Q2.あなたが、もう1度聞いてみたいKIDの曲は何ですか? |
1 |
哀しみのキッチン(キッチン) |
35 |
2 |
この街のことを(復活版) |
25 |
3 |
たとえ捩れた青春でも(藍の色) |
18 |
3 |
冬のピクニック(キッチン) |
18 |
3 |
オリーブの枝(オリーブ) |
18 |
6 |
いつか青空の下で(ペルー) |
17 |
6 |
約束の地(ブルックリン) |
17 |
8 |
次の街へ(藍の色) |
14 |
8 |
君が人生の時(ポルカ) |
14 |
10 |
TOMORROW(オリーブ) |
13 |
10 |
胸に響く言葉(キッチン) |
13 |
10 |
LIKE A HARD DAYS NIGHT(キッチン) |
13 |
13 |
FILM(キッチン) |
12 |
14 |
心に空き地を(アンデルセン) |
11 |
14 |
ハンド・イン・ハンド(ハメールン) |
11 |
16 |
時の魔法(シンガポール) |
9 |
16 |
雪が降れば(ドア) |
9 |
16 |
夕空晴れて(夕空) |
9 |
19 |
憤りがあるうちならば(ポアロ) |
8 |
19 |
君住む街(ハメールン) |
8 |
19 |
言葉のレッスン(サラムム) |
8 |
19 |
恋歌(夕空) |
8 |
23 |
僕等の四季(シンガポール) |
7 |
23 |
冬のシンガポール(シンガポール) |
7 |
23 |
二度とない時間(ポアロ) |
7 |
23 |
葡萄畑で夢を見て(ラビット) |
7 |
27 |
その蒼い手を(メロス) |
6 |
27 |
白鳥(アンデルセン) |
6 |
27 |
時はロマンス(ロマンス) |
6 |
27 |
ピンクのエンサイクロペディア(藍の色) |
6 |
27 |
デュエット(藍の色) |
6 |
27 |
十月は黄昏の国(十月) |
6 |
27 |
心は孤独な(ポアロ) |
6 |
27 |
メリーゴーランド(メロス) |
6 |
27 |
ハメールンの笛(ハメールン) |
6 |
27 |
いつかライトをあびて(藍の色) |
6 |
27 |
大人になる前に(ポルカ) |
6 |
27 |
ステージ・ドア(KID) |
6 |
27 |
なぜ?(夕空) |
6 |
|
Q3.KIDの公演やKIDの役者さんなどについて、あなたの思い出があれば、お聞かせ下さい。 |
◆KIDのほとんどの作品を公演しました。私の青春の1ページです。でも青春が終わったわけではありません。
◆一番見たのは、藍の色と哀しみのキッチンです。ダブルキャストの時は両方みました。なんとなく柴田さんが出ている時の方が良かったような気がします。暑くて息苦しくて、具合が悪くなった時もあったけど、WORKSHOP大好きでした。
◆私は『MUSIKAL KID』から、KIDにはまってしまい、公演を見たりリハーサルも見せてもらったりして、自分自身についていろいろ考えさせてもらいました。時には涙したり、時にはたくさんの勇気をもらいました。そして今も、たくさんの勇気をもらっています。いつか又、KIDの芝居を見れることを願っています。
◆中学時代いじめにあっていた私が、こんな年まで生きているのは、『キッド』の歌があったからだと思う。
◆飯山さんのファンになり、初めて見た作品が『夢の湖』でした。お芝居を見終わったら、涙があふれていたことを覚えています。途中、KID THEATERでの上演が主になってしまったため、『櫻組』以降は見ていませんが・・・。今も飯山さんが大好きです。フィナーレがおわって、一人一人に握手をしていただけて、劇場を出ても感動が持続したまま帰えれる。とても幸せな思い出です。キッドの歌って、スッと心に入ってきて、ずっと残りつづけるのが多いと思います。またそのステキな歌に触れられることが出来るなんて・・ありがとうございます。
◆語り尽くせないほどの思い出があります。大好きでした。たくさん好きな歌があったんですが・・・・題名が一致しなくて、残念です。でも、CDが発売されたら 誰にも邪魔されない所で、ゆっくり、ひとりで聴きたいです。こんなステキなCDを企画して下さって有難うございます。今からとても楽しみです。
◆初めてキッドの舞台を見たのは中学2年の時、自分の中で何かがはじけたような感じでした。すごく感動したのを覚えています。ミュージカルはもちろんですが、お芝居が始まる前役者さんが舞台へでてきてお喋りしてくれたり、終わってからロビーで握手してくれたり、とっても楽しい時間でした。
◆地方に住んでいる為なかなかKIDを見に行くことができませんでした。でも、私の中にはいつもKIDがいて励ましてくれました。役者さん達を見ていると自分もがんばって進んでいこうと思いました。
◆長戸さん、水谷さんの舞台を観たくて、方向音痴の私が、たった一人で、長野から仙台まで・・そう今のこのお盆の時期、行きました(^-^)
