鍛冶作業記録

直接聞く『鍛冶屋の教え』 2007年09月30日

 鍛冶作業の記録ではありませんが、熊公の鍛冶作業の火付け役となった『鍛冶屋の教え』の鍛冶屋さん、熊公にとっては神様的存在の横山 祐弘さんにお会いして、直接お話しを聞くことが出来ましたので、ここに記録として残すことにします。

 9月30日(日)に須賀川の伯父のところに行きがてら茨城県 常陸大宮市(旧山方町) 盛金の横山 祐弘さんの所に行ってきました。今年8月23日に職員研修旅行で『袋田の滝』に行ったおり、ほんの1時間半ほど自由な時間が出来たときにタクシーを飛ばしてお伺いして30分位お邪魔してお話しさせていただきましたが、その折り「またいらっしゃい」 と言われましたので、そのお言葉に甘えてお伺いすることにしました。
 一週間前にお伺いしたい旨をお伝えしたら、快くOKして下さいました。前回は挨拶と作品を見ていただくこと、鍛冶小屋を見学させて貰う位で、じっくりとお話しは出来なかったですからね。今回は自分の紹介、特に鍛冶作業を始めることになった切っ掛け等のお話しはしなくて済みますし、1時間程の予定ですが、充実したものになると期待していきました。

 熊公の鍛冶作業の原点になる場所を提供してくださった須賀川の伯父の所には、定期的にお伺いして、雑務などをこなし、呆け防止のパソコンの指導(?)等をしています。伯父は92歳、息子のように可愛がってくださる伯父ですから、当然やらなければならない事です。
 須賀川に行くルートとしては普通は東北道を使いますが、ルートを常磐道に取り、那珂ICで降りて国道118号線を使って久慈川を遡り、大子・棚倉・石川を通って、須賀川入りすることも可能です。このルート上に横山さんのお住まいの盛金があります。
 東北道経由だと伯父の家まで218km、常磐道から118号線経由だと238kmです。距離的には大きな違いは無いコースです。

 自宅を7時30分頃出て、途中、友部SAでトイレタイムを取り、那珂ICで降りて国道118号線を辿ります。久慈川が山間にはいってきた感じになった辺り、JR水郡線の『下小川駅』に近い所です。久慈川に掛かる灌水橋を緊張しながら渡ったり、駅の横を通ったちょっと先に横山さんのお宅が有ります。到着したのは9時45分でした。10時にお伺いすることをお伝えしていましたので、遅刻することなくお伺いできて良かったです。我が家から150.9kmでした。

 奥様は蕁麻疹が出てしまったと言うことで病院に行かれるところでした。そんな中お邪魔してちょっと申し訳なかったですが、温かくお迎え下さり、1時間10分位お話しすることが出来ました。
 まずは自分の作品のいくつかを持って行きましたので見ていただきました。片刃の物は裏スキの様子をじっくり見ていらっしゃいました。刃付けの様子などもプロですからしっかり見ていらっしゃいました。概ね及第点を頂いた感じ、ホッとしました。苦手な『拵え』についてちょっと褒めていて頂くことが出来、凄く嬉しくなりました。

 「裏スキは職人みんな苦労するものですよ」
と、お話し下さいました。やはり難しい作業なんですね。

 
  剣鉈を見ていただく                     熊公の『守り刀』を見ていただく

 その後、用意していったいくつかの質問事項をお尋ねしました。

 @ 焼き肌(金肌)を綺麗に残す事。
 A 横山さんの行われている脱脂の方法。
 B 焼き刃土の事について。
 C 割り込み鋼付けについて。
 D 鍬のサキガケのついて。

等をお聞きしました。

@
 焼き肌(金肌)は高温に曝されると剥がれてしまうこと、また、焼き刃土も同様であることをお聞きできました。熊公の作品で斑になってしまったりするのは焼き入れ温度が高すぎる為に起こる事だったようです。適正な焼き入れ温度の見極めが必要であり、斑にならず焼き肌が綺麗に残った場合は適正温度で焼き入れ出来たと考えられるようです。
 古金を使ったときに焼き肌が綺麗に残ることについては、よく分からなかったですが、やはり鉄の質も関係有るようです。

