きょうだいげんか
初瀬基樹
我が家には小学校1年生と3年生の二人の娘がいますが、この二人、寄るとさわるとケンカばっかり・・・。ケンカの原因も「朝食のコーンフレークの量がお姉ちゃんのほうが多い!」とか、「このコップは自分が使うはずだった!」とか、「折り紙勝手に使ったでしょう!」とか、「バカって言った」、「言ってない」・・・などなど、当人同士にとっては腹が立ってしょうがないことなのでしょうが、私たち親にとっては、どうでもよいことばかりで、くだらないと思うことばかり。しかも、時間のない朝っぱらから、そんなケンカを始めるものですから、いい加減うんざりして「いい加減にしろ!」と怒鳴りつけてしまうこともしばしばです。
保育園で子ども同士がケンカをするのは、「人とのかかわり方を学ぶいいチャンス」だと思い、落ち着いて見ていられるのですが、わが子のきょうだいゲンカとなると、なんでこうも腹が立つのかと自分でも不思議なほどです。
先日、精神科医の佐々木正美さんという方が書かれた『子育てアラカルト vol.3』のなかに「きょうだいげんかのススメ」という章があり、それを読み、なるほどと妙に納得して、気が安らぎました。そこで、もし、同じような悩みをお持ちの方がいらっしゃれば、少しはお役に立てるかと思い、また、もう一度自分に言い聞かせる意味でも、その文章を少し引用させて頂きます。
人間にとって攻撃性は本能ともいえるものです。人間の向上、発達、成熟、あるいは人格の形成とか人間が磨かれるというのは、攻撃性の内容を変えることだと定義する人もいるほどです。攻撃性のなかには、他人の悪口を言ったり欠点を探してよろこんだりする未分化のものから、非常に困難な山にアタックして登頂したり、前人未到の世界を開拓するような、よい面の攻撃性もあります。人間はある一面から眺めれば私たちが想像するほど高級に洗練された動物ではなく、攻撃性があまり文化したものではないのです。
(中略)・・・攻撃心や強い欲求が人間の向上に結びつくというようなことが書かれています。
兄弟げんかは相手をひどく精神的に傷つけたりしません。ケロッと仲直りできます。もちろん、子ども自身は、大人のようにそんなことに配慮しながらケンカはしません。いじめたほうは後悔しているし、やられたほうはシャクにさわって残念でしょうがない。けれども、後に残らずうまくおさまってしまいます。家族のなかに基本的な信頼関係があれば、もっと安心です。ですから、ケンカをさせないのが良い家族というのではありません。子どものなかに本当の攻撃性と征服欲と向上心が磨かれない方が逆に問題ですから、きょうだいゲンカはものすごく大事で、しなかったら欠陥があるとさえ考えていいくらいだと思います。そして健康な子どもはきょうだいゲンカを多くするほど友達とはケンカをしません。きょうだいゲンカをたくさんしている子どもの方が友達と仲よく遊べるのです。従って、親はきょうだいゲンカを病的と思ってはいけないのです。きょうだいゲンカをなるべく少なくさせようというのではなく、ケンカが終わった後で、親がどうやって精神的に救済してあげるかという家族の雰囲気作りや、親の態度に心をくだく方が先決です。年齢の小さいときからたくさんケンカをさせて早く卒業させてしまおう、というぐらいの気持ちでちょうどいいと思います。
反抗期と似ていて、反抗期に親への反発が激しければ激しいほど子どもの成熟度は大きく、人格形成が豊かで、自発性が生まれてきます。反対に反抗期のなかった"良い子"は、思春期になると親に対する不信感をまとめて表出します。家庭内暴力、拒食症、自殺などの多くは親に対する仕返し、復習であるともいえます。あるいは病的な歪んだ形での反抗といってもいいかもしれません。ですから、親に安心感を持っている子どもほど、きょうだいゲンカにしろ、反抗にしろ、強烈で激しいのですが、それを豊富に経験し学習することによって、カウンターリアクションとしての実りは大きく豊富で、共感性と自発性を備えもつ子どもに成長していくわけです。
(後略)・・・ しかし、たいていの親は争いを好みませんからやめさせようとしますが、あまり強圧的に、かつまた神経質に静止すると非行に走ったりする子に育ってしまうこともあるということが書かれています。
いかがでしょうか。「きょうだいげんか大いに結構!好きなだけやりなさい。」と言いたくなりませんか?・・・と、これを読んだ直後には思ったのですが、しばらく経つとまた、相変わらずケンカばかりの娘たちに、頭ではわかっていても、イライラしてしまう今日この頃。子育てはやっぱり難しいですね。