雪さんへ・・・




「・・・ふぅ、どうしようかなぁ」

自分の部屋のベッドに寝転んだまま、
今日何度目になるか分らない言葉を呟いて、時計を見上げる。
どんな時でも律儀に動きつづけている時計が、
既に15時を回っている事を教えてくれる。
そのまま、これも今日何回も見ているカレンダーへ視線を移す。
何度見たって変わるはずの無い今日の日付けは・・・。

《3月14日》

・・・そう、世間では、ホワイトデーなんて言われてる日だ。
バレンタインデーにチョコをくれた人にお返しを送る日。
一般的には、キャンディーをあげるのが定番って事になっているらしい。
・・・らしい、けど。
流石に、それだけって訳にはいかないよな。
それに相手が相手だけに、お菓子を渡すのはためらわれる。
それにしても、去年まではどうしていたんだろう・・・。
まさか自分がホワイトデーのお返しで悩む事になるなんて・・・。

「・・・ふぅ」

なんだか考えるのにも疲れてきて、静かに目を閉じる。
そうすると、布団から漂ってくるかすかな匂いを感じる。
太陽の匂い・・・雪さんの匂い。
いつもは落ち着けるその匂いに、だけど今は複雑な気持ちになる。
少しの不安と、焦る気持ちと、それでもやっぱり安心しているような。
・・・矛盾している。
だって、僕が今悩んでいるのは、雪さんのせいなんだから・・・。



・・・・・・コンコン
控えめなノックの音、それに続いて。

「あの、透矢さん、よろしいですか?」

雪さんの、優しげな声。
いつの間にか少しうとうとしていたらしい僕は、
それをどこかぼんやりした頭で聞いていた。

「庄一さんがいらっしゃってますけど・・・寝てらっしゃいますか?」

そこまで聞いて、やっと意識がはっきりしてくる。
とりあえず、寝ている場合じゃないんだった。

「起きてるよ。ありがとう、すぐに行くからちょっと待っててもらって」
言いながら、時計を確認。
15時半を少し回ったところ。
良かった、そんなに経ってない。
「わかりました。ではそのように」
「ん、よろしく〜」

そして雪さんが戻って行くらしい足音。
本当に、彼女はいつも良くやってくれている。
しかもそれが全部、僕のためなんだから・・・こんなに幸せな事は無いと思う。
だからこそ、僕もしっかりしなくちゃ。
ご主人様だからとか、そんなんじゃなくて。
雪さんがもっと笑っていられるように・・・幸せになれるように。
・・・さて、早く行かないと。
いつまでも庄一を待たせとくのは悪いしね。



「庄一お待たせ〜、って・・・あれ?」
居間にやってくると、庄一の姿はそこには無かった。
代わりに、という訳ではないだろうけど、雪さんがそこにいた。

「雪さん、庄一は?」

待たせ過ぎたから帰ってしまったんだろうか。
そう少し不安になりながら聞いてみる。

「庄一さんでしたら、玄関でお待ちになっていますよ」
「そうなんだ・・・上がって待ってれば良いのに」
「雪も、そう思ったんですが・・・。
 すぐに済む用事だから玄関で良いとおっしゃられた物で・・・。
 すいません、やっぱり上がっていただくべきでしたね」

そう言って、雪さんは本当に申し訳なさそうな顔で俯いてしまう。
まただ・・・またやってしまった。
僕の不用意な一言は、いつも彼女を悲しませてしまう。
雪さんは、いつだって僕の事を一番に考えてくれる。
だから、僕の言葉にはとても敏感なんだ。
その事に気付いているのに、いつも同じ失敗をしてしまう。

「ゴメン、そういう意味で言ったんじゃないんだ。
 それに、僕が早く来なかったのがいけないんだし。
 だからそんなに気にしないで」

「すいません、雪は大丈夫ですから。
 それより、庄一さんをあまり待たせては可哀想ですよ」
「そうだったね」

そして、結局はにっこりと笑った雪さんにフォローされてしまう。
こんな時は、つくづく自分は駄目なご主人様だなぁ、なんて思ってしまう。
まぁいい。とりあえず庄一のところに急ごう。



「まったく、お前は相変わらず雪さんに弱いな」

何故かにやにやしていた庄一は僕の顔を見るなり、そんな事を言った。
・・・もしかしなくても、さっきの聞かれてたのか。

「・・・聞いてたんだね」
「聞いてたんじゃない、聞こえてきただけさ」

悪びれもせずにそんな事を言う。
実際、聞こえてきたっていうのは本当なんだろうけど。

「・・・いいけどね。で、今日は何の用?」

あまり突っ込むと墓穴を掘りそうだから、話をそらしてみる。
というより、本題に戻した、の方が正確なような気もする。

「そうだな・・・。
 大した事じゃないんだが、買い物に行くから付き合え」
「いいけど・・・何を買いに行くの?」
「それは歩きながらでも話すさ。とりあえず用意してきちまえよ」
「分かった。ちょっと待ってて」

