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赤ちゃんが泣く意味
(ぜんほきょう№169 2007年5月号より) |
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昔から「泣く子は育つ」と言われてきました。また赤ちゃんは、泣くのが商売、「泣くことで周りの人を自分に呼び寄せるのだから泣いたら放っておかずになぜ泣くのか訊いてやりなさい」と教えられてきました。
ところが今日の育児不安の主な原因は「泣かれた時どうしていいかわからない」「泣きやませるためおっぱいを飲ませてしまう」というものです。育児がいかに伝承されていないか…心が痛みます。
今、赤ちゃんの泣きは、確かに母親を困惑させるものかもしれません。しかし「赤ちゃんがどんな時に泣くのか? なぜ泣くのか?」、その意味や発達をたどってみると泣きに秘められた赤ちゃんの訴えや思いが伝わってきます。そればかりでなく「人がなぜ生きるのか?」、その謎解きにもつながる面白さを掴めるような気がします。
それこそが子育ての喜び、真髄なのではないでしょうか。
◆生後6カ月頃まで<不快を快に変え、心を通わせてくれる人を求める泣き>
2~3カ月頃までの赤ちゃんは、泣くことでしか人と関わる手段がありません。いいかえれば、泣く力を与えられているからこそ人とコミュニケーションできるのです。おむつがぬれて気持ちが悪い、お乳が飲みたい、痛みを感じるなど、快と不快が分化してくるため、泣くことで不快感を訴えます。また大きな音や強い光などに驚いて泣くこともあります。泣く理由がわからないことも多いのですが、何か泣かずにはいられない赤ちゃんの思いがあるのでしょう。そんな時はやさしく抱っこし、好きな歌でも歌ってあげましょう。
生後2~3カ月頃になると赤ちゃんの知恵がついてきて「呼べば誰かが来てくれる」ことがわかってきます。だから泣いて訴えているのに誰もかまってくれないとき、赤ちゃんは顔を真っ赤にして怒ったように泣くようになります。不安を快に転化してくれる大人の存在がわかってきた証拠です。
4~5カ月頃になると、泣き方に表情が出てきます。赤ちゃんによって泣き方は異なりますが、たとえば眠い時はぐずり泣き、おなかがすいた時は怒ったように泣く、人を求めての甘え泣きもあります。泣き方で何を訴えているかわかるようになるので泣く回数もぐんと減ってきて育児が多少、楽になってきます。
◆6~15カ月<思い通りにならないせつなさ、情けなさの泣き>
寝返り、おすわり、這い這い、やがて歩行へと体の動きが活発になるにつれ赤ちゃんの視野が広がり周囲の環境への探索がはじまります。ところがモノをうまく掴めなかったり思うように前進できなかったり、何度やっても自分の力が及ばなかったりするとき赤ちゃんは泣くようです。障害児の発達診断で著名な白石正久氏は、この時期の泣きを「情けなさ」と表し、「この情けなさは、発達とともに育ちつつある要求と思い通りにならない現実とのズレが引き起こしている」と述べています。こうありたい自分と現実の自分の力の及ばなさ、矛盾(葛藤)は、人が発達していくためになくてはならない“心のバネ”が生きる力そのものです。したがって赤ちゃんがそのような泣きで訴えたら、「ボールを取りたいって思ったのに進めなくて悔しいのね」などとその気持ちを言葉にし、願いが実現できるよう援助をしてあげましょう。抱いて泣き止ませるだけでなく、矛盾への働きかけを支えてくれる大人に対して赤ちゃんは格別な思いを感じ、情動を高めていくことは言うまでもありません。人と心を一つにして繋がりたい、生きたい、そのための泣きなのかもしれません。
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赤ちゃんの笑い
(ぜんほきょう№170 2007年6月号より) |
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◆取り戻そう大人と子どもの豊かなコミューケーション
笑いは人と人とのかかわりを気持ちよく成立させる最も有効な手段です。にこにこキャッキャッ、さっき泣いたからすがもう笑った。昔から「よく泣く子どもほどよく笑う子どもに育つ」と言われてきましたが、最近どうも乳児の笑いが乏しくなっているように思えてなりません。もし育児にあたる人が子育てに対し不安やストレスを抱えていたとしたら、育てられる子どもも不安になり双方に笑いが生まれるはずがありません。