◆キッドにあこがれていた人間の一人です。キッドのミュージカルが大好きで、そしていつか私もキッドのメンバーになる!!っていうミュージカルにあこがれていた。夢が叶い、キッドの研究生に入ったものの、わずか三ヶ月で退団。でも、今でもミュージカルではないけれど、ダンスっていう物と出会い、夢はおい続けています。こうやって、好きなものと巡りあえたこと、やりつづけていられる事ってきっと、キッドが教えてくれたのかもしれない・・って思う今日このごろ。
◆二月のサーカス----地方に住んでいる高校生の頃、バイト代を貯めて、親に内緒で、始発に乗って東京に観に行きました。はまってましたねえ〜
◆磯部さんや、萩原好峰さんの大ファンでした。切れのあるダンスにほれました。他のミュージカルとは違う雰囲気がたいへん好きでした。
◆小学生の頃から、毎年公演を観にいっていました。一度だけ、東さんが楽屋に連れていってくれ、役者のみなさんの楽屋をのぞかせてもらいました。役者さんに話し掛けたくても、緊張して何も話せませんでしたが、飯山さんが優しく話し掛けてくれ、とても嬉しかったことを覚えています。
◆恭兵さんが好きになって観始めたのが22年前位、皆が汗びっしょりでかまわず歌い叫んでいるのを見て、鳥肌が立ったのを良く覚えています。恭兵さんから電話を一度だけもらった事があります。芝居の感想を手紙に書いたからです。また観に来てねと言われたけど、当時は友人も信じてくれなかったのが寂しかった。それほど恭兵さん人気はすごかった。
◆初めて、キッドの舞台を観たとき、今まで感じたことのない感動とショックで、終わった後もしばらくは立ち上がれませんでした。それ以来、観るたびにパワーとエネルギーをもらいました。わたしにとって、キッドは青春そのものでした。
◆公演自体は知らないんですが、遠い国のポルカの(当時)LPを持っていて、その曲で何度となく泣いて、元気づけられたか。。。今でも口ずさむだけで、胸が熱くなります。
◆公演の度に役者さんが変わっているのがドキドキしました。
◆なんと言っても恭兵さんです。私が初めて芝居を見たのがKIDで、その時主役をしていたのが恭兵さんでした。それからずっと芝居が、恭兵さんが好き。あの頃の恭兵さん、可能性の塊みたいでした。
◆帰るときにキッドの皆さんが、ロビーであいさつしてくれたこと。キッドのファンクラブ会員になったとき,メンバーの方と高松で座談会をしたこと。
◆舞台稽古を一般公開させていた蛍の町。その日の夜の回を観ました。霧生さんが東さんに怒鳴られていたシーンが本番では素晴らしくなっていてプロ根性を見た気がしました。
◆私は柴田恭兵さんのファンになってからKIDとであったのですがその頃は、たぶん全盛期といわれる頃だと思います「原宿ノワークショップ」によく行きましたあそこは、狭い空間で凄く役者さんが近いので迫力があり圧倒されました汗だくで見てましたまだ中学生ごろだったと思います。青春のアンデルセンもいきました。
今までの感じとは打って変わった劇場でそのときは、出口に役者さんが待っていてくれて、握手をしました。素敵な思い出ですあの頃と同じようにとはいいませんが、舞台が見たいです。
◆自分に自信が持てなくて、自己嫌悪の日々。何のために生きているのかわからず、人が怖くてたまらなかったあの日。キッドに出会い、息のつける場所を得た。私の心が、あちこちの登場人物の中に散らばっていた。暗闇の劇場の席で、受け止められている自分自身の姿を見つめていた。どこにも行くところのなかった私が、原宿までキッドに会いに通った。あの小さな劇場が好きだった。帰りの山手線で、夜の窓に映る自分の顔を見ながら、耳に残るキッドの歌を歌った。つぶやくように、かみしめながら、嬉しくて、歌った。どれだけの勇気をもらっただろう。逃げ込んだ私をキッドはどれだけの愛で受け止めてくれただろう。書くことは尽きない。あの頃の私には、親より友より、キッドしかなかった。ありがとう。そんなキッドの歌たちが甦ってくれる。今の私は強くなった、だから、あの頃の私を膝に抱きながら、もう一度あの歌を聴きたい。
◆「大人になる前に/乱気流」は自分のお金で初めて買ったレコードです。特に「乱気流」は私が生まれてこの方聴いた曲の中で、14年経った今でも一番好きな曲です。ステキな曲を有難うございました。
◆霧のマンハッタンの上映会でKIDの役者さんたちがとても身近に感じた。とってもみなさん気さくに写真撮ったりして・・・・
◆中3〜高3までKIDに夢中でした。KIDは私の青春そのものです。就職、結婚、出産と忙しさに舞台を見に行くことは出来なくなって、TVでしか恭兵さんやKIDの人たちを見ることができませんが、今でも気持ちはKIDに夢中だった学生時代と同じです。Q2のあなたが、もう1度聞いてみたいKIDの曲5曲はとりあえず選びましたが、KIDの曲はみんな好きです。
◆初めて観たのは「櫻組」の地方公演でした。その時の私の状況と同じような設定だったので、驚きました。こんなに身近な事をお芝居にするんだと思いました。それまでも友人にはお芝居に連れて行って貰っていたのですが、今回はもっと観たいと初めて思い、行ってしまいました。終わってからの客出しにもキャストの皆さんがいたのにも驚きました。
◆ペルーの野球、伊勢市観光文化会館公演で、東さんの計らいで、リハーサルを見せていただいた時、飯山さんの本番直前のなんともいえない表情が忘れられません。
◆柴田恭兵さん、やっぱりカッコよくて誠実な感じ!
