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■■■■■■■■■■■鯉のバカまじめなサーフィンコラム集■■■■■■■■■■■

-----the murmur of waves-----

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海の人身事故 〜海上保安庁広報誌より〜 2006・5

   
マリンレジャーに伴う海浜事故  (単位:人)

  レジャー

 H16(2004)

 事故者

 H16(2004)

 死亡・行方不明

 H17(2005)

 事故者

 H17(2005)

 死亡・行方不明

   遊泳中

 320

 116

 313

 128

   磯遊び中

  89

  50

  54

  27

 ☆ 釣り

 243

 109

 212

  91

 ☆ サーフィン

  54

   7

  84

   8

 ☆ ボードセーリング

  27

   3

  24

   1

 ☆ スキューバダイビング

  48

  16

  30

  14

 ☆ ウエイクボード

  21

   0

  18

   1

   その他

  33

   5

  57

  14

    計

   835

   306

   792

   284


2年だけの比較なんだけどー・・・・。

H16→H17の全体の事故の増減はマイナス43人。

で、特に遊泳、磯遊び、およびその他を除くレジャー(☆印)に注目すると、

事故が増えてるのがサーフィンのみ!

しかも大幅に増。


自分を守れない素人層が増加中ってこと。

気をつけろ!!!

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               魚            2000・12

   
 
まな板の上で小魚が跳ねる。
スズキと呼ばれるようになるのにあと何年かかるか、という魚。
リリースサイズ。
そもそも、誰も投げないようなジグに釣られた、誰も釣らないような魚。
そこに魚がいて、そいつが釣れること自体に疑問が湧く。
その魚がまな板の上で跳ねる。
トリプルフックの一つの針が上顎に、二つの針が下顎に、きれいにかかっていた。
口が閉じもしないし開きもしない。
どうりで引かなかったわけだ。
ラインに引っ張られながら、さぞたくさんの水を飲んだであろう。
フックをはずす間に、口を壊してしまった。
だから持って帰って、まな板に置いたら跳ねた。
何のために釣りに行ったのかと、ふと思う。

この魚は何のために、今まで生きてきたのか。
バカに釣られたアホな魚。
何かに期待して、流しに水を溜めている自分に気付く。
魚の白い腹が浮く。
うまい絞め方を知らない自分が情けない。
獲物と間違えてルアーに噛み付いた経験の浅い小魚。
運命の瞬間・・・

魚との勝負?
魚との知恵比べ?
魚に勝ち目などあるわけないではないか。
食われても、本望ではあるまい・・・

 

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サーフカルチャーと文明社会

2001・5

建設工学科4年。土木技術者。

サーファー。自然志向。

肩書きは後者でありたいが、自分の生活は前者で支えていくのだろう。

相反する両者!

 

相反するのか?

 

サーファーと言っても、一般サーファーという人たちのことに限定する。日本人なのだから。自分もその中に入れてもらうとすると。尊敬されるくらいのあまりにネイチャリズムである人では、文明社会との接点がなさすぎるし。

サーファーのフィールドは、土木事業者にとって格好の活躍の場であった。海岸工学者にしてみれば、ただの高波など消去する対象でしかない。また危険地域に住む住民にとっても、不安材料でしかない。市民生活の安全を守る立場の行政は、ためらうどころか正義の志でもってこれを消去してきた。技術者は自らのプライドを示して波を消す。危険は去る。地価も上がる。経済も潤う。工業も発展する。補助金も出る。これが社会の成長の基本。文明の基盤。

波は無くなる。思い出は消える。友は去る。ポイントが減る。混雑に遭う。おもろーない! 波かえせ! サーファーは子供のようにダダをこね始める。

果たしてどちらが幸せか?どちらが不幸か?