生後1~2カ月頃までは、生理的微笑と言われるいわゆる対象のない笑みを浮かべることがありますが、2カ月頃からは、周りの大人の笑顔に祝福されて、人の顔に対して最もよく笑うようになります。この時期に乳児の笑いを引き起こすものは人の顔、つまりは「あなたが笑えば、私も笑う」、自分の世話をしてくれる大人の笑顔に触発されて赤ちゃんの笑顔が生まれます。『あなたが生まれてきてくれたこと、何よりの喜びよ』という大人の笑みは乳児に『私は愛されている』という喜びの感情を育みます。それは相手と融合した関係の中で生じてくる、いわば感情や気持ちが繋がりあう劇的な出来事を意味します。このような快感情の共有こそ『人っていうものはいいものだ』『人と一緒にいることは楽しい』というコミュニケーション力や『私は周りの人に祝福されている』『生まれてきてよかった』と自分の存在の意味や喜び、さらには自尊感情を育むことになります。アメリカの心理学者エリクソンはこの時期の笑いを「社会的微笑」と呼び、乳児期の重要な発達課題としています。さらに乳児の首すわりが安定してくると笑い声がでてきます。この時期はあやしたり、おはしゃぎ遊びをいっぱいしてあげましょう。あやされ笑うことによって手足の動きが活発になり声がよく出るようになります。言うまでもなくことばの習得、つまり笑うことで発声力が促がされるのです。さらに機嫌のよいときだからこそ相手への親愛が深まります。人は喜びや感情を共有しあう経験なしには自分をつくりあげていくことはできないのではないでしょうか。
◆大好きな人と笑いを分かち合う
やがておすわりやはいはい、歩行の力を獲得していくと『ほらみて、たっちができたでしょ』『あたしこんなことやれたの』といった行動獲得の笑いや、身近なものを自分の思い通りに操作できたという興味が満たされた時によく笑うようになります。そして笑いながら必ずと言っていいほど、そばにいる大好きな大人の顔を見ます。大人がそれに答えると子どもの笑いが一層大きくなります。子どもはいつもそばにいてくれる大好きな人と自分の喜びを分かち合いたいと求めているのです。いずれにしても笑いあうことで好きな人と同じものを見つめ、心が通いあうという親愛感情が広がってきます。子どもとのやりとりを楽しめる生活こそ笑いの温床。あまり笑わない子はそのような人との心のやりとりを求める気持ちが弱くなってしまったのかもしれません。そういう意味で幼い子どもの笑いが多いか少ないかは、双方の心の通い合いがどれほど豊かであるかを計るバロメーター、生きる力の原動力といえるのかもしれません。
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授乳
(ぜんほきょう№171 2007年7月号より) |
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◆抱かれることで体と心が育つ
赤ちゃんにとって授乳は、栄養を摂取するという大切な営みですが、決してそれだけではありません。自分の世話をしてくれるおとなからしっかり抱かれて飲むという行為は、肌の触れ合いや相手のにおいを感じながら自分が愛され守られていることを感じ取っていく「人との信頼関係を築く基本的行為」です。さらに口を通してまわりの世界を安心して受け入れていくようになります。口唇期と言われるようになんでも口で確かめ、やがて食べ物とそうでないものを区分けし、物を認知していく力が育ちます。
授乳をするときには、まず乳児の目を見て優しく語りかけてください。「おなかがすいたね、たくさん飲んでね」などと語りかけることで、乳児もおとなの目に注目します。生後2カ月頃からは「凝視」、すなわち見つめあいが成立し前回述べた社会的微笑や共鳴動作が盛んになっていきます。「目は感情の窓」、目を見て人の気持ちがわかる
ようになるということこそ、思いやり行為の基本です。この見つめあいによって、いつも自分の世話をしてくれるおとなの顔を覚え、その人との快感情の交わりや愛情交流の喜びを増幅します。それが乳児の体と心をはぐくむ原動力です。おとなの優しい語りかけと見つめあいによって乳児の食欲が増すことは言うまでもありません。
ところがテレビが普及してから、授乳に時間がかかり退屈だからとテレビを見ながら授乳することがお母さんたちに広がってしまいました。最近では携帯でメールを打ちながらという事態も多くなっているようです。それではせっかく乳児がおとなの目を見て笑いかけても微笑を返してもらえません。そろそろおなかがいっぱいになって『もう飲みたくない』と舌を出して訴えてもそのサインを見ていないので、何度も哺乳瓶を口に押しあててしまいます。乳児にとっては無理やり飲まされることになり授乳が喜びでなくなってしまいます。ミルク嫌いの原因にもなりかねません。保育所では特に一人ひとりゆっくり向かい合い欲求を満たすことを最優先して欲しいものです。
◆乳を吸う活動は筋肉を発達させ、言語活動を促す
乳を吸う行為は、よい血液を頭と顔に送り込み、舌の筋肉や口の中の筋肉を発達させます。これがやがて呼吸の調整、言語活動の発達に結びつきます。乳を吸うときに動かす舌で口蓋を刺激したり、上下の唇を動かす運動は言語活動そのものであり、その後の食事行為(食べ物をかんだり飲んだり)の学習と準備でもあります。
