2004年10月27日〜11月3日
今年の年頭、小泉純一郎が初詣と称して靖國神社に参拝して以来、私の関心は専ら靖国問題と戦犯問題に向かって行った。首相が靖國神社に参拝するたびに、中韓などが問題視する「A級戦犯」の合祀は、靖國問題を語る上では避けては通れない。靖國神社は、合祀された戦犯について「昭和殉難者」と呼称している。彼らは不当な復讐裁判によって処刑された犠牲者だという見解だ。それは横浜と各国で裁かれたBC級戦犯処刑者に対しても同様である。つまり、そこにはA級を裁いた東京裁判のみならず、BC級に対する裁判と処刑も不当な行為であり、彼らは復讐裁判の犠牲者であるというというのが靖國神社とそれを支持する人びとの立場である。
東京裁判や横浜裁判が、勝者の敗者に対する復讐だったという指摘はおそらく正しいし、処刑された戦犯の多くが犠牲者であるという事も正しいだろうと思う。ただ、それは何に対する犠牲者なのかを見極めなければならないだろう。東京裁判の最大の欠陥とは、例えばパル判事が指摘したような、「裁く側の手もまた汚れている」という、広島や長崎についてのアメリカの犯罪を不問とした事ではない。それは天皇の戦争責任を不問とした事である。天皇が軍の統帥権のトップにあって、皇軍では「上官の命令は陛下の命令」であったにも拘わらず、何の責任も取らないのだから、他に有罪である被告がいる訳がない……しかるがゆえに、東京裁判や横浜裁判の戦犯たちは殉難者であると認識されたのだ。しかし、彼らを本当に殺したのは何だったのか、或いは誰だったのか……?
私は「陛下の命令」という物を守り、結果として巣鴨プリズンの十三階段を登ったBC級戦犯達に思いをはせてみようと思った。大部分の戦犯死刑囚は「天皇陛下万歳」と叫んで吊されたようだ。今年の終戦記念日に、読売新聞には、「犠牲者としてのBC級戦犯を忘れまい」という主旨の社説が載った。だが同時に、天皇に対する深い呪詛を遺して逝った中島裕雄や、「私は貝になりたい」の遺書を創作した加藤哲太郎、それらの人びとが巣鴨にいたことを忘れまいと思う。
私達は私達の国の戦争を、未だ終わらせてはいない。
料金 前売.\3,000- 当日.\3,500-
入場券は日時指定。当日指定、一部自由席となります。
10/27(水) | 10/28(木) | 10/29(金) | 10/30(土) | 10/31(日) | 11/ 1(月) | 11/ 2(火) | 11/ 3(祝) | |
昼の部 | − | − | − | 14:00 | 14:00 | − | − | 14:00 |
夜の部 | 19:30 | 19:30 | 19:30 | 19:00 | 19:00 | 19:30 | 19:30 | − |
公演は終了致しました。
多数の御来場、ありがとう御座いました。