両方であろうに。不幸なのは。根本的な誤りがある。どんなに頑張っても、所詮人間は地球に育てられた170cmの生き物から脱却できない。地球の挙動を制御しきっても幸せは訪れないことを、人間は最近になって知った。しかしそうでもしていないと、サーフィンなんかしている場合ではないことも知っている。ありのままの自然も、その自然を破壊し得る文明の力も、サーファーには必要だ。だから、自然保護とサーフィンの事だけしか考えていない自然主義者は御都合主義であって、文明社会にただ寄生しているだけだと言わざるを得ないだろう。こんなことで人間存在の矛盾まで考えなければならないのか。

サーファーも土木技術者も双方、幸せを創造するスペシャリストなのであろう。だから、喧嘩ばかりなんだ。主張が両極にあって、譲ろうとしない。これからは、お互いの幸せのあり方を認め合わねばならないのではないか。お互いの進むべき方向を一致させるように。

どちらかといえば、サーファーの主張がおすすめなんだけど・・・

文明社会は、ただひたすらに楽することを考えた。表面的な欲求を満たしてきた。僕はもっと精神的な前進を試みないと。根本的に。

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サーフポイント ヴィジィッティング

2001・3

悲しむべきか、広島出身。

瀬戸内海は驚くほどにフルフラット。

何年同じビーチに通おうとも、ロコになんかなれやしない。

福山ナンバーなんか、自分以外に見たことない。

生見でも見ない。

まあ徳島に住めてるんだから、住民票移せばいんだけど。

一年間、100回ビジターとして同じビーチに通った。

福山ナンバーで。

そこの駐車場に立て看板がある。

「県外ナンバーはココに駐車するな」

なんと排他的な表現。

しかし、個人的に許せるものがある。

ココとは、駐車場の真ん中にある広いスペース。

普段は大型ワゴンのロコ達が、ココに集合している。

福山ナンバーを、そのスペースの後ろにとめる。

運転席から眺める壮観な風景と言ったら。

名も知らぬいつものロコと、その向こうにさりげなく覗く緑の波。

黒い砂、青い空。

サーファー。

ひたすらに憧れる。

広島には帰れんかもしれんなー。

でも万年ビジター。

 

TVで、船の上で暮らす人たちの事を見た。

そういう人たちはずいぶん減ったが、今でも東南アジアにいる。

白い海、青い空。

海産物を取って生計を立てる。

ウニ・貝・ナマコ。

が、今危機らしい。

船には女性と子供しかいない。

男は、働くために船を降りた。

原因は都会から来た漁船。

底引き網で、根こそぎかっさらう。

 

ローカルとビジター、究極の形。

 

まあサーフィンは生活かかってないし。

日本の漁業は、どうしようもないくらい領域細分化されてるけど。

でも、同じなんだなーこれが。  

 

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「水の友」原稿

「水の友」とは、徳島大学水泳部で自費出版し内輪で読む本のこと。
部員が自由な内容で原稿を書く。
自分は水泳のことなんか書かずにサーフィンのことを書いてしまった。
今思えばなめられない様にかなりきばって書いていて、読むのも恥ずかしい。
サーフィンに対する誤解を与えてしまったかどうか分からないが・・・
どういう物か伝えたかったのと、興味を持ってもらえればと思って長々と頑張ってみた。

ある小学校時代の夏であったが、家族で高知県南西部へキャンプをしに行った事があった。県道沿いにビーチがあって、キャンプ場のない普通の海だったが、確か泊まるところは決めていなかったので、そこにテントを張った。徳島の県南にイメージは近くて、周りは山と海だけの道路の沿道にある小さな集落という感じだが、そのビーチにはいくつかのグループもテントを張っていて、ビーチの周りだけにわかにひとけがあった。そこで、生まれて初めて目撃したものがあって、それは外洋の波の大きさだった。瀬戸内海に接する機会はとても多かったので、余計に台風が接近していた高知の波は衝撃的で、泳げなくなるまで遊んでいた。そこのビーチの道路下に白くて丸みを帯びた板が何枚も立てかけてあって、それがサーフィンと言う遊びをするためのボードだということはなんとなく分かって、なぜかとても近づきがたい雰囲気を感じた。現在でも広島と言うところは、サーフィンという存在のサの字もない地域である。そして、あんな大きな波で遊べるのだったら、楽しいだろうなあと思った。サーフィンというものがどんな現象なのかも知らないのに。純粋に遊びのことを考えていた。しかしその思いは次の日ビーチを出た瞬間から封印されて、次に復活したのは受験大学を考え出したころだった。一気に時期が飛んだが、徳島も鳥取もサーフィンのできる場所であることは勉強済みだったし、今も昔も行動の不純な親不孝者だ。と言うことはつまり、そういうことである。そして、昔訪れたビーチは今でも、敬意を払って、上手くなってから必ずもう一度行ってみたい場所としてずっと考えてはいたのだが、遠いし地名も分からないから置き去りにしていた。しかしある日突然、そこの地名が判明したのは、建設工学セミナーという3年前期の授業の津波をテーマにした講義の時のことだ。四国沿岸で津波が発生したときの、主に徳島・高知での危険度についてのぶ厚い資料を適当に見ていたら、すこし期待はしていたけど、1つの集落の地図に思わず目を疑った。北側を流れる川と防潮林が特徴の集落で、予想外なところで思い出の地を発見してしまったのだ。ものすごい感動とともに、運命まで感じてしまった。和豪がプールサイドで人間旗(なんだそりゃ?)をした時くらいの感動だった。ちなみに、津波は川をさかのぼるし防潮林しかないから、危険度は高いらしい。ある日オンショアの小松でボーっとしていると、他のビジターの男に話し掛けられた。日焼けしているから僕のことを上級者だと思ったらしく波のことやターンのことを話したが、その男のきっかけも同じ場所だった。場所だけだが。そのあと男が海に入っているのを見たが、やはり下手だった。たまにだけ来て海水浴場の方でナンパしてるようでは、3年やっていてもその程度だと思う。サーフィンには上達するたびに次のハードルがあって、そんなに甘い物ではないことは、少しやってみればすぐ分かるのに。

