春から始まる〜






「さつき〜、もう仕度出来てるの〜?」
「まだ〜、もうちょっと〜」
「早くしないと亮一さん来ちゃうわよ」
「わかってるよ〜」

もうそんな時間なのかと思って時計を確認する。
大丈夫、お兄ちゃんが来るまでにはまだ少し時間がある。
お母さんはいつだって、私の事になると心配しすぎるんだから。
私が東京に行ったら、きっと毎日が心配で大変なんじゃないだろうか。

…そう、私は今日、櫻木町を出て東京に行く。
大好きな、お兄ちゃんと一緒に。

そのための準備は、実はもう殆ど出来ていた。
それなのにお母さんに、まだと答えたのは、
机の中から出てきた一通の手紙が気になったから。


『大好きなみんなへ』

そう書かれた封筒に入っていたその手紙。
それに書かれているのは、3年前の私が遺そうとした想い。
3年前のあの夏、お兄ちゃんと再会して、そして結ばれた夏。
その夏の中で、消えていくはずだった私の想いを、伝えたくて、覚えていて欲しくて。
私の、大好きな人達に、宛てた手紙。
そう、それは3年前の私の『遺書』。




『え〜と、皆がこれを読んでるって事は、私はもうそこにはいないんだよね?
 ちょっと悲しいけど、仕方ないのかな。
 
 う〜、手紙って普段書かないから、なんだか難しいね。
 あんまり時間も無いと思うから、皆に言いたい事だけ書いておくね。
 

 まず、文ちゃん。
  文ちゃんには、もっと色々力になってあげたかったけど、駄目だった。ごめんね。
  でも私はいつだって、文ちゃんの味方だからね。ずっと頑張ってきた事知ってるから。
  大丈夫だよ、文ちゃん可愛いし。 
  それに私は文ちゃんと一緒に遊んだりするの、楽しくて好きだったよ。
  だから、大丈夫。 
  葉子さんにもちゃんと話して、一緒に頑張っていこう?
  そうすれば、きっと大丈夫だから。

 それと、葉子さん。
  葉子さんにはいつも色々お世話になりました。ありがとうございました。
  文ちゃんの事、怒らないであげてくださいね。
  これからも、櫻木荘で頑張ってくださいね。
  できれば、うちのお店も手伝ってくれると助かります。
  お母さん一人じゃ大変そうだから。


 それから、凛。
  凛には謝らないとね…ゴメンね。
  前に約束したのにね、私はいなくならないよ、って。
  ゴメンね、その約束、やっぱり守れなかったみたい。
  本当は凛には先に言っておくべきだったのかも知れないね。
  結衣ちゃんの事で苦しんでるの、知ってたのに…
  それでも言えなかった。 言ったら凛が悲しむと思ったから。
  結局、言わない方がつらいのにね、本当にゴメンね。
  最後に凛がお神楽を舞うところ見たかったけど、無理みたいだね、残念。



 お母さん。
  お母さん、今まで、ありがとう。
  お店とかあって大変なのに、ずっと私に優しくしてくれた。
  私が今まで生きてこれたのは、当たり前だけどお母さんのおかげだよ。 
  ありがとう。
  今まで凄く楽しかった、幸せだった、本当に。
  もうお店手伝えなくなっちゃうね。
  あんまり親孝行も出来なくて、ゴメンね。
  ありがとう、元気でね…さよなら。



 最後に、お兄ちゃんへ。
  お兄ちゃんには、言いたい事がいっぱいある気がするんだけど、
  なんだか上手く書けそうにないね。
  初めて、お兄ちゃんがお店にきてくれたとき、最初は信じられなかった。
  それまでずっと、お兄ちゃんに会いたい、そう願ってた。
  だけど、ホントに来てくれるなんて思わなかったから。
  それから、もしかしたらこれは神様が最後に見せてくれた夢なのかも知れない、
  そんな風に思ったりもしたんだ。
  でも、それでも良かった。 
  お兄ちゃんにまた会えた、それだけで私は幸せになれたから。
  
