おーい!父親

初瀬基樹

 間もなく、園では「父の日の集い」が開催されます。詳しい内容は後日改めてお知らせしますが、お父さん方、ぜひ今年もご参加ください。

 さて、私も2児の父親として、「父親ってなんだろう?父親とはどうあるべきか。」などと考える時があります。保育園にも父親的な役割が、ぜひとも必要なことを身をもって感じながら、日本では男性保育者がまだまだ少なく、寂しい思いをしているところでもあります。そんなことを考える時、私はよく汐見先生の本などを読むのですが、今回は汐見先生のホームページより、新聞に連載されたという文章を3つほどご紹介したいと思います。

「おーい!父親」 より

※ 毎日新聞 毎週火曜日朝刊に連載された汐見稔幸(東京大学教育学部教授)先生のコラム

ホームページアドレス:http://www.ikuji-hoiku.com/titioya.html より引用させて頂きました。

2000年2月1日 父への尊敬度

 お父さんのようになりたいですか?」というちょっとドキッとする調査がある。東京都が1998年に都内の小学校3年生、5年生、中学校2年生の計約1900人を対象に行ったものだ。女子に「お父さんのような人と結婚したいですか」ということをきいた調 査で「したい」と応えたのは、77年には47.3%、86年には44.1%、92年には46.7%いたのに、98年には31.5%と大きく減っていた。

 男子に「お父さんのような人になりたいですか?」ときいた調査で「なりたい」と答えたのは、77年が59.8%、86年が59.4%、92年が57.3%であったのに、98年にはやはり48.9%と、かなり下がってしまった。

 お父さんの家庭回帰が始まったといわれているのに、お父さんの人気は逆に低下しつつあるのだ。どうしてだろうか。 一般に、父にしろ、母にしろ、親への子どもの尊敬度には一定の法則がある。 一つは、年齢が小さいほど、尊敬度は高く、年が上がるほど、尊敬度は下がっていき、大人になるとまた回復するということだ。これは、子どもが親から自立していく際には必然的に起こることだから、まあ理解できる。

 もう一つは気づかれにくいのだが、社会の変化が激しいときは、親は子どもから尊敬されにくくなる、ということだ。社会の変化がそれほど大きくない時代には、子どもは自分の未来像を親の具体的生活の中に見いだす。自分も大人になったらお父さんみたいに生きているのだろう、ということだ。だから、親や大人はモデルとなり尊敬されやすい。

 しかし、社会の変化が激しくなると、そうはいかない。親を見ていても自分の未来像が見えず、子どもから見れば親は古いことにこだわっているだけの存在に思える。説教も説得力がない。こういう時代は、父親も、父親であるだけでは尊敬されなくなる。 90年代も後半に入って、父親が次第に尊敬されにくくなってきているのは、その意味で、社会変化の激しさを物語るものだろう。しかし、そのことは逆に、父親への子どもの期待が変化してきていることも表している。子どもは、親が知ったかぶりをするのではなく、難しい時代に自分探しをしているこの私を応援してくれと言っているのだと思う。言いかえると、親が子どもを同時代人としてみてくれているかどうかをみているのだ。 

2000年4月25日 コミニュケーション

 父と子のコミュニケーションの質が子どもの育ちに影響を与えているというデータをもう1回紹介する。公文子ども研究所が以前、「父と子どものコミュニケーション」と題して行った調査結果だ。質問の中に父と子のコミュニケーション度を図る項目がある。

 質問項目は「お父さんによく相談をする」とか「お父さんの話は面白い」など多数で、それに対して「そうである」「まあ、そうである」など、五つの選択肢が用意されている。「そうである」を選ぶことが多い子を、お父さんとのコミュニケーション度が高い子とする。その結果、お父さんとのコミュニケーション度の高低によって、子どもの育ちに大きな違いが出た。
 