母乳とミルクを比べると、ミルクの場合どうしても飲む量に目がいってしまい、語りかけや見つめあいが弱くなりがちです。保育者はなるべく同じ子どもの授乳にあたり、単に時間がきたから授乳するということではなく、その子の訴え『おなかがすいた』というサインを受け止めそれに応えること(自律授乳)、好む適温、くせなどを熟知し、決まった場所でゆったりした気持ちで行うようにしたいものです。
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喃語から意味のある言葉へ
(ぜんほきょう№172 2007年8月号より) |
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◆生後1~2カ月 初めての喃語「クーイング」
自分から移動できない新生児は、全く受身の生活を送っているかと思われがちですが決してそうではなく、聴覚を働かせ周囲の音をよく聴き外界の刺激を取り込んでいます。さらに胎児の時の母親の声を記憶していて、誕生後も他の女性の声と聞き分けていることが明らかにされています。生後1~2カ月頃からは、調音のメカニズムが成長し「あーあ」「うーくん」といった母音を主とした喃語を発するようになります。この最初に発する喃語を「クーイング」といいます。この時期のクーイングをよく観察すると養育者が話しかけると乳児の発声がおさまり、声をかけないとクーイングが長く続くということで、乳児が養育者と声によるコミュニケーションをしている証拠だと考えられています。これまで泣くことでしか自分の意志を伝達することがなかった乳児にとって、喃語を発することも人と関わる手立てであることを獲得したのです。乳児の周りには、乳児が喃語を発すれば答えてくれる人がいるという喜びを知ることがコミュニケーション力の第一歩。この喜びが内発的な動機付けになって発声行動が活発になり感情交流が豊かになっていきます。言葉をかけることは心をかけること、やさしい気持ちのこもった言葉で乳児とのやりとりを楽しみたいものです。
◆反復喃語(生後6~7カ月)~意味のある言葉へ
この時期になると乳児は発声や調音を自分でさまざまに変化させながら、それを自分で聞き楽しみ、反復することを楽しむようになります。また「あぶぶぶぶー」「あむあむ」「うまうま」など違った音声を組み合わせて発するようになります。乳児の喃語を養育者が同じようにまねて言い、その後、今までとは異なった音声を発すると、乳児はその養育者の口の動きをじっと見つめ、それに近い音声を出そうと模倣する姿がみられるようになります。喃語を反復しながら発声筋肉運動を司る構音器官と聴覚神経が協応する働きが著しく発達します。やがて9カ月を過ぎるようになると、自分や周りの人が発してきた音声がいよいよ意味を含んだ言葉として組み入れられていきます。「いないいない」「ばあ」「あった」「おいしい」など、養育者との交渉を意図したシグナルとして、動作を用いる時にも音声を発することが多くなってきます。発声そのものが意図的シグナルの役割を帯びてくるわけです。あるやりとりの場面で発せられる養育者や乳児自身の音声が、動作と重なってコミュニケーション効果をもつようになってきます。いっとき見えなくなった物が出てくると「あっ、あっ」(あった)。乳児が物を落とすと養育者が「あーあ」と言ったりします。すると乳児はわざと物を落とし「あーあ」と言って喜ぶなどいい例です。やがてある特定の音声(マンマならマとンとマという音の組み合わせ)が、どの人にとってもほぼ共通するモノ(表象)と結びついていくことがわかり、意味をもった言葉になっていきます。一語文の獲得は「もうすぐそこ」にきています。
参考文献:『子どもとことば』(岡本夏木著/岩波新書)
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共同注視から指さしへ
(ぜんほきょう№173 2007年9月号より) |
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◆乳児が注視している同じ物を見る
乳児が自分の世話をしてくれる母親(それに代わる特定の人)と親密な関わりを築いていく一方で、物の世界に関心を示すようになることも、コミュニケーション力や言葉の獲得に欠かせない大切なことです。生後4カ月頃になると乳児はまわりの物を積極的に「見る」という機能が確立し、さらにおとなと同じ物を見る「視線の共有」が成立し始めます。
