思うんですけど、なんか、声が坪田さんの声のような・・・(^^; これは歌じゃなくて、音楽とセリフでした。聞いたことありますか?
 音楽の番組なので、音楽の視点からの解説がほとんどでした。下田逸郎さんのこととか、吉田拓郎さんとかの名前があるとか、ガロの大野真澄さんの話とか。それで、キッドは音楽を非常に重視した劇団だったって言ってます。
 次にかけられたのは、黄金バットの「花雪風」がかかりました。
 そして、キッドの黄金バットはオフオフブロードウェイで評価されて、ニューヨークタイムスで紹介された話をしてました。
 次に、黄金バットの「USA」がかかりました。この中のセリフはアドリブだって言ってました。これって、音楽っていうより、セリフですね。「俺に必要なのは強い意志とささやかな優しさだけだ」というセリフで終わってました。
 ここでCM(^^;
 次に、FAXを読まれるんです。
 いきなり、すももさんです(笑)
 内容は、恭兵さんの25周年記念のメルマガがあって、そこではキッドのこともいっぱい取り上げられているっていうことと、この前のメルマガで、拓郎さんが恭兵さんに個人レッスンをしたっていうことと、拓郎さんの曲がキッドの中にあるっていうことが書いてあったということを言ってました。DJの坂崎さんも拓郎さんに詳しいらしいですが、さすがにキッドのことは知らなくて、「へぇ〜」と言ってました。
 FAXを送った中でも「恭兵さんのファンだ」という人が多かったらしいです(笑)
 次に、読まれた人は、ギンザNOWでキッドを知って、一番感動したのは街のメロスだって言ってました。坪田さんと仲良くしてもらっていたそうで、今でも仲良くしているそうです。
 ここでFAXコーナーは終わって、天井桟敷の話になりました。天井桟敷は、非日常的で、今で言えば、椎名林檎っぽいって言ってました(^^;。でも、キッドは日常的で、普通の若者が叫んでいる感じだと言ってました。深夜放送っぽいって言ってました。
 次に、八犬伝の中の「ロビンソンクルーソー」がかかりました。
 次に、キッドがヨーロッパ公演を行ったことを言ってました。
 オリジナル作品だけで成功したのはキッドだけで、音楽のように全国ツアーをしていたのもキッドだけだったと言って、画期的だったと言ってます。
 最後に加川良さん主演でということで、「十月は黄昏の国」の「それでも夕焼け」がかかりました。

イリちゃん(7/1)
>すももさん。
 ありがとうございました。当然、ぼくも、見たことがない舞台ばかりですが、曲は知っていました。とくに「それでも夕焼け」は、「十月」ですから、よく聴きます。
 レコード会社つながり!、そうだったんですね、東芝EMIなのか。
 すももさんのFAXが読まれてよかったですね。
 で、曲のリストなんですが、やっぱり、どんなKIDのファンが聴いたところで、唖然とするでしょうね(^^;)。
 
>なおりさん。
 黄金バットのプロローグは、小林由紀子さんという方らしいです。これは、パンフによると、小林由紀子の音芝居「空飛ぶ黄金バット」の中のセリフだそうです。
 黄金バットの舞台は、即興のアドリブによるセリフ=曲だったらしいですね(全部じゃないけど)。数えたら、LPに収録中の17曲のうち、11曲がセリフ入りでした。
 キッドは「日常的」。だれが言っていたのか知りませんが、的を射てますよね。日常的だからこそ、こうして舞台を見たファンの心に、青春時代に、いつまでも残っているんでしょう・・・

なおりさん(6/17)(アップ遅れ(^^;))
 いつごろからなんでしょうか、私がファンクラブに入った1989年頃は、ファンクラブの名称が「KYOHEI CLUB」になってました。会員証にもそう書いてあったんです。でも、キッドのパンフとか見てると、その前はKYOHEI FAN CLUBなんですよね。KYOHEI OFFICEになってからなのかな。
 KYOHEI OFFICEが誕生したときは、まだよく分からない時期なんですが、私がファンクラブに入ったころは、まだ連絡先が渋谷のQマンションでした。確か、ここはキッドの連絡先でもあったんですよね?(違いましたっけ?(^^;)でも、しばらくして、連絡先が全部渋谷郵便局の私書箱になって、事務所そのものが世田谷に移りました。今でも、「KYOHEI OFFICE」という名称は使ってるみたいですが、正式には「有限会社 柴田恭兵事務所」です。2,3年前に事務所から送られてきた郵便物にもそのハンコが差出人欄に押してありました。でも、もうずっと前からそういう名称なはずです。だから、もう、完全に独立しちゃったのかなぁと思ったんです。
 でも、昔のキッドのパンフを見ていて、恭兵さんだけKYOHEI FAN CLUBが早くから作られていたのが意外と言えば意外でした。パンフを見ている限りでは、他のキッドのメンバーの方々にはそういうのが全然なかったみたいなので。それだけ恭兵さんがビッグになっちゃったってことなのかなぁって思って見てました。

イリちゃん(6/25)
 古いグッズを出してきました(^^;)
 「KYOHEI FAN CLUB」が、「KYOHEI CLUB」になったのは、63年ですね。会報で言うと、13から。
 ただし、「KYOHEI事務局」という名は、59年、会報で言うと、9から使われていました。
 しかし、会報の名前が「柴田恭兵会報」から「KYOHEI NEWS」になったのは、62年の11から。
 ちなみに、Qマンションが私書箱になったのは、たぶん、WORKSHOPが海岸に移ったからですね。これも62年です。
 つまり整理すると、59年頃、KIDの中で、恭兵さんを単独に扱う考え方が広まり、事務局という名を、KIDの中の一つのポスト名にした。そして、62年、あぶ刑事ブレイクとともに、会報名をかっこよく(?)し、63年に、ファンクラブ名までも統一、と。
 全然関係ないですが、会報10は、生サイン付きでしたよ。なんでかしら(^^;)
 ファンクラブですが、坪田さん峰さんのファンクラブもありましたよ。

