派遣前訓練までの準備 (2004年9月〜12月)


さて、協力隊選考試験に合格したからと言って、晴れて協力隊の隊員になったというわけではありません。
二次選考に合格した時点では、まだ『隊員候補生』の身分。これから派遣に向けてすることは山ほどあります。
全員参加の『派遣前訓練』及び、職種毎に必要に応じて行われる『技術補完研修』は別記するとして、それ以外にどんなことをしたのかなど、思いつくままに記録してみました。

まずは歯科治療にLet’s Go?!(8月下旬〜9月初旬)
二次選考の歯科検診で、親知らずの抜歯を勧められた私。
案の定(?)合格通知と共に入っていた書類には、『歯科健康面において条件付き合格となっています』と書かれ、二次選考時の歯科口腔検診票が同封されていた。これを持って最寄の歯科医療機関で精査及び治療し、治療証明書を書いてもらって期限までに提出しないと、派遣前訓練が行われる訓練所に入所出来ないのだ。

4本ある親知らずのうち、1本は13年前に抜いていた。それは、本来真っ直ぐ生えるはずが、その親知らずだけは斜めに成長し、隣の歯を押してしまったため、痛みが生じ、挙句に炎症で腫れ、開口障害を起こしてしまったから抜歯せざるをえなかった。
しかし、それ以外の親知らずは何の問題もなく付き合ってきたので、今更抜歯せよと言われても、すぐには納得出来なかったが、歯科治療技術や設備が不十分なニジェールに行くわけだから、万が一派遣中に親知らずが痛み出したら困る。やっぱり抜いた方が良いのかな?しかし、抜歯となれば時間がかかるから、早めに受診した方が良いと思い、8月26日、今までにもお世話になった近所の歯科医院を受診した。
そして、M先生に検診票を見せ、ニジェールに派遣されることになったこと、そこは歯科治療設備が不十分なことを伝えた上、二次選考時に親知らずの抜歯を勧められたことを話す。
先生は検診票を見た後、しばらく私の口の中をのぞいて突っついていたが、「う〜ん…」と渋い顔。“え?やっかいな親知らずですか?”と不安になるが、先生「これは抜く必要はないと思いますがね〜」「抜く必要が全くない歯を抜けだなんて、相当厳しいですね」「必要もない抜歯をしても体に負担をかけるだけで、お金の無駄遣いになりますよ」
先生、二次選考時の検診担当医の所見にかなりご不満な様子。(笑)私は、痛い目を見て抜歯する必要がないとわかってホッ。
とにかくX線撮影も行って抜歯の必要性の有無を確認しましょうと言われ、パノラマ撮影も行われるが、その結果、残りの親知らずは真っ直ぐ生えており、昔抜歯した歯のように問題を起こす可能性は全くないと言われ、めでたく抜歯しないことになった。(ルン♪)
ただ、1本だけ虫歯になりかかっている歯があったので、それは少し削って治療し、全ての歯の歯石除去をしてもらって終了。治療証明書を書いてもらい、通算3日の通院で済んだ。

看護師隊員のOGに会ってみた(9月)
協力隊のOB・OGあるいは現役隊員が運営しているホームページを見たり、本を読んだりして、協力隊の活動についてある程度イメージ出来るものの、まだ漠然としている部分がある…。それがいくばくかの不安にもつながっていると考えた私は、どうしても『生の声』を聞きたかった。出来たらニジェールに派遣された人か、看護師のOGか…。
しかし、私の周りには協力隊経験者がおらず、そういうあてもなかった。さて、どうするか…?

考えた末、8月末、私は再び県国際交流協会を訪ねた。
1つは、国際協力推進員のOさんに会ってお礼を言うこと。4月、Oさんと会わなかったら、私は再び協力隊の選考試験に挑戦する勇気が持てず、夢を断念していたかもしれない。彼女の励ましがあったから、今の自分がある…と思っている。だから、どうしても直接感謝の言葉を伝えたかった。
もう1つは、Oさんに、県内に住む協力隊のOB・OGでニジェール経験者か看護師を紹介してもらい、直接話しを聞けたら…と思っていた。
けれど、Oさんは6月に県庁の方に移動してしまったとのことで会えず…。しかし、対応された方が私の話を聞いて下さって、「(Oさんの後任者は)今日は休みだけど、事情を伝えて、OB・OGの話が聞けるようにしてあげましょう」と言われた。ありがたい…。
9月3日、Oさんの後任の国際協力推進員の方から電話がかかってきた。残念ながらニジェール経験者とは連絡がつかないが、他の国で活動した看護師のOGなら話が聞けるとのこと。連絡先・方法を教えていただき、翌日、紹介されたOGに電話する。
なんと彼女は、昨年10月の秋募集説明会に参加していて体験談を話してくださった、バングラデシュOGのAさんだった。彼女はすでに以前勤めていた病院で働かれており、忙しそうではあったが、「直接会って話しませんか?」と言ってくださり、早速6日に、一緒にご飯を食べながら話をする約束をした。

