昔の事を思い出しながら歩いていると、いつの間にか家に着いていた。

というより、もう少しで通り過ぎてしまうところだった。

(何やってるのよ。しっかりしないと)

自分自身に言い聞かす。

家のドア前に立ち、ちょっと気持ちを落ち着ける。そして、ドアを開けて元気良く、

「お母さん、ただいま!」

店の奥の方からお母さんの声が聞こえてくる。

「おかえり、さつき。ご苦労様。疲れてるトコ悪いけどちょっとお店手伝って!」

「は〜〜い」

休憩してる暇は無さそうだね。早く着替えてこなくちゃ。

(さあ、もう一頑張りだね)

・・・・・・・
・・・・・
・・・



(ふう〜、疲れたな〜)

一日も終わりに近づき、ベッドの上で横になっている。

今日は何だかいろいろな事があった気がする。おかげでだいぶ疲れてしまった。

(でもお母さんは毎日もっと大変なんだから、私も頑張らなきゃ)

そう考えながらも、疲れた身体は正直に睡眠を求めているようだ。

「ふぁ・・・ぁぁ」

あくびをかみころし、目を閉じる。今日はもうやる事もないはずだからもう寝ようか。

と、不意に鼻のあたりに生暖かい物を感じ、寝ぼけながら手を当ててみる。

見ると赤い液体が付いていた。

(あ、鼻血だ、久しぶりだなぁ。と、早く拭かなきゃ、ティッシュは、机の上かな)

別に慌てる事も無く、机の上のティッシュをとるために体を起こす。

最近無かったとはいえ、鼻血がでるのはもう慣れてるし、変に慌ててシーツとかに付いたら落とすのが大変・・・

(あ、れ・・・?)

突然、腕の力が抜けて起こしかけた上体がベッドに倒れ込む。

(あれ、なんだろ、おかしいな・・・んっ)

もう一度身体を起こそうとするが、今度は腕どころか全身に力が入らなかった。

(やだ、何で、どうなってるの)

さすがに慌てる。慌てるけれど、体がほとんど動かせない。

更に急激に視界が歪み、そして目の前が真っ暗になっていった。

鼓動が早くなり、全身が痺れてくる。激しい悪寒に襲われる。

「うあ・・やだ・いやだようぅ・・・・ぅぅ・・誰か・」

気が付けば涙があふれていた。泣いているけれど、声はささやくほどにしか出なかった。

「怖い・よう・・・お母さん・・・っく、うう・・・・」

怖かった。どうしようもなく怖かった。

自分がどうなっているのか分からない。どうなってしまうのか分からない。

だけど、だれも傍にいない。誰も来てくれない。闇の中で、たった一人だった。

・・・・・・・
・・・・・
・・・


十分程たったころだろうか、既に鼻血は止まり、体の異常もほとんどおさまっていた。

けれど体が震えている。涙が止まらない。シーツの顔のあたりが真っ赤に染まっていた。

「うぅ・・・こんなのいやだよ・・助けてよ・・・・お兄ちゃん・・」

壊れそうな恐怖の中で、あの人の事を思い出した。

いつもそばにいてくれたあの人。私を支えてくれた、私を助けてくれた、私を強くしてくれた、あの人。

無性に会いたくなった。



あれから2週間が過ぎた。あれ以降身体に異常は無い。

私は今日もお店を手伝っている。

あの日の事はお母さんには言わなかった。あまり心配させたくはなかったから。

病院でも言わなかった。・・・言えなかった、怖くて。

もしかしたら取り返しのつかない事になっているかも知れない。それが怖かった。

・・・最近何となくおもう。

今年の夏は、きっと特別な夏だ。何が特別なのかはまだ分からないけど。

絶対に、後悔の残らないようにしなくちゃいけない、そう思う。

何をしようか、文ちゃんたちを誘ってどこか旅行にでも行ってみようか。

あ、でも凛の所でお祭りがあるから無理かな・・・お祭りで葉子さん踊るのかな。

「ちょっとさつき、ぼっとしてないでこれ運んで!」

考えていたらお母さんに怒られてしまった。

そう、まずはお店をちゃんと手伝わないとね。

店内はまだすいているけれど、お昼はこれからだから、忙しくなってくるだろう。

「お待たせしました〜」

お客さんに料理を運ぶ。カランカラン――。

と、ドアが開く音、どうやらまたお客さんが来たみたい。

「いらっしゃいませ〜♪」

とびきりの笑顔を浮かべ振り返る。

「・・・あ・・・」



瞬間、開いた扉から吹き込んだ初夏の風がさつきの前髪を揺らし、視界をさえぎる。

でもその直前、確かに見えた顔、懐かしい面影を残すその顔は・・・

(お兄・・・ちゃん・・・・・?)

そして・・・


あの夏が、始まる―――。



End and Start



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