◆初めて観た時の衝撃と感動を、生涯忘れることはできません。人生に疲れた時や迷った時には、自然とKIDの歌を口ずさんでいる自分に気づきます。私にとってKIDは、今なお、夢、勇気、希望そして愛を教えてくれる、かけがえのない存在です。
◆私がキッドを追いかけていたのは20年程前のたった3〜4年間だけでした。あの頃はただ大好きだった三浦さんをボ〜ッと見ていただけかもしれません。でもいいなって思ってたのは、出演者1人、1人の役に人生があって、長台詞で自分の生きてきた想いみたいなものをぶつけてるシーンが好きでした。峰さんや国谷さんの個性的な自然な雰囲気、小さい体からあふれる出る北村さんやみっちゃんのパワー!川船さんの色っぽい魅力。飯山さんもまだ若くて、つっぱりながらも夢を求めて生きてるんだ!っていうのがヒシヒシ伝わってくる。名前を挙げたらキリがないけど、役者さん一人一人個性があって、台詞や歌も感動的だったけど、今から思えば全然深い意味がわかってなかったような気がします。20年たって、最近又、キッドに触れてみるとあの時、わからなかったことがちょっと感じられるようになって来た気がします。東さんの残してくれたメッセージを少しでも聞いていたい想いでいっぱいです。今回CD発売ということで、又、少しでも東さんの伝えたかったことを感じられるかもしれないと思うと嬉しくてたまりません。是非、発売されることを強く、強く願ってます。
◆KIDについては、だいぶあとから知ったので、舞台を見たことがないのですが、台本集は持っています。実際に生で見てみたかった劇団の一つです。
◆キッドの思い出をちょろっと書こう!初めてキッドの舞台を観たのは10代でした
つきあいはじめたばかりの彼女と初デートで観にいったんだけど、上演中あちし泣きっぱなし(笑)そのうちアドリブのお時間になって役者の小池さんと北村さん、あとたしか金井さんだったかな?三人が舞台から泣きっぱなしの俺を指差してネタにするぅー。アドリブのネタ中全部おれ。ううぅー、こまった。まじでこまったぞー(^^;なんども可愛いって言われた(爆)まあそれはしゃあない、おれ、男か女かわからん顔してたし(T_T)そしたらさ、客席いるやつら全員おれを見つめるだあよ (;_;)..............................となりすわってる彼女には涙とまんないのみられたくなくて手でかくしてたのに------------------------------------------
よくじつ、かのじょにおでんわ。なきっぱなしのすがたみられて、もうはずかしゅうてたまんないので、さよなら。きょうからおれは、きみのおにいさん。そういってさよなら。うはははは。ばかです。
◆KIDというと原宿の竹下通りにあった劇場を思い出します。柴田恭兵さんからKIDという劇団を知ったのですが、中学の時に演劇部のことで悩みがあったとき、東さんに相談の手紙を書いたら、とても丁寧に返事を下さり、まさか返事が来るとは思わなかったので大変嬉しかったことを覚えています。
◆斎藤正一、中川節子、深水三章、峰のぼる、楠田映二、坪田直子、金井美稚子、カルメンマキ、僕にとってはこの人たちがキッドのスーパースターです。
◆みんなが大袈裟なぐらいの一つ一つの動作にビックリそして感動したのを覚えています。
◆このCD化がきっかけとなって、KIDの心が伝わっていくことを期待したいと思います。
◆恭兵さんを見たくて観に行った「遠い国のポルカ」がKIDとの出会いでした。その出会い、それからの出会いは、今の私にとって、とても大切なものです。東京にもよく行って、劇場のある場所にはすっかり詳しくなりました。お芝居の後、役者さん達とお話できる事が、恥ずかしくて、でも嬉しくて・・・。芝居の感動と同じ位、印象に残っています。
◆初めて観た藍の色のストーリーが分からず帰ったこと。ワークショップの袖で恭兵さんと鉢合わせしたこと。新年会で恭兵さんや坪田さんと間近でお話したこと。CHERRY
WARSのとき、恭兵さんに捕まえられたこと。「心に空き地を」のコーラスを観て、涙が出たこと。
◆KIDが好きで好きで、夢中になっていたあの頃。あの時の気持ちは、心の奥に今でもずっしり残っています。何故か寂しくなった時に思い出すのはKIDです。なんでかな。。。
◆私は、本当のさいごのほうのKIDしかしらないけれど、でも、すごく感動して、考えさせられたり泣いたりして。。。もっと観たかった。。。です。
◆東京虎ノ門の日消ホールの初日、私はチケットを売るのを手伝っていたので、開演前に駆けつけ、雑用をしたりしたのだが、客席横の通路にあるベンチに横になって寝ていた東さんに、私の着ていたウインドパーカーを掛けてあげた時に、ありがとうと言ってくれた東さんの笑顔が忘れられない。
◆初めて観たのが「螢の町」でした。今まで色々な人達と(歳も職業も違う)知り合えたのはKIDと出会えたからだと思っています。その切っ掛けを作ってくれたのは長戸勝彦さんをテレビで見ていいな〜と思った事でした。顔見知りになるのに約3年弱かかりましたけど・・・。お芝居を観る楽しさを知ってからは一人で出掛けることが無かった私が今では大阪や名古屋までお芝居を観る為だけに出掛けています。(東京在住)「櫻組」は母には自分とダブって観えていたようでした。継母の事やその頃に母方の祖父が亡くなったりしていて・・・継母とは仲良しですけどね。他にもそれぞれ観た作品毎に思い出は有りますが長くなるのでこれだけにします。