日頃、乳児がどんな物に注意を向け見ているか?まずは乳児が目を輝かしている同じ物をおとなも見つめて下さい。おとなが、乳児の関心をもっているものやできごとを一緒に注視することによって、対話の原初的な体験、「心の通い合い」が生まれます。対話というのは、話し手と聞き手のあいだに共通のテーマが必要になり、そのテーマをめぐって互いに話し手となったり聞き手となって関わりあうことです。A子(7カ月)を抱いて戸外に出たら犬を連れた人がやってきました。A子は真っ先に犬に注目しました。「かわいいワンワンだね」というとA子はうれしそうにうなずきました。このように同じ物を見て心を通い合う体験こそ、心と心が行き交うコミュニケーション、信頼関係を築く礎、愛の原点ではないでしょうか。子どもとおとながひとつのテーマ(犬)を共有しあう「三項関係」<子どもー物―おとな>の始まりでもあります。このような体験が重なるにつれ、おとなが示した関心の対象にやがて乳児も関心を示すようになります。相手の視線を追うということは、この後に述べる「相手の指さしの方向を見る」という高次の三項関係の基礎となっていきます。
◆10~15カ月頃から見られる指さし(言葉の前兆)
何かしてもらいたいことがあると「あーあ」と声を出しておとなの注意を引こうとしたり、珍しいものを見つけると発見の喜びを物を指し示す行為で訴える力が生まれます。自分が発見した新しい世界を、人さし指を使って大好きな人に伝えようとコミュニケーションの道具として使うようになってきたわけです。子どもが指さした同じ物を見ておとなは「ほんとだ、きれいなお花が咲いてるね」などとその子の思いを言葉にし、共感します。指さし行為によっていつしか物に名前があることがわかっていきます。さらに自分の要求や気持ちが人に伝わる喜びにもなります。言葉は一方的に話すものではなく相手がいてしっかり返してくれるものであることを実感します。
もし自分の見たものを大好きな人にも一緒に見てほしいという、驚きや喜びを分かち合いたいと願う気持ちがなかったとしたら…言葉はいりません。言葉は人と気持ちを響き合わせ伝えあうコミュニケーションの媒体です。そのような意味で指さしを「言葉の前兆」といっています。「指さしが出てきました。言葉ももうすぐ出てきます。楽しみですね」と親に伝え喜ばせてあげて下さい。
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人見知り ~親しい人間関係の広がり~
(ぜんほきょう№174 2007年10月号より) |
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◆二つ(対の世界)を見比べ、選び取る力
生後4カ月頃、乳児の目の前に二つの玩具をさし出してみましょう。すると両方を見比べ交互に視線を向けるようになります。この二つのものを見比べる力は、6~7カ月頃になると、両者を何回も見比べて見慣れているものと知らないもの(あるいは興味をもったものとそうでないもの)いずれかに手をさし出すようになります。即ち見比べる力は、自分の目で確かめて選び取る力に発展してきたことを意味します。今、目の前にある「見えるものを自分で選ぶ力」こそ、やがて1歳半~2歳にかけて芽生える自我の育ち、即ち「自分のしたいこと、自分のつもりなど、見えないものを選択する力」につながっていくことは言うまでもありません。やがて「対のものを見比べ選ぶ力」は8~9カ月頃になると今度は「残りのもう一つも欲しい」と欲張りな心に発達し、両方を手にして充足するようになります。この時期よく両手に持ったものをさかんに打ちあわせ笑みを浮かべる乳児の姿を見ます。
◆不安だけれど関心がある「人見知り」
二つのものを見比べ選び取る力は、人との関係においても顕著になります。6カ月頃まではあやしてくれる人には誰にでも笑いかけていた乳児が、8カ月頃になると見慣れない人が近づいただけで不安そうな様子を見せ、泣き出したりするようになります。よく知っている人は安心だけれど、知らない人には関わってほしくない、つまりは知らない人への拒否とでも言いましょうか?
いつも自分の世話をしてくれる最も安心できる存在である特定の人とそうでない人との識別ができてきたこと、順調な知的発達の現れを意味します。しかし、ここで人見知りをして泣いている子どもをよく観てみましょう。泣いていても、なぜか知らない人を見ようとするではありませんか。警戒心から一度は顔をそむけますが、親しい人がその人と話したりしていると、怖いものでも見るようにじっとその相手を見るのです。「対の世界」で心が揺れながらも拒否をするだけでなく「欲張りな心」人を求めて止まない心が働いていることを知ることができます。不安だけれども、関心があればこそ人間関係も広がっていきます。大好きな親しい人がついていてくれれば不安を乗り越えていくことができる。幼い子どもの発達は、いつも親しいおとなの支えによって葛藤を乗り越えられるようになります。
◆人見知りをしない子
乳児クラスの懇談会などで、「人見知り」の話をすると決まって「うちの子は人見知りをしないんです」と心配になられる保護者がいます。家族が大勢いて人の出入りのはげしい家庭や、商売をやっている家の乳児は人見知りをしないこともあります。生まれつき社交的な性格の持ち主である乳児も人見知りをしないこともあります。要はいつも身近にいる安心できる人と、それ以外の人の区別ができているかどうか?