なおりさん(6/26)
 さ、さすが、イリちゃん!!(^^; ありがとうございます。メモっておきます(^^;
 私が最初に届いた会報はNo.16でした。ということは、KYOHEI NEWSになってからずいぶん経ってるんですね(^^;
 私書箱になった件も、そういう事情があったんですね。知らなかったです。私がファンクラブに入るころは、まだQマンションの住所も使ってたみたいで、ファンクラブの入会手続きはQマンションの方へ送った記憶があります。
 生サイン付き!スゴイなぁ。でも、ちょうど私が入った頃から4回くらい、恭兵さんの直筆で暑中見舞いとクリスマスカードが来てました。
 そのころって、だいたいどのくらいの頻度で会報が届いてたんですか?たぶん、恭兵さんの出演作品が多かった時代だから、けっこう頻繁に発行されてたんでしょうね。90年代に入ってからは、2ヶ月に1度だった会報発行が、半年に1度くらいに激減しました(^^;
 SHIROだったかのパンフにもファンクラブの集いだったか、お誕生日パーティだったかの写真が載ってたような・・・。とっても羨ましい時代ですねぇ。。

イリちゃん(6/27)
 会報の頻度。それが・・・・逆なんです!例えば、先の8と9の間は、最長の2年!恭兵さんの顔、明らかに違うんですから!(「天まであがれ!」の河西さんと、「チ・ン・ピ・ラ」の洋一だと考えてください)

なおりさん(6/30)
 2年!?(^^; なんで、そんなに間が開いちゃったんでしょう(^^;
 なるほど、本数が多い時代だったんですか。。忙しすぎて会報まで手が回らないなんてことはないと思うんですけど、なんででしょうね・・・。気になる(^^;
 ところで、イリちゃんの新企画を見てきました(^^)  
 「KYOHEI LIVE」なんですが、「KYOHEI LIVE」のCDも出ています。ジャケットも、青色の衣装で、「く」の字になってる恭兵さん(笑)でまったく同じです。収録曲もまったく同じです。私はLPも持ってるんですが、デッキがないので、CDを見つけたときは嬉しかったです。でも、今は絶版です。私のも中古ですから(^^;; 発売は1988年8月26日です。
 それと、笑っちゃったのは、「街のメロス」です(^^; 私、3ヶ月ほど前に中古レコード屋さんで、三浦さん版の愛の観覧車編も見つけたんですが、恭兵さんの曲がないだろうと思って買わなかったんです(^^;; っていうか、何で2枚あるのか分からなかったのです(^^;; 続き物ならオリーブのように1セットになってるだろうって思ってたから(^^; あぁぁぁ、頭痛いです(^^;;;; 今度見つけられるのはいつだろう・・・(^^;;;
 あと、「予言者のうた」なんですが、最初に聞いたときはかなり衝撃を受けた覚えがあります(^^; 今はもう慣れてしまったのですが、当時、まだあぶ刑事のイメージをいっぱい引きずっていたころに初めて聞いたので、目が点になった記憶があります(笑)最近、時々「ビッグ・アーティスト・コレクション」の中古CDを手に入れたという人がいるので、「予言者のうた」について聞くと、やっぱり衝撃を受けてるみたいです(^^;;

井上さん(7/2)
 1977年以来正真正銘のキッドファンです。当時のキッド支持会会員です。
 事の始まりは、1970年代初めに聞いていた、小椋佳さんのFMのディスクジョッキーでした。小椋佳さんの曲を紹介するなかで、キッドの話題がでました。そのころ、寺山修二さん、横尾忠則さん、丸山あきひろさん、シーザーさん、そして東由多加さんなんかの話題を出てきたような気がします。中学生?高校生?だった僕はわくわくしながらそんな話を一生懸命聞いた覚えがあります。
 大学に入ってすぐに演劇部に入りましたが、演劇部では我慢出来ず、大学はそのまま行かず、東京に飛んでいきました。シアター365に押し掛け、お金の続く限り毎日本番をみて、365には俳優到着と同じ時間に劇場に行き俳優の皆さんと一緒に毎日毎日掃除をしました。あたり稽古も毎日見せて貰いました。そんななかで三浦さんや峰さんと友達になり、兄貴のようにいろいろな話をしてくれました。
 お金が尽きた僕は結局福岡に帰ることになりましたが、その後も峰さん達との交遊は続き、キッドの福岡公演の動員のお手伝いをしました。峰さんが九州担当の時は、地元の劇団の稽古場をふたりで訪ねチケットのお願いをしたり、ふたりともお金がなくてジーパンのポケットのそこからふたりの小銭を集め屋台で各1杯のラーメンと1本のビールを頼み芝居について語りあった
 霧のマンハッタンでは苦戦しました。あの映画は売れませんでした。
 その後、キッドの地方公演がなくなりキッドとの距離があきましたが、芝居からは離れられず、地元の劇団に入ったり、一人で制作の仕事をしたり、劇団を作ってみたりでもなかなか飯は食えない。少しは地元で名が売れても飯が食えない。有名な方々と仕事をしたこともあります、メジャーな仕事をした時期をありますが、地方では仕事の絶対量が少なく・・・。
 1977年19歳だった少年は、今もキッドの夢を見ながら。今は、当時のキッド支持会のメンバーの全く消息が途絶え、まわりでキッドの話が出きる人がいなくなりました。いつしか、キッドの資料も流失してビデオやCDもかなりなくなってしまいました。福岡でキッドの話しが出来る方いませんか?是非、オフ会しましょう。