◆六本木のアトリエフォンティーヌで観た芝居の迫力が今でも印象深いです。
そういえばアンデルセンの照明タワーを作る手伝いもしました。
◆私の青春が全部キッドでした。大好きなマルコ!元気ですか?すごく会いたいです。
◆テレビの「大追跡」に出演されてた、柴田恭兵サンのファンとして何作か観ました。ダブル・キャストで三浦さんの時に行ってみたり・・・チグハグな事もあったけど、小劇場ならではのハプニング・・・恭兵さんが自転車で登場するときに、膝を抱えて見てた最前列のファンの足の上を車輪が通過!なんて事もありました。女性では坪田直子サンのアンニュイな可愛さと大塚晶子サンの「FILM」が今も耳に残っています。キッドの事は大切な青春の1ページです。
◆原宿ワークショップへ行くのが好きだった。役者さんたちが通るのが観たくて、隣の喫茶店にもよく行った。ペルーの野球は、全部で20回は観た。KIDが大好きだった。
◆ワークショップ公演後に直接触れ合える時間があったのは嬉しかったです。
◆KIDの公演はいつも生きる事・愛する事の大切さを教えて感動をくれる舞台でした。今でも何本か持ってるビデオをみて、懐かしんでます。個人的には萩原好峰さんが大好きでした。
◆シアター365が出来た時、札幌から観に行きました。せまくて小さな劇場でしたが、熱気に満ちあふれ、役者の想いがすごく伝わって来て感動しました。どんな立派な劇場よりも、素敵な劇場でした。
◆えっと、僕は「第4期」のキッドしか知りません。それに、僕が小学生の頃に見ていたので、ほとんど覚えてないんです(滝汗)。ですけど、印象に残っているのは「夕空晴れてのテーマ」だったんです。なぜだか分からないんですけど、もの凄く印象が残っているんです。今回の「CD-BOX」は、「第4期」の作品が入らないみたいですね。僕のように「第4期」のキッドしか知らない人もいると思うんです。出来れば、今回の「CD-BOX」に入れてもらいたいです。もし入るようでしたら、予約して買っちゃいます。それと、当時ビデオを発売していたみたいですけど、今も発売してないんですよね?あの時買えなかったんですよ(滝汗)。もし売っているんでしたら、ぜひ買っちゃいます。んでは。
◆恭兵さんのファンになり、KIDの存在を知りました。それから公演を観る様になったのです。。(「青春のアンデルセン」が最初に観た公演です!)しかし残念ながら恭兵さんの公演は2〜3回しか観れませんでしたでも、その後もKIDを観続けたのですが、私の結婚を機に、KIDから離れてしまったのです。(地方に嫁いだ為・・・)それでも、長門さん・水谷さん・名和さん達は忘れてませんでした。私の青春の1ページでしたから。
◆親友がキッドファンで見に行ったのが最初でした。 それから香川の「銀河鉄道」に入団するようになり、舞台の大変さを感じるようになった初めての作品が、キッドではないのですが、パンとサーカスのBILLY BOYでした。あの頃の作品を見ると、あの時の自分の輝かしい青春(笑)を思い出します。今、みなさんどうしてるのでしょうか?その後の活動なんかも載せてくれると嬉しいです。
◆もう、20年以上も前に「KID」に嵌っていました。とっても、懐かしいです。
原宿のきちゃない(笑)・・・でも、哀愁溢れるアパートの事務所を友だちとよく訪ねたものです。CD化されることをずっと願っていました。
◆何といっても『青春のアンデルセン』なんです。恭兵さんと飯山さんのバトルが最高なんです。普通ならアンデルセンの勝ちですよ。でも、この戦いは単純にそうは思わせない。シュミットも単なる敵役にとどまらないんです。
◆パンフの中の坪田直子さんのページ、いつも好きでした。新年会で直子さんが歌った「銀座のカンカン娘」は現在私のオハコです。
◆偶然にこのHPを見つけて、懐かしさでいっぱいになっています。「私の青春はキッドでした」と言えるほど夢中でした。恭兵さんのファンになったのがきっかけでキッドの舞台も観に行くようになったのですが、何度か観るうちに鈴木康友さんが大好きになりました。ファンレターを書いてお返事をいただいた事もあったなぁ。CDが予約販売される事も知らなかったので、是非予約したいと思います。あれほど好きだったのに、結構忘れているものですね。LPを持っていてもプレーヤーがないから、何年も聞く事がありませんでした。これからは度々来させてもらいます。あー楽しかった!ありがとう。
◆東さんと峯さんの後輩にあたる長崎西高校演劇部出身です。私の在学中に恭兵さんを中心とした全盛期だったので、地元のラジオに東さんと一緒に出演させて頂いたりとか、いろんな思い出があります。
◆高校生の頃から演劇部で明けても暮れても、楽しい時も悲しい時もいつもKIDと一緒で夢と勇気と希望を貰ってました。それからしばらくして、地元の劇団に入り、東京公演の際にKIDの方々には、大変お世話になり、夢の様な時を過ごす事ができました!私にとってKIDは青春そのものだし、憧れでした*有難うKID!!
