言って聞かせる親子関係から、聞き合う家族関係へ

初瀬基樹

 昨年3月にわが園の育児講座にも来て頂いた汐見稔幸先生(東京大学大学院教育研究科教授)の講演会が先月、御船町で開催されましたので参加してきました。その内容をかいつまんでご紹介したいと思います。

「赤ちゃんを育てる」なかに「子育ての原理(コミュニケーションの基本)」がある
 
 「子育て」という営みの中で「言う」(言って聞かせる)ことは大半を占めています。しかし、「言う」だけで子どもが育っていくわけではありません。相手が赤ちゃんのときを例に考えてみると、赤ちゃんに対し、「○○しなさい!」「泣くんじゃないの!」などと言って聞かせるようなことはしませんよね。そのときの赤ちゃんのしぐさや、表情を大人が読み取って、(感じとって)「眠くなったね〜。よしよし。」「おしっこ出て気持ち悪かったね〜。」「ご機嫌だね〜。」と声をかけているはずです。人と人とのコミュニケーションでは「言葉が中心」のような気がしますが、実は「言葉」によるやりとりはほんのわずかで、言葉以外のもの、「からだ全体」でコミュニケーションしているものなのです。赤ちゃんを育てるときには、まさに言葉だけでなく表情やしぐさから、相手の気持ちを読み取ったり、感じたりする「コミュニケーションの基本」が含まれています。そして、赤ちゃんは、(同時に親も)、相手の思いを感じ、聴き、読む力練習しているのです。つまり、これが「子育ての原理」でもあるのです。

 日本人は以前、とても「聞き」上手だったようです。「きく」という言葉から派生した言葉が多いこともその証拠です。「聞き分ける、聞き入れる、聞き置く、聞き外す、聞き漏らす、聞き惚れる、聞き流す、聞き飽きる、聞きただす、聞き覚え、聞き捨てる(聞き捨てならない)、聞き耳・・・」などなど。それだけ相手の思いや気持ちを大切にしていたのでしょう。ウガンダという国では、赤ちゃんは「オムツ」をすることなくベッドに寝かされていますが、ベッドを汚すことはないそうです。それはお母さんが「おしっこが出そう」、「ウンチが出そう」ということを赤ちゃんの表情やしぐさから読み取っているからなのです。よその国の研究者が「なぜそれがわかるのか」と現地のおかあさんに尋ねると、反対に、「なぜあなたがたにはわからないのですか?」と問い返されたとのこと。私たちの社会では、文明が進み、便利になった分、子どもと深くかかわることがなくなってきたことの証しなのでしょう。本来、人は「人や自然と深くコミュニケーションがとれたとき、一番大きな喜びを得るもの」です。お金や、名誉、地位ではなく・・・。心と心が深いところでつながったときに無上の喜びを感じるはずなのですが・・・。

子どもの育ちは親の責任ではなく社会の責任

 現在、日本の家庭において一番使われる言葉は「早くしなさい」。現代になるほど、子どもをせかすようになってしまっています。一昔前の子どもたちは、ほとんど「放牧」状態で育ちました。地域の中で「丈夫な体」や「社会性」、「冒険心や挑戦心」などいろんなものを育ててもらい、同時に外でストレスなんかも発散しながら、家庭で基本的なしつけをされて育ちました。しかし、今の社会では、すべてを家庭の中でしなければならなくなりました。社会が「子どもを放牧させて育てることができない環境」になってしまったからです。一昔前なら外で育ててもらっていた(自然に育っていた)部分まで、すべてが親の肩にのしかかっています。親の負担が大きすぎるのです。しなきゃならないことが多すぎて、それで「早くしなさい」と子どもをせかすことになってしまうのです。これは親が悪いのではなく、社会に責任があるのです。もはや環境を昔に戻すことは不可能なので、現代風の放牧環境を作らねばなりません。地域社会において、もっと「子どもが夢を持ち、将来に憧れの気持ちが持てるような社会」を作らなければなりません。

子どもの学力低下より、大人の学力低下が心配 

 近年、子どもの学力低下が問題になっていますが、実は大人の学力のほうが心配です。OECDというところで「知的資産」としての大人の学力調査を行っているのですが、日本はほとんど最下位だそうです。今の日本は「受験のために勉強する」のが普通になっていますが、そもそも受験のない国においては、常に「何のために勉強するのか?」が問われます。これからの世の中、ますます答えの見えない問題が起きてきます。社会はめまぐるしく変化し、価値観も多様化しています。そのような中で「絶対的な正解」はありません。しかし、正解はわからなくても、自分の考えを言えることが大切です。「自分で考え、自分で答えを出す。」とか「人の意見を聞ける」「議論を楽しむ」といった力が今後ますます必要になります。こういう力を身につけるには、今の日本の教育のような「こちらの言うことをどれだけ守れるか?」といった方法だけではダメです。子どもたちには「自分で考えて判断する」力をつけさせなければなりません。そのためには、「私はこう思うけど、あなたはどう思うの?」と子どもに意見をどんどん言わせて、合意を作っていく。「子どもに聞き、子どもに判断させる」といった体験の積み重ねが必要です。そして、子どもの自我の中に一番大切な「自尊感情」を育てていく必要があります。日本の子どもは世界各国の中で、この自尊感情がずば抜けて低い国です。「自分は自分の主人公」でなければならないのに、そう思えない子が非常に多いのです。

言って聞かせる関係から、聞き合う関係へ

 ある国では、赤ちゃんがハイハイしているときに「おいでおいで」と手をたたく日本の保育者を見て、「なんであんなことをするんだ?あんなことをしたら、子どもはあそこに行かなきゃならなくなるじゃないか。本当は自分の行きたいところがあるかもしれないのに」とか、日本の保育園では「はい、これから散歩に行きますよ。みんなおしっこしてらっしゃい。はい、ならんで」とするのが普通ですが、その国では「今日は散歩に行くけど、あなたは行く?行かない?」と一人ひとりに尋ねるのが普通なのだそうです。また、その国で3歳ぐらいの子どもたちが寒い中、シャツ1枚で遊んでいる光景を見た日本の保育者が、「やはりこちらでも薄着を心がけているのですか?」と尋ねると「あの年齢になって自分で暑い、寒いが判断できなくてどうするんですか?」と怪訝な顔をされたということもあったそうです。

 どれも一概にどちらが正しいとは言えません。しかし、本当の意味で子どもの自立を求めるのなら、どちらの育て方がよいのでしょうか?日本の大人は子どもに自分好みの行動を求めすぎるようです。レールを先に敷いて子どもをそれに沿わせようとしてしまうのです。そうすると、子どもにとって、自分の主人公は「親(大人)」ということになり、自尊感情も育ちません。

 また、よく「子どもはほめて育てましょう。」と言われますが、ほめすぎもよくありません。そもそも「ほめる」というのは、大人が子どもを「評価」していることであり、その基準は大人が中心です。ですから、ぜひ「共感」あるいは「共苦」を大切にしてください。子どもの主人公は、あくまで「子ども」なのです。子どもが中心でなければなりません。私たち大人は、「今、子どもがどんな気持ちでいるのか」を感じて、ともに喜んだり、ともに悲しんだり、ともに悩んだりしてあげることが大切なのです。こちらの思いを「言って聞かせる」のではなく、「聞き合う」関係、「聞き合う」共同体をつくっていくことが大切なのです。





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