たとえ人見知りをしなくても親しい人の顔を見ると甘えたり嬉しそうな表情を見せるのなら安心です。が、母親を含めたおとなから「不快な状態」を「快」に変えてもらえるようなケアがなされなかったり、特定の人への信頼が育っておらず、表情や甘えが乏しい乳児は、人見知りが見られないばかりか、抱かれたがらなかったり、逆に誰にでも抱かれたがる情緒発達の遅れを表します。人見知りは乳児期の子どもにとって極めて重要な発達課題です。子どもによってその表しの度合いはさまざまですが「人が信頼に値するものだ」という基本的信頼の獲得のために全力を注いでいただきたいものです。
参考文献:『発達の扉』(上) 著 白石正久 かもがわ出版
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ものの永続性の理解
(ぜんほきょう№175 2007年11月号より) |
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◆「見える世界」と「見えない世界」二つの世界があることがわかってくる
生後6~7か月頃、乳児が、たとえば、椅子に座ってがらがらを振っていたとします。それをつい落としてしまったりするとどうするでしょうか? 身を乗り出すように、手放したものを探すようになります。視界からモノが見えなくなっても、あるということがわかってきた証拠です。今、見えていた人や、モノなどが見えなくなったとしても、なくなってしまうのではなく、存在し続けていることがわかるようになることを、「ものの永続性の理解」と言います。
さらに8か月頃になると、遊んでいた玩具に布をかぶせて見えなくすると、自分でその布をはいで、玩具をとろうとします。「もうお片づけしようね」と、玩具を箱にしまっても、箱のフタをあけて欲しがったりします。大好きなおとなが、カーテンにかくれ見えなくなっても『きっとでてくるぞ』と期待し、じっと笑って待つこともあります。「見えない世界」への期待が生まれ始めたのです。このように生後8か月を迎えた子どもたちは「見える世界」だけでなく「見えない世界」にも関心を向けるようになります。今、目の前にないものを想像する力を「イマジネーション」と言います。これこそ人間だけに与えられている精神力、思いやり行為にも通じる何にも代えがたい大切な心の働き、その礎と言えましょう。
◆ものの永続性の理解はどのようにして成立するか?
それでは、「ものの永続性」の理解はどのように発達してきたのでしょうか? それは乳児が人やモノに働きかけたとき、相手からの反応がほぼ同じように生じるという出来事を、何度もくり返し経験することにより成立します。その最も特徴的行為が、「いないいないばあ」遊びです。「いないいない・・・」と言いながらおとなが顔をかくしてしまうので、乳児はいっとき不安になりますが、すぐ後で、「ばあっ」と、また大好きなおとなの笑顔が現れるので大喜びします。この言葉と動作のくり返しを通して、乳児は今、目の前におとなの顔が見えなくても、そこにあると思い描くことができるようになります。その他にも、日常的にたとえば、大好きなおとなの姿が視界から見えなくなり、乳児が泣くと、その人がいつもそこから姿を現すなど、出たり入ったりを経験します。
ものの永続性の理解が成立するとやがて乳児の探索活動は、「見えない世界」への関心に向けて本格化します。タンスの引き出しから衣類を引っ張り出したり、穴に指を突っ込んだり・・・。保護者にはぜひ「この時期、いろいろな、いないいないばあ遊びを楽しんでください」と、その紹介をクラス便りなどでしてください。
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愛着関係(アタッチメント)の成立
(ぜんほきょう№176 2007年12月号より) |
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◆「愛着行動」と「愛着関係」
私たちは「ここに来ると心が安らぎこの場所にはとても愛着を感じる」とか「なぜかこの洋服に愛着を感じ捨てがたい・・・」など、よく「愛着」という言葉を使います。特定の人や物、場所や地域などに心情的なつながりを感じたときに使います。一方、子育てにおける最も重要な課題として「愛着関係を築く」と言われます。それでは子育てにおける「愛着」とは何を意味するのでしょうか?
人間の赤ちゃんは、他の哺乳動物に比べると立つことも、歩くこともできない無力さです。ところが母親をはじめとする周りの人が自分の世話をどのようにしてくれるかという、人とのやりとりに関してはことに敏感な能力をもっていることがわかってきました。第1回目(会報ぜんほきょう5月号)の「泣く」というところでもふれましたが、生まれて3~4か月経つと乳児は周りの人に対して「甘え泣き」をするようになります。が、この頃は母親(それに代わる重要な人)以外の人にあやされても泣きやむことが常でした。およそ6か月以降になると、誰に対しても愛想よく笑いかける時期を過ぎ、いつも自分の世話をしてくれる特定の人に対してのみ、この愛想のよさが見られるようになります。相手をしてもらいたくてしきりに甘えた声を出し、人が来てくれるのを待つようになります。そして7~8か月頃になると人見知りが始まり、母親(それに代わる特定の人)に対して愛着行動を求めるようになります。それは愛着の対象者に対して(1)泣いたり、笑ったり、声を出すなどの発信行動、(2)注視や後追いなどの定位行動、(3)探したり、抱きつくなどの接近行動、をとるようになることです。
