思いやり、やさしさはどのように育つ?

初瀬基樹 

 ニュースや新聞で最近の犯罪を見ていると、あまりにも残酷で自己中心的な事件が多すぎるように思います。相手の身になって考えるという力が育てられてこなかったのでしょう か?思いやりややさしさは大事だということは今も昔も変わらず伝えられてきたはずなのですが・・・。今回は、汐見稔幸(東大教育学部助教授)先生の文章を紹介したいと思います。

汐見稔幸『0〜3才個性を伸ばす能力を育てる』主婦の友社より


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親の絶対的な信頼感がやさしさの原点

 思いやりとかやさしさというのは、理屈でいえない部分と、理性的に判断できる部分が合体したものだと思います。理屈でいえない部分というのは、親の絶対的信頼感を子どもに伝えるということです。親子というのは、この世に生まれてたまたまいっしょになったものですが、親は子どもに対して「おまえがどんなことをしても、絶対に味方だよ」ということを、繰り返し、繰り返し感じとらせておく必要があります。

 仮に、もしそうではなくて、子どもがよいことをすれば味方になるけれど、悪いことをしたら味方にはならないというのでは、絶対的信頼感とはいえません。

 子どもに「親は絶対的におまえの味方」というメッセージが届いていれば、子どもは根源的に人間を信じるようになります。そうして、その喜びを他人にもむけたくなるものです。そのあらわれがやさしさであり、思いやりです。子どもが親の絶対的信頼感を感じるには、なにも特別な経験が必要なわけではなく、日々のふれ合いの中で少しずつ積み重ねていくものです。しかし、子どもが何か困難なこと、つらいことに直面したときは、この信頼感が問われるときですから、特にあたたかい対応が必要になってくるでしょう。

 もう一つの理性的な部分というのは、たとえば足をけがしている子といっしょに遊んでいたら少し手を貸してあげなければならないとか、重い荷物を持って歩いているおばあさんを見たら持ってあげたほうがよいとか、理屈で考えて相手を支えてあげたいなと感じる部分です。

 これは4〜5歳以降に本格的に育ってくる部分(能力)ですが、そういう経験は、親が子どもの前で見本を示すことで間接的に伝えられます。重い荷物を持ったおばあさんのその荷物をさりげなく「お持ちしましょう」と言って実際に持ってあげる経験を示すことが、子どもに思いやりを伝えるのです。


「親はありがたいな」という体験をいっぱいさせる

 
親の絶対的信頼感ということに戻ります。私自身、親というものはありがたいなと思う体験をたくさんしています。

 確か幼稚園のころだったと思うのですが、私は友達とけんかをして相手の急所をけってしまったことがあります。私が家に戻ってから、相手の親から抗議を受けたのですが、そのとき、母親は「いっしょに謝りに行こう」と言って、私を連れて友達の家に謝りに行ってくれたのです。

 こうしたことはその後も何度もあったのですが、何回やっても、子どもをしかるのではなく、「いっしょに謝りに行こう」といってくれる母親はとてもありがたいな、と子ども心に思いました。

 もしこのような状況で、親が自分のメンツにこだわって、子どもを頭ごなしに叱ったり、あるいは相手の親とけんかごしに対応したりすると、子どもは動揺してしまうでしょう。ところが「私はどこまでもあなたの味方なのだから、私もいっしょに謝ってあげよう」というメッセージが届いていれば、自分は親に絶対的に信頼されていると感じることができます。そして、その幸せを人にも届けたくなるのです。これはけっして甘やかしではありません。子どものやったことをなんでもしりぬぐいすることとは、一線を画したものだということを理解しておくことがたいせつです。


厳しすぎると、やさしさに欠けた子になる

 一方で、「社会に出たとき困らないように身につけさせておかないと」と、厳しくしつけをするのも、子どもを育てていくうえでは必要になりますね。

 しかし、あまりにも厳しすぎるしつけや子どもがいやがることを無理強いしたりすると、子どもは「お母さんは私の味方ではないのかもしれない」と考えてしまい、思いやりの心が育たなくなってしまうこともあります。たとえば、子どもがいやがるのにピアノのけいこを一日何時間も強制するとか、食事のマナーをしつけようとしてうるさく手出し口出しするとか、たたいてでも正しいやり方に矯正させようとする、などといったケースです。

 結局、子どもとの絶対的信頼関係を築くのは、親の生き方そのものにかかわることなのでしょうね。自分自身が誠実に生きることが、思いやりのある、やさしい子を育てることになるのだと思います。


相手の立場に立つという体験をさせる

 相手の立場に立つという気持ちは2〜3歳の子には理解できないことですが、そのベースとなる体験を幼いころからさせておくのはたいせつなことです。

 相手の立場に立って、相手の心を思いやる力を身につけるには、いろいろな人間とかかわることが必要なのですが、現在の社会環境では同じ年齢の子どもばかりの交流になりがちで、これだとどうしても競争という意識になってしまいます。

 もう少し上の年齢の子、下の年齢の子、お年寄りといったさまざまな年齢の人たちとの交流はとてもたいせつですし、また、ハンディを持った人と交われば、支えなくてはならない人がいることがわかります。実際的な体験があれば、どんな支えが必要なのかということを理性的に知ることができます。

 学校に行くようになると、スポーツのできる子、できない子、勉強のできる子、できない子、けんかの強い子、歌のうまい子、遊びの上手な子、リーダーになる子、引っ込み思案の子、などさまざまな子がいることを知るようになります。

 こういう人々とお互いに支え合って生き、相手の立場を理解していくうちに、相手の気持ちを思いやる心が育っていくのではないでしょうか。そんな、いろいろな人たちと交わることのできる場を幼いころから与えてあげられればいいですね。                   

( ・・・ 後略 ・・・ )




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