何だろう、庄一が買い物に付き合えだなんて、珍しい。
・・・それと、なんで付き合え、って命令形で言われてるんだ。
まぁ、いいんだけど。


部屋に戻って、簡単に用意をする。
と言っても、財布を持って、コートを着るだけ。
そう、もう三月も半ばだと言うのに、
今日はコートを着るほど寒かった。



「お待たせ〜」
「よし、じゃあ行くか」
「あ、透矢さん、おでかけですか?」

玄関を出ようとしたところで、雪さんに呼び止められる。
雪さんは、どことなく寂しそうな顔をしている。

「うん、ちょっと庄一と買い物に・・・
 すぐ帰ってくる・・・と思う」

言いながら、まだ庄一に目的を聞いてないことを思い出した。
多分平気だと思うけど、すぐに帰ってこられるのだろうか。

「大丈夫だ、そんなに時間は取らせないさ」

僕の表情から何となく察してくれたんだろう。
庄一が苦笑しながらもフォローを入れてくれた。
・・・ホント、こういう時は庄一の察しのよさが羨ましい。

「だ、そうだから。すぐに帰ってくるよ、雪さん」
「そういうこった。
 じゃあ雪さん、透矢をちょっと借りてくぜ」
「ふふ、分かりました。
 でも、ちゃんと返してくださいね?
 透矢さんは、雪のご主人様なんですから」
「分かってるさ、ちゃんと送り届けるから心配するな」

・・・なんだか不思議なやり取りだ。
二人とも完全に僕で遊んでるよな。

「はい、それではお気をつけていってらっしゃいませ」
「あ、うん。行ってくるね」

いつの間にか二人の間で話はついていたらしい。
雪さんは笑顔で僕を見送ってくれた。
・・・だけど、その笑顔がやっぱり少し寂しげに見えたのは、
僕の気のせいだろうか。




「それで、何を買いに行くのさ?」

歩きながら、ずっと気になっていた事を聞いてみる。
去年の夏から今日までの、短い記憶の中では
庄一に買い物に誘われた事なんて無かった。
もっとも、僕が色々と大変だったから遠慮していた、て可能性もあるけど。
それにしたって、庄一のこういう行動は珍しいと思う。

「あ〜いや、大した事じゃないんだ、ホントに」

心なしか、照れたように顔をそらす。
そんな庄一を見て、何となく予想がついてしまった。

「そっか・・・。庄一も大変だね」
「お前ほどじゃないとは思うがな。
 しかし、お前にこうも簡単に気付かれるとは、ショックだな」
「はは・・・何気に酷い事言ってるよね」

僕はそんなに鈍い奴だと思われているんだろうか、やっぱり。

「ところで、誰に渡すのか聞いてもいいかな?」

僕を誘ったって事は、別に知られても構わない相手、て事なんだろう。
あるいは、何を買ったらいいか、なんて相談しようとしているのかも知れない。

「ん? あぁ、花梨だよ」
「へぇ・・・何だか意外だなぁ」
「だろう? 自分でもそう思うよ」

庄一にはそう言ったけど、内心では納得してもいた。
いつも軽口ばっかりだけど、結局二人とも仲は良いんだし、
花梨からバレンタインのチョコレートを渡す事は不思議じゃないと思う。
庄一にしたって、貰った以上、お返しをしようとするのは当然の事だろう。
例え貰った物が義理だったとしても。