  でも、それだけじゃなかった。
  お兄ちゃんは私の事を好き、って言ってくれた。
  私の恋人になってくれた。
  デートもしたし、キスも、その先だって……。
  全部、全部覚えてるよ。
  絶対忘れないからね、お兄ちゃんがくれた物、全部。
  だから、どうかお兄ちゃんも、私の事を忘れないでいてください…お願い。

  最後に素敵な思い出をたくさんくれた、お兄ちゃん。
  ありがとう、一緒にいる時間はとても幸せだったよ。
  出来れば、これからも、ずっと一緒にいたかったんだよ……。



 ふぅ、やっぱり上手く書けなかったね。
 でも、伝えたい事は書けたと思うから、この辺で終わりにするね。
 これ以上書いてると私、泣いちゃいそうだし。
 これを読んでる皆は泣いてるのかな…泣いてくれているのかな。
 本当にゴメンね。
 悲しませたくなかったのに。

 じゃあね、みんな。
 今まで本当に幸せでした。
 ありがとう。
 みんなの事、絶対に忘れないからね。


              ………さよなら
                                 春日 さつき』




3年前の夏。
皆それぞれ、悩んで、苦しんでいた夏。
その中で消えていこうとしていた私が遺した想い。
なんだか、今とあまり変わらない気もするけど。
……成長してないのかな、私。
結局、この手紙は他の人に見られること無く、
今まで私の机の中で眠っていた訳だ。
それは、うん、きっと幸せな事なんだ。

私が奇跡的に助かって。
文ちゃんも、凛も、お兄ちゃんや葉子さん、色んな人に支えられて
それぞれ乗り越えていった。

だからこの手紙は必要なくなった。
それでも何故か捨てられずに、机の中にしまい込んで、
いつの間にかその事自体忘れてしまっていたんだ。

それを今になって見つけたのは、偶然、じゃないような気がする。
考えすぎかも知れないけど、何か運命的な。
今日から、新しい生活が始まる。
お兄ちゃんと、二人で。
そこには少し、不安な気持ちもまじる。

「……あれ?」

手紙の一番下の方、後から付け加えたようにこっそりと書かれた文字を見つけた。

「そっか、そうだよね。 大丈夫」

それを見て、何故か、不安な気持ちは消えていく。
最期に遺したかった、きっと一番遺したかった想いは……


「お〜い、さつきちゃん、まだ準備できてないの?」
「きゃっ、お兄ちゃん!?」
「…そんなに驚かなくても」

振り向くと、いつの間にかお兄ちゃんがそこに立っていた。
全然気がつかなかった…いつ来たんだろう?

「だって、いきなりいるから…てゆーか、ちゃんとノックしてから入ってよっ」
「いや、したんだけど。 それに、弥生さんに頼まれて見に来たんだぞ」

ノックにも気がつかないほど集中して読んでたのかぁ。

「お母さんに頼まれた?」
「そう、さつきちゃんがまだ部屋から出てこないから見てきてくれ、ってな」
「そう…。もう、お母さんは心配性なんだから」
「まったく、そろそろ時間だぞ?」
「え、もう?」