愛着とは「親、あるいはそれに変わる重要な人との間に繰り返し行われる日常的な世話などを通して子どもの中に形成される心理的な絆」(金沢大学大学院医学系研究科教授 木村留美子氏)であり、さらに「子どもが不安を感じたり、危機的状況に置かれたとき、特定の人との近接を求めるという形で自己の生存と安全を確保しようとする性向、アタッチメントという訳語」(相愛大學人文学部教授 初塚真喜子氏)です。特に6~7か月頃までの赤ちゃんが「泣き」によって表現する『おなかがすいた』『おむつがぬれた』『遊んでほしい』などの欲求に対して、親あるいはそれに代わる人がいかに応答的で適切な世話を提供できるかどうかが最も重要で、このときのおとなの対応が子どものアタッチメントの質を決定し、将来の子どもの対人関係の基礎を形成すると言われます。おしめ交換や授乳など、おとなと子どもの日常的な個別のふれあい(養護の時)がいかに大切であるかが問われています。
◆愛着関係と自立
子どもは甘えることから対人関係をつかみ、依存しながら人を信頼することを学び取っていきます。その人が自分に欠くべからざる相手と感じて、その人と一体となっていたいと身を寄せること、誰かを好きになったとき、いつもその人のそばにいたい、離れたくないという気持ちを表すこと、それが甘えということではないでしょうか。特に自分を大切にしてくれるおとなには実によく甘えます。そして甘えさせてくれる人には安心して自分らしさ、自分のありのままを表せる幸せを感じ取っていきます。この特定の人を心の拠り所として、人に対する全面的な信頼(自分は周りの人から愛されているという自己信頼と人には自分の思いが確かに伝わる、人と一緒に居ることは何と楽しいことだという他者信頼)を得、やがて外界に対する好奇心を湧かせ探索活動を活発に行う力―自立していこうとする心―が養われていくことは言うまでもありません。これまでの第1回~7回までに示した「やりとり」こそ質の高い愛着関係をしっかり形成していくための道筋でした。
やがて特定な人との愛着関係を礎に子どもの自立への旅立ちが始まります。子どもが自我に芽生え自己主張をするようになると、これまで「自分のことをよくわかってくれたやさしい人」「自分の欲求を全面的に満たしてくれた人」は、時には「いけません。それはだめ」としつけをする人、拒否する存在にもなってきます。親、それに代わる特定な人との関わりに質的な変化が生じてきます。愛着と自立は今後、自我の育ちのプロセスを経て常に並行し相互に絡み合って交錯し変化していくことになります。アタッチメント行動も子どもの成長に従って変化していきます。次回からは、子どもの自我の育ちを柱に引き続きどのように愛着関係を豊かに築いていくか考えてみたいと思います。
参考文献:『今求められる質の高い乳児保育の実践と子育て支援』ミネルヴァ書房
『乳児保育―科学的観察力と優しい心―』建帛社
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歩行の開始と一語文の獲得
(ぜんほきょう№177 2008年1月号より) |
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◆人間の子として第一歩を踏み出す1歳児
人がなぜ二足直立歩行をするようになったのか? は、まだ解明されていないと言われています。しかし、私は「好奇心や探究心が旺盛だったから・・・」ではないかと思っています。じつは「立ち上がって視界を広げたかった(?)」のではないでしょうか。
子どもがこの世に生まれた一年余で立ち上がり歩きはじめると、自ら進んで外界を探索しはじめるという事実がその問いに少なからず答えているような気がします。子どもたちは自由になった“その手”で周囲の混沌とした世界から事実をつかみ取ろうと行動しはじめるのです。自分が獲得した新しい力(歩くこと)を発揮できるということが、子どもにとってどんな喜びであることかは、歩きはじめた子どもたちの顔を見ればよくわかります。人に頼らず、ものにつかまらないでひと足ひと足踏み出しながら歩く姿は真剣そのもの。しかも笑みをたたえています。足は前に出てもお尻が後ろに残ってしまい、すぐ尻餅をついてしまうのですが、また立ち上がり・・・転んでも転んでも歩くことを繰り返すうちに歩行は安定し歩ける距離も長くなります。転ばないで歩けるようになった子どもはきっといないでしょう。それが私たちおとなに多大な示唆を与えてくれます。歩くことにより移動や平衡を保持する能力が発達することは言うまでもありません。