 たとえば、「みんなで決めたことには従う」「因っている人、友達の手助けを喜んでする」などという社会性の育ちを比べると、どの項目でもお父さんとのコミュニケーション度の高い子の方が社会性がきちんと育っているという結果だったのだ。逆に、コミュニケーション度の低い子どもほど「お父さんにあまり口出しして欲しくない」という要望を強く持っているということもわかった。

 また、子どもたちに自分のお父さんはどういうタイプかということを書いてもらってそれを統計的に処理すると、お父さんには四つのタイプが析出された。@「優しいパートナー型」A「はつらつエンジョイ型」B「堅実で仕事重視型」C「厳しくてリーダータイプ」。大きく分けてこの四つのタイプに分かれたが、このうち子どもとのコミュニケーション関係がいいというのは、最初の二つであった。つまり、おれのいうことが聞けんのかとか、仕事一直線で子どもと話す時間もない、というお父さんよりも、子どもと一緒に外遊びしたり、子どもの相談にのったりするタイプのお父さんの子どもの方が、社会性が一般的に良く育っているという結果が出たのだ。

 現代では、子どもは父親を必ずしもモデルとしていない。モデルとはならない父親が、おれの言うことを聞けとばかりに迫ってきても、子どもは納得しないのだろう。それよりも、私が自分探しをするの応援してとか、お父さん、同時代人として相談に乗ってよ、というのが子どもの願っていることらしい。

 どうやら、子どもを信頼してあまり口出しせず、自分の信念や趣味を大事にして、無理なく生きているという感じの父親が、今は望まれているようだ。

2001年2月20日 モデルとしての男 子に生きる姿示しているか

 大人になるときは、だれでもそれなりのモデルが要る。同性のモデルが大事だが、同性云々(うんぬん)というよりも、大人のモデルが必要だ。

 以前、日本教育学会が高校生の進路意識の調査をしたとき、次のような興味深いことがわかった。いわゆる進学校の生徒は、進路を選ぶとき、成績や教科の好き嫌い、大学の難易度などで選ぶことが多く、自分のやりたいことを真剣に考えて選んでいる者は少なかった。他方、職業高校の生徒たちは、たいてい自分の進路に真剣に悩み、苦労して自分の道を探していた。成績がよくて、銘柄大学にいけると考えている者ほど、進路を安易に選んでいて、成績で勝負できないと考えている者の方が、真剣に悩んで選んでいるという結果だったのである。

 なるほどと思えるが、興味深いのはそれだけではない。職業高校の生徒で確信を持って進路を選んだ者は、たいてい理屈ではなく、具体的な人間に接して、その人に影響されて選んでいるということも分かったのである。ある若者は、相談にいつものってくれるバイト先の先輩が吹いてくれるトランペットに感動し、音楽家をめざそうとした。別の若者は、建てる家に徹底的なこだわりをもつ棟梁(とうりょう)に感じるところがあって、大工の修業に入った。

 だが、今は、こうした大人に出会える若者は幸せというべきだろう。サラリーマン社会は、次世代の若者にこうしたモデルを悲しいまでに提供できなくなっている。

 大人が子どもにモデルを提供してやれないという現実は、男性の場合、より深刻だ。「昼間の父ちゃん、光っている!」などといくら言ってもらっても、それで世の男性の具体的な生き様が伝わるわけではない。そのことが、男の子の人生選択を困難にしている一つの原因に、確実になっている。

 何とか、多様な大人の男性が、若者の前に具体的に立ち現れることができるような社会をつくれないものか。自治体によっては、中学生に、ボランティア活動や労働体験をすることを課しているところも出てきている。やってみて、そこですてきな男性のモデルに出会える可能性が高まるのであれば、そうした取り組みをぜひ強めてほしい。

 大事なことは、世の男性が、子どもたち、若者たちの前で具体的に生きる姿を示すために、子供の世界と大人の世界をつなぐ水路を広げることだろう。




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