1992年3月初め、病院の駐車場に1頭の子犬がまぎれ込んできました。
そこに捨てられたのか、あるいは別の場所で捨てられ迷ってやって来たのか、知る由もありませんが、子犬は怯えたように車の下に潜り込み、優しく声をかけ、手を差し伸べたくらいでは出てきませんでした。けれど、生きていればお腹は空くもの。空腹に耐えかねたように、私の差し出したパンにつられて出てきたところを保護したのがテツです。
しかし、そこから真っ直ぐテツは我が家に来たのではありません。
我が家ではそれ以前にムクという雑種の犬を飼っていたのですが、テツと出会う2年前の冬、突然の心臓麻痺で亡くしていました。私も両親も悲しくて、しばらく“犬は飼うまい”と決めていたのですが、私はテツと出会った瞬間、運命的なものを感じ、“絶対に飼う”と思ったのです。(松田聖子さんの『ビビビッ』婚と同じようなものでしょうか?・笑)
しかし、両親(特に父親)はムクとの別れが相当こたえていたようで、「どうせ犬は人間より先に死んでしまう。もうあんな思いをするにはイヤだから飼いたくない」と反対でした。
それでもあきらめきれない私は、先輩看護師さんの家でテツを預かってもらいながら両親の説得を続け、何とか我が家へ迎え入れる承諾をとりつけました。
テツは車で捨てられたのでしょうか?車のエンジン音を聞くだけでも怯え、車に乗ることを非常に嫌って抵抗します。最初の頃はパニックになってしまい、獣医さんの所へ連れて行くのも一苦労でした。
けれど、少しずつ私の家族や近所の人に慣れていき、今では私達の大切な家族の一員となり、テツ自身も私達に信頼を寄せてくれています。
テツが我が家に来て2年くらいたった頃、ペットをテーマにしたTV番組で、ねたきりになった老犬を介護する家族が紹介されていました。
それを見ていた父に、私が「ねぇ。テツも将来あんなんになったらどうする?」と聞くと、父は「心配せんでもワシが面倒見る」と即答したのです…。
テツが来てから、ムクの話をすることがありました。「ムクはおっとり坊ちゃんタイプだったけど、テツは頑固一徹ガキ大将タイプだね」とか、ムクはああだったという想い出話をしていると、ムクと過ごした日々が鮮やかに甦ってきます。
それはちょっと切ないけど優しく、暖かい記憶として再び私達の心に刻まれ、ムクの存在がはっきりしていくように感じます。
いつか、テツも私達の前から去っていく日が来るでしょう。それは、想像するだけで悲しく、淋しいものです。そして、その悲しさに慣れることは決してありえないと思います。 けれど、姿形は見えなくなっても、共に過ごした日々の想い出の積み重ねが別れの悲しさや辛さを乗り越え、確かな存在として、いつまでも私達とありつづけるような気がします
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