歩きはじめるようになった子どもが最も好きなことが「バイバイ」です。愛着の対象であった特定の人を基地に、一人で出かけていこうとする自立への旅立ちを意味する行為だと見ています。「バイバイ」と言ってニコニコしながらおとなから離れていき、徐々にその距離や時間を延ばし、やがて『ワンワン見てくるね』と出かける目的や意味を発見していきます。特定の大好きなおとなを基地にそこから『一人で出かけてみたい』という自立へのめばえが「バイバイ」であり、また戻ってくる「行って帰る行為の繰り返し」になります。人類が長い時間をかけて二本の足で立ち、歩けるようになったことを1歳児たちは、短期間で獲得してしまいます。『さあ自分の意のままに進んでいくぞ』といわんばかりに歩み出す、そんな表情を見ると、おとなである私たちももう一度、彼らが発見していく一つひとつのものを見つめ直し喜びをともにする生活を送ってみたいという思いになります。
◆一語文の獲得
「6か月~1歳3か月」は、保育所保育指針による発達過程区分です。他の年齢区分は、「2歳」「3歳」・・・ときりがいいのですが、1歳のところだけはなぜ1歳3か月になっているのでしょうか。それは歩行がはじまることと、意味のあることばを使うようになること(一語文の獲得)が1歳3か月ごろを境として、大半の子どもに見られるようになるからです。
子どもたちが最初に発する意味のあることば・初語は、子どもたちの身近な生活欲求に関するもの、愛着の相手である母親や父親(ママやパパ)それに食べ物(マンマ)が圧倒的に多いようです。そしてこの「マンマ」という一語は、単にあるものを命名して言っているだけではなく『マンマちょうだい』『あれはあたしの好きなもの』『おいしそう、たべたいな』など一文に相当する意味を表すこともあり一語文と言われます。したがっておとなは、その一語に込められた子どもの思いを捉え、その子の伝えたかったことばを添えて補ってやり、話したいという気持ちを汲み取って会話の喜びを満たしてあげることが大切です。昔から「子どもが一語で話したら、おとなは二語、三語でこたえよう」と言われてきました。街を走るバスを見つけて「ブーブ、ブーブ」と訴えている子には「ほんとだ。○○ちゃんのだいすきなバスを見つけたね」などとその子が伝えたいと思っていることを丁寧にことばにしてあげてください。そのおとなのことばを聞いてやがて「ぼくのだいすきなバス」と言えるようになっていきます。
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自我の芽生え
―初めて体験する「人とのぶつかり合い」―
(ぜんほきょう№178 2008年2月号より) |
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◆「いやいや」「だめ」は自己主張のはじまり
1歳半頃から2歳にかけ、子どもは「もうかたづけてお風呂に入ろう」と誘えば「いやっ」、「そっちは危ないからひとりで行かないの」と注意をすればわざと行こうとし、スーパーで気に入ったものを手づかみにするので「今日は買わないよ」と話せば地団太踏んで大泣きします。何かと拒否のことばが多くなり、反抗的な態度に悩まされるという親からの訴えをよく耳にするようになります。大好きな両親や、保育者の提案を拒否することでおとなとは違う自分【我】を主張するようになってきたのです。おとなの言っていることがわからないわけではないけれど、今はおとなの言うなりには行動したくない自分が存在するのです。これまでおとなから与えられてきた一つひとつのことを否定し『もう赤ちゃんじゃないんだから』『いちいち命令しないで』『自分で決めたいの』と訴えたい思いが「いや」「だめ」という一語文で表現されています。また「いや」という自分の主張がどこまで通るものかギリギリまで試したり、自分の要求と相手の要求、その両者をしっかり見比べどちらかを選択しようとする力が育ってきたことを意味します。そして長泣きや駄駄こねは、『なんで自分の要求を通してくれないんだ』という思い通りにならない悔しさや怒りの感情表現と言えましょう。まさしく自我の芽生え、すなわち自分なりの心の世界が誕生すればこそ他者とのぶつかり合いを体験することになるわけです。
それでは“自我”とはなんでしょうか? 「自分を意識し、自己主張し、自分にこだわる心の働き」「他者の自我とぶつかりながら折り合いをつけていく力」と思っています。
「わたしはこうしたい」「これが好き」という自分の意思が明確になればこそ、自分は世の中で何よりも大切な存在であることに気付き自我に目覚めるのです。
◆自我の芽生えにどう対応するか?
この時期こそ、他者の要求とぶつかり合い、自分の要求がいつも通るわけではないことを学ぶいいチャンスです。将来この、人との葛藤を上手に切りぬけるためにも、この時期、信頼できるおとなとぶつかり合うことは重要です。だからといって自我が芽生えてきた子どもに「だめですよ」「いけません」とおとなの側の一方的な圧力でしつけようとすると単なるぶつかり合いで終わってしまいます。しつけは、押し付けではありません。それではせっかく芽生えてきた自我の芽を摘み取ってしまいます。要は子どものかたくなさに対しおとなの心のしなやかさで対応することです。
<折り合いをつける>
①まずは子どもの気持ちをことばにする【ラベリング】
“今日はこの洋服を着ていきましょう”→“いやいや”→“そう、これは着たくないって思ったの?”
②しばし待ちおとなの考えを伝える
“お母さんは寒くなってきたから、この長袖がいいと思ったんだけど。○○ちゃんはこれではいやなの?”
