これからの保育・子育て
初瀬基樹
進級、新入園おめでとうございます。
年度末から、保育園のことで、いろいろとご心配をおかけしております。いよいよ新年度が始まりましたが、まだ不安を抱えたままの方もいらっしゃることと思います。その不安が、年度の終わりには、結果として「良かった」と思って頂けるように、職員一同、精一杯がんばっていくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。
また、先月の30日、31日には、多くのご家庭にご協力頂きまして、非常勤職員を含めた職員全員での園内研修、環境整備を行うことができました。ありがとうございました。31日には、熊本学園大学の宮里先生をお招きしての職員研修を行い、全国各地で増え続ける「荒れる子、キレル子」の実態や、社会の移り変わりで、保育園には今後どのような働きが求められるのか、また、異年齢保育についてのお話も聴くことができ、職員みんなでそれらについて考える時間を持つことが出来ました。宮里先生のお話に関しては、ぜひ、近いうちにおうちの方々にも聴いて頂く機会を設けたいと思っておりますのでお楽しみに。
さて、今の日本の社会において、「保育園は、子どもたちの健全な育ちを保障する『最後の砦(とりで)』になりつつある・・・」という現状に、とても危機感を感じます。
このような中、今後子どもたちにとって、どのような保育をしていくことが大切なのかを考えると、宮里先生のお話を通して、これまで以上に「異年齢保育」というものに、限りない可能性を感じます。「異年齢保育」は、決して、「少子化」や「制度」上の問題で「仕方なくする保育」ではなく、むしろ「無限の可能性を秘めた新しい保育への挑戦」なのだと思います。
現在、日本で「ひきこもり」と呼ばれる人々は、推定で100万人を越えていると言われ、「フリーター」や「ニート(※)」などと呼ばれる定職につかないでいる若者が400万人を超えているということも話題になっています。
※ ニートとは「職に就いておらず、学校等の教育機関に所属せず、就労に向けた活動をしていない15〜34歳の未婚の者」のこと。「フリーター」が定職に就かないながらも、パート・アルバイトなどをして収入を得ているのに対し、「ニート」はそのような活動もしていない人を指します。
「人間関係」を築くことが苦手な人たちが増えているのと同時に、何事にも「意欲」のない人たちも増えているようです。さらに、ライブドアの堀江氏が逮捕される以前、まだカリスマ的人気を誇っていた頃、どこかのニュースキャスターが、「今の若者の多くは、『堀江氏のように金持ちになりたい』という夢を持っていて、その夢自体を悪いこととは思わないが、一昔前までは『世のために、人のために役に立つ仕事をしたい』という若者が多かったのに対し、今は『自分だけ、自分さえよければ』と考える若者が増えていることが気になる。」というようなコメントをしていたのを聞いて、なるほどそうかもしれないと思いました。
こうした問題の要因と考えられる「人とのかかわり」や「好奇心」、「意欲」などといった、人間がより良く生きていくための「核」になるようなものを育んでいくためには、今の学力中心の教育システムでは限界があり、そう考えると「保育園」のような場は、今の子どもたちにとって、今まで以上に「なくてはならない場所」になっているではないかと思えてきます。
十数年ほど前に出版された本で『もうすぐ1年生、学力はどこまで必要か』という本を読み返してみて、当時、東京などの都市部での出来事が、今では熊本などの地方でも、当たり前のように起きているなという印象を受けました。いわゆる早期教育の波です。
その本のなかで、わが園にも来て頂いて、講演をして下さった事もある汐見稔幸先生が書かれているのですが、日本の教育システムは、昔から「みんなが理解できるように」作られているのではなく、「競争」の原理を前提にし、「競わせることで学力の向上を図ろうとしている」のだそうです。ですから、「落ちこぼれる子がいて当たり前のシステム」なのだそうです。一番望まれるのは、そういった教育システムの改善なのでしょうが、「今すぐに変える」というのは不可能であり、今の子どもたちをどうするかといえば、なんとか「幼児期にできることをしておく」ということも必要になってくるというわけです。
しかし、ここで注意したいのは、「偏った教育は、人間形成に必ずしも良い影響を与えない」ということです。「ある能力を伸ばすことは、別の能力の育ちを犠牲にするということも充分ありうる」ということなのです。
一昔前の子どもたちは、小学校に上がる前に習い事をしたり、文字や数を覚えたりなんてしていませんでした。しかし、だからといって、今の子どもたちに比べて、昔の子どもたちのほうが、頭が悪かったかというと、そうではありませんよね。むしろ、手先は器用だったし、遊びのなかで、仲間とうまくやっていく力とか、いろんな知恵を身につけ、工夫する力なんかも昔のほうがあったように思います。それに比べて、今の子どもたちは、学力中心の教育のために人間関係とか、意欲とか、人を思いやるといった「心の育ち」がとても弱くなっていると思いませんか?