当日、Aさんはバングラデシュで活動していた時の写真をたくさん持ってきて、1枚ずつ丁寧に解説しながら、色々なことを話してくださった。あちらの病院やスタッフのこと、Aさんの活動内容は勿論、生活事情、文化風習、バングラデシュ人の価値観・考え方などなど…。派遣される国や活動内容は異なるが、開発途上国に対する理解など根本的な部分では共通するものが多く、とても参考になった。それでようやく不安で落ち着かない気持ちが軽減され、気持ちの上では一歩前進することが出来た。
そして、準備等についていくつかアドバイスしてくださって、本当に助かった。(Aさん、ありがとうございました)

語学自己学習(9月〜12月)
派遣国がニジェールに決まり、要請内容等が送られてきて、私が習得しなければいけないのはフランス語(公用語)及びザルマ語(現地語)とわかった。このうち、派遣前訓練で語学訓練が行われるのはフランス語とのこと。(ザルマ語は派遣後1ヶ月行われる現地訓練で学ぶらしい)
協力隊で派遣されるのは必ずしも英語圏ではないとわかっていたけど、『おフランス語』ですか…。う〜む、フランス語ねぇ、フランス語…。「ボンジュール」「メルシー」、後は…??さっぱりわかりません。(汗)
送られてきた書類によれば、@語学学校での研修、A市販書籍・語学講座等による自宅学習のいずれか1項目(以上)の自己学習を訓練所入所までに行い、期限までに自己学習報告書を提出することが条件となっている。

さて、どういう風に自己学習を進めていくか。
私は2003年3月から、英会話のスキルアップで某語学スクールに通っていたが、そこでは『駅前留学』と呼ばれるルームレッスンの他に、テレビ電話システムを使って自宅で学べる『お茶の間留学』も行っていた。早速、通っていたスクールで尋ねると、少しばかりの手数料を払えば、今持っている手持ちのポイントをフランス語登録に振り替え、お茶の間でフランス語のレッスンが受けられるとのこと。新たにお金を使わずに、フランス語のネイティブインストラクターのレッスンが受けられるのはありがたかった。
自己学習の案内には、住んでいる地域の事情等によって語学学校等に通えない場合は、ラジオやテレビのフランス語講座を受けるように勧められていたが、自分の英語習得を振り返ってみると、一方的に進んでいくラジオ講座での学習は自分には向いていないと思った。その点、自分のペースでレッスンが受けられ、何よりインストラクターと会話が出来る『お茶の間留学』はありがたかった。自分の経験から言えば、外国語を学ぶ時はとにかく喋らないと身につかない。勿論、ラジオ講座等で聞いた言葉をオウム返しで繰り返す方法(リッスン&リピート)もある程度効果あるとは思うが、実際1番身につくのは『生の会話』だと思う。
それに根性なしの私、ラジオ講座じゃ、わからなくなったら簡単に挫折しちゃうと思うんですよね…。その点、お茶の間留学なら金がかかっている分さぼれなくて、半強制的にレッスンが受けられる。(爆)

9月半ば過ぎより、お茶の間留学でフランス語のレッスンを受け始めた。通常、インストラクター1人に対して3人までの生徒がつくグループレッスンもあったが、超初心者だったし、短い期間で少しでも多く身につけたかったので、少々割高にはなるが、1対1のマンツーマンレッスンを受けることにした。
なにしろ、バレエで「アン、ドゥ、トロワ」と言うのをバレエ用語だと思っていて、今回フランス語学習を始め、それがフランス語の「1、2、3」と言っていたのだとわかり“目からウロコ〜!”と感動してしまったほどのド素人ですから…(^^ゞ
そんな超初心者相手のレッスン、インストラクターも相当手を焼いたでしょうなぁ…。いつも“はぁ?!”って顔でいる上、原則として日本語を使ってはいけないから(フランス語で考え、話す能力を身につけるため)、わからないことは『英語』で質問するし…。
それでも、1日1レッスンを週4〜5日程度受けるように心がけた。平行して『技術自己学習』の課題も与えられていたし、11月末までは仕事をしていたので、毎晩レッスン受けるときついな〜と思う日もたまにはあったが、とにかく毎日フランス語に目と耳で触れ、話す機会を持つことが大事だと思っていたから、根性なしの脳細胞に気合を入れて頑張った。しかしながら、30過ぎた脳細胞に新しいことを記憶させるのは大変だった。年のせいにはしたくないが…。(爆)
10月10日には、駒ヶ根訓練所からフランス語の事前学習資料とカセットテープが送られてきた。
内容は、挨拶・自己紹介・数字等の基礎入門編といった感じで、すでにお茶の間で学んでいた私には「この程度なら問題ないかな」というものだった。でも、基礎が大事、なめてかかっちゃいけないとカセットテープに耳を傾けるが、延々続くアルファベットや数字の発音に眠気が催してしまった。それから毎晩、カセットテープを子守唄にしたとか、しなかったとか…。ヾ( ̄o ̄;)オイオイ