ちょっと注文

話はそれるけど、僕の話は多くを語らないと伝えられないから、ここから先の話は自己満足のためであって興味のない人は全部読み飛ばしてください。すでに飛ばされてしまっている場合、少し悲しいんだけど。でも実際水泳とは全く関係ないです。なんとなくこういう世界です、と言いたいだけです。ところで昔のサーフィンは、アウトローだと思われていたし、実際そうであったようだ。でも現在は、日本のサーファー人口150万人とも言われ、多くのファッションサーファーをも抱える一大レジャー産業に成り上がった(下がった)。この傾向が僕としても少し迷惑だ。TVコマーシャルだけでも、今年だけで10以上は見たし、なぜかスタジオのセットにも板が置いてある。サーフィンを自らの飾りにしてしまう人も寒いし、そんな記事を見て、自分は自然にやってるんだとたまに思っている自分の心も嫌になる。そんな事で、サーフィンのことを口にするのも気が引けて、この原稿を書いて提出しようか迷ったりした。すごい低レベルなんだけど、あらゆる場面で自己主張恐怖症です。こうやってそのことを書くこと自体嫌なのって、理解できます?水泳部に入りたての頃の城山での自己紹介で、嫌いなタイプは格好つける人ですと言ったことなど、まさか誰も覚えて頂いてはいないと思う。この言葉の裏にもう少し意味が隠れていて、自己中心的な考えが僅かでも見え隠れして、周りが見えてなさそうだったりすると、かなり不愉快になってしまう、という事でした。決して大口たたいて言える事ではないけど、見栄を張る、激しく自己アピールする、イイとこだけ持っていこうとする、人を理解・尊重しない、なにげに自慢する、とか。本当の自分と言うのを最も誤解しているのは、自分自身かも。パンクを聴いてどんなに気分が高まったって、音が消えたときに残った根拠のない自信は偽物だ。その偽物を目の前で振り回されるのが、一番嫌い。全ての偽物を取り払ったら、その時こそ自信がつくんじゃないかなー。自然体が一番。つまらない愚痴になってすいません。今のサーフィン界(に限らず)に、欲しいもんだ。要するに、適当な気持ちで自然に接して欲しくないというか。情報の増加と共に薄っぺらい物が溢れてきて、そのうち人口のスペシャルウェーブで何の違和感も感じず平気な顔してsurfする時代も来てしまうのだろう。人口雪みたく。よく思うことを実際書いてみると、なんか安くなってきたのでやめます。

