金沢の風景の美しさについては、鎌倉時代から鎌倉五山の禅僧たちが、
中国は杭州の西湖に比肩するほど賞賛していました。 江戸時代 元禄7年(1694)には、水戸藩主であった徳川光圀が明から招いた心越禅師が、 山の上の能見堂(現在の金沢区能見台森)から見た金沢の景色を中国の瀟湘八景(注)になぞらえて、 七言絶句の漢詩に詠み、金沢八景を一躍有名にしました。 また、同じ頃、丹後田辺城主京極高直の三男で歌人の京極高門が 下記のような金沢八景の歌を詠んだこともあり、江戸市民の間にもますます知られ、八景の観光熱も高まりました。 江戸後期には、浮世絵師 歌川広重が名所絵「金沢八景」を描き、 天保5年(1834)頃から嘉永年間にかけて刊行され、広く人気を博しました。 | ||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||
(注) 瀟湘八景 : 中国湖南省の瀟水と湘江が合流する
洞庭湖一帯の景勝地
|