言われて慌てて時計を見ると、確かにもう家を出なくちゃいけない時間だった。

「うわ〜、ゴメンねっ。 もう準備は出来てるから先に外で待ってて!」

手紙を読んでいたら予想以上に時間がたっていたようだ。

「いいけど。 ところで、何読んでたの?」
「えっ!? な、なんでも、ないよ?」

もしかして、見られてたのかな?
それはちょっと、恥ずかしい。

「ん〜? その慌てぶり、怪しいなぁ〜」
「ホントに何でも無いってばっ」

今更こんなの見せられる訳ないじゃない。
3年も前のなんだし、私がいなくなると思って書いたんだから。

「いいじゃないか、見せてくれよ〜」
「駄目なものはダメっ!」
「ふぅ、分かったよ、じゃあ外で待ってるから、早く来てくれよ」
「あ、うん、分かった」

お兄ちゃんが部屋から出るのを確認して、やっと落ち着く。
まったく、お兄ちゃんは……。

「さて、早く行かなきゃね」




「ごめん、お待たせ〜」
「さつき、遅いわよ、何やってるのよ」
「う〜、ごめんなさい〜」

外に出たとたん、お母さんに怒られてしまった。
それを見て、お兄ちゃんが苦笑している。

「も〜、お兄ちゃん笑わないでよっ」
「ははっ、ごめんごめん」

謝りながらもやっぱり笑ってる。
なんだか悔しいなぁ。

「まったくこの子は…」
「いいじゃないですか、楽しくて。 さつきちゃん、準備はいい?」
「うん、いつでも行けるよ」

そう、もう準備はオッケー。
お兄ちゃんと一緒に、新しい生活の待つ東京へ。

「それじゃ、亮一さん、さつきをお願いしますね」
「はい、任せてください」

そう答えるお兄ちゃんがやけに頼もしく見えるのは、
やっぱりどこか不安が残ってるのかな。

「さつき、気をつけるのよ」
「分かってるよ。 お母さんも、元気でね」

お母さんはやっぱり心配そうだった。
2年間、お母さんと離れて暮らすんだ、って事に
今更ながらに思い至って、少し寂しくなる。

「そうだ、弥生さん。1ついいですか?」
「あ、はい、なんですか?」

急にお兄ちゃんが改まった声を出した。
そして真剣な目でお母さんを見て…お母さんもつられて真面目な顔になる。

「2年して、さつきちゃんが調理師の免許を取ったらここに帰ってきます。
 当然、俺も一緒に」

そう、私は東京で2年間調理師学校に通って、調理師の免許をとるつもりだ。
だけど、何でそんな事を今更?

「その時は、さつきちゃんを、俺にください。
 さつきちゃんと、結婚させてください」

そこまで言うと、お兄ちゃんは勢いよく頭を下げた。

「〜〜〜っ、お兄ちゃん!?」

驚いてまともに声も出なかった。
だって、いきなりそんな事言い出すなんて…。
お兄ちゃんて、たまに強引な時があるけど、今日は特に強引だよ〜。
うわ〜、なんだか顔が熱くなってきたよ。
そうだ、お母さん、は?

「あ…お母さん?」
「弥生さん?」

泣いていた。
口もとを手で押さえて、静かに。

「あ、ありがとうございます。 もちろん。 お受けします」

それでも震える声で何とかそれだけ言うと、泣き続けた。

「ちょっと、お母さんなんでそんなに泣くのよ?」
「あ…ごめんね。 でも、嬉しくて」

少し落ち着いてから、涙を拭いながら、話してくれた。

「さつきも、立派になったんだな、て。
 ちゃんと成長して、恋もして、恋人が出来て、
 結婚したい、なんて言ってくれる人が出来るようになったんだな、て。
 そう思ったら、嬉しくて…亮一さん本当に、有難うございます」

