「紙芝居の 始まり 始まり〜」

初瀬基樹

 以前は、各地に自転車の後ろに紙芝居の舞台を載せた「紙芝居屋さん」がいて、アイスキャンデーなどを売りながら、路地などで子どもたちに紙芝居を読んでいたという話を聞きます。子ども達は、紙芝居屋さんが来たことを拍子木の音で知り、アイスキャンデーを買う小銭を握りしめ、紙芝居屋さんのもとへ走っていったのだとか・・・。

 私たちの園では、この1月から、園庭解放の日にあわせて、毎週水曜日を「紙芝居の日」とし、職員が紙芝居を3本ずつぐらい読むことにしました。これまでも、紙芝居はよく読んでいましたが、恥ずかしながらお粗末なものでした。ちょっと時間が空いたときの時間つぶし、あるいは、子どもの興味を引くための道具になってしまっていたかもしれません。 しかし、昨年、紙芝居実演の第一人者ともいわれる右手和子(うてかずこ)さんの講演を聴き、紙芝居の奥深さを知ってから、「このままではいけない!」と痛切に感じ、「もっと紙芝居そのものを大事にしていこう」という思いで職員間でも話し合い、ついにこうした「紙芝居の日」が実現することになったのです。職員が毎週、交代で次週に読む紙芝居を選び、昼のミーティングの際に他の職員の前で読んでみて、読み方や内容の検討を重ね、1週間みっちり練習した上で子どもたちに見せるのです。さて、どうなることやら・・・。

 さて、その紙芝居について、その右手先生の著書から少しご紹介したいと思います。

テキスト ボックス: 一般的に、紙芝居は印刷、市販されている視聴覚教材です。ですから、ただ置いてあるかぎりではただの印刷物ですが、いったん子どもたち(観衆)を前にして、舞台(ワク)の中に収められ、演じ手によって語られていくと、いきいきと活動し、悲喜こもごもの劇世界へ子どもたちを引きこんでしまいます。紙芝居は実演者がなければ成り立たない文化財です。したがって紙芝居を生かすも殺すも演じる人の力しだいです。紙芝居のよいところは、演じ手と子どもたちと、人間としてのあたたかい交流があることで、世の中がどのように高度な科学と機械化で進歩しようと、また、そうであればあるほど、人間の願望としての親しいふれあいを求める心をかきたて、育てていく文化財であろうと思います。(・・・後略・・・)
右手和子『紙芝居のはじまりはじまり』童心社(「はじめに」子どもの文化研究所 常任理事 堀尾青史)より















また、紙芝居のよさについて、次のようにも述べられています。

テキスト ボックス: それは、紙芝居が、なま身の人間がなま身の人間を対象に演じますので、テレビなどのように、一方通行ではなく、観客(現在は主に子ども)の反応にすぐ対応でき、やさしく言い換えたり、子どもの答えを誘いだしたり、観客が理解しやすいように、語りの、速度などを、微妙に変化させながら、心をかよわせあい、感動を共にすることができるからです。
右手和子『紙芝居のはじまりはじまり』童心社








テキスト ボックス: (以下の文はそのまま引用するには長い文章だったので、少し短めにまとめてあります。)
今の子ども達の生活は物質的には恵まれているのかもしれませんが、心は貧しくなっているように感じます。豊かな心を育てるためには「ゆとり」が必要で、例え短い時間でもゆとりをつくることを心がけ、子ども達と心と心をかよわせ、共に楽しんでみよう、子どもと向き合ってみよう、そんな思いの人たちの間で求められたのが、手作りの、味のある文化財だったのではないでしょうか。ですから、それは単に「紙芝居」だけのことではなく、絵本でも語りでもペープサートでも、人形劇でも、影絵でも構わないわけです。ただ、それらにはそれぞれ、特色や持ち味があるので、それらを充分に知り、生かしