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建築には使う人・住む人がいて生活があるのだから、身体的な快適性や機能性はもちろんのこと、
一つ一つのディテールやデザインが住む人に対してどのような肉体的かつ精神的な影響および ストレス(良い意味でも悪い意味でも)を与えうるかを建築家は考慮しなければならないと考えています。 また与えられた影響やストレスに対して、住み手がどう受け取り、その中でどう生活していくかを十分に 考慮する必要があると思います。 住む人が建築から受け取るモノには、一瞬で受け取るモノ、数時間かけて受け取るモノ、1週間、1ヶ月 ・・・数十年かけて受け取るモノがあります。一瞬ならば快適でも、数年のスパンとなると住む人によって は大きなストレスに感じるデザインやディテールというものが確実に存在するという前提において、住宅は 設計すべきであると考えています。 すなわち、受け取る側が何に喜びを感じ、何にストレスを感じているか、また何がしたくて何がしたくないか、 何が出来て何が出来ないか・・・等々。そういうクライアントの性格や人格の部分が、その家をプランニング &実施設計&施工する上で非常に重要なポイントになるのです。同じ条件、同じ要望でも、クライアントの 性格が異なれば、自ずとプランニングは違うモノになるはずなのです。 そして、そういう性格や精神の傾向みたいなモノはある程度の時間をかけて話してみないと(私には) わからない。 よって、要望だけを聞いて本人に会わずに行う提案や、クライアント側が私自身をまだ受け入れてない 段階での他者とプラン比較のケースなどでは私が理解しようとして踏み込んでも、まだ依頼が確定した わけではないので、そもそもクライアント側の自分を全部見せていいのだろうかという意味でのガードが堅く、 ゆえに何故家が欲しいのかという深層を(私が)なかなか理解できず、当然プランも表面的なモノになって しまうのでないかと考えています。 ※なので、OZONEの仮想家族のコンペ(第3回P1グランプリ案)では、家族の性格やライフスタイルを 徹底的にプロファイリングしたのです。 A4x1枚程度の施主紹介&要望に対して、プロファイリング項目と分析結果は6倍の量になりました。 何故なら会って話していないから。というより存在しない家族なので、設定に多少無理があり、私には 大きな矛盾を抱える家族に見えたのです。そしてその矛盾を解消するプランニングをプレゼンテーション したのです。 建築は人間の寿命というスパンに対して大きな割合を持つだけの寿命を持っています。人生より長い場合も 多いのです。そう考えると住み手にフィットしていない建築は、その人の人生において大きなストレスとなりうる のではないでしょうか。別の言い方をすれば、必ず財産になるわけではなく、負債にもなりうると考えられます。 楽しい生活、豊かな生活の為の家がストレスの原因となりうるのです。 そのストレス可能性があるなら建てない方が良いと思います。チャンスは残されるのだから。 機能性・快適性・コストパフォーマンス性、さらにデザイン性、そしてクライアントの性格&人格へのフィット性、 それら全てを同時に成立させるのを目指すことが私の設計スタンスであり、それは可能であると信じています。 もちろんそれはクライアントと一緒にガンバらないとできません。 そこには建てないという選択肢を施主も建築家も常に用意しておくことであらゆる迷いを回避できるのでは ないでしょうか。建てないという選択肢を用意すると言うことは、何故建てるのかという意味を明確に出来ると 思っています。なので契約もそういう想定をベースにした独自の方式をとっています。 このような考えで私は住宅のみならず建築全般にアプローチしています。 |
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【癒し】と【木】の関係について 設計するときに常に考えているのは、住まいとは住む人が癒される上質な空間であるべきだということです。 心身共に死ぬまで成長し、且つ怠けモノ?でもある人間が、癒されるというのはどういうことなのか。 「癒される」ということは「愛される」と同義ではないでしょうか。人と人との関係であれば一方的に愛されるだけ という関係は成り立ちにくく、空間においても一方的に住む人が癒されるのではなく、住まいや空間を愛すること で癒される空間が初めて成り立つと思うのです。 木には自然素材であることの素晴らしい長所と同時に、ゆがみや傷つきやすい等の欠点も同時に存在します。 しかしその欠点を許し常に手を掛けることで年々深みを増していく素材でもあります。それはまさに人と人との 関係そのものではないでしょうか。 一見手間のかかる素材そのものからできた家は、そういった意味で住み始めてから住む人との間で新しい関係 をつくっていく家と言えると思います。しかし欠点を愛することができるような関係こそが癒しの関係には必要であり それを空間として表現する場合、「木」という素材は無くてはならないものだと考えています。 |
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人は何の為に建物を造るのか。もっと大風呂敷を広げてしまえば、人は何のために生き ているのか。多くの人々や宗教などがこの問いをメインに据えるほどの大テーマです。 誤解を恐れずに且つ逃げるわけにもいかないこのテーマに、あえて私なりの考えを述べさ せていただくとすれば、それは「幸せになる」ためです。もちろん自分だけがということでは なく、しかし自分を犠牲にすることなくという条件がつくと考えています。そのことに対して 設計という仕事を通してどのように関わっていけるのかが私自身の大テーマです。 そのテーマに沿って住宅や建築という現実に存在するモノをつくるということは、一見その 答えを実際につくっていく事のように思われるかもしれません。しかし私は本当に幸せなの はその完成を目指している途中の心の中にあるのではないかと思うのです。高校野球で例 えれば、甲子園で優勝することだけが幸せなのではなく、そこを目指している生活の中にこ そ幸せがあるという考え方です。 住むということは生活そのものであり、高校野球とは違い終わりがありません。家を建てる ことさえその途中でしかありません。建築の中でも個人が家を建てるということは人生の中 でもとても大きな出来事です。その家を考える過程そのものが,その人にとって家にとって一番 重要なのではと考えています。幸せは出来上がった建物にあるのではなく、それを考え試行 錯誤している思考過程や、それに関わる人間関係の中にあるのではないでしょうか。 出来上がったモノはもちろん非常に重要ですが、その過程にこそ本質があると思うのです。 なので簡単な打ち合わせのみでのラフプラン提出やお任せプラン&デザインはあり得ない と考えています。それは一番重要な部分をクライアント様自らが放棄しているように私は感 じてしまうのです。この手順は結構大変な作業であると同時に非常に有意義な時間です。 時には家族内で、そして時には私ともぶつかることもあります。しかしそれはお互いが真剣だか らこその乗り越えるべき壁だと思っています。 非常に難しいかもしれませんが、そうやってクライアント様が自分のそして自分達の幸せを 築いていく過程そのものを建築に刻んでいくことに私の知識と経験をもって参加することが、 私の考える設計監理行為(デザイン)であると考えています。 |
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家とは本来そこに住む家族と共に自然と歳を重ねてゆくのが良いと思います。 しかし現在の建物の多くは時間の経過とともにただ古く汚れていくだけのモノが 多いのではないでしょうか。例えば柱のキズが思い出になる様な建物は少なく キズはただ汚いだけです。それは石油製品の氾濫やメンテナンスフリーという事 を求めすぎた結果であり、その様な建物は古くなっても完成時の価値を越えるこ とは無い様に思います。しかし私は古くなる事、歳を重ねる事により新たな価値 を付加していける様なモノ造りを目指して行きたいと思っています。 家(建築)には何が出来るのかというような大袈裟な事では無いけれど、住む人 が家に愛着がもち、様々な思い出がつくられる事で、その家も素敵に歳をとってい けると思います。住むことでさらに素敵になるような家は、住む人達をもっと素敵に する事が出来るのではないかと思っています。 |