◆「蛍の町」(セカンドカンパニィはBUSSTOP)から観ていましたが、いまでも「蛍の町」はたくさん見たお芝居の中でも一番好きな作品です。
◆最初に舞台を見た時はキッドの皆さんの流す実際の汗・本物の涙を直接受け止める事ができる距離でした。言葉にできない感動を覚えました。今まで感じる事のできない感動の種類だったのです。舞台で坪田さんと目が合うとドキっとしたり、帰りの握手での見送りはうれしかったです。小池さんが舞台の途中で鼻血を出してもそのままやっていたのもびっくりしました。スーパーマーケットロマンスは初日と楽日ではガラリと話が変わってて、さらにおもしろくなっていたのも東さんのすごさと感心しました。本当にキッドは青春そのものです。
◆舞台を見て、いつも元気をもらっていたような気がします。明日からがんばろう!!って思って、次の地方公演を楽しみにしてました。だんだん地方公演が少なくなったとき、ちょうど結婚や育児に追われ・・・でもキッドのことは忘れませんでした。キッドのメンバーがこちらの方に来られると知ると出かけていって、やっぱり元気をいただきました。やっぱり生の舞台は最高でした。また、いつかキッドの舞台を見られると信じてたのに、東さんの死。残念でなりません。でも、機会があればメンバーの方々の舞台、見に行きたいと思います。
◆高校1年からみ始めました。どんなにつらいときでも、キッドの芝居を見れば元気になれた。キッドの歌が好きで何時も口ずさんでいました。今でもキッドの芝居を見て、元気になりたい・・・。そんな思いでいっぱいです。
◆中学2年の頃姉が小池さんから購入していて小池さんのファンになりました。ワークショップがすごく好きで一体化でき終演後の握手やサイン、写真は宝物です。チェック項目は見た演目です。発売された物は当時購入済みですが後ほとんどが発売されてないので是非聞きたいです。
◆初めてキッドを知ってから20年くらいになるでしょうか。辛い時期にキッドに出逢い、助けられて生きてきたので、寂しい時、悲しい時には自然とキッドの歌を口ずさんでいました。CDが発売されると知ってとても嬉しく思います。
◆初めてキッドと出会ったのは、中学三年の冬でした。高校進学で自分の進路や、彼女の事、家庭の問題などで色々悩んでいた時、何気なく友達の誘いで、キッドを見に行きました。その時の公演は、「ハメールンの笛」でした。すっごく感動しました。感動などとは通り越して、ショックに近いものだったように思います。愛と言うテーマに真剣に、ストレートに取り組むミュージカルは、その時の私には、ものすごい感動を覚え、その後今日まで、私の人生に影響してきました。キッドのみなさん、ありがとうございました。
◆私がKIDの皆さんを見に行っていた頃は、まだ10代でした・・・かれこれ20年近く前の話です。でも、大好きで大好きでいまだに忘れることができません!恭平さん、三浦さん、飯山さんなどなど、今で言う大物俳優さんばかりで「いいときに見れてたな〜」と思ってもいます。でも、私的に生活が落ち着いた頃、フッと思い返して・・・KIDが無くなってしまっていたのはとてもショックでした・・・チケットピアの本のミュージカルを見てもたいして気にかかるのも無く非常に残念でなりません!是非是非もう一度復活して頂けないかと思う日々です。ちなみに、東京だけでは無く地方でも公演をして欲しいです。
◆私は今、アメリカに住んでいるのですが、こちらにくる前、12年位前に渋谷にある英語学校に行っていたのですが、そこで坪田さんもクラスをとっていて、一緒にお昼を食べに行ったことがあります。そのときに、1番好きな舞台はどれだったかとたずねたら、『オリーブの枝』と言ってました。
◆後楽園ホールで見た『帰って来た黄金バット』は衝撃的でした。深水三章、斉藤正一、小林由紀子、峰のぼる、サラリー。みんな素晴らしい役者でした。
◆僕は今年で43歳になります、劇団四季のスタッフですが、あの17歳の時に「東京キッドブラザーズ」に逢わなければ、今僕はどこにいるんだろう。今でもキッドの唄が心のなかで鳴りやみません。
◆いろんな思い出がありすぎて。。。本当に毎日のように見に行っていたような気がします。特に小池さんが大好きでした。いつもドキドキしながら通っていたような気がします。ありがとう!今も元気で活躍していらっしゃいますか?
◆高校3年生生当時、純アリスさんのファンで、駿台予備校の夏期講習を受けつつ、見に行ってました。「失なわれた藍の色」&小椋佳が忘れられません。
◆キッドの曲は良い曲ばかりで5曲に絞るのはとても難しいです。キッドのファンになったのは小学生の頃で今から20年以上前です。その頃集めていたパンフやレコードは今でも宝物です。そしてこのCDも宝物の一つになります。個人的には『東芝EMI編』がもう一枚あるとうれしいのですが・・・
◆あの頃は、KIDから元気を沢山貰っていました。そう、一杯笑って・・・一杯泣いて・・・。KIDと出会えていなかったらと思うとね怖いくらいです。そう言えば・・・古いレコードを探して手に入れたときはとても嬉しかったなぁ〜〜
◆小池さんとはいまでも仲良しで一年に何度か遊んでます。子供も可愛がってもらってます。残念なのは、今舞台から遠ざかってること。映画がやりたいと目を輝かせて話す姿は昔とかわらないけど、小池さんが舞台に立ってる姿がみたいのです。
◆キッドに憧れ芝居を始め...気が付いてみれば34歳に...東京キッドブラザースは僕の役者人生の座標軸でした...。いや、今も...
これからも... ずっと変わらず...キッドに憧れ芝居を続けるだろう...!!東京キッドブラザースよ...永遠なれ!!