海のルール

直接海の恩恵を受けていると、なぜかとてもエコロジーな非現実的な人間になってしまうようで、昔バカ製造機と言われたらしい(サーフィンに限らないと思うんだけど)ことも、社会的な目で見れば理解できる。しかしサーフィンが生活の一部もしくは軸みたいになっていて精神的に安定・向上したり、またそこから学ぶことも多いし、得るものもたくさんある面白いスポーツだ。傍目には適当にやってそうだが、現実のサーフィンは素人にはまったく想像もつかないようなルールに拘束されながら行われている。海に一人で入っていられるならそんな物まったく必要ないのだが、人と一緒に入る限りルールがないと、海はさながら格闘技場になってしまうほど危険である。誰もがサーフィンを楽しみたいというのは同じで、日本でも外国でも、ビッグウエーブを求めて世界中からサーファーが集まるハワイでも共通のルールである。してみたい人は必ず参考にしてほしいからあえて詳しく挙げると、

@       ドロップイン(人が乗っている前に乗ること)をしない。ワンマンワンウエーブ。これは基本中の基本。守れない人は生きる価値なし。

A       ピーク(波の最も高い部分)側優先。スタンディングファースト(先に立った方が優先)が原則だが、ピークに人がいる時点で譲るべき。と思う。微妙な場合も多いいけど。

B       自分の技術の限界を知る。通い慣れたいつもの海でも、一旦サイズが上がれば状況は一変する。沖に出てから、自然は人間なんて愛していないなんて言葉をしみじみと実感していても、もう遅い。迷惑がかかるし、誰も自分が愛しているポイントで死人なんか出てほしくない。あと、混雑した海でテイクオフした後に、絶対人をよけるという自信がないのにテイクオフしない。

C       ローカルや他のサーファーをリスペクトしよう。地元の人が海をケアしてくれていることを忘れない。

D       ゴミを出さない。駐車違反はしない。3回したら、ナンバーを控えられてポイントから干されるというルールができた場所もある。また、タバコを加えてビーチに向かうアホサーファーにはならない。くわえっぱなしで乗るならいいけどね。

E       大集団で一つのポイントに入らない。海の中や駐車場で大声で騒がない。

などである。その他に、サーファーの常識としても、初めてのポイントでは現地の人にアドバイスを受ける、誰も入っていない所には何かあるから入らない、リーシュは付ける、ポイントのリズム・秩序を乱さない、二重待ちしない、自然現象には注意する、くらいかなあ。パッと思いつくだけで。基本的にルールを侵すのは初心者だけだ。長い間やっていると、時には追い出されそうになりながら分かってくる。初心者の場合、たとえルールを知っていてもおそらく技術的にも自分が何をしているのかすべきなのか分からなくて、守れていない。例えば、自分が海のどこにいればいいのかも分からなくて、乗れないし沖から来る人の邪魔をして、怖い難しいわと、楽しさを知る前にサーフィンから離れていく。実際まったく乗れないころ怒鳴られたこともあるし、最近は怒鳴ろうかと思ったこともある。前、誰かがローカルの邪魔をして、思い切りしばかれたりしていた。そうなると、ローカルの若い衆が徒党を組んで回りの初心者やビジターを威嚇し始めて、海がすごい空気になったことがあった。はためにはきつい話だが、ローカルの人が海の秩序を守ったわけで、すべきことをしてくれたのである。プロサーファーでも誰かに突っ込まれて、選手生命を絶たれそうになった人だっている。じゃあ初心者はどうすりゃあええんなーと困惑しているひまがあったら、人の少ないときと場所を狙えばいい。そこから一歩一歩経験を積む。

