所沢市・小手指ヶ原

小手指ヶ原は、昔一面の原野で北方の狭山市の入曽から入間市の藤沢までがその範囲に含まれ、背後が狭山丘陵という戦略上の好条件と、鎌倉街道沿いで鎌倉を守る防衛拠点となるため、古来戦場となる事が多くありました。

歴史的に小手指ヶ原が戦場となった有名な合戦は、元弘3年(1333)の新田義貞の鎌倉攻撃で、上野国生品明神で挙兵した義貞は、鎌倉を攻めるため武蔵国へ入りました。

それを迎え討つため幕府軍は金沢貞将・桜田貞国らを下河辺・入間川へ派遣しましたが、入間川に向かって北上中の幕府軍が小手指ヶ原に到着したしたときは、すでに新田軍が前面に布陣をしていました。

ここで両軍が衝突し、一進一退の攻防が5日間に及び、ついに義貞は北条軍を破り怒濤のごとく鎌倉に攻め入りました。

この合戦のおり、義貞が源氏の白旗を掲げ本陣を置いたと伝えられる地点を白旗塚といわれ、この付近を県記念物(旧跡)として指定されており、小手指ヶ原古戦場の碑が建てられています。

また、この塚の北側に誓詞橋という橋がありますが、小手指ヶ原で一戦を交える際、義貞公が従ってきた勤皇の誓いを交わしたところからこの名がついたといわれています。

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