◆KIDは私にとっての青春です。泣いたり、笑ったり、時には愛とは友情とはを教えてくれた芝居でした。仕事で疲れたり、落ち込んだりしたときにKIDの芝居をみると勇気をもらえるようなきがしていました。
◆私の青春のすべてでした。今でも口ずさんでしまう曲がたくさんあります。娘に「何歌っているの?」と聞かれ、歌ってあげると「いい歌だね。ママ」と言ってくれます。
◆KIDをはじめて知ったのは22年前の15の冬。当時のパックインムージックというラジオプログラムでTOMMROWを聴いて訳もなく涙がでた。初恋の娘、自分が一番輝いていた頃、無限の可能性・・・KIDは甘酸っぱい僕の思い出を思い出させ・・・奮い立たせる。
◆はじめて観たのは「蛍の街」でした。はじめて観た時の感覚は(衝撃は)言葉では表せないけれど、今でも確かにこの胸に残っています。その後の夕空晴れては小劇場での公演(築地)もあって一週間のうち4日位通いました。ちょうど自分自身や他人とに一番不安定な時だったのですが、何か生きていく上で勇気や優しさをたくさんもらったと思います。今も、ビデオを観ては元気をもらっています。90年のキッドライブでは、知らなかった曲がたくさん聞けて嬉しかったです。また実現するといいなと思います。JA−JAのコンサートも懐かしいです。仙台で長戸さんが涙で声が詰まった時のこと覚えています。当時長戸さんに夢中でしたが、今でも時々TVで見かけると本当に嬉しいです。
◆夢の湖を観たとき、体中が熱くなりました。飛び散る汗、ガンガン伝わってくるパワー。生きるということを目の当たりにし、全身が身震いしました。私の居場所はここだ!とばかり、19歳の私はKIDの扉を開けました。あれから8年。KIDを求めながらさまよう同期生たちと東さんの背中を追いかけ自分たちで芝居をやってきました。これからも私は東由多加を追いかけ、あのKIDの魂を伝えていきたいと思います。
◆ありすぎて 切なすぎて 書けません。
◆桜んぼ戦争が初めて観た舞台で、当時高校生だった私はそれ以来すっかりはまってました。誰かのファンというよりも、キッド自体にすっかり夢中でした。私も本当は芝居がやりたかったのに勇気がなくて、高校を卒業した後OLになったんですが「冒険ブルックリンまで」を観ている最中にやっぱり役者になる!と決心してキッドの研究生になりました。研究生を卒業して早ウン年・・・。私は今も舞台に立ってます。このHP見つけたときはもの凄く嬉しかった。キッドがなければ今の私はないし、とにかく今でも大好きだし、永遠にファンです。永遠にファンという人きっと多いはず・・・。KID Forever!
◆中学生でキッドに出会って、ワークショップがある頃は、毎日のように学校帰りに通っていました。結婚をして子供を産んで、キッドから離れていましたが、キッドを通じて知り合った友達と最近、メールでやりとりするようになって、懐かしくて・・・東さんが亡くなってキッドは無くなったと思っていてけど、そんなこと無かったんだ・・・
◆はじめてKIDを知ったのは『サラムム』でした。当時中学生だった私にとって衝撃的な出会いでした。当時買ったLPレコードは今はプレイヤーがなくて聞けないのですが、今でも私の宝です。特に川船圭子さんが歌った『FILM』はかなり気に入っていて何度も何度も聞いたのを覚えています。今でも時々口づさんだりしています。
◆中学3年の時、『夢の湖』を観てからKIDの世界にのめり込んでいきました。地方に住んでいるため、全国公演のときにしか観られなかったのですが、バックナンバーのパンフレットを買ったりして勉強したことを想いだします。一番の思い出は『蛍の町』の楽日を京都で観られたことです。最後の挨拶で萩原さんが涙で言葉をつまらせてしまったのには、もうこちらが涙でした。その何年か後、KIDの研究生となった入所式の日、あの時からは想像もつかない厳しい瞳をした萩原さんがいらっしゃいました。あれは正直こわかったです。・・・そして私は、卒業公演の舞台に立つことなくKIDから逃げてしまいました。それからしばらくは触れることもできなかったのですが今はやっぱりKIDは私の夢なんだと思えるようになりました。KIDに出会えたことに心から感謝します。謝々。
◆友達のお姉さんの紹介で、坪田直子さんに会えてお話できたことが、すごくうれしかった思い出です。
◆KIDと知り合ったのが高校1年の時で確か「オリーブの枝」を最初に見た記憶があります。それ以来のファンです。私の青春の1ページでした。KIDの芝居を観ているといつも元気をもらっていたような気がします。つらいことや落ち込んだときKIDの芝居を観るとなぜかほっとできる、私に芝居というものを教えてくれたのもKIDです。私は川船さんのファンでこれでKIDを辞めるという最後の日にワークショップで1曲歌を歌ってくれたのが印象的でした。
◆初めて1人で見たミュージカルがキッドの「青春のアンデルセン」だった。
◆KIDの公演を始めて見たのは家の近くのホールで公演があった「シシリアでダンス」です。地方に(名古屋近郊)に住んでいるのでなかなか見に行けませんでしたが名古屋で公演があったときはなるべく見に行ってました。今日も久しぶりにビデオを見ながら感動しちゃいました。
◆独特の世界であって、でも、現実深く、一作品、一作品、考えさせられるものがあって、心から笑ったり、泣いたりできる、私が私に素直になれる空間。。。がKIDのステージ!
◆斎藤正一さん。小林節子さん。高野さん。今どうしていますか?どなかた知りませんか?