ノンさん(7/4)
 突然ですが、恭兵さんの子供さんって今幾つくらいになっておられるんでしょうか?確か、鮎くん?っていう名前の子供さんがいたと思うんですけど。全然当てすっぽだけど、高校生くらいになってたりするのかな?
 昔、私も相当入れ込んでいたんで、事務所宛てにベビー用の靴を送ったりしたこともありました。
 なにかそんな情報ご存知の方おられたら教えてほしいです・・・あんまりプライベートな話題はだめなのかな・・・・?もしよければって事で。

イリちゃん(7/4)
>井上さん。
 ぼくも支持会会員には至りました。しかし、57年度です。井上さんは大先輩です。
 すごいですね。本格的ではないですか!当時のKIDの人たち、みなさん、井上さんのことをご存じなのでは?ぼくはシアター365は、ぎりぎり見ていません。
 それにしてもすごいですね。峰さんとそんなことをされていたなんて!
 
>ノンさん。
 59年6月生まれだそうですから、ちょうど16になったばかり。ノンさん大当たりですね。もう、鮎くんも、インターネットしていてもおかしくないですね(^^;)
 すごいですね。今、その靴、どうなってるんでしょうね。

ノンさん(7/5)
 そっかー。私のあてすっぽ。あたってたんですね。もうあゆくんも16さいなのかあ。早いもんだなあ。そりゃ自分も年取ってるはずだわ。
 で、ちなみに今ふと思ったんですが、鮎君の鮎って言うのは恭兵さんちが魚屋さんだったところから来てるんだなあ・・・・って。きっと99パーセント???鮎―!なんて言って呼んだりしてるんでしょうねえ。そりゃあ。
 私は今、柳美里さんの最新作の命を読もうとしているところです。きっと、東さんへの気持ちも一杯入った作品だと思うし、その辺のところも読んでみたいと思っています。

イリちゃん(7/15)
>ノンさん。
 SHOUTのコンサートのとき、恭兵さんが語ってたんだけど、姓名判断してもらって、16画の漢字がいいとか、ア行とかハ行の字がいいって言われたそうです。それで、「鮎」に。よく見ると鮎みたいな顔してるからって納得したみたい。魚新と関係がないこともないでしょうね(^^;)。そのほかの候補には「羆(ひぐま)」があったそうです。「柴田羆」(^^;)
>なおりさん。
 KYOHEI LIVEといえば、伊藤園のCMですね。
 LIVE版の「ROLLIN'DOWN」と「君だけでいい」と「LOVE CONNECTION」が、なぜか2年後の58年の恭兵さんのコマーシャル「ブラックウーロン伊藤園」で使われました。突然テレビから「ROLLIN'DOWN」とかが流れると、非常にあせったものでしだ(^^;)。聞き慣れていて、かつ、世間で流れてない歌だったから(^^;)。プレーヤーからではなく、テレビから聞こえるのが不思議でした。流れていいのかな(^^;)、まで思いました。恭兵さんのキャッチコピーの文句は、「燃える舞台(トキ)に、乾杯」。日曜日のカインのポスターにも書かれています。

なおりさん(7/15)
 日曜日のカインに載ってる伊藤園の広告見たことあります!っていうか、パンフを持ってるから、今、見てるんですけど(笑)
 前に別のところでも言ったことあるんですが、このウーロン茶が「BLACK」で「ノンシュガー」であるというコピーが付いていたのが、初めて見たとき理解できませんでした(^^; 今のウーロン茶って、無糖が当然でしょ?(^^;
 でも、「ROLLIN' DOWN」や「LOVE CONNECTION」でウーロン茶のCMって、想像がつきません(^^; この黄色いシャツを着た恭兵さんがそのままCMに出ていたんですか?(^^;

イリちゃん(7/21)
 LIVEの舞台が映像で少し流れるんですよ、たしか。忘れちゃった。天まであがれ!2の提供じゃなかったのかな。あとで、ビデオ調べてみます。
 たしか、ウーロン茶の市販って、伊藤園が最初のメーカーだったんじゃないですか?だから、「BLACK」とか「無糖」とか、敢えて説明していた。ぼくの場合、このCMが流れても、「ウーロン茶」って、何?(^^;)って感じで、どんなお茶かわからないから、すぐ飲まなかったです(^^;)。このころまでは、食事のお供は麦茶が主流でしたよね。今はウーロン茶の方がおいしく飲めるけど。

寺井さん(7/21)
 東さんが亡くなって20年ぶりにKIDの事色々思い出していました。久しぶりにマージさんともTELで話したり、こうやってイリちゃんのようにMailをくれて、とてもなつかしく嬉しくおもいます。
 アンデルセンはよく覚えています、幕開けの冒頭のシーンで短い台詞がありました(あのとき確かバイクで登場したように記憶してます・・・)あのシーンの稽古の時プロレスの技をして東さんに誉められたの覚えてます・・・。
 KIDのみんながバラバラになってしまった事は友達から聞いていました・・・どうしてそうなったのか・・わかるような気がします、KIDは日々に自分を追い込んでいくところだったから・・・・・東さんも、団員も、みんな苦しんでいました。
 東さんはよく芝居をするな!って怒るから舞台の上に毎日の現実を作ろうと必死でした。私達はいつも本当に笑って、泣いていた・・・・今になって思う・・・いまでも稽古している夢とか見てしまうの・・あんな日々は二度とない、今の現実が何と白けた芝居のように。

