A LABORATORY OF THEATER PLAY CRIMSON KINGDOM

不死病 公演記録

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不死病−チラシ−表 不死病−チラシ−裏

第参召喚式 『不死病(フジノヤマイ)

【時】 1999年11月17日〜23日

【所】 ウッディーシアター中目黒

【スタッフ】
 作・演出…野中友博/音楽…寺田英一/美術・装置…亜飛夢/照明…中川隆一/宣伝美術…河合明彦/衣裳…高野宏之/写真…川崎真嗣/小道具…松木淳三郎/舞台監督…中島信行/制作…島田雄峰

【出演】
 吸血姫…恩田眞美/御嶽栄作…末次浩一/那由多…渡辺聡(俳優座)/千歳…広瀬奈々子/刹那…恩田眞美/菜緒美…鰍沢ゆき/瀬戸…松本淳一/袴田…園部貴一/瑠都…大川戸由嘉/甲斐…中川こう/美奈…沢村小春/猪作…鈴木淳(TBワンスモア)

【概略・備考】
 終戦後の寒村で連続して起こった失血死事件と、村に伝わる吸血鬼の伝承に端を発し、人を吸血鬼に変えてしまう伝染病「後天性不死症候群」を巡って、根絶か共存かで対立する医師の立場と、信仰や習慣から差別される病者の運命……エイズ問題のメタファーとして、吸血鬼を病者という視点から描き、ロマンチック・ホラーとして完成させた力作。遠近法を多用する様式美と装置が好評であった。演劇実験室∴紅王国の前期代表作として、一つのピークを迎えた作品である。
 『テアトロ』2000年3月号での特集、【'99舞台ベストワン・ワーストワン】にて、劇評家・七字英輔氏に、同年、野中書き下ろしによるシアトリカル・ベース・ワンスモア公演『倭王伝』と共に、ベストワンに選出された。
 本作の上演台本は、カモミール社より同名戯曲集として出版された。
 また、2001年には愛知県立木曽川高校演劇部が高校演劇の地区大会にて本作を上演している。 

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【劇評・その他】

 さて、テアトロ新人戯曲賞受賞者である野中友博だが、この劇作家は、リージョナルな空間というか、過去が蓄積された濃密な(地方的な)土地を好んで導き出す。新作(演出も)の紅王国公演『不死病』(於・中目黒ウッディーシアター)も、またそういう作品だ。
 何世代にもわたる吸血鬼の物語で、父≠ネる存在が息子≠ネるものの血を吸い、兄と妹が、姉と弟が血を吸ってつながっていく(おぞましい)血族≠ヘ、そのまま共同体の治者、ということが明らかになっていく。
 この共同体は我々に馴染みのあるもので、国史へとスリリングに移行させて、ゴシックロマンに終わらせないところが、野中作品たるゆえんである。極めでデモーニッシュな内容を、強固なスタイルで押しまくり、観客を説き伏せてしまうのだ。(旧)共同体にかかわらない若い人物たちは、生きのび、くびきを解かれて、新しい自由とロマン(ス)に一歩踏み出すというエンディングがホッとさせる。
 目算で間口四間、奥行き三・五間ほどの舞台だが、奥から手前に徐々に芝居が移ってくる遠近法を強引に多用し、小さな舞台を広く見せる技巧に感心させられた。美術・亜飛夢。
浦崎浩實

『テアトロ』2000年1月号、劇評より抜粋

 野中は三年前のテアトロ新人戯曲賞を受賞し、その受賞作『化蝶譚』で「紅王国」を旗揚げ、『不死病』は一昨年の『井戸童』に次ぐ第三回公演になるが、ファンタジー色の濃い物語に社会性を加味するという劇団の方向性が、この作品において、ある程度、結実したといえよう。舞台となるのは、敗戦直後の隠れ切支丹の里。不死病とは、察するとおり、吸血鬼を媒介にして発生する疫病のことで、冒頭から、寝台に寝かされた美女を黒頭巾を被った異様な一団が取り囲むといった場面があり、舞台はオカルト的雰囲気に満ちている。この寒村で若い男性の変死体が見つかったというので、元帝大教授の法医学者が数十年ぶりに出身地を訪れる事になるのが物語の導入。以後、主にこの地の旧家の座敷と、切支丹進行を守ってきたからくり仕掛けの教会内部を舞台に、旧家の当主である姉妹や、寄宿している復員兵、事件調査の刑事、「ハナレ」で生活している不死病治療の医師夫婦、それに神父代理の修道女などによって、この村で発生する不死病の秘密が暴かれていくという展開になる。作者特有の衒学趣味が巧妙な舞台設定と共にうまく生かされている。
 だが私が面白いと思ったのは、そうしたゴシック・ホラー的要素のためばかりではない。むしろその逆で、吸血鬼による不死病を、感染してから発病するまでの潜伏期間に四、五百年を要する伝染病とする科学的合理的な解釈のためだ。不死病は、感染すると細胞が突然変異を起こして一切の成長・老化がストップするが、その代わり性的欲望が衰退し、患者同士の吸血がわずかにその代替行為になるのだという。病の伝搬を防ぐには患者の心臓にサンザシの木を削った杭を打ち込み、首を切り落として足元に置くという残酷な方法がとられ、その死体を焼いた灰を清水に流して浄めねばならないのは伝説のとおりだが、ここではニンニクを恐れたり、蝙蝠に変身するといった吸血鬼の習性は顧みられない。そして、「予防は治療に勝る」という信念の下、患者を根絶せんとする法医学者と「病者こそが病魔と闘う者であり、病原体ではない」という、実は自らも四百年を生きている罹患者である「ハナレ」の医師が対決する。
 このことは実に多くの類推を可能にさせる。ひとつは、劇中でも語られるように、不当な差別と偏見によって長く隔離政策がとられてきたハンセン病などの歴史、またひとつは、民族浄化とそれに伴うジェノサイドの世界史的経験である(勿論、こうした不寛容な精神は、例えば最近の、オウム真理教の信者の子供たちを教育機関が排除した論理までを思い浮かばせよう)。と同時に、発病(意識が混濁し、理性や判断能力を失って、夜行性の吸血動物になる)を恐れながら、想像を絶する長い潜伏期間を生きなければならない罹患者の「孤独」は、現代にあっては、何よりもAIDSを想起させる。それ故に「ハナレ」に隔離されている女性患者の「私を覚えていて」という叫びは、私たちにとっても痛切なのだ。時代背景も的確に描かれていて、ファンタジーでもこれだけのことが言える、と、私はまさに意表を衝かれる想いがした。
七字英輔

『テアトロ』2000年3月号、【'99舞台ベストワン・ワーストワン】より抜粋

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【舞台写真館】

断末魔の吸血姫奈緒美・甲斐・御嶽教授・瀬戸刑事

那由多と御嶽教授の対決炎上する教会

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