◆イッパイありすぎて書ききれないです。「SHIRO」は、その当時少ないお小遣いを貯めて初めて3回観に行った思い出の作品です。
◆初めて見たのは「遠い国のポルカ」。「君が人生の時」で飯山さんが客席に下りて来て目の前で歌う姿に圧倒されて呆然と帰路に着いた記憶があります。水谷さんのファンになり手紙を書いたりしましたが、返事や公演のお知らせ、クリスマスカードなど直筆でいたいて暖かさを感じました。KIDとの出会いはは私の人生を変え、支えになった大事な宝物です。
◆TVで「サラムム」と出会って、初めての舞台が「哀しみのキッチン」でした。凄い衝撃を受けたことを憶えています。それからは80年代後半ぐらいまで舞台を観ました。KIDの役者さん達は、ロビーでの観客との触れ合いを大切にしていましたね。つい先ほどまで舞台に立っていた役者さんと握手をしたり、話すことが出来たのがとても楽しかったです。後楽園球場で行われた「二月のサーカス」は凄い迫力がありました。「SHIRO」は、幻想的な舞台でした。その他、ここには書ききれない舞台の思い出がたくさんあります。原宿のビルの地下(WORK
SHOP?)での公演後、恭兵さんがファン一人一人を見送ったことがありました。その時の、恭兵さんとの心暖まるエピソードが今も脳裏に焼きついていて、未だに忘れられません。そのことがあったから、未だに恭兵さんの1ファンとしていられるのだと思います。「はみ出し刑事」を観ても、時々、元KIDの役者さんが出演されることも嬉しいです。また、昨年だったと思いますが、2時間ドラマ(恭兵さんが主役)で三浦浩一さんと共演していた事がとても嬉しかったです。またあの二人が、舞台で共演し、成熟した大人の演技も観てみたいものです。峰さん、国谷さん、坪田さん、飯山さん、北村さん、大塚さん、小池さん、名和さん・・・・・・・etc皆さんのいろいろな場面の表情が忘れられません。ありがとう、KID!最後に、東さんのご冥福をお祈りします。
◆歌舞伎町を通り抜けてシアター365に週に一度は足を運んでいました。目の前で広げられる舞台は私にとって大ショックでした.柴田さん、三浦さん、飯山さんが大好きで、心に染みるロマンチックな東さんの台詞が大好きで、私にとってはあの時代のKIDがいまでも心の中で輝いています。今でもあの頃の歌を口ずさんだりするんですよ。
◆中学生高校生の頃、毎日のように学校帰りにキッドの事務所によったり、稽古場にお邪魔して、見学させてもらったり・・・すごーく懐かしい思い出です。もう20年以上も前のことなんですね。柳さんの「声」を今日読んでとっても懐かしくなってここにきました。
◆藍の色の頃からシアター365に入り浸りの日々でした。事務所のお手伝いをしていた頃もありました(まだ学生だったので無料で・・・)とても懐かしい時代です。今でも、「この街のことを」など口ずさむと、自然に涙が出てきます。実際に見た芝居ではないんですけれどね、柴田さん、三浦さん、アリスなど親しくしてもらっていました。その頃新人さんだった住吉君や真壁君という人たちとも仲良しでしたよ。(きっと誰も知らないですね)
◆父危篤の知らせで、夜行列車のキップを買い残金500円くらいだったか・・・数時間の待ち時間がやりきれず、原宿のワークショップへいきました。何かのパーティーか、東さん、恭兵さん、ほかみなさんいらっしゃってて華やかな雰囲気でした。いつもチケットのとりつぎをしていただいてた北村さんから、オレンジジュースをいただき、コートを貸していただいて暖かい言葉で励まされ上野に戻り、列車に乗り、翌早朝、駅にむかえにきてくれていた知人ははおせんこうのかおりにつつまれていました。かれこれ19年前。忘れられないわたしの人生の1シーンでした。北村さんに会う機会があったら、お礼がしたいな〜と思います。
◆恵美ちゃんがんばったね、同期のあさのっちより
◆キッドの公演を観て次の日からのパワーをもらってました。
◆高校生の頃キッドを知りました。当時はいわゆる全盛期で、芸能雑誌を読んで公演日程を知り、観たくて観たくてたまりませんでしたが、高校生の小遣いではままならず、山形に来てくれた2回だけが私の生キッド経験です。今でも思い出すのはステージのぎりぎりに立って手を差し伸べてくれる役者さんたちの汗と涙です。私もぼろぼろ涙を流しました。周囲のやることなすこと気に入らなくてむしゃくしゃしてた私にとって、すっごいカタルシスでした。それから年をとるにつれ、あんな涙は流せなくなったような気がします。同時に、私の子供たちにも一度でいいから経験させたいと思ってるんですけど・・・
◆オリーブの枝から始まり連続して夢中になって見に行きました。当時原宿にあった事務所にも何度も足を運びチケットを求めました。もう一度あのころに戻ってあの頃の舞台が見たいとこのHPを見つけて深く思っております。当時中学生でした。
◆迷いやすかった頃東さんに手紙を出してみました。返事なんかもらえると思ってなかったので、ある日ポストに葉書が着いてた時の事を今も忘れません。鉛筆で文字がぎっしりと詰まっていました。(指でこすると鉛筆の色が滲んでとても近くに感じました)
◆とにかく好きで、同じ公演を何度もみにいったりしていました。ビデオとかCDとかあればいいのに、と思います。
◆中学生から短大くらいまで、恭兵さんが好きで、よく、見に行ってました。表参道の同潤会アパートにいって、だれかいないかなって友達とフラフラしたり?!ファンの集いみたいので、東さんとの対談なんかも思い出に残ってます。(渋谷のファンクラブだったかな)。恭兵さんみたさから、お芝居みたさにかわっていったんですよね。今では、いい思い出ですね。なんか、実家にあるkidのLP聞きたくなったなー。
◆中学3年生の時、姉に連れられて初めて観たキッドの舞台。そ、ハメールンの笛。衝撃的だった。今でも覚えています。柴田さんが、「隣の人と手をつなぎませんか。」私は、え!?って。どうして知らない人と手をつなぐんだろう…?と。でも、今思えば、舞台と会場がひとつになることを、ね。それからの私は、キッド命!