ミスして謝ったり、ドロップインされて誤られたときなんかに笑顔でコミュニケーションできたりすると、水泳で大ベスト出たときよりいい気持ちになれる。

荒海で人助け

去年から小松海水浴場がオープンして、今年も金儲けにせいを出したけど、あの海水浴場の南側のブイを張ったのは、実は僕だ。7月5日か6日くらいだったけど、ちょうど台風3号が接近していて、波のサイズは完全にオーバーヘッドで、当時自分では太刀打ち出来ないと思ったから、テトラの北側の少しうねりの抑えられたところに入っていた。そのころ市の職員の人が小松海水浴場の準備を行っていて、船でブイを設置しようとしていた。自分のことに精一杯でそんなものには気付いていなかったから、船から、おーいと声をかけられて振り返ってすこし驚いた。木の葉のように揺れる漁船ほどの大きさの船に必死の形相でしがみついていて、波の大きさは船より大きく、船で波乗りができそうな、かなり間抜けな光景だ。案の定ロープを岸まで引っ張っていってほしいとの事だった。ロープを手に持ってはパドリングができないから口にくわえ、波にもまれてグルグルになりながらかなり苦労して岸まで持っていかされた。そのあとあがる時に船を見たら、北側のロープのところでひっくり返って浜に打ち上げられていて、ゆらゆらゆれていた。そら見たことか。ちなみにタイフーンスウェルの中で必死にパドリングしまくったせいで、7月7日からの中四インカレはみごとに散ってしまった。学水のときもいいサイズだったし、台風3号は中四で、9号は阿波踊りで逃してしまった。そして水泳のベストも逃した。しかし、人の命を救ったりもした。9月10日。14番目の台風が、沖縄の近くをうろうろしていて、小松はまたオーバーヘッドまで上がっていた。秋の海水は実はとても暖かくて、日曜日のその日は、海水浴に来ている中に少数のバカ(台風が来てるのに)も混ざっていた。5時半ごろ、例のごとくパドリングに疲れ果ててしまっている頃、またおーいとどこからか声が聞こえてくるではないか。それらしい方向を見ると人が二人遠くからこちらを見ていて、何か不自然ではあると思った。最初は、ほかの誰か知り合いでも呼んでいるか、文句でも言っているのかと思ったが、5秒くらい見つめ合っていると、片方が手を振った。近づいてみたら、手を振った方はサーファーでもう片方は溺れた人だった。その人に板をつかませていて、一緒に岸まで運んでくれと。こういうことってほんとにあるらしい。ついでにそれから2日後、小松では時おりチューブが口を開けて、僕等を待っていた。(チューブ:巻き上げられた波がカールを作って空洞ができ、その内側でチューブライディングができるんですが、すごく難しいんです。僕はまだまだです。)

目標

なんでも熱中しだすと次々やりたいことや目標が出てくるけど、とりあえず始めた時は、たまにしか海に入らなくなってもそこそこ楽しめる様になっておこうという目標があった。というのも、個人的に、好きな時に好きなだけやっていられるのはたぶん徳島にいれる今の大学生のうちだけだからだ。月に1回や2回入ったくらいでは、立てるようになるのに何年もかかりそうだし、大体そんなの続かない。ある程度出来ないと、休日の少しの混雑にも対応できないし、波の大小による楽しみ方も分からない。そんなんでは嫌だったからがんばろうと思ったんだけど、1つ誤算があって、こんなにはまる物だとは全く思わなかった。だからがんばろう、と言うよりやめられるのか分からないけど。徳島生まれの人がうらやましい。地元の人はどう思われるか分からないけど、徳島は都会になんてなる必要ない。永遠の大自然と、老後のケアがあれば、他に何もいらない。せっかく身近にこんな貴重資源があるのだからもっと注目してもいいと思ったりする。話は戻るが、先にあげた目標は軽くクリアし、今度は色々なポイントに、特に生見海岸に入ってみたいと思っていた。僕にとっては、徳島に来る以前から知っていたマイカリスマポイントで、下手くそは張り飛ばされる超ローカルポイントだと思い込み、恐怖していた。そこへ、県南への旅行がてら殴りこもうと企てたのだ。計画としては、阿波サンラインで独占できるビーチを発見して素もぐりをして魚を突き、高知の野根川で淵に潜った後殴り込む、という3泊旅行のはずであった。と書けば、予定どおりいかなかったのはもう見え見えだが、出発を計画していた日、台風8号様が来日しようとしてフィリピン沖でダダをこねはじめた。たぶん今年は、そこそこ当たり年なんだ。待ってくれているべきプライベートビーチは大荒れで、野根川の水も冷たすぎて、どうがんばってみても腰までしか入れなかった。結局、生見一本のミニサーフィン旅行に、もしくはさながらサーフィン強化合宿になってしまった。生見はとても懐が広い、と思う。そこをホームブレイクとするプロサーファーからまだ立てもしない人まで、約2キロに及ぶらしいビーチの中のどこかで波を楽しむことが出来、見慣れない顔だからといって、特別目立ったりはしない。サーフィン専用と決められているらしくて、まさに西日本のサーフシーンをしょって立つサーフィンビーチだ、というのが僕の生見海岸に対する印象となった。その小旅行の2日目くらいに、サイズが上がりすぎてクローズして、宍喰温泉前に移動した。そこは郷とまっちゃんと絵美と加奈子は知ってると思うけど、花火しちゃった砂浜。あの時とは比べもんにならない光景でした。それから野根川というのは、船津キャンプ場から下界に降りた細い道の横を流れていた渓流。あと個人的にはその旅の最後に、たぶん永遠の目標になるであろう脅威の光景を目撃することができた。チューブを巻いて掘れまくった海部の河口が、波もそこにエントリーするサーファーも繰り出すラインも完璧で、ブレイクから100メートルほども離れて見る僕を、オーラが威嚇してた。それ以上、顔見れるほど近寄る気にはなれなかった。自分が入っていないのに満足した経験は、今のところこれが最初で最後だし、そのときの1つ1つの立ち振る舞いにいちいち影響を受けてしまった気がする。旅一番の思い出である。たぶん海部のあの波の中に入るより、金払って海外にサーフトリップする方が簡単なんだろう。宍喰で出会ったボディーボードの男の人も、海外の話をして頂いて、背中に傷があったりもした。ビバ、海外。

