私はベンチに座っている。
 朝靄の中の、公園のベンチだ。
 茶色のペンキが少し剥げた、どこにでもあるようなベンチだ。
 そのベンチは人通りを避けるかのように道の脇へと佇んでいる。
 私のベンチの隣にも、同じベンチがあり、そのベンチには私ではなく、高齢の浮浪者が横になっている。春とはいえ、まだ朝方は冷えるのに、それとも慣れているから平気なのだろうか。
 その浮浪者は時々こちらを見るので、目が合う。目が合うと、目を逸らす。
 今日、初めて犬の散歩をする人を見た。スウェットスーツに身を包み、何処かのスポーツクラブにでも行くような風体だった。
 犬は私の前で立ち止まると、鼻をひくつかせながら近付いてくる。スウェットスーツの主人は急いで犬のリードを引き、犬を叱り、愛想笑いを浮かべながら走っていく。
 私はこういった時、どのような表情を見せたらいいのか分からず、少しづつ青の拡がる朝に、うたた寝を始める。
 
 私はベンチに座っている。
 目が覚めた時には朝靄は消えてなくなっていて、晴天とも言うべき空が頭上に拡がっていた。
 隣で横になっていた筈の浮浪者は、朝靄が見せた蜃気楼であったかのように、ぽっかりと姿を消していた。
 もう、あの、人と関わらないようにした諦めの目とは合うことがないのかと思うと、少し残念な気もした。きっと食事をしに出掛けただけなのだろうが、もう会えないような気がした。
 犬の散歩をする人がいなくなったが、学校や会社へと通う人達がまばらに通り始めたので、この公園も賑やかになった。
 子供の無邪気な声や、勤め人の足早な靴音は、リズムのようで楽しかった。
 子供は時々私の前で立ち止まり、不思議そうにして駆けていく。
 勤め人も急ぎながらも、目だけは私を追い、会社へと向かう。
 それも少なくなってきた頃、また眠気が私を襲った。
 不思議なのは、こうしていても何も感じないことだった。
 
 私はベンチに座っている。
 陽の光は黄金となり、益々力を蓄えていく。
 雲ひとつない空は、眩しいというよりも、寂しかった。
 隣のベンチには猫を抱えた老人が座って、本を読んでいる。ガリバー旅行記、私は1度も読んだことはないが、巨人と人の話だったと思う。その逆だったかもしれない。
 小さいか大きいかは、主観でしかないのだから、本当はどちらが大きいのか、小さいのかは第三者にしか分からないことだ。
 私が本のタイトルを眺めていると、老人は振り向き、黄色い歯を見せて笑った。
 猫は膝の上で伸びをすると、丸くなって眠った。
 その背をさする皺の多い手が優しい。
 やがて老人は猫を撫でながら舟こぎを始めた。
 
 私はベンチに座っている。
 ラベンダー色に染まってゆく空と共に、人は帰り支度を始める。
 赤くなった太陽は雲の合間を縫って私に最後の光を注ぐ。
 1番美しいと感じる空だった。
 隣のベンチには誰もいない。代わりに、向かいのベンチで子供を連れた大人が空を見上げて溜息をついている。
 何を思うところがあるのか知らない。夕食の献立か、明日の生活費か、もしかしたら何も考えていないのかもしれない。
 私の膝上あたりまでしか身長のない子供が、ベンチに登ったり下りたりを繰り返している。横向きになっているので、今にも転げそうだった。
 子供が暇を持て余していることは傍目にも明らかだったが、大人は気にする風でもなく上の空を続けている。子供も黙ってひとりで遊んでいる。
 ふたりでいるのに、ひとりきり。
 私は俯き、少し泣いた。
 
 私はベンチに座っている。
 群青色の空の下で、頬を赤くした人々がまばらに通る。
 時々私の隣のベンチに座り、うたた寝を始めるが、1度舟漕ぎをすると起きあがり、思い出したかのように立ち上がる。
 帰れば待ってる人がいるのだろうか、それとも真っ暗な部屋へと入るだけなのだろうか。暗い部屋を自分で明るくする程悲しいことはない。
 また隣のベンチに人が座る。
 座るだけでは疲れは癒えないのか、足をベンチに乗せると横になり、寝息を立て始めた。
通り過ぎる人は目の端に捉えるだけで声も掛けずに足早に歩く。
 疲れは癒えることはない。
 明日も同じようにベンチに横たわるのだろうか。
 けれど私も、声を掛けることはできなかった。
 
 私はベンチに座っていた。
 あたりには誰もいなくなっていた。
 空を見上げると、美しいぐらいの黒に包まれていた。
 このまま飲み込まれてしまいそうだと、目を閉じた。
 やがて黒の中に白が交じり、私のすべてを浸した。
 私は両の手のひらを差し出して、白に満たされるようにと願った。
 願いは届かない。
 けれど願うことで救われることもある。
 また明日もこの夜がくればいい。