イリちゃん(8/2)
 アンデルセン、日生劇場で見ました。「心に空き地を」をコーラスしているときの、舞台のライトがきれいでした。
 寺井さんのセリフ、ありましたよ。
 「私も、タイガーマスクでしょう、天才バカボン、リボンの騎士、ガンダム、ドクタースランプなんて、一回もかかしたことなかったわ」
 こんなセリフじゃありませんでしたか?覚えておられますか?(^^;)
 それにしても・・・・そうなんですか・・・・KIDは、そこまで、きついところだったんですね・・・・現実と芝居がわからなくなるなんて・・・・みんな役者さんたち、苦しんでいたんですね。
 自分を追い込むって、想像がつかない・・・・

LUCK-1さん(10/7)
 本日、キッドOBの長倉恭一(萬治)さんの訃報を知った。なんとも言えない思いで、あります。彼とは、72年のヨーロッパ公演で、苦楽を共にした仲間なのであります。仲間と言うと、かなり親しい付き合いと思うでしょう。ところが、どっこい、おそらく73年頃以降は、おつき合いらしきものがなかったわけです。自分は郷里、福島県郡山市に戻りましたから。ただ、これから記す中には、日本のITどころか、かの『宝島』もビックリする面白い事があるかも。
 千駄ヶ谷、原宿(今のように煩いころではなく、通の集まるところでした)。自分は当時は、一世を風靡した、あの青山VAN本社のグラフィックデザイナー。ただ、キッド団員ではなかった。東さんや、深水、長倉さんなどと接触があった。仲間は、カメラマンの青石(通称、青ちゃん)、香川冬馬(通称、香川ちゃん)、日本発の世界のトップモデル、今も健在な美貌、山口小夜子(通称、兎ちゃん)、深水山章(ミュージシャン、作曲家、下田逸朗の弟)、そして東さん、これらの面々と語り合い、1972年、ついに、若者約40人のキッド旅行団なるものを結成、『南総里見八犬伝』をひっさげてヨーロッパに遠征!?したというわけです。
 オランダのアムスでは、寺山さん率いる『天井桟敷』と合流、ついてきた、通称、作家らしき女優!?鈴木いづみ他を、豊富なハッシシとオレンジサンシャイン(LSDみたいなもの)で出向かいたわけでありました。この、異体の知れない変な60人(キッド関係者と旅行団参加者、古沢憲吾監督率いる映画撮影スタッフ)のジプシー隊列(2台のポンコツなベンツのバス)を指揮したのが、何と、長倉恭一(通称、長倉さん)だったわけです。確かに、この時の我々一行は、観光客の日本人も変な外人と見る程、アムスのダム広場のヒッピー顔負けの風体だったのです。いわゆる、その辺のお兄ちゃんや、お姉ちゃんの形だけの、ファッションヒッピーではなしに、本物だったわけです。だから、フランスでも、ベルギーでも恐れられた?!みたいです。ブリュッセルでは、ニューヨークタイムズにマーロン・ブランドの再来と言われた『黄金バット』の彼が、模造の日本刀をかざして公演のデモをグランパレスでやっていたら、機関銃を持った警官が5〜6人パトカーらしき装甲車で乗り込み、機関銃で威嚇され、数人が逮捕されたこともあったくらいですから。この事件で警察を説得したのは、長倉さんだったと記憶しています。長倉さんがいなかったら、大変だったでしょう。1ヵ月くらい拘留されたかもしれません。
 とにかく、話せばキリが無いですから、またにしますが。自分は、キッド団員ではなく、いわゆるキッド側からは、異邦人です。しかし、自分の青春時代にしめる、キッドの経験は現在の生き方や、ビジネスにも、いろいろと、生かされています。 
 長倉さん、本当に楽しい時代を、ありがとう。長倉さんが、ベンツのバスの運ちゃんに、かたことの仏語で、相手を解らせる、あの、『シルブプレ、ムッシュ…』で始まる語り口が、今でも、正確に耳に残っていますよ。長倉さん、ゆっくり休んで下さい。キッドにかかわった、多くの仲間達もみなきっと同じ気持です。『本当にありがとう。長倉さん。』と。小生のことは、1972年頃のキッド関係者には、シギチャン(通称)でわかるかな?

イリちゃん(10/12)
 ぼくも、6日に、亡くなったことをお聞きしました。驚きました。東さんが亡くなって半年だというのに。長倉さんの著書「黄金バット」を、5,6年前に読みました。また、読み返してみようかと思います。
 山口小夜子さんは、その後、「ピーターソンの鳥」にも出ていらっしゃいましたね。「八犬伝」の話は、12月頃、BSで放映するそうですから、これは、ちょうどいいですね。LUCK-1さんも懐かしめられるのではないでしょうか。ぼくも今から楽しみです。
 「黄金バット」を読まれてない方は、12月までに読まれればいいと思います。そして、BSを見る。今は、文庫で出ているみたいですので、簡単に手に入るでしょう。ぼくも、「十月」以前の舞台に、最近興味津々で、勉強中です。
 ぼくの青春時代も、LUCK-1さんとは時代こそ違いすれ、今の生き方のベースになったものです。「夢を見る生き方と現実的な生き方」とか、「愛を選ぶか友情を選ぶか」とか。今、KIDが風化していく危機に瀕しています。しかし、東さんの伝えたかったメッセージ性というものは、このままなくなってもらっては困るんです。こんな時代ですから、現代の生き方、将来の生き方への糧にならなくては。
 「KIDの精神を現代に伝えたい」。なぜこのような力が生み出るのかと言えば、それは、舞台を見て、東さんのメッセージを素直に受け止めたからに相違ありません。その点、KIDは、演じる役者さんたちだけでなく、「素直に」受け止めてしまったファンたちにも、後遺症(^^;)を残すのです。KIDは、決して無責任に、風化していってはならないのです。ぼくは、舞台を見続けてきました。ぼくの青春は、KIDや恭兵さんに創り上げられたと言ってもいいでしょう。やがてそれは、人生観へと変わりました。つまり、KIDの精神は、今もぼくの中で生き続けています。KIDのお芝居を最近ざーっと見て思うことは、どの舞台も、「夢と現実の葛藤」「自分の生き方と愛」など、テーマは同じだった、ということです。つまり、東さんのメッセージなるものは、一貫して変わらず、どんな時代にも発信されていたのです。