「何を買うかはもう決めてあるの?」
「あぁ、ご丁寧にちゃんと店まで指定してくれたよ、あいつは」
「そ、そうなんだ・・・」

花梨らしいと言うか、なんと言うか・・・。
でも、それなら本当にすぐ帰れそうだ。
家を出る時の、寂しげな雪さんを思い出しながら、少し、安心する。

「で、当然お前も花梨から貰ったんだよなぁ?」

庄一が、にやにやと、実に楽しそうに笑いながら僕を見ている。

「うん、貰ったよ」
「そうだろうな。 で、どうだった?本命の味は?」
「よく出来てたと思うよ、本命かどうかは分からないけどね」

庄一の挑発は軽く流す。
いちいち反応していたら、疲れてしまう。

「ふんっ」

案の定、庄一はつまらなそうに鼻を鳴らした。
それを見て、ちょっと嬉しくなる。
恐らく、記憶を無くす前の僕と庄一の会話もこんな物だったのだろう。

「ちなみに、お前は花梨からどんな物を貰ったんだ?」
「え〜と、確か・・・クッキーをチョコレートでコーティングしたやつだね」

なんでも、そのクッキーも自分で作ったらしくて、
結構手間がかかったと言っていた。
その甲斐あってか、程よい甘さのそれは、
僕にはとても美味しく感じられて。
いつか花梨が言っていた、料理は得意、という言葉が
嘘じゃなかったんだと実感した。
・・・別に疑っていた訳ではないけど。

「そうか・・・やっぱりそれだったか」
「え? どういう事?」
「実はな・・・俺も全く同じものだったんだ。
 だけど、俺の方は焦げてたり形がイビツだったりで、酷かったがな」
「えぇと、それはつまり・・・」

僕と庄一には同じ物が渡されていた。
だけど、庄一のは焦げていたりして、僕のはよく出来ていた。
と、言う事は・・・。

「庄一には練習で作ったのを渡した、て事かな?」
「そういう事だな。
 まぁ当然と言えば当然だが」

そう言って苦笑する。
流石に今回ばかりは庄一が気の毒な気がする。

「で、お前はもう花梨には渡したのか?」
「うん。 花梨にリクエストされてたからね。
 もう渡してあるよ」
「そうか・・・とすると、残るは雪さんだけか?」
「そのとおりだよ、何で分かったの?」
「分かるさ、そのくらい。もっと言ってやろうか。
 他にもあの双子と、鈴にもやっただろう?」
「凄いね、庄一。正解だよ」
「凄い事なんて無いさ。
 分かりやす過ぎるんだよ、お前の場合は」
「そうなのかなぁ・・・」

でも、庄一もきっと気付いていない事もある。
マリアちゃんとアリスには、二つずつあげたんだ。
だって、あの二人からも二つずつ貰ったから。

最初は、二人で一つの物を持ってきてくれた。
で、その後、今度はアリスが一人でやって来て・・・。
・・・・・・
・・・

『透矢、あげるわ』
『え? でもさっき貰ったよね?』
『さっきのは私とマリアからのでしょう。
 こっちは私からよ』
『そなんだ・・・ありがとう。でも、どうして?』
『勘違いしないでね。あなたにはいつも妹が世話になってるからそのお礼よ。
 それ以上でも、それ以下でもないわ』
『そういう事・・・。分かった、ありがたく貰っておくね』
『何か言いたそうな顔ね・・・まぁいいわ。
 それと、この事はマリアには言わないで。騒がれるのは嫌だから』
『分かってるよ』
・・・・・・
・・・

そして、アリスが帰ったすぐ後に、マリアちゃんがやって来て・・・。
・・・・・・
・・・


『透矢さんっ、あのぅ・・・これ、貰ってくださいっ!』
『ありがとう・・・これは、マリアちゃんから、って事で良いのかな?』
『あ、はいっ、そうですっ。
 透矢さんにはいつもお世話になってますし、
 お姉ちゃんが色々と迷惑掛けたりもしているので、
 そのお礼とお詫びも兼ねて、なんですけど・・・』
『迷惑だなんて思った事は無いけどね。
 ともかく、嬉しいよ、ありがとう』
『はいっ・・・それと、この事はお姉ちゃんには・・・』
『大丈夫、言わないよ』
『はいっ、ありがとうございます!』
・・・・・・
・・・