ですから、バランスよく、子どもたちの年齢、発達に合った「生活」、「体験」、「教育」が必要なのだと思います。また、教育といっても、幼児期に「教え込む」ことは、人格形成上良くないと言われており、むしろ、単に子どもたちの興味が湧くような「刺激を与え続ける(本物の芸術に触れさせるとか、大人が何かに熱中する姿を見せるなど)」とか、子どもたち自身が「不思議だな」、「なんでだろう」と思うこと、そして、それらを友達などと、「ああでもない、こうでもない」と議論しながら、実際になんでも試してみて、たくさん失敗もするといったことのほうが大事なのです。何より、子どもが「楽しみ」ながらできるものでなくてはならないのです。
子どもたちは、自然な探索活動とか、遊びの中で、必死に頭を使っています。その延長で、しりとりや、言葉遊び、絵本、かるた、お手紙遊びなどを楽しみつつ、文字に対する興味を持ち、「文字を覚えたい」、「使いたい」と思うようになっていきます。また、鬼ごっこやドッジボールなどの遊びのなかでも、体力的なことだけでなく、チーム分けするために、数をかぞえたり、両チームの力の差や、それを「均等にするには?」なども考えたりするようになっていきます。虫や、植物への興味は、自然や科学への芽を育てたり、砂、泥、水遊びは心の解放とともにイメージする力、造形する力を育んだりしていきます。
こうした、これまでもうちの園で大切にしてきた「遊び」について、一般の大人から見れば、単なる遊びにしか見えなくても、その「遊び」のなかで、子どもたちは「どんなに知的な活動を行っているのか」、「どんな力を身に付けているのか」といったことを、もっともっと、私たち保育者自身が意識して見ていき、そうした力がさらに伸びていくために必要な援助を考え、実際に「どんな力として子どもたちに備わってきているのか」といったことを、具体的におうちの方々にもお伝えしていくことができればいいなと思っています。
もう1冊、汐見先生の書かれた本を読んでいて、とても共感できる部分がありました。子どもの生活の基本構造は、次の図のようになることが理想なのです。
1番下には「子どもらしい自由な遊びを中心とした生活」が、常に一番大きくあり、その上に「そのなかで感動したこと、疑問に思ったこと、熱中して考えたことなどの生活」がのっかり、「その一部が言葉や表現とされていく」という構造です。この関係とそれぞれの大きさが逆転してしまうと、生活と発達のバランスが崩れていきます。
さらに、子ども時代の体験で、一番大事なことは、子どもたちが「人生っておもしろいものだ、生きる価値のあるものだ」と何らかの形で本心から思い、それを原体験として心と身体にきざみ込んでおくこと、そのような体験をしっかりとさせてやること。そうすれば人生の困難を自分で、自分を大切にしながら切り抜いて生きていくことが出来るのではないか・・・と。
宮里先生のお話のなかでも、荒れる子、キレル子、「テメー」「コノヤロー」「ぶっ殺す、明日包丁持ってきてぶっ殺す!」などの暴言を吐いたり、手加減なく、殴る、蹴る、噛む、つねるなどするような子が、ただ乱暴なだけではなく、受け入れてくれそうな大人には、異常なほど、べ〜ったりと甘えるという姿。そうした子ども達の背景には、自分のことが大切に思えないで「どうせ俺は悪い子。俺が死んでも誰も悲しまない」と言わせてしまうような今の日本の社会があるのです。
今の日本の親は「いい子」が大好きです。子どもにとって一番怖いのは「親に見捨てられること」ですから、一生懸命、親に見捨てられないように「いい子」を演じようとします。でも、まだまだ子どもなのですから、甘えたい時だって、いい子でいられないときだってある。それを受け止めてもらえないときに荒れたり、キレたりしてしまうのです。
私たち大人がもっともっと、「いい子じゃなくても、あなたのことが大好きよ」「ありのままのあなたでいいのよ」というメッセージを子どもたちに送り続けることが大切なのだと思います。そういうメッセージをたくさん受け取った子どもは、自分のことが好きになれます。人を好きになるにも、思いやりの心を持てるようになるためにも、やはり、「自分のことが好き」でなければなりませんし、そうした意味でも、今の日本人に一番欠けている自尊感情(自分のことが好き、自分を大切にしようと思う心)をこの幼児期から育てていくことが、今一番必要なことなのではないかと思います。
こうした「人とのかかわり」「意欲」「自尊感情」「思いやり」などを育むことを基本とした上で、この時期に必要な「知的探究心」なども、充分育んでいけるような保育を今後展開していきたいと考えています。
あらためて、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
<参考文献>
岸本 裕史・汐見 稔幸・宍戸 健夫 『もうすぐ1年生 学力はどこまで必要か』 大月書店
汐見稔幸 『このままでいいのか、超早期教育』 大月書店
宮里六郎 『「荒れる子」「キレル子」と保育・子育て』 かもがわ出版