傾聴・受容・共感

初瀬基樹

 人間関係が難しくなってきたといわれる近年、保育界でも「カウンセリング研修」というものがよく行なわれるようになりました。先日、私もそのカウンセリング研修に参加し、杉田峰康先生の講演を聴きました。杉田先生は現在、福岡県立大学の名誉教授で、交流分析の第一人者として高く評価されている方です。「交流分析」というのは、「心理療法の一つで、人とのやりとり(人間関係)の形を分析することにより、より良い人間関係を作れるようにするもの」のようです。(と私は解釈しましたが、正確には違うかもしれません。)
 
 「人間関係を分析する前に、まずは『自分を知る』ということが大切」ということで、私も、「自分は大体こういう性格なのだ」というのを把握するための簡単なテストをしてみました。その結果、私は「やさしくて世話焼きタイプであるが、自分を抑え気味の傾向がある」とのことでした。(当たってます?)「自分を抑えることがあまり多くなりすぎると鬱(うつ)になることもあるので、もっと子ども心を持って、趣味の時間を増やしたり、新しいことにチャレンジしたり、時にはバカ騒ぎしたりしながら、自分の感情を素直に出すようにするとよいですね。」というようなアドバイスを受けました。
 このように「自分にはこういう部分がちょっと足りない」ということに気付き、そうした部分を自分で気にかけてコントロールすることにより、人とのかかわりが今まで以上にうまくいくようになるというものなのです。

 人は誰でも、P(親)(親的な心、良心、規範)、A(私)(大人の心、理性、情報)、C(子)(子どもの心、幼児的、感情)の「3つの私」と、さらにCP(厳しい私)、NP(優しい私)、A(冷静な私)、FC(自由な私)、AC(人に合わせる私)の「5つの働き」を持っているのだそうです。紙面の都合で、一つひとつのことについて詳しく書けませんが、人は誰でも心の中にこうした違う部分を持っていて、どれかが強くて、どれかが弱いなどの傾向があるのです。また、これらは常にぶつかり合ってその人の行動を決めているのです。例えば、近年増加している幼児虐待なども、初めから虐待しようと考えている親はほとんどおらず、「優しくしよう」という理性の心と、「何で親の言うことを聞かないの!」といった怒りの感情が心の中でぶつかり合い、後者の部分が勝ってしまったときに虐待が起きてしまうようです。

すれ違いのコミュニケーション

 親子の関係を例に考えると、例えば、朝、子どもが「今何時?」と問いかけたことに対して、「8時よ」と答えれば、双方向のやりとりが成立したことになりますが、状況によっては、子どもが「今何時?」と尋ねているのに「時計はどこにやったの?前の晩にちゃんと用意してないからこんなことになるんでしょう。早くしないと遅刻するわよ。まったくこの子は・・・」と交差したやりとり(すれ違いのコミュニケーション)になることもあります。人間関係のこじれの多くの原因はここにあるといいます。親の言うことは、大抵の場合において、「正しい」のです。しかし、「コミュニケーション」という視点で見ると、「一方通行」でしかないのです。こういうことが続くと、子どもは「自分は大切にされていない」と感じるようになってしまい、様々な問題行動を起こすようになっていってしまうのです。

 心の中で「ぶつかり合い(葛藤)」が続くと、常に「不安」を感じるようになり、その気持ちを抑えようと無理に「抑圧」したり、「防衛」しようとするうちに、いずれは限界を越え、それが外に向かえば、「非行」や、「問題行動」となり(行動化)、内側に向かえば「心身症」や「ノイローゼ」になってしまいます(身体化)。昔に比べ、外遊びなどを通して、それらを発散できる場がなく、欲求のはけ口が極端に少なくなっている現代では、このように我慢を重ねて、限界を越えてしまう子ども(大人も)が非常に多くなっているようです。
 
 では、どうしたらよいか。それは、心の中にたまっている思いを「言語化」することなのだそうです。「行動」や「身体」に行かないように、「言葉」にチャンネルをあわせて、心の内側にあるものを「言葉」にして全部外側に出してやることが大切なのです。これが「カウンセリング」と呼ばれるものです。
このとき、聴き手は「あるがままを受け入れること(受容)」が大切です。そのためにはまず、「よく話を聴くこと(傾聴)」です。そして、相手の「その思いに(共感)してあげること」が重要です。(但し、「受容すること、共感すること」と、「賛成して言いなりになること」とは違うので注意が必要です。)

 例えば、子どもが「学校に火をつけてやる!」と言ったとします。ここで、「そんなことをしちゃダメだ。火をつけたりするのは絶対ダメだ・・・」と叱ってしまうと、そこで会話は途切れてしまいます。火をつけちゃいけないことを教えるのは誰が見ても正しいことです。しかし、この場合、「なぜ、子どもは火をつけたいと思ったのか」、その理由を聞いてやることが大切なのです。ですから、この場合ですと、「ふうん、学校に火をつけたいのか。どうやって、火をつけるんだ?」など、できるだけ会話が続くようにします。どんな返事であろうと、子どもからの返事はしっかりと聴き、「ふうん、そうか。それで、いつ火をつけるんだ?」「だれと?」「それから?」「なるほど・・・」という具合に話をしていくと、子どもは「本当は火をつけるつもりなんかなく、火をつけたくなるぐらいに学校で嫌な事があった」などの本当の理由を話し、その気持ちを親にわかってもらうことで、実際には問題行動を起こさなくても、スッキリして落ち着くということが多いのです。「話をしっかり聴いてもらうこと」で「自分が大切にされている」と感じることができるのです。これは私たち大人でも同じですよね。

 もしも、攻撃的な言葉や自分を否定されるようなことを言われた時も、感情的になって言い返したところで、返って悪い結果をもたらすことが多いので、そういうときは、「あなたはそう思うのね。」と返すと(独り言のように自分に言い聞かせるだけでも有効)良いようです。例えば「ママのバカ!ママなんか大っ嫌い!」などといわれても、グッとこらえて、「どうしてそう思うの?」「どんなときにそう思ったの?」「他にも思ってる事がある?」などと子どもの心にたまった感情を残らず引き出してやると(・・・怒った顔で聞いたら子どもは話してくれませんよ・・・。)、出し切ったあとには「私のやりたいことをさせてくれなかったからバカなんて言っちゃったけど、ママにもいっぱいいいところがあるよ」と良い面も見ようとしてくれるはずです。

 最近の様々な凶悪な少年犯罪が起きるたびに「もっと子どもに命の尊さを教えるべきだ」とか、「危ないもの(道具など)から遠ざけておくべきだ」とか、「少年法を改正して刑罰を厳しくすべきだ」などの声があがりますが、「命の尊さ」は「教えられてわかるもの」なのでしょうか?ナイフなどの道具はいつまでも遠ざけておくことは出来ません。小さい時から正しい使い方を学ぶべきではないでしょうか。誤った使い方をすれば、ケガをして、とても痛いことも体験として知っておくべきではないのでしょうか?「刑罰を厳しくする」ことが本当に「犯罪を減らすこと」につながるのでしょうか?どれも根本的な解決にはつながらないように思います。

 もっと、わたしたち周りの大人が、一方的なコミュニケーションでなく、しっかりとした「双方向のコミュニケーション」で子どもたちの心をわかってあげることが一番有効な手立てなのではないでしょうか。







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