演劇実験室∴王国 第拾参召喚式

破提宇子 はだいうす "The Clashing of Deus"

神は何処におわすや? 神は何を望みしや? 我が魂は何処にありしや?
「ぱらいそ」か? 「いんへるの」か? それとも「靖国」か……?

2015年10月28日~11月3日

於:ウッディシアター中目黒


総合演劇雑誌『テアトロ』2015年10月号に台本掲載中

日々これ更新、『破提宇子』稽古場日記


 時に1940年、昭和15年の日本は、神武天皇が即位し大和朝廷を開いてから2600年と言う事で、「皇紀紀元二千六百年」の国威発揚が高まっていた時代であった。前年にはノモンハン事件で夥しい戦死者を出し、「靖国の母」という言葉が流行語ともなっていた時代であった。日本はドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結び、世界戦争への危機は高まっていた。植民地下にあった朝鮮民族の人々に、創氏改名として日本名が強制される、そんな時代であった。

 日本の何所か……山と森に隔てられた寒村、戸来村は古くからの潜伏キリシタンの信仰を守る、言わば隠れ切支丹の里であった。その小さな村に、「靖国の母」の一人である靖国奉賛会の使者が訪れた。次の靖国神社の例大祭に、村の戦死者遺族を招く為に、そして、翌月に皇居前広場で行われる紀元二千六百年記念式典に招く為に……だが、彼女に伴ってやって来たのはその身分を隠した特別高等警察の刑事達であった。首を捻られて殺害された村でただ一人の医師の事件、そして村人達の愛国心、忠誠心を見極める為に……

 そして、戸来村、御嶽本家の当主、御嶽佐兵衛にはもう一つの心痛があった。息子や孫、全ての跡取りとなる男子を戦争で失い、ただ一人残った孫娘の璃辺華(りべか)には、得体の知れぬ霊が取り憑き、不可思議な言動を繰り返していた。そして殺害された医師は、孫娘の部屋から、硝子窓を突き破って投げ捨てられていたのだ。

 フィールドワークにやって来た民俗学の女学者と精神分析医、何処から来たとも思われぬ歩き巫女や帽子の浮浪者……ひっそりと隠れていた村に、多くの人々が集まる中、一つの報せが告げられた。身寄りが無く、本家から出征してノモンハンで戦死したはずの男が、村に帰って来たと……その時、一年前から壊れて動かなかった本家の……村でただ一つの柱時計が時を告げ始めた……!

 医師殺しの犯人は誰か? 本家の孫娘に取り憑いたのはいかなる霊か? 村から出征し、独り残らず戦死してしまった若者達の魂は何処にあるのか……? 「ぱらいそ」か、「いんへるの」か、それとも、「靖国」か……?

作・演出/野中友博

PERFORM

阿野伸八/恩田眞美/松永太樹

野口清和/野上文/藤井佳代子(青年座)/
松岡規子/円谷奈々子/山本隆世(1980)

尾山道郎/原佳代子

坂元郁子/佐藤駿平/樽本綾子/中村真衣






CREW

美術/丸山賢一 照明/中川隆一 音楽/寺田英一 音響/青木タクヘイ 

衣装/兼松光 振付・殺陣/恩田眞美 舞台監督/川田康二

制作/高橋ゆうき → 在倉恭子 制作協力/菊地廣
 制作助手/松永太樹 演出助手/中村真衣

宣伝美術/KIRA Web担当/HIMIKO


CO-CREW

石井雅典/鰍沢ゆき/佐藤由美子/重村香織/萩谷正人






MUSICIANS

寺田宏/Guitar, Synthesizer & Other Instruments
小林拡史/Drums & Percussions
龍谷真央/Flute

THANKS

ひよこ組/あとむの会/INDISCIPLINE/K企画/ギャラリー&占いシコウ

葛城啓史/菊地廣/半田充/三浦美穂子/山本紫圭里


信じる自由と信じない自由

 『破提宇子(はだいうす)』はハビアンというキリシタン名、あるいは不干斎巴鼻庵という号のみが伝わる転びイルマン(修道士)の書いた廃耶書、即ち徳川幕藩体制下では御禁制とされたキリシタン信仰を批判する文書の題名である。このハビアンという人物、元々禅僧であったが受洗してイエズス会に加入し、『妙貞問答』等のキリシタン擁護の著述を著しているが、後に修道女と駆け落ちして棄教し、キリスト教を迫害する側に回ったという数奇な人生を生きている。