本音半分

しかし、すごい金のかかるスポーツ(人によっては遊び)だ。今頃やっと、自由に海に行く事が出来る生活を手に入れることが出来たのも、お金による障害を乗り越えたからだ。付き合いが悪かった事もそのせいであったと、一応弁解させてもらいたい。僕が今までかけた全部のお金を1回分に換算したら、多分2500円くらい。(これは、けっこうな数で割っているし、車も必要)すごく贅沢かも。今は何も考えなしに生活できている高等遊民だけど、後何ヶ月かしたら自分で生きていくわけ?どんな生活に身を投じているか、100年後の日本がどうなっているのか分からないくらい数ヵ月後の自分が分からない。人の一生と言わず地球の営みというのは、物理法則によってすでに未来が決定しているという。ある瞬間の、全宇宙の原子の動きを起点とすれば、それ以降の全てのドラマは物理法則に従って操縦される列車みたいなもんだ。洋式便所に落下するウンコの落ちどころが悪くて、ボチャンと恥音を発しながら汚水が飛散する光景は、地球が形成されるもっと昔の、1つの塵の運動によってすでに予測さえできたのだ。公務員目指し勉学に精進するか、自然的なライフスタイルを望んで何らかの行動を起こすかを、我が凡脳で決心するのも例にもれない。絶えず海遊民族は、自らを包む偉大な波たちに敬意を表し、またその1つ1つに個性を見出してきた。これは愚か、虚か。モーゼもアラーも仏陀も、物理法則によって科学解明される実像なのか?俺はバカか?何なんだ君は?

さて。ちらちらと書いてきたんだけど、今何か世の流れに逆らわず漂流して、そのまま成仏する気にはなれない。“憧れの田舎生活”ではないけど、ナチュラルライフに興味は尽きない。サーフィンワールド誌を立ち上げた石井秀明の記事そのまんまだけど、Keep simple、つまり簡素枯淡な生き方だが、肥大化した人間の生理的物質的欲望を極度に制限することは、経済発展を遂げた現代社会においてこれほど難しいことはない(STJ誌・Vol.9随筆記事)。禅僧良寛は大愚と呼ばれたが、普通社会において愚は避けるべきながら彼が賞賛されたのは、それが非常に難しいからだと。愚とはKeep simple and stupid.に類する思想。この現代生まれの現代人にも、そのたぐいを実現してしまう力、余地、精神等が残ってはいないのだろうか。全世界が、再度原始生活に復帰すべきだと言及することは、余りにも非現実的愚行だが、その愚を一念発起して僅かでも私欲的後退を図れば、この一現代人にも安定が見込まれるような、いやせめて、そう期待させて貰いたいものだ。今から50年後に自分史をまとめようと試みたら、今以降のことは不明であるとして、おそらくレール上を意志なく走ったここ数年を、何の夢もない時代だったと振り返るに違いない。仕事に勤めながらも24時間の4分の1以上を書道に費やす主婦がいて、彼女はいつ死んだって悔いはないと言い放ち、それなりに影響も受けたが、その言葉にも夢は見出せない。夢はとても楽しげで、大愚なる進路とは一見かけ離れているようだが、実は平行し、しかも紙一重で接近しているものであると信じていたい。夢ある時代を。たとえ、ウンコと同レベルの存在であったとしても。

2000.10

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