「赤い嵐」の9話に、印象深い真(恭兵さん)の長ゼリフがあります。
小樽へ向かう列車の中で、しのぶちゃんにこう言います。
俺ねえ、夕陽を見ると思い出すんだ。
子どものころ、毎日、上野公園で遊びまくってて、学校の帰りに、陽が沈むの見るとハッとするんだ。
おふくろの恐い顔が浮かんできて。慌てて一目散に走って帰るわけ。
もう腹ぺこだろ。上野の商店街をさ、いろんな食い物の匂いをかぎながら駆け抜けるんだ。
とにかく客が大勢おしかけてる時間じゃないとやばいんだ。おやじとおふくろはさ、客を相手にてんてこまい。
まず俺に気がつかないし、たとえ見つかったってさ、客の手前、ひっぱたくわけにいかないだろ。
いつも俺をにらみつけるだけなんだ。
それで俺、今、うちを出て警察の寮に暮らしてても、
夕陽を見るとさ、何だか急に、おやじとおふくろ、懐かしくなっちゃう・・・・
恭兵さん自身も魚屋の次男坊ですから、このセリフ、恭兵さんの現実の子ども時代とオーバーラップします。
そういう気持ちを思い出しながら、恭兵さんはこのセリフを読んでいるに違いありません。
ぼくの個人的な考えなんですが、夕陽と商店街はセットなんです。
そして、セットになったとき、ジーンとくるもの。
夕陽だけでもジーンとくるときがありますが、あれは風景が美しいからでしょう。
ちょっと違う感動なんですね。子どものころの過去の体験が混ざっているのです。
夕陽と商店街がセットなのは、子どものころの視点なんですね。
心の原風景、というんだそうです。
ぼくも子ども時代は、お店だったので、商店街に住んでいました。赤い色に染まる町を毎日見ていました。
ぼくがこのセリフに感動したのは、心の原風景が、真といっしょだったからに違いありません・・・・
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