イリちゃん(10/29)
 驚きました。今、「体験時代」というドラマ(最終回)を見ていたら、いきなり、ハメールンの「キャリアガールブギ」が!。流れたんです、突然。耳を疑いました。なぜ?「体験時代」というのは、昭和54年のドラマで、沖雅也さんが出ているので見ていたのですが、KIDの、しかも恭兵さんと関係ない曲が、こうしてテレビドラマに採用されているのは初耳!。「体験時代」に、KIDの誰かメンバーがゲストで出ていたのでしょうか。それならまだ話が分かりますが、とにかく情報としてぼくは知らなかった。内容的には、相本久美子さんや竹田かほりさんや石田えりさんや清水めぐみさんらが、「キャリアガールズ」という名前のグループなので、歌の採用は自然は自然ですが、よくKIDのハメールンまで行き届いたものです(^^;)。関係者がいないとは思えません。もしかして宇崎竜童さん関係だろうか・・・・。
 それにしても、KIDとは関係ないけど、やはり黄金期(53、54年)のドラマはいいですね。(また病気が始まりました(^^;))。ほんと、いいです。まずキャスティングがいい。沖さんでしょ、竹田かほりさんはプロハンター等で、石田えりさんは天まであがれ!で、清水めぐみさんは俺天(8話相続人の加納里子)で恭兵さんと共演している人たちだし。
 とにかく、CSに入られている方は、31日3日にリピートがありますので、ご覧ください。不思議な感覚になりますよ!

パタさん(11/11)
 シアター365時代の「冬のシンガポール」からのKIDのファンです。今も、北村さんとはお友達としておつき合いさせてもらっています。と言っても、お芝居を通してですが・・・。飯山さんからもDMもらっています。萩原君、日向君もお芝居があると連絡が来ます。懐かしいところで、山賀君という昔研究生だった人とも知り合いです。特別に恭兵ファンというわけではないのですが、昔は結婚するなら、恭兵さん!!と勝手に決めていた高校生でした。ん〜〜、懐かしい{{(>−<)}}「ペルーの野球」は20回近く観ました。私や友達の結婚式では女4人で「キッチンの窓」を歌いました。

イリちゃん(11/12)
 あ、そうですか!ぼくもそのころファンになったのですが、365の柱は結局見られませんでした。北村さんからは、5月頃、電話をいただきまして、KIDのこれからについて、話してもらいました。ご存じだと思いますが、北村さんはどちらかというと、東さんあってのKID、という考え方で、今はファンとも交流できない、もう少し待ってください、ということでした。ぼくは、名ばかりのKIDでは、月日が経つに連れ、過去の栄光が風化してしまうのではと思い、一ファンとして心配しています。飯山さんともこのあいだお会いしました。古い役者さんたちも、KIDのことを、どうにか今の生活に結びつけたいと思われているみたいです。ぼくの考え方と同じだったので、うれしかったです。日向さんや山賀さんは、残念ながら存じ上げません。山賀さんは、何期の研究生でしょう?
 すごいですね!ペルー。20回!ぼくは3回。いや、再演も行ったので計4回かな。これでも多いと思っていたのに。だって、お金が・・・・。「キッチンの窓」、結婚式で歌ったら、絶対泣いちゃうと思うな。あれは、坪田さん、金井さん、北村さん、大塚さん4人の歌でしたね。そのとおり4人で歌われたんですね。アカペラでも臨場感出るかな、あのスローミュージックは。ペルーは、「トライアングル」とか「誰でもいいから」あたりの歌を聴くと、ぼくは目が潤んできます。よかったですよねー、ペルー。

パタさん(11/12)
 飯山さんは、私にとっては遠い人ってイメージで・・・。「日曜日のカイン」の時に柴田さんとダブルキャストをしたじゃないですか。今まで3枚目か、味のある脇役って感じだった飯山さんが2枚目の主役をやったときに、惚れ直したというか、もうすっごく大好きになったんですよね〜〜。で、ず〜〜っと理想の男性だったんですけど、ある日突然KIDを卒業してしまって、行方知れず(私にとって)。
 山賀君。何期でしょう??私っていい加減なヤツでして、数字とか、あと歌の題名とかをちゃんと憶えてないんですよね〜〜。申し訳ありません <(_ _)>彼は、研究生が膨大にいて、3グループぐらいに分かれてKIDのメンバーがアメリカに公演に行っているとき、ワークショップで研究生公演をやっていた時代の研究生です。今は青年座の役者やってます。来週から下北で芝居やるそうです。
 「キッチンの窓」。もう結婚式の時に絶対歌うぞって、決めてたんです。を花嫁が歌うんです。4人とも結婚したので、全員ひととおり歌いました。KIDの台本の本があったでしょ。あれを式場のエレクトーンの人に渡して演奏してもらいました。でも、最後の花嫁、私の式の時、バタバタしていて本を返してもらうのを忘れたようで、4冊目の本がありません(;_; )( ;_;)どこかで売ってないですかね〜〜。