③子どもに決めさせる
“じゃあ、この長袖と、こっちの半袖とどっちにするのか自分で決めてね。寒く感じても仕方がないわね”
おとながまあいいか・・・と折れることもあれば、子どもが長泣きの後おとなの思いを受け入れることもあります。子どもが他者と折り合うことができるときには、自分の思いを相手に受け止めてもらっている、理解されている、尊重してもらえたというその人への信頼感が生じていることが何より大切だと思います。
④時にはユーモアで対応する ~何事に対しても“いやいや”という子には~
“うわあ、○○ちゃん。いやいや虫がいっぱいくっついている。頭にも・・・ほら捕まえた(と言って捕まえたふりをし)、プッ!(と虫を吹き飛ばす)。肩にも・・・背中にも・・・おへそにも・・・お尻にも・・・(プッ)(プッ)これですっかりいなくなった。よかったね”
泣いたり怒ったりしていた子もいつの間にかおとなに見とれて“もうない?”
⑤時には怒鳴っても叱っても愛情があれば大丈夫 ~本音をむき出しにする関係~
怒ることは自分の感情に素直になること。“私は怒っているの!”と互いに感情をぶつけ合うことがあっていいと思います。でも子どもを“いやな子”“そんな子は嫌い”などと子どもの人格を傷つけるようなことは言わないでください。おとなと子どもがぶつかり合いながらともに成長していける機会にしたいですね。
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葛藤をくぐりぬけ自律の芽生えが育つ
(ぜんほきょう№179 2008年3月号より) |
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◆自立と甘えの間を揺れ動く2歳児
2歳を過ぎるとごはんも一人で食べられる、自分が行きたいと思った所には走っていける。『もう大きくなったんだ』『何だって一人でやれる』と自立に向かって歩みだしたはずなのに、おとなからは「手を洗ってらっしゃい」「外に出たら手をつないで歩かなければ危ないの」などと2歳児の行動を規制するような指示ばかり出されるようになります。せっかく手を洗おうとしていたのに、おとなから一方的に命令されると「もう洗った」などと抵抗したいがための嘘をついたり、「手、洗わなくってもいいの」などとあまのじゃくになったりします。おとなの指示が強ければ強いほど『もう大きくなったんだ。だからぼくのつもりを尊重して・・・』という自己主張や反発が強くなります。反面、頼りにしているおとなの姿が見えなくなると慌てて後追いをし、「だっこだっこ」と求めたり、添い寝をしないと寝なくなったなど1歳のとき以上に甘えん坊になることもあります。自立はしたい、でもそうなると頼りにしている大好きな人との距離が離れていくという不安を感じるのでしょう。無意識にはまだまだ愛されたい思いも強く「できない、やって」と依存し、お兄ちゃんになったり赤ちゃんになったり、おとなからはまるでわけが分からなくなる2歳さんです。
◆葛藤し、気持ちの切り替えができるようになる
自分の要求やつもりがはっきりしてくるからこそ2歳児は、他人の意図とぶつかるようになります。スーパーに買い物に行ったとき、自分の大好きなものを見つけて「買って、買って」と親にせがんでいる子どもの姿をよく見ます。「おやつは家に帰るとちゃんとあるのよ。だから今日は買いません」と拒まれると子どもはパニックになってしまい怒ったり、泣いたりします。この混乱状態を「葛藤」とよんでいます。自律(自分の思いが通らなくてもそこでどうすればよいのか?考え、判断し、我慢する力)が育つ過程には、2歳児のようにすぐには自己コントロールができずパニックになってしまい泣いたり怒ったり、自分と向き合う時期が必要なのだと思います。激しい感情を吐露することによって、やがて気持ちにある程度のしめくくりができ、どうすればよいか?
という気付きが生まれるようになるからです。ところがそれを待てないおとなが『いつまでも駄々をこねられるのは困るから・・・』と「じゃあ今日だけよ」とつい子どもの言うなりになってしまったり、「言うこと聞けない子は、もう置いていきます」と子どもと同じように怒りがおさまらなくなってしまうのでは、残念ながら子どもの自律は育ちません。子どもが思い通りにならない事態にぶつかり、混乱を起こしているときこそ、その感情に振り回されずに「買ってもらえなくって悔しいね」とまずは子どもの気持ちを受け止め、「泣きたいときは泣きなさい」「怒ることは大事なこと、自分の気持を素直に表しているのね」などと余裕を持って子どもと向き合ってほしいです。自分のありのままの感情を十分受け止めてもらい、ともに気持ちを感じとってもらう体験を積み重ねた子どもは、今後さまざまな葛藤に出会ったとしても、自分を支えてくれるおとなの存在を心のバネに、乗り越えていけるようになるのではないでしょうか。それを身につけることができなかった孤独な子どもたちの怒りや悲しみが大きくなって噴き出し、アレたりキレたりするようになるのでしょう。
幼児前期は、他者に気おくれなく自分を主張できる力、それを(何でも受け入れられるのでなく)受け止めてもらい、さらにおとなの考えを知り、ともに方向性を見出していく関わりが育まれることを願ってやみません。 |
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社会福祉法人 恵満生(えまお)福祉会
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