江戸東京探訪シリーズ
上野東照宮

上野東照宮は、上野公園の中にあります。 上野公園は、元は寛永寺の敷地でした。寛永寺は、寛永2年(1625) 徳川家の菩提寺として天海僧正によって建てられました。
家康は、晩年病床で藤堂高虎と天海僧正に、末永く魂鎮まるところを造って欲しいと遺言し、これにより 寛永4年(1627)に藤堂家の屋敷地であった上野の山に、藤堂高虎と天海僧正が、家康(東照権現と呼ばれていた)を奉る東照宮を造営しました。
その後、慶安4年(1651)に、三代将軍 家光が総金箔の金色殿に大改築しました。

なお、上野という地名は、高虎の出身地である伊賀上野にその地形がよく似ていることから命名されたといわれています。
東照宮といえば日光が有名ですが、日光東照宮は、上野東照宮が造営される約8年前の元和3年 (1617)に、 二代将軍秀忠が父家康を奉るために造営しましたが、やはり三代将軍 家光によって 寛永13年(1636)に現在のような絢爛豪華な建物に建て替えられました。 なお、日光東照宮は平成11年 (1999)にユネスコの『世界遺産』にも指定されています。

上野東照宮も小規模ながら日光東照宮を偲ばせる豪華な建造物です。 現在はさすがに総金箔というわけにはいきませんが、それでもあちこちに昔の金箔の名残が見て取れます。 拝殿、唐門、透塀など多くが国宝に指定されています。 唐門の両サイドには左甚五郎作の昇り竜と降り竜の彫り物(右の写真)がありますが、これも国宝です。 この東照宮の入り口にはボタン園があり、近くの不忍池には多くの桜の木があります。ボタンや桜の時期に、 ここに訪れてみるとよいと思います。

■ 唐門
慶安4年(1651年)建築。国宝。当時は総金箔の門でしたが、今もその名残を残しています。 上部にある松竹梅と錦鶏鳥の彫刻は、室町・桃山の技術の集大成として評価が高いと言われています。 また、門柱の脇にある、左甚五郎作の昇り竜と降り竜の彫刻も一見の価値があります。

(正面)

(内側)

  (降り龍)    (昇り龍)

■ 拝殿
慶安4年建築、明治40年国宝指定。日本に2つしかない金色殿です。もう一つは、中尊寺の光堂(金色堂)です。 内部は、漆塗り、金箔に彩られた柱や壁、格子天井、狩野探幽の壁画、純金で作られた後水尾天皇真筆の 「東照宮」の額、36歌仙の額などで飾られています。 また、家康直筆の 遺訓 、陣羽織、刀剣、能衣装、さらに吉宗や慶喜直筆の書簡など、貴重な品々を見ることができます。

■ 本殿
慶安4年建築、明治40年国宝指定。内部には、総金箔の社殿があり、家康、吉宗、寒松院、天海僧正のご神体が安置されています。

■ 幣殿
慶安4年建築、明治40年国宝指定。将軍家の間。長押の上部の松に鷹や鳳凰に牡丹の彫刻、狩野派の壁画などが見事です。

■ 透塀
慶安4年建築、明治40年国宝指定。当時は総金箔であったが、現在は下地塗りだけの状態です。塀の上部には花木山禽、 下部には水草鳥魚の彫刻がほどこされていますが、昔は極彩色の華麗な彫刻だったようです。

【 遺訓 】
人の一生は重荷を負って 遠き道を行くが如し
いそぐべからず 不自由を常と思えば不足なし
心にのぞみおこらば困窮したる時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基 怒は敵と思え
勝つ事ばかり知って 負くる事を知らざれば 害’その身に至る
己を責めて人を責むるな 及ばざるは過ぎたるより勝れり
慶長八年正月十五日
         家康