イリちゃん(11/14)
 そうですよね。主役はいますからねえ(^^;)。だけど、飯山さんの役は、どれも好きですよ。アンデルセンのシュミット、藍の色の輝彦、ペルーの善太、ポアロの工場長・・・・。恭兵さんと対立する役が多いから、逆に、飯山さんの役の考え方にも、なぜか同情しちゃうんですよ。それから、飯山さんそのものが素敵ですもんね。大体、ファンとの催しのとき、しきり役をされるじゃないですか。面白いし、優しいですよね。ぼくは、頭なでられたり、ワイン飲まされたり(^^;)したことがあったけど・・・・
 SHIROのときですか?じゃあ、「WORKSHOP白書」かな。ということは、6期?北野さんや室伏さんと一緒ですかな。
 売っておりますよ。あとで別途連絡いたします。ぼくも、あの4巻はボロボロなんです。学園祭で、ペルーをやったんですよ。そのとき使っちゃって。太郎とサチと竜夫と善太の4人だけ(^^;)。それでもうまくいきましたよ。でも、「9(ナイン)」を歌ったのは変だったかな(^^;)。使った歌は、「9」と「いつか青空の下で」の2曲。ぼくは「北京のギャング」と「トライアングル」も歌いたかったんだけど、これ以上覚えられない、と友だちに言われて(^^;)、諦めました。

パタさん(11/17)
 KIDのグッズも結構持っています。主にTシャツですが、(着古してるけど)捜せば、便せん封筒とか20周年記念のリュックとかでてきそうな気が・・・。
 SHIROも大好き!!坪田さんの「椿の花のように散りたい」みたいな台詞と、飯山さんの「私はあなたが好きでした」みたいな台詞を(昔はおぼえてたんですけど・・・・、)友達と言い合って、SHIROごっこをしたモノです。
 なんだか、ここのところウキウキしてて、なんでだろうと思っていたら、昔のKIDのことを色々思い出したりしているから、なんですね。KIDに夢中になっていた頃に戻ったみたいな気持ちです。
 確か、KIDが20周年の時だったと思うのですが、アンケートに「今までに印象に残っているシーンベスト5」みたいなのがあって、私が書いたのが、

  『ハメールンの笛のオープニングシーン』
  『ペルーの野球の竜夫の登場シーン(ちょっと待った!と客席からでてくる時、私は客席の方ばかり見てたっけ)』
  『さくらんぼ戦争の2幕目オープニングの男優たちの女装』
  『十二月の夢の雪の降るシーン』
  後ひとつなんだったかな〜、多分『シアター365の冬のシンガポールのなにか』

だと思います。
 で、友達が、何を書こうと悩んでいたので、私が薦めたのは・・・、《スーパーマーケットロマンスの柴田さんのピーターパン》でした!!お後がよろしいようで・・・・・o(>< )o o( ><)o
 イリさんのHPのコメントによく「青春のアンデルセン」のことが出てきますよね?ビデオを持っているって事ですか??

イリちゃん(11/18)
 Tシャツは、ぼくも何枚か持っています。シンガポール、ペルー、CHERRY WARS・・・あれ、整理してみないと思い出せない(^^;)
 CHERRY WARSのTシャツはすごかった。袖無しに、シャツ全体に大きな「×」!女の人は着られなかったんじゃないですか?(^^;)。ペルーは、太郎のセリフが書いてあるんですよね。もう、今はないけど、たしか前半幕前のセリフ。

  おおい、サチ。俺が世界でいちばん好きなサチ。帰ったぞ。
  機嫌を直せ、俺があやまるから、ゴメン俺が悪かった。
  だけど、人間には一つぐらい欠点というものがあるんだってことを
  分かってくれなければいけないぞ、サチ。
  俺の欠点は・・・・「ペルーの野球」。
  なあ、サチ、人は強さによって結びつくんじゃないんだ。
  お互いの弱さ、悩みや苦しみで結びあうんだ。

 これが、シャツ全体に書かれている(^^;)
 古城さんの「ちょっと待った!」ですね。覚えてます覚えてます!狭いワークショップだから、驚きますよね(^^;)。でも、やっぱりいちばん驚くのは、冒頭の善太。「やあ!ぼくは善太だ!」(^^;)。あれ、飯山さん、わざと狙ってますよね(^^;)。だって、4回見に行って、あとの3回はぼくは知ってたけど、他のお客さん、みんな驚いてたもん。なかには小さく悲鳴あげてる人もいた(^^;)
 CHERRY WARSの2幕目オープニングのシーン・・・・、ぼくもすごい想い出があるんですよ。とりあえず、レス、ここで切りますね。

イリちゃん(11/19)
 CHERRY WARSの後半頭ですね。あの格好で、ぼく、ビックブラザーに頭を抱きつかれたんですよ(^^;)。ぼくあのころ、整理券で「1」をもらうことが多くて、整理券「1」って、ワークショップでも、最前列のど真ん中になりますよね。CHERRYは、たしかPARCOpart3だったけど、やはり整理券「1」だったんですよ。それで、そんな場所に、男子学生がちょこんと座っているわけだから、狙われる(^^;)。耳元で恭兵さんに、「ごめんね」って言われました(^^;)
 十二月、「♪心を癒せ〜粉雪よ〜」の場面ですね。武道館だったから、舞台中央に道がありましたね。
 アンデルセンは、ぼくのHPの趣旨から言って、「青春」が付きますから、放っておけないですね(^^;)。ぼくにとって、歌もストーリーもパーフェクトなんです。40代を迎えるにあたって、現在のところ、いちばんのバイブルですね。ビデオは、持ってます、けっこう。9日に八犬伝もありますしね!