来る公演すべて観にいきました。東京公演しかないものは、もちろん東京までも。キッドは、いつも情熱をくれます。そして、公演が終わるといつも泣いていました。なんだろうこの気持ちは…。ほんとうに、何処にもない舞台を観せてくれました。 私は特に飯山さんのファンです。脇役でしたけれど、ムードメーカーで笑わせてもくれますし、貴重な存在です。あと、坪田さんも大好きです。スレンダーな体で、精一杯手を広げ表現していましたよね。おまけに可愛い声。今、どうしているんでしょうか?あ〜、キッドの舞台が脳裏によみがえってきます。懐かしいな。キッドは最高です。今でも大好きです。ずっと見守っていきますね。
◆金井さんのファンでした。もう一度舞台が観たい。・福岡公演のときに、東さんとお話する機会があり、今、懐かしく思い出しています。
◆かれこれ15年前にキッドに出会いました。小池さんと仲良くさせていただき公演が終ってから飲みに行った事がスゴクうれしかったです。
◆坪田直子さんが大好きでした。表情も声も歌も,本当に美しい不思議な魅力のある女性でした。彼女の歌が,又,聞けたらいいのにな・・
◆僕がKIDを知ったのは中学3年生の時。哀しみのキッチンでした。もう20年以上前になりました。いろんな事あったけど、判り合えるってほんと大事ですよね。オリーブの枝のセリフでスポーツのように生きたい、って大人(?)になった今でも心に響くし、時には胸を掻きむしられるようです。僕はKIDの痛々しいまでの生き様を描く作品全てが好きです。今世の中は生きる尊厳すら数字で片付けられるようになってきてます。大事な事はもっと違うところにあることを今こそ自分の子供達に伝えなければ、と思います。
◆中学1年のときはじめて「冬のシンガポール」を観、中学高校時代は、どっぷりキッドにはまっていました。シアター365に、差し入れのバナナを持って行ったのを覚えています。(普通ファンだったら花とかプレゼントだよね)
◆キッドに目覚めたのは中3の頃。1979は僕にとってキラキラとした海を渡っていたような時期でした。オリーブの枝のセリフひとつ、ひとつが当時の僕には衝撃でした。そして20年以上たった今は心に染みる言葉です。新しい事、いままでの価値観を壊し前に進むこと・・・これは本当に難しく、孤独なものですね。でもやっぱりスポーツのようにフェアに生きたいです、僕は。
◆高校1年のとき、演劇部の先輩から見せていただいてから友愛里さんの全力を注ぐ演技にはまってしまいました。その先輩は研究生を経てSECOND
COMPONYへと・・・。私にとって青春そのものです。
◆初めてキッドの公演を見たのは、今から20年以上も前に北海道の旭川公演でした。三浦浩一さん主演の「哀しみのキッチン」でした。そのころ、キッドの事は全然知らなくて、確か私は中学生だったと思います。1人で父からチケットをもらったので見に行きました。舞台が進むにつれて、涙がとまらず苦しかったのを憶えています。坪田さんの歌った「ピア・アンジェリ」が中学生の私には強烈だった。そのあと、柴田恭兵さん主演の「ハメールンの笛」を見ました。この時も1人でした。これにはうれしい思い出が・・・。父が劇場の舞台照明をしていたので、楽屋まで入れてくれました。舞台が終了してお疲れのところ、恭兵さんがタオル一枚で出てきたぁぁぁ。これまたそのころ高校生の私には赤面ものでした。握手をしてもらい涙涙で帰ったものです。坪田さんや
小池さんや 飯山さんに 国谷さんはお元気でしょうか。団員の皆さんのお写真が、私の持っているパンフレットと同じだったので、思わず仕事中だというのに、涙がちょちょ切れそうでした。チャンスがあれば、あのころのメンバーでもう一度見たいです。
◆福井公演で初めてキッドに出会い、役者になろうと思いました。柴田さん、三浦さん、峯さん、東さんのパワーを十分この肌で感じることができた青春時代でした。
◆私の住む小さな街に「霧のマンハッタン」が上映された時、観客は5人位でした。その時小池さんを含む役者さんも来られていたのですが、呆れた感じだったので、本当にこの街を代表して誤りたい心境だったのを覚えてます。
◆終ったあとの握手がとてもうれしかったこと、ファンレターの返事が来たことなど、私の高校時代はキッド一色でした。皆んなが大好きでした。
◆KIDの役者さん達が、公演が終わると何時もロビーに出て来てくれて、自分の、思いを何時も語って、それを聞いてもらえて嬉しかった。
◆いつの間にか大人になってしまって 親になってしまって ふっと思う自分の時間に
キッド や 恭兵さんがいました。 何が良かったのか‥申し訳ないんですが今でもしっかりとした言葉ではあらわせません。
ただ きっと 何か夢中になりたかったんだと思います。 夢中な人を見ていると
夢中になっている恭兵さんを見てると 夢中になるっていいなと カッコイイナと
安心できた気がします。人並みにいろいろ悩んでいたあの頃に 人に言うと笑われるんですが‥学校サボって
トイレで着替えて それも一人っきりでですよ クスッ。 友達にも 何かもったいなくって言わなくて
自分だけの宝物の時間って感じでした。高校3年の時に1時間だけ出席時間が足りなくて
春休みに少々後悔してたけど‥そんなキッドの公演を 今改めて 今の自分で見てみたい
感じてみたいと思うのですが‥
◆キッドの稽古場がオープンしたときに、大分から行きました。キッドのメンバーとふれ合えて幸せでした、みなさん一人一人と写真を撮らせていただいて今では宝物です。キッドの曲を聴くと胸がときめき涙が出るほど好きです。
◆名和さんのキラキラ瞳が大好きでした。今もお元気なのでしょうか?
◆KIDの曲が好きでよくビデオを見て覚えたのが懐かしいです。
◆愛ってなんでしょうか?失うものかな〜。それとも勇気?どちらにしても人間は1人でそれぞれの人生を刻む。それはKIDの芝居と同じ。僕は僕の人生では主人公。生きる、ただ生きる。這っても生きる。地球の果てまで。14の頃と同じ気持ちが蘇る。可能性はいつまでもあるはず、そう信じて! |
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