2000/07/11 Vol.12 「KIDの精神をサラムムで見る」








KIDのテレビミュージカル「サラムム」は、一般の視聴者には受けがよくなくて、

理由は、なぜ感動的なのかわからないからだそうでした。


都会での生活で傷つき、疲れ果てていた者たちは、西サモアに流れ着きます。

彼らは、南の島での生き方に感動し、思わず涙を流します。

最後のほうになって、「言葉のレッスン」という歌が流れます。



 せわしさに疲れて青ざめた言葉を、一つ残らず忘れたい。

 代わりに、太陽が育てた言葉を、心に詰めて帰りたい。



KIDを知らない人が、なぜ涙を流し、歌を歌うのか、というKIDのパターン

を理解できないのは納得できます。

ただ、わかってほしいのは、KIDは、いつも現実社会で夢を追いかけているということです。

光が燦々と輝く中、恭兵さんは言います。



 ぼくは街でないと、それもスラム街でないと生きていけないんだ。

 それは、ぼくの心が荒みきっているからだ。

本当のこというと、俺はこの島に暮らして、気が変になりそうだったよ。

 ・・・・いっそのこと、持ってるもの(現実を)全部吐き出して、空っぽになって、陽の光を浴びて、

 おれは焼きたかったよ。

 でもやっぱり捨てられないよ。俺は野心を捨てられないよ。引きちぎられた心を捨てられない。

 誰も信じられない。このおれ自身を捨てられないよ。



決して南の島の生き方に感動したお話ではないのです。

ここには、現実に返ろうとする青年がいます。

夢のような生活ではなく、現実の自分の生き方を選ぶのです。

南の島の生き方に触れ、自分の生き方を振り返る。夢と現実の中で葛藤する。

この部分が大事で、視聴者も、自分の現実のようにとらえて見ないと、感動するはずがないのです。

それがKIDの芝居ではないかと思います。

サモアの陽の光の中で、自分の光を見つけられるのか。

サラムムとは、サモア語で「光」という意味です。








 








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