パタさん(11/19)
 CHERRYのTシャツ。着ましたf(^_^;)。確か、その下にもう一枚Tシャツを着て、重ね着した覚えがあります。パンクっぽくて(?)かっこよかったような・・・・・???
 SHIROは・・・、何回観たかな〜〜。なんだかとても好きで、尺八とかの音楽もとてもよかったですよね。どうも時代劇が好きみたいで(舞台のですよ)。今も小劇場で時代劇をやっていると、ついつい惹かれてしまいます。KIDの時代劇はSHIROしか知りませんが。当時、行ったんですよ!!九州まで!!わざわざ島原まで、お守りを授かりに(((((((^_^;)。でも、いくら捜しても島原にはお守りをもらえるような神社なんてなくて、結局、お守りは手に入らなくて・・・。四郎はどこでお守りを授かったんだ〜〜!!って。おかげさまで、島原の乱に詳しくなって帰ってきましたが・・・。飯山さんのやっていた役の人と峰さんの役の人が実在の人物だったんです。すごく感動したのを憶えています。
 カインは・・・、何回観たかな〜〜。SHIRO・ペルー・カイン・さくらんぼ、このころ一番通っていました。その後はだいたい1公演に1,2回しか見てないんですが。カインの時はボクシングのシーンを見るに耐えなかったわりには、よく行きましたね〜{{(>−<)}}
 ハメールンのオープニング。え〜〜っと、今となっては、この記憶が正しいのか、はっきりわからないのですが、なんせ、ずいぶん前に2回観ただけなので、自分で記憶を書き換えているかも知れませんが。私が観たのは、柴田さん三浦さん2人とも出ているバージョンです。確か、霧がボワ〜〜〜と漂ってきて、まだ幕が上がらず、幕の前に、三浦さんとアリスが出てきて、台詞を語り始める、と言う感じだと思います。どんな台詞??と言われても困るのですが、アリスの役が、13才(確か??)の頃から成長が(脳の?)止まってしまった女性の役で、大人なのに子供の心でいるって感じで、幼い、可愛い台詞を語るのかな、それに恋人の三浦さんが答えるみたいな・・・。だったと思うんです。知っている方で、違う!!と言われる人もいるかも知れませんが。そういえば、どんなストーリーだったか、詳しく説明できない!!ポツポツと印象的なシーンは思い出せるんだけど・・・。

イリちゃん(11/20)
 CHERRYのTシャツ。着たんですか(^^;)。色、何色でした?ぼくは、薄緑。
 SHIRO。増田甚兵衛ですか。飯山さんの小左衛門は、名字は何というのだろう。ぼくは、大学時代に長崎に行きましたが、島原は行かなかったような・・・・
 カイン。あの観客席・・・・あれが強烈すぎて、ストーリーに身が入らなかった(^^;)
 ハメールン。ええ、ええ。初のWキャストシステム。恭兵さんがお休みのときは、笛吹を三浦さんがやり、三浦さんの役を小池さんがやるんですよね?

パタさん(11/21)
 私は、深緑(?)。薄緑ではなかったような気がします。大好きだったのは、カインのTシャツです。ノースリーブでした。白と青があったと思うのですが、私は青。なんでよかったかというと、字が小さかったんですヾ(- -;)。着ていて恥ずかしくなかったし・・・、デザインも素敵でした。
 SHIRO。それがですね〜〜、笑っちゃうような話ですが、どうしても小左衛門の名字がわからなっかたんです。昔の人だから、名字がなかったんでしょうか??
 押入のかたづけは終わりまして、KIDのパンフは全部出てきました。ところが・・・、いくら捜しても、ハメールンのパンフだけがないんです(◎o◎;)。他のモノは全部あるんですが・・・。もう忘れてしまっているような研究生公演のパンフとかもあるのに。なんでだろう??もしかして、ハメールンの時だけパンフがなかったなんて事はないですよね。どなたかわかる方はいらしゃらないでしょうか?あわててチラシを見てみたのですが、やはりチラシには何も書いてないし・・・。

イリちゃん(11/23)
 ああ、深緑でした!ぼくもそれです!たぶん同じものでしょう。カインのTシャツ!そういえば持ってた!字が小さいのというので思い出した!そうそう。首のところに、金色(?)で小さく、「Cain on sunday」(たしか)と書かれていた・・・・。ぼくは白を買いました。
 あのころ、WORKSHOPでバザー開いてましたよね。行かれました?もしかして支持会だけだったかな。で、衣装買いまくったんですよ。最初のバザーのとき、見たことのあるジャンバーが目に映ったんです。間違いなく恭兵さんの衣装だってことは分かったんだけど、ただ置かれているだけだから(^^;)、KIDの人(どなただったか忘れた)に聞いて、そしたら、「オリーブのときよ」って言われて。1,000円でした。行くたんびに何千円分も買っていたので、まだ有名な衣装は買ってたはずなんだけど、もう残ってないし、忘れちゃったんですよね(^^;)。シンガポールかキッチンのとき使っていた黒の蝶ネクタイはまだあるかも・・・・。ハメールンや赤い嵐のとき着てた「Billy」のスタジャンがあるかなあ、なんて思いながら探していたのを思い出します・・・・