何て、結局あの子達は二人とも相手のことばっかり考えてるんだから。
本当に仲のいい姉妹だよ。

「・・・何一人でニヤニヤしてるんだ? 気味が悪いぞ」
「あ、ごめん、何でもないんだ」

あの二人の事を思い出していたら、表情に出ていたらしい。
それにしても、酷い言われようだな、気味が悪いだなんて。

って、そういえば・・・。

「庄一、また鈴蘭ちゃんに変な事教えただろ?」
「変な事? 何のことだ?」
「バレンタインのプレゼントの事で」

そこまで言うと、庄一も心辺りに気付いたらしい。
妙に納得した顔で、

「いや、別に間違った事は教えてないと思うが?」

僕がバレンタインの日に鈴蘭ちゃんからもらったのは・・・
鈴蘭ちゃん自身だった。

雪さんに呼ばれて彼女の部屋に行ってみたら、いつの間にか鈴蘭ちゃんが・・・
綺麗なリボンと包装紙でラッピングされた鈴蘭ちゃんがいて、

『わはー、透矢ちゃ〜ん!
 僕の事もらって〜っ!』

だもんな・・・。
何となく眩暈を感じながら聞いてみたら、案の定。

『バカ庄ちゃんに教えてもらった〜』

って、嬉しそうに・・・。
しかもそれを見た雪さんまで同じ事をやろうとするし。
さすがに止めたら、凄く残念そうな顔をしていたっけ・・・。

「て言うか、鈴蘭ちゃんに何を言ったのさ?」
「あ〜、あいつが、透矢ちゃんが一番喜ぶのは何か、って聞くから
 鈴自身だ、って言っただけだぞ」
「・・・また妙な事を。
 しかも聞いていると僕が危ない人みたいじゃないか」
「その通りだろ?」

当然のようにそんな事を言う。

「はぁ・・・もういいよ。
 早く済ませて帰ろう」
「そうだな」

そうだよ、下らない事言い合っている場合じゃなかったんだ。
、あだ。雪さんにあげるものは決まってすらいない・・・。
何か、雪さんが喜びそうな物があるといいんだけど・・・。

・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・




「ただいま〜」
「おかえりなさい、透矢さん。
 すぐに夕食の準備が出来ますから、お部屋で待っていて下さいね」
「うん、分かった・・・」

結局、帰ってきた時には日も暮れかけていた。
僕は自分の部屋に戻りベッドに倒れ込む。

「・・・ふぅ」

そして、また溜息。
部屋の中は、差し込む夕陽で、茜色に染まっていた。

「雪さん、喜んでくれるかな・・・」

目の前に、さっき買ってきた、雪さんへのプレゼント。
実際、大した物じゃない。
でも、雪さんの事だから何を貰ったって、
僕から貰ったという事実だけで喜んでくれるのだろう。
でも、だからこそ、何をあげたらいいのか分からなくなる。
・・・目を閉じて、ちょうど一ヶ月前のことを思い出す。
雪さんが、とても幸せそうに笑っていた事・・・。
・・・・・・
・・・



『透矢さん、これ、雪からのバレンタインデーです』
『ありがとう、雪さん』

そう言って、彼女が僕の前に差し出したのは、
シンプルで、それでいて綺麗なチョコレートケーキ。

『凄いね、これ。 手作り?』

我ながら、マヌケな質問だと思う。

『当然です。 雪が透矢さんだけのために作った特製ですよ』
『そうなんだ・・・食べていい?』
『もちろんですよ、今お茶を淹れますね』

僕が席につくと、すぐに雪さんが紅茶を持ってやって来る。
あたりに、紅茶の香りが広がる。

『・・・どうですか?』

僕がケーキを一口、食べるのを待って雪さんが聞く。
少し、不安そうな顔で。
そんな顔をしなくたって、僕の答えは決まっているのに。

『うん、凄く美味しいよ。丁度いい甘さで』
『そうですか、良かったです』

それを聞いて、やっと笑顔を浮かべる。
ずっと僕を一番に考えてくれている彼女の作る物が、
僕にとって美味しくないはずなんてないのに。

『それにしても、雪も鈴蘭さんのような事、しなくて良かったんですか?』
『え? ・・・って、い、いいんだよあんな事』

いつもの調子に戻った雪さんのいたずらっぽい微笑み。
きっと、鈴蘭ちゃんが自分をプレゼントしようとした事を言っているんだろう。
・・・うかつな事を言うと、雪さんは本当にやりかねないから。

『それに、雪さんが作ってくれたケーキは美味しいし。
 僕はこれで充分嬉しいから』
『あら、透矢さんは雪よりケーキの方が良いんですね』

そう言って、拗ねてみせる雪さん。
冗談だと分かっていても、慌ててしまう。

『ごめん、そういうつもりじゃないんだよ・・・』
『ふふっ、分かってますよ。透矢さんは優しいですから』

そして、楽しそうに、幸せそうに笑う雪さん・・・。
・・・・・・
・・・



僕は、雪さんにたくさんのものを貰っている。
どうしたら、それに答えられるのかな。
全てに答える事は無理でも・・・。

また、答えの出ない思考に嵌まり込みそうになって、
気分を変えようと、窓から夕焼けの空を眺める。
そして・・・


その瞬間、僕は自分の目を疑った。
そこにある光景に、目を奪われた。

「そうだっ、雪さんに・・・」

雪さんはずっと夕食の支度をしているから、気付いていないはずだ。
そう思った時には、僕は食堂に向かって駆け出していた。

「雪さんっ!」
「あら、透矢さん、どうしたんですか?
 夕食でしたら、もう少しお待ちいただけますか?」
「違うんだよ、とりあえず来てっ!」
「え、ですが、夕食の支度が・・・」
「いいからっ」
「あっ!」