そう言って、深々と頭を下げた。
お兄ちゃんも、これには驚いたみたい。

「やめてくださいよ、そんな。
 俺はただ、さつきちゃんの事が好きなだけで…」

慌てながら、結構恥ずかしい事を言ってくれている。

「ふふっ、そうでしたね。 さつきの事、改めてよろしくお願いしますね」
「はいっ、もちろんです」

「さつき、良かったわね」
「あ……うん」

また、自分でもわかるくらい顔が赤くなってると思う。
凄く恥ずかしい…でも、とても幸せな気持ちだった。

「さぁ、そろそろ行った方がいいんじゃないですか?」
「あ、そうですね…それじゃあ」

お母さんの声に我に帰ったように、時計を見る。
…もう、出発しよう。

「お母さん、行ってくるね」
「いってらっしゃい」

別れの挨拶はそれだけ。
きっと二人とも色々言いたい事はあって。
でもそれは口にしなくても伝わる気持ちだと思うから。
それに、気を抜くと、涙が溢れそうだったから。

「じゃあいこうか、さつきちゃん」
「うんっ」

精一杯元気に返事をして、明日菜楼に背を向けて歩き出す。
途中、一度だけ振り返った時、お母さんはやっぱり泣いていた。

きっと、私も泣いていた。




「あーあ、この桜もしばらく見れなくなるのかぁ」

駅までの道、少し遠回りして桜並木を通る。
この道にも、色んな思い出がある。
そういえば、二年前の今日もこの道をお兄ちゃんと二人で通ったな。

「何言ってるんだよ、二年もすればまた見れるだろ」
「う〜、そうだけど…お兄ちゃんはロマンがないね」

まったく、人がせっかく素敵な思い出に浸ってたのに。

「ロマンねぇ…そう言えば、あの時も桜が綺麗だったなぁ」
「……え、あの時って?」
「2年前、だっけ? あの時は夜だったけど」
「うん……綺麗だったね」

そっとお兄ちゃんに寄り添って、腕を絡める。
覚えていてくれた。
今、二人で同じ事を考えていた、それがとても嬉しくて。

「お、なんだよ、急に」
「ん〜ん、何なんでもないよ」
「まぁ、いいけど…」

そう呟いたお兄ちゃんの横顔が、心なし赤くなっていた。
私だって同じくらい赤くなっていると思うけど。

「そういえば、今年は用意できなかったな、プレゼント」
「仕方ないよ、色々忙しかったもんね」

実際、ここ数日は引越しの準備やらでそれどころでは無かったと思う。

「ん〜、でもなぁ」
「もぅ、気にしないでいいのに。 それにさっき貰ったじゃない」
「ん?さっき、て……あっ」
「そう、お兄ちゃんからのプロポーズ。
 ありがと、すっごく、嬉しかったよ」

言ったとたん、お兄ちゃんの顔更に真赤になった。
ちょっと、可愛いかも知れない、なんて思うほど。

「あ〜、まぁ、あれは、そういう事だから、俺と、結婚してくれる、よな?」

さっきはあんなにはっきり言ったのに、今度はなんで照れ交じりなのかな?
……そう言えば、さっきのは直接私には言ってないんだっけ。

「もちろんだよ、お兄ちゃん、よろしくねっ」
「そか、良かった。 こちらこそよろしく、さつきちゃん」

改めて、お兄ちゃんに結婚を申し込まれた。
やっぱり、凄く幸せ、なんだけど…。

「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん? なに、さつきちゃん」
「その さつきちゃん て呼び方、変えようよ」
「え、どうして?」
「だって、子供っぽいし…それに恋人なんだからさぁ」
「ん〜、じゃあ さつき」
「うっ、なんだか恥ずかしいよ…」
「じゃあどうしろと…大体、お兄ちゃん、て呼び方どうかと思うぞ」
「え〜、なんでよ。 お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん」
「あ〜、一応言っておくが、向こうでもその呼び方してたら
 絶対妙な勘違いされると思うぞ」
「む〜、それは困るよ〜」
「だろう? まぁ、あせらないで、ゆっくり変えてけばいいさ。
 時間はたっぷりあるんだし、ね」
「うん、そうだね」

そんなことを話しながら、満開の桜並木の下を歩く。
お兄ちゃんと一緒の時間。
これからの、二人の新しい世界に向かって、進む。
何だか楽しくなって、お兄ちゃんの腕を離して駆け出す。

「あ…なに?」
「なんでもないよ〜、早く行こ〜」

後ろでのんびり歩いているお兄ちゃんに叫ぶ。

満開の桜が、風に乗って、舞っている。

よく晴れた青い空。

満開の桜。

風に舞って漂う無数の花びら。

なんだか、全てが祝福してくれているようで。

ふと思い出した、あの手紙の最後の一文。

「お〜い」
「な〜に〜、お兄ちゃん〜」

そうだ、あの頃から、今もずっと、変わる事の無い想い。

あの夏の始まりから、そのもっと前から、変わらずに。

「さつき〜っ、愛してるぞ〜っ!」

「私もだよ〜っ」

お兄ちゃんの声に負けないように叫び返す。

あの手紙の最後の言葉――




            お兄ちゃんへ
               愛しています






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