体を鍛えよう♪
さて、協力隊の機関紙『クロスロード』等によれば、協力隊員の派遣国の中でも特に過酷な自然条件下にあるのが西アフリカのニジェールやブルキナファソなんだとか。
そして嘘か真か、協力隊員は健康状態・体力の良い何割かがアフリカ行きに選ばれ、さらにその中でも優れた(?)健康・体力エリートがニジェール行きに選ばれるとか…。あるホームページでそういう記述を見つけた時、正直「大丈夫かな?」と不安になった。
確かに私、選考試験の健康診断結果はバッチリだったけど、自分的には健康・体力は人並み程度と思っているのですが…。
そういうわけで、“これは体を鍛えねば…”と思い、9月上旬より毎日1〜2qのジョギングを始めた。ところが、今年は台風が相次いで襲来し、時々中断された。さらに、9月末から10月上旬にかけて東京・北海道と旅して戻ってきて以降は、なんとなくジョギングをしなくなってしまった…。根性なしなのである。(爆)

私が派遣される4月、ニジェールは最も暑い時期の頃で、気温は45度を軽く越えるという。しかし、その前の1月〜3月、派遣前訓練を行う駒ヶ根訓練所(長野県駒ヶ根市)は、中央アルプス山麓にあるため雪が積み、11月末に送られてきた入所案内によると、氷点下15度まで下がるとか…!
ひえ〜!マジですか?!そ、そんな極寒の時期・場所で訓練を行った後に酷暑の地へ行くなんて…。果たして、体がついていくのだろうか?

とりあえず、派遣前訓練では毎朝ランニングがあるので、みなさんに遅れないように頑張ります…。

よく学び、よく遊べ?!
さて、11月末まで仕事を続けながら語学等の自己学習を続けたが、その合間を縫って(いや、自己学習よりメインで?)遊ぶことも忘れていなかった。
2年間、完全に日本を離れるのだから、その間悔いがないようにやりたいことをやっておきたいし、友人等にも会っておきたい。勿論、親孝行もだし、テツやMと一緒に過ごす時間を出来る限り多く持ちたい。
そんなこんなで、今までの人生の中で最も忙しく、濃密な時間で、合格発表後はあっという間に過ぎた気がする。


協力隊に参加する2年間は、日本と違って不便な生活は当然と思うし、あちらでの生活を楽しみたいから、日本の便利で豊かな生活にはそれほど未練はない。
でも、心残り(?)は、あちらで2006年のサッカーワールドカップとトリノ冬季五輪が見れるかな〜?ってこと。
案外サッカーは見れるかもしれない。(ニジェールはどの程度かわからないが、アフリカではサッカーが盛んだし)けれど、冬季五輪はどうかなぁ?砂の国で真冬の五輪を見るのもおつなものだと思うけど…。

感謝!
私が協力隊の選考試験に合格した後、そのことを周囲におおっぴらには話さなかった(だって、派遣前訓練でフランス語の成績が悪くて派遣取り消しになる可能性もあるし…)が、近しい人々には少しずつ伝えた。みな驚き、アフリカに派遣されることには心配していたが、多くの激励の言葉を頂いた。
ただ単に自分の夢(『ワガママ』『欲望』とも言う…)を貫いただけで、人から感心されるようなことではないが、そんな私の夢への挑戦を「素晴らしい」等誉められると、なんともこそばゆい感じである。勿論、今はまだ始まったばかりだから、健康に気をつけながらもっと精進して、2年間の派遣を頑張らないといけないと思っている。だから、激励の言葉は自分への戒めとしても、胸に刻みつけていく。

色々な応援・励まし、全てが嬉しかったが、今の時点(2004年12月現在)で1番胸に残っているのは、11月末まで仕事をしていた某町役場健康福祉課のみなさんから頂いた『寄せ書き入り手製しおり』だろうか…。
相次いで来襲した台風のおかげで10月に咲いた季節はずれの桜を押し花にし、裏には全員の寄せ書きが書かれているものだが、どれも私のことを思って書いてくださった言葉に胸が熱くなった。ニジェールでは桜は見れないから…と、わざわざ桜の花を押し花にした心遣いが、本当に嬉しかった。

これから派遣に向けて、そして2年間の活動中、色々大変なことはあるだろうが、応援してくださる方々の気持ちが私のエネルギーの源になり、だから頑張れるのだと思う。
周りのみなさんへの感謝の気持ちを忘れずに、派遣前訓練、そして2年間頑張っていきたい。

そして、両親への感謝の気持ちも忘れてはならない。協力隊に参加という夢は健康だから出来ること、そして健康でいられるのも両親が丈夫に育ててくれたおかげなのだから…。