戸惑う雪さんの手首をつかみ、強引に庭へ連れ出す。


そこに、僕が雪さんに見せたかった景色が・・・。

茜色に輝く夕焼け空から。

太陽の光を受けて白く輝く。

・・・雪が。

「雪、ですね・・・」
「うん・・・」
「綺麗ですね・・・」
「・・・そうだね」

二人とも、言葉もなく、立ち尽くした。
雲ひとつなく晴れ渡った、三月の夕焼け空。
そこから舞い降りてくる、白いかけら。
それはまるで・・・。
それはまるで、あの日みた景色のようで。
あの日、雪さんと二人で、あのマヨイガで見た景色のようで。

「雪さん?」
「あ・・・、すいません・・・・」

ふと横を見ると、雪さんの目から涙が流れていた。
だけどその顔はとても幸せそうで。

「すいません・・・雪、嬉しいんです・・・。
 あの日の事は、やっぱり夢じゃなかったんですよね・・・」
「・・・・・・え?」

そう、それはきっと、今僕が考えていた事。
あの日、マヨイガで雪さんと再会した日。
気が付くといつの間にか僕達は戻ってきていた。
皆のいる、この場所に。
そして、僕らが戻ってきても、何事も無かったかのように全てが過ぎるから。
いつしか、あの出来事は夢だったんじゃないか、なんて思っていた。

雪さんに聞いてみようと思った事もあった。
だけど、怖かった。
そんな事をしたら、その瞬間に全て夢になるんじゃないか、なんて。
だけど、それは雪さんもおなじだったんだ・・・。

「夢なんかじゃない。 僕は、ここにいるよ」
「そう・・・ですよね」

だけど、まだ雪さんの涙は止まらなくて。
そんな顔も綺麗だな、何て思うけど、やっぱり笑って欲しい。

「雪さん・・・これ」

そう言って、さっき買ってきた、贈り物を渡す。

「あ、可愛い・・・これは?」
「今日はホワイトデーでしょ? だから」
「あ、ありがとうございますっ」

やっと、雪さんは笑ってくれた。
瞳の端に残る涙を拭って。

僕が渡したのは、小さな、雪だるまのぬいぐるみ。
何をあげたらいいか分からなかった僕は、
雪さんの部屋にぬいぐるみがいっぱいあった事を思い出し、
彼女のパジャマや布団の模様を思いし、
これを選んだ。

雪だるまは、両手で、小さなハートを抱えていた。

「ありがとういございます。 大事に、しますね」

そして、愛しそうに雪だるまを抱きしめる。

「でも、ごめんね、こんな物しかあげられなくて」
「そんな事ありませんよ。
 透矢さんから頂けたんですから、雪にとっては宝物です」

・・・予想通りの答え。

「でも・・・」
「気にしないでくださいよ、雪は本当に嬉しいんですから。
 それに、透矢さんは他にこんなに素晴らしい物くださったじゃないですか」

そう言って、彼女は空を見上げる。

雪は静かに降り続いている。
地面に落ちた雪は、積もることなく、そのまま染み込んでゆく。
まるで、全てを癒すように。

「でも、これは僕がやった訳じゃないし」
「ですが、雪は気付いていませんでした。
 それを透矢さんが教えてくださったんですから、
 やっぱり透矢さんからの贈り物なんですよ」

嬉しそうに笑ってくれる雪さん。
それを見ると、余計にもっと色々してあげたいと思ってしまう。
・・・だけど、何ができるんだろう。

「いいんですよ、透矢さん」

雪さんは、まるで僕の悩みを見透かしたかのように、
――前にも言いましたけど、そう言って僕の手を取り、

「雪は、ここがいいんです。 透矢さんのいてくださるここが。
 それだけで、雪はとても幸せなんですから」

幸せそうに、本当に幸せそうに、笑ってくれた。

その時、やっと気付いた。
僕はどうしたってこの人には敵わない。

こんなにも、愛してしまっているのだから。

「では、そろそろ夕食にしましょうか。
 あ、仕度がまだ途中なんでした」

舌をぺろっとだして、いたずらっぽく微笑む。
そんな仕草も愛しいと思う。

だから、僕が雪さんにしてあげられる事。

「よろしければ、手伝っていただけますか?」

あの日の、誓い。

「一緒に、やりましょう?」
「あ、うんっ、もちろんっ!」


そう、ずっと、一緒に・・・。






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