金沢の風景の美しさについては、鎌倉時代から鎌倉五山かまくらござんの禅僧たちが、 中国は杭州こうしゅう西湖さいこに比肩するほど賞賛していました。
金沢八景
江戸時代 元禄7年(1694)には、水戸藩主であった徳川光圀とくがわみつくにが明から招いた心越禅師しんえつぜんしが、 山の上の能見堂(現在の金沢区能見台森)から見た金沢の景色を中国の瀟湘八景しょうしょうはっけい(注)になぞらえて、 七言絶句しちごんぜっくの漢詩に詠み、金沢八景を一躍有名にしました。
また、同じ頃、丹後田辺城主京極高直きょうごくたかなおの三男で歌人の京極高門きょうごくたかかどが 下記のような金沢八景の歌を詠んだこともあり、江戸市民の間にもますます知られ、八景の観光熱も高まりました。

江戸後期には、浮世絵師 歌川広重うたがわひろしげが名所絵「金沢八景」を描き、 天保5年(1834)頃から嘉永かえい年間にかけて刊行され、広く人気を しました。

内川暮雪うちかわ ぼせつ

木陰こかげなく 松にむもれて 暮るるとも いざしら雪の みなと江のそら
内川暮雪
平潟落雁ひらがた らくがん

あととむる 真砂まさごに文字の 数そへて 塩の干潟ひがたに 落つるかりがね
平潟落雁
小泉夜雨こずみ やう

かぢまくら とまもる雨も そでかけて 涙ふる江の むかしをぞ思ふ
小泉夜雨
称名晩鐘しょうみょう ばんしょう

はるけしな 山の名におふ かね沢の 霧よりもるゝ いりあひの声
称名晩鐘
洲崎晴嵐すさき せいらん

にぎわへる 洲崎すざきの里の 朝けぶり 晴るる嵐に たてる市人
洲崎晴嵐
乙艪帰帆おっとも きはん

沖津舟おきつふね ほのかに見しも とる梶の 乙艫おっともの浦に かへる夕なみ
乙艪帰帆
野島夕照のじま せきしょう

夕日さす 野島のじまの浦に ほす網の めならぶ里の あまの家々
野島夕照
瀬戸秋月せと しゅうげつ

よるなみの 瀬戸せとの秋月 小夜ふけて 千里のおきに すめる月かげ
瀬戸秋月
(注) 瀟湘八景しょうしょうはっけい : 中国湖南省こなんしょう瀟水しょうすい湘江しょうこうが合流する 洞庭湖どうていこ一帯の景勝地
  • 江天暮雪こうてん ぼせつ : 日暮れの大河の上に舞い降る雪の風景
  • 平沙落雁へいさ らくがん : 秋の雁が干潟に舞い降りてくる風景
  • 瀟湘夜雨しょうしょう やう : 瀟湘の上にもの寂しく降る夜の雨の風景
  • 烟寺晩鐘えんじ ばんしょう : 夕霧に煙る遠くの寺の鐘の音が響く風景
  • 山市晴嵐さんし せいらん : 山里が山霞に煙って見える風景
  • 遠浦帰帆おんぽ きはん : 夕暮れどき帆かけ舟が遠方より戻ってくる風景
  • 漁村夕照ぎょそん せきしょう : 夕焼けに染まるうら寂しい漁村の風景
  • 洞庭秋月どうてい しゅうげつ : 洞庭湖の上にさえ渡る秋の月
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