 私はこれまで演劇実験室∴紅王国の作品として、隠れ切支丹、あるいは近現代のキリスト教や聖書に由来する劇を数多く書き、上演してきた。旗揚げ作品となったテアトロ新人戯曲賞の受賞作でもある『化蝶譚』は青木ヶ原樹海の深奥に迷い込んだ人々が、隠れ切支丹信仰を守る蝶の姉妹と出会う物語であった。吸血鬼をエイズ、即ちHIVのメタファーとして描いた『不死病』の舞台は、敗戦後間もない隠れ切支丹の里、戸来村だった。今回の作品、『破提宇子』は、『化蝶譚』の時代(一九四〇年)に、『不死病』の舞台となった戸来村という隠れ切支丹の里で何があったのか……という事を出発点としている。とはいえ、『破提宇子』はそれ自体独立した物語なので、前掲二作の続編でも前日譚でもない。

 一九四〇年、即ち昭和十五年という年は、第一には日独伊三国同盟の結ばれた年として記憶されているだろう。前年にはノモンハン事件で日本軍は多くの戦死者を出し、「靖国の母」という言葉が流行語の一つとなる時代だった。そして、神武天皇の即位より二千六百年と言う事で、皇紀紀元二千六百年式典などが行われ、国威発揚が行われていた。また、創氏改名という法が施行され、当時は我が国の植民地であった朝鮮民族の人々に日本名が強制されたりもしていた。一般には知られない事だが、この年には皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会という物が、二万人もの人を集めて青山学院で行われている。

 私は時に、排斥されるマイノリティーの象徴として隠れ切支丹を取り上げ、また時には人々の自由を縛る迷妄としてキリスト教原理主義を描いた事もある。まるでハビアンのようでは無いかと言われそうだが、今回はこれまでの作品と決定的に違う事が一つある。それは当の私自身が洗礼を授かってキリスト者となっている事だ。二〇一二年、父の死を看取った私は教会に通うようになり、翌年のイースターに受洗した。それから間もなく、母を亡くし、妻の他に家族と呼べる者はいなくなってしまった。そしてその年の末、安倍晋三は靖国神社に参拝した。信仰を持つ身となってから、靖国は戦前の国家神道の悪夢を蘇らせる恐怖の対象となった。『破提宇子』という題名は、キリストを救世主として受け入れ、それを魂の自由としている人々にとっての恐怖の対象として、作品題を『ドラキュラ』とか『ゴジラ』と付けるような物だった。

 だが、構想を続けるうちに、私は一つの葛藤を抱える事になった。それはキリスト者であるという今の自分の立ち位置を俯瞰し、更に跳び越えた位置に立たなければ、人間の魂の自由その物に迫る事は出来ないという作劇上の超課題であった。そう、受洗した今となっても、私の心の中には、主なる神への賛美と、『神』という権威に抗おうとする相反する声があるのである。ある日の礼拝後、私は牧師先生にこう質問した。「主は何故人間に自由意志をお与えになったのですか?」と……そして第一稿の脱稿を果たした後、「教会から破門される事を覚悟で書きました」と申し上げた。

 靖国神社に対する批判的な要素を含むこの劇は、ある種の方々にとってはたまらなく不愉快な物だろう。だが、過去の植民地下にあった韓国、台湾などの日本軍軍属の御遺族達は、靖国からの合祀取り下げを切に願っているし、日本人の中にも仏徒であるから、キリスト者であるからという理由で合祀取り下げを願う遺族は少なくない。そして集団的自衛権の行使、安保法案の施行に伴って自衛官に戦死者が出て、それが靖国に祀られるとなったら、国家神道が仏教やキリスト教などを超越した超宗教として君臨するという悪夢はまさしく現実の物となるだろう。

 私は私自身がクリスチャンになったからと云って、劇団員に「キリストを受け入れて福音を信じなさい」等とはただの一言も云った事がない。妻にすら、「教会の礼拝に出席して欲しい」と云った事は無い。私に信じる自由があるように、誰にだって信じない自由はあると思うからだ。キリスト者には、南無阿弥陀仏を唱えて阿弥陀如来に帰依する事をしない自由があるし、仏弟子にはナザレのイエスを救世主として受け入れる事をしないで良い自由があるだろう。同様に「靖国の英霊への敬意」という物を信じない自由があってしかるべきだと私は思う。信じない自由が無ければ信じる自由もまたあるまいと思う。

 それが劇団員達に「刺されたらどうするんですか?」と心配されるようなこの劇を書き、上演する理由である。ジャン・ポール・サルトルは云った。

「人間は生まれながらに自由の刑に処せられている」
紅王∴野中友博

料金:前売り-4000円 当日-4500円

  10/28(水)  10/29(木)   10/30(金) 10/31(土)  11/1(日)  11/2(月)  11/3(火) 
 昼の部  × ×   ×  14:00  14:00  ×  14:00
 夜の部  19:00 19:00  19:00   19:00 19:00 19:00  × 

公演は終了いたしました。
多数の御来場ありがとうございました。


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