A
 脱脂については焼き入れ前の荒研ぎの段階で自然に出来ているから、特別なことはされていないようです。

B
 焼き刃土は調合をこうすると良いと言うことはないようです。熊公は焼き入れ時に剥がれが出たりしますが、焼き入れ後も全体に土が残るようにする必要があると言われました。これについては調合をいろいろ考えなければなりません。現在は須賀川の伯父の庭の隅に出ている山粘土を使って調合していますが、粘りが少し足りないようです。

C
 割り込み鋼付けについてですが、片刃・両刃どちらも、厚物は藁灰を使って作業をされているそうです。高温で湧かし付けしなければならないから脱炭に注意する必要が有りますが、良く付くとお話下さいました。

D
 鍬のサキガケは先ず鋼付けした先の部分を作り、それを鍛接する事をお聞きしました。前回行ったサキガケは手順が違ったわけです。言われてみればそうした方が薄くなった部分の補強にもなりますし、鋼が薄くなったところを裂いてしまうこともないわけです。また、耳の部分を厚くすると鍬の性能を保持できると聞きました。
 更に『鍋金』を使ったサキガケの方法もじっくりお聞きすることが出来ました。これはちょっと言葉には言い表せないです。左の手のひらを鍬先に見立て、右手の人差し指を「シデブシ(?)の木の棒」に見立て、動作で示してくださいました。

 1時間なんてアッと言う間でした。まだまだお話ししていたかったです。

 横山さんは70年も鍛冶職人として仕事をされている方です。
「本職の鍛冶屋さんにはこんなお話ししませんよ、職人はみんな自分なりに工夫して作業しているから、隠すわけではないが、職人というものはそれぞれに自負を持って仕事をしているから話しません・・・。」
と、言われました。
「あなたは趣味で作業をしているから話をしましたし、これからも解ることはお話ししますよ。」
とも言われました。
 鍛冶作業されているところ見たかったです。とお話しすると、
「私は作業を見られていると集注できなくなって、良い作品が作れなくなるので、どうも駄目なんです・・・」
と言われました。確かにそうですね。

 また、
「講釈の多い方には作品は作りたくないし、無口に大切に物を使っている人には必死になって良い物を作らなければと思う。」
と、お心の内を吐露してくださいました。
「作った物を人に売ると言うことは本当に大変なことですよ。」
とも言われました。全くその通りですね。熊公も肝に銘じようと思います。
 
 最後に、『鍛冶屋の教え』の本によってかなり多くの方が鍛冶作業にチャレンジして、現在仲間も随分増えてきていることをお話しして、改めてあの本を世に出してくださったことを感謝しました。

 別れ際、
「鍛冶屋は何代か続けてきたが、私で終わりです。息子には継がせませんでした・・・・。」
と、ちょっと淋しそうに鍛冶の家系を絶やす無念さを話されました。でも、まだ出来る限りは鍛冶屋をやりますよとも話されていました。そして、
「またこちらの方に来られたら、いつでも寄ってくださいね!!」
と、言って下さり、その気になって、またチャンスがあればお伺いしたいと思っています。

 11時にお別れして車に乗り込みました。あいにくの雨でしたが、前回と同じように鍛冶小屋の前まで出てきてくださり、最後まで見送ってくださいました。

 
      最後に写真を撮らせていただきました         雨の中鍛冶小屋の前で最後まで見送ってくださいました

 一路、須賀川に向けて久慈川を遡りました。須賀川までは88kmです。ほとんどJR水郡線と並行して走ります。矢祭の辺りの山の景色、低い雲が岩肌に掛かって水墨画のような美しい景色を眺め、途中奥久慈の鮎をお土産にして買いました。古い町並みの残る棚倉の町を通って、久慈川と阿武隈川水系を分ける分水嶺を越え、石川を通って須賀川に入りました。収穫の始まった田んぼを眺め、所々にある地酒の看板を見ては美味そうと思いながら、何だか素敵な一人旅、次回は此処に寄ってみたいと思うところがいくつもありました。素的な旅となったこと味わいながら伯父の家に1時15分頃到着しました。





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