パタさん(11/23)
 行った記憶あります。ちなみに私も支持会員でした。写真付きの会員証大事にとってあるはずです(どこだろ?)。バザーで何を買ったかな〜〜、記憶にないです。残念。浜松町のKIDシアターを閉めるときにも、バザーをやったんです。これは、最近(?)の話なので、何を買ったか憶えてますが。今思えば、もっと衣装とか買っとけばよっかたな〜。
 新年会の話。青山ベルコモンズでのKIDの新年会は、行ってないのかな〜、記憶がないです。でも、ラフォーレのときは、憶えています。柴田・三浦・飯山の3人で、「酒飲み音頭(?)」を歌ったんですよね。今思うと、すごい3ショットです。

奥田さん(11/25)
 「See You Tomorrow」はアルゴというミュージカル集団が90年代にカバーしたものがあります。しかし、もともとは、「TURN ON THE HEART」という題名で80年ごろ、New York Fire Crackers(NFC)が歌っています。懸賞非売品の「キッチン」もええです。小椋さんの若い頃の声で、アレンジも萩田光雄です。

  @誰にでも口づけを                      唄前田美波里  詞藤村渉  曲小椋佳  編安田裕美(78)
  A約束ということ                       唄平 浩二 詞・曲小椋 佳 編荻田光雄(79.7)
  B哀しみのキッチン                      詞・曲小椋 佳 編荻田光雄 唄小椋佳
  CTURN ON THE HEAT               詞・曲小椋 佳 編福井峻 唄NEWYORK FIRE CRACKERS(NFC)&小椋佳
  DSee You Tomorrow                   詞・曲小椋 佳 編福井峻 唄アルゴ合唱団&小椋佳
  ESEE YOU TOMORROW (オルゴールバージョン)  詞・曲小椋 佳 編小坂明子   
  FSee You Tomorrow (Ver.98)             詞・曲小椋 佳 編甲斐正人 唄アルゴ合唱団   

@、Aはさっき気付きました。意外なひとが歌っているのです。C、Dは微妙に歌詞が違うだけです。Bは編荻田光雄ですがKIDのとはまるでアレンジが違います

イリちゃん(11/25)
 ありがとうございます。他に小椋佳さんのデータベースを見て、引っかかったものを列挙いたします。

  ・次の街へ(ヤングゼネレーション)
  ・縦縞のシャツを着て(タンポポ)
  ・縦縞のシャツを着て(秋本祐子)

 とくにこの「次の街へ」が気になっています。
 「藍の色」は全曲小椋さんですが、実は、1曲抜けています。「酔いがさめれば」という歌なのですが、なぜかLPに入っていません。おもしろい歌ですよ。
 あ、それから、小椋さん関係のEPもあります。

  ・「縦縞のシャツを着て/十月は黄昏の国」(坪田直子)
  ・「LOVE CONNECTION/その蒼い手を」(柴田恭兵)
  ・「ピア・アンジェリ/哀しみのキッチン」(坪田直子)

 カインの「See you tomorrow」、今、メロディラインが甦ってきました。全曲集を整理していて、ポルカのエンディングでも歌われていたのを思い出しました。



なおりさん(11/28)
 マンハッタン、見ました。なんか、やっぱり、今の時期見るといろいろ考えさせられるかも・・・(^^;。マンハッタンって、今見ても、けっこうメッセージ性ありますよね。私の周りでも、「何かやりたいけど、何をしていいのか分かんない」っていう人いっぱいいるし。で、イリちゃんが気になってるという最後の英語の歌ですが、あれ、やっぱり、耳につきますね。ビデオ見てから、頭の中をぐるぐるしてます・・・(笑)マンハッタンに出てる曲って、みんなKIDオリジナルなのですか?それとも、他のジャズを転用したりしてるの?何か、私も気になってきた・・・(笑)
 ところで、「ハローアイランド」とか「マナイヤマシーナ」って、マンハッタンで使ってましたっけ?

イリちゃん(11/28)
 考えさせられますよねえ、ホントに。英語の歌、やっぱり、まとわりつきますよね(^^;)。あれは、他のジャズの転用じゃないですか。最後、テロップに紹介されてませんし。
 サラムム曲。序盤で使ってますよ。リンダと会うシーンとかで。それから、いきなりスタートの空港でアップテンポな音楽。あれが「南十字星」です。この歌いい曲なのに、なんでサラムムで使ってないんでしょう。

なおりさん(11/29)
 深野義和さん、私が小学生から中学生ぐらいのころ、AMラジオのローカル番組でDJやってました。4,5年間やってたような気がするけど、記憶が曖昧っす(^^;。土曜日の午後1時から5時間くらいやってるリクエスト番組みたいなヤツですけどね。記憶が定かじゃないんだけど、私が恭兵さんのファンになったきっかけがAMラジオから聞こえてきた「ランニング・ショット」で、確かその時、恭兵さんの電話インタビューがあったんですよ。もしかすると、それって、深野さんの番組だったかもしれないって思います。だから、恭兵さんのCDというか、「遠い国のポルカ」のCDを見て、深野さんの名前があったとき、ちょっとびっくりした記憶があります。

なおりさん(11/30)
 横浜KIDって、有名だったんですか?(^^;
 私に教えてくれた友達は、確か、「オリーブの枝」を見たとか言ってたような気がします。
 横浜キッドって、東京キッド公認だったんですか?

イリちゃん(11/30)
 深野さんは、下田さん、小椋さんに続き、KIDとは切っても切れない作曲家ですね。十二月の夢のとき、舞台に上がって何曲か歌歌ってたくらいですから(^^;)。「あなたはどこへ行くの」とか。
 横浜キッドブラザース。もちろんKID公認でしたよ。えーと、いつかのパンフにも、応援してくださいって書いてありましたし。一時的だったから有名かどうかわからないけど、「ぴあ」とかにも載ってましたよ。でも、オリーブもやってたんだ・・・・。ぼくはシンガポールを観たことありますけど。