さらしなの里(*1)、
姨捨山(*2)の月見んこと、
しきりにすゝむる秋風の心に吹さわぎて、
ともに風雲の情を狂すもの又ひとり、
越人(*3)と云。
木曾路は山深く道さがしく、旅寐の力も心もとなしと、
荷兮子(*4)が
奴僕(*5)をして送らす。
おのおの心ざし尽すといへども、羇旅(*6)
の事心得ぬさまにて、ともにおぼつかなく、
ものごとのしどろにあとさきなるも、なかなかにおかしき事のみ多し。
何々と云ふ所にて、六十ばかりの道心の僧、
おもしろげもおかしげもあらず、ただむつむつとしたるが、腰たわむまで物おひ、息はせはしく、
足はきざむやうにあゆみ来れるを、ともなひける人のあはれがりて、おのおの肩にかけたるもの共、
かの僧のおひね物(*7)とひとつにからみて、
馬に付けて、我をそ上にのす。
高山奇峰(*8)頭の上におほひ重なりて、
左は大河(*9)ながれ、
岸下の千尋のおもひをなし、
尺地(*10)も平らかならざれば、
桟かけはし(*11)、
寝覚ねざめ(*12)など過て、
猿さるが馬場ばば
(*13)・立たち峠(*14)
などは四十八曲しじゅうはちまがりとかや、>
九折つづらおり重なりて、雲路くもじにたどる心地ここちせらる。
歩行かちより行くものさへ、眼めくるめき、たましひしぼみて、足さだまらざりけるに、
かのつれたる奴僕ぬぼく、いともおそるゝけしき見えず、馬の上にてたゞねぶりに眠ねぶりて、
落おちぬべき事あまたたびなりけるを、あとより見あげて危あやうき事かぎりなし。
仏の御心みこころに衆生しゅじょうのうき世を見給みたもふもかゝる事にやと、
無常迅速むじょうじんそくのいそがはしきも、我身わがみにかへり見られて、
阿波あはの鳴戸なるとは波風なみかぜもなかりけり。
夜は草の枕まくらを求めて、昼のうち思おもひまうけたるけしき、
むすび捨すてたる発句ほっくなど、
矢立やたて(*15)取出とりいでて、
灯ともしびのもとに目をとぢ、
頭をたゝきてうめきふせば、かの道心どうしんの坊、
旅懐りょかいの心うくて物思ものおもひするにやと推量すいりょうし、
我を慰なぐさめんとす。
わかき時拝おがみめぐりたる地、あみだの尊とうとき数を尽つくし、
おのがあやしと思ひし事ども、噺はなしつゞくるぞ、風情ふぜいのさはりとなりて、
何を云出いひいずることもせず。とてもまぎれたる月影つきかげの、
壁の破やぶれより木この間まがくれにさし入て、
引板ひた(*16)の音、鹿おふ声、処Λに聞えける。まことにかなしき秋の心、
ここに尽つくせり。
「いでや月のあるじに酒ふるまはん」といへば、さかずき持出もちいでたり。
よのつねにひとめぐりも大きに見えて、ふつゝかなる蒔絵まきえをしたり。
都みやこの人は斯かかるものは風情ふぜいなしとて、手にもふれざりけるに、
思ひもかけぬ興きょうに入いりて、
青宛玉巵せいわんぎょくし(*17)の
心地ここちせらるゝも処ところがらなり。
あの中に 蒔絵まきえ書かきたし 宿の月
桟かけはしや いのちをからむ つたかづら
・・・ 【1】
桟かけはしや まづおもひいづ 駒こまむかへ
霧晴れて 桟かけはしはめも ふさがれず 越人
姨捨山
俤おもかげや 姨うばひとり泣なく 月の友
いざよひも まだ更科さらしなの 郡こおり哉かな
更科や 三みよさの月見 雲もなし 越人
ひよろ/\と 猶なお露つゆけしや をみなへし
身にしみて 大根だいこんからし 秋の風
木曾の橡とち うき世の人の 土産かな
・・・ 【2】
送られつ 別れつ果はては 木曾の秋
・・・ 【3】
善光寺
月影や 四門四宗しもんししゅうも 只ひとつ
吹飛す 石は浅間の 野分のわけ哉かな
「更科姨捨さらしなおばすて月之弁つきのべん」
(*18)
あるひはしらら・吹上ふきあげときくに、うちさそはれて、ことし姥捨の月みむことしきりなりければ、
八月十一日みのの国をたち、道とほく日数すくなければ、夜に出でて暮に草枕す。思ふにたがはず、その夜さらしなの里にいたる。
山は八幡やはたという里より一里ばかり南に、西南に横をりふして、すさまじく高くもあらず、
かどかどしき岩なども見えず、只あはれ深き山のすがたなり。「なぐさめかねし」といひけんもことわりしられて、そゞろに悲しきに、
何故なぜにか老たる人を捨たらんと思ふに、いとゞ涙も落そひければ、
俤おもかげや 姨うばひとり泣なく 月の友
いざよひも まだ更科さらしなの 郡こおり哉かな
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(*1) さらしなの里 : 信濃国更科の里、現在の千曲市
(*2) 姨捨山 : 千曲市埴科郡戸倉町と東筑摩郡坂井村の境界にある冠着山(標高 1252m)。古来より名月と姨捨伝説で有名
(*3) 越人 : 越後出身の蕉門の俳人
(*4) 荷兮 : 尾張の医者で蕉門の俳人、子は敬意を示す語
(*5) 奴僕 : 同道させるために送った荷兮の下僕のこと
(*6) 羇旅 : 馬を連れ立った旅
(*7) おひね物 : 旅の僧が背負う荷物のこと
(*8) 高山奇峰 : 木曽の山々を指す
(*9) 大河 : 木曽川を指す
(*10) 尺地 : 一尺ほどの狭い土地
(*11) 桟はし : 木曽の桟
(*12) 寝覚 : 寝覚ノ床
(*13) 猿が馬場 : 東筑摩郡麻績村から更埴市へ抜ける峠
(*14) 立峠 : 東筑摩郡四賀村と本城村の間にある峠
(*15) 矢立 : 墨壷が付いている筆筒のこと
(*16) 引板 : 獣や鳥を追い払う鳴子のこと
(*17) 青宛玉巵 : 立派な器物などのこと
(*18) 更科姨捨月之弁 : 後で「更科紀行」の要旨をまとめたと思われる俳文。
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