夜回り先生

初瀬基樹

 先日、同名のドラマが放映されましたが、ご覧になられたでしょうか?以前から、何度かテレビなどでも特集が組まれたこともあるので、それらをご覧になられた方も多いと思います。その「夜回り先生」こと、水谷修氏の講演会が10月の初めに熊本であり、私も参加してきました。

 ご存じない方のために少し、紹介しておくと、
 水谷先生は、横浜市の高校教員で(最近辞職されたそうですが)、十数年前に夜間高校の教師となり、それ以来、「夜回り」と呼ばれる深夜パトロールを行いながら、生活のほとんどを少年少女の非行・薬物問題に捧げ、彼らの更正に尽力している実在の人物です。

 詳しいことは、水谷先生の著書をお読みになって頂きたいのですが、私は講演を聴いて、著書も読んで、「どうしてそこまで出来るのだろう。」と、かなりの衝撃を受けました。自分の寝る時間さえも犠牲にして、全国から寄せられる電話やメールに応え、夜回りを続け、全国を飛び回り、暴力団と戦い、薬物と戦い、まさに壮絶な生き方をされているのです。実際に、暴力団から刺されたことも、生徒のために右手の親指を潰されたりもしているのです。それでもなお、子どもたちを救おうと日々戦い続けているのです。


(著書『夜回り先生』より)

「おれ、窃盗やってた」   いいんだよ。
「わたし、援助交際やってた」   いいんだよ。
「おれ、いじめやってた」   いいんだよ。
「わたし、シンナーやってた」   いいんだよ。
「おれ、暴走族やってた」   いいんだよ。
「わたし、リストカットやってた」   いいんだよ。
「おれ、カツアゲやってた」   いいんだよ。
「わたし、家に引きこもってた」   いいんだよ。
昨日までのことは、みんないいんだよ。
「おれ、死にたい」 「わたし、死にたい」
でも、それだけはダメだよ。
まずは今日から、水谷と一緒に考えよう。

 私にとって、子どもの過去なんてどうでもいい。今もどうでもいい。
大事なのは、時間がかかってもいいから、誰かの助けを借りてもいいから、自分自身の意志と力で、幸せな未来を作っていくこと。そのためには、とにかく生きてくれさえすればいい。生きれば生きるほど、子どもたちは誰かと出会いながら、どんどん学んでくれるはずだから。

 この本を読んでくれた大人たちにお願いがある。
 どんな子どもに対しても、まずは彼らの過去と今を認めた上で、しっかり褒めてあげて欲しい。よくここまで生きてきたね、と。

 生きてくれさえすれば、それでいいんだよ。


 講演会では水谷先生が実際にかかわった子どもたちの実例とともに、次のようなことを話されました。
 
 今の日本は「攻撃型社会」で、その矛先は弱いものへ、弱いものへと向けられている。本来、一人ひとりの子どもたちが持つすばらしいものを見いだし、それを自ら育て伸ばしていくことを助けることが、家庭や学校の大切な仕事であるのに、今の多くの保護者や教育者たちは、「早くしなさい」「何でこんなことが出来ないんだ」「そんなことでどうする」「だらしない」「もっとがんばれ」と子どもたちの悪いところばかりを責め、つぶしてしまっている。もしも、自分が「お前はだめだなあ」「なんでこんなことができないんだ」と言われ続けたら、「よし、がんばろう」という気になるだろうか?自分の良い所に気付かないまま「自分はダメな人間だ」と思い込んでしまうのではないか。夜の世界に足を踏み入れる子どもたちは、共通して、昼の世界で徹底的にいじめられている。元気な子は暴走族になったり、非行に走ったりするが、それはわずかな数であり、心のやさしい多くの子どもたちは誰にも相談できずに一人で悩み、手首を切る。今、このリストカットがものすごい勢いで増えている。リストカットは死にたくてするのではなく、生きるためにするのだ。子どもたちは腕を切ることで死への衝動を抑え込み、何とか生きようとしているのだ。また、援助交際などで体を売る少女たちの目的はお金ではなく「優しくしてくれるから、大事にしてもらえるから」と、ほんのひと時の安らぎを見知らぬ男に求めているのである。しかし、その優しさは、少女たちに薬物を売り、さらに、薬漬けにした上で体を売らせ2倍設けようとする罠なのである。それにしても、親や教員、近くの大人ではなく、見ず知らずの男に優しさを求めてしまうほど、昼の世界は、子どもたちにとって生きづらいところになってしまったのだろうか。
 
 かつて、「子どもは、十褒めて一叱れ」という名言があった。これを実践している保護者や教師はどのぐらいいるだろうか。せめてひと言だけでいいから、身近にいる子どもに、愛のある優しい言葉をかけてあげてほしい。そしてほめてあげてほしい。

 「子どもを誉めた数と叱った数とどっちが多いですか?」という会場への質問に私自身ドキッとしてしまいました。水谷先生は、21年に及ぶ教員生活のなかで、一度も生徒を叱ったり怒ったり、殴ったりしたことがないそうです。子どもたちは「花の種」であり、どんな花の種も、植えた人間がしっかりと愛情を注いで、きちんと育てれば、時期が来れば必ず美しい花を咲かせる。これは、子どもたちも同じで、親が、教員が、地域の大人たちが、マスコミまで含めた社会全体が、子どもたちを慈しみ愛し、丁寧に育てれば、時期が来れば必ず花を咲かせるはず。もし花を咲かせることなく、しぼんだり枯れたりする子どもたちがいたなら、それは大人によってそうされてしまった被害者だとおっしゃっておられました。

 犯罪、引きこもり、リストカット、薬物乱用者などが増えているのも、問題の原因を探っていくと根底には「どうせ自分なんか」といった自己肯定感の低さが絡んでいるようです。わたしたちにとって、非行や犯罪、様々な問題は「もっと大きくなってからのこと、保育園時代は関係ない」と思いがちですが、実はそうではなく、今のうちからしっかりと子どもたちに愛情を注ぎ、「ありのままの自分でいいんだ。」という自己肯定感を育くみつつ、いざというときに周りに流されず、「自分の意思で自分の行動を決める強さ」も育てていかなければならないのだと思います。


サンクチュアリ出版 夜回り先生ホームページ) http://www.sanctuarybooks.jp/mizutani/

毎日新聞 水谷修先生の夜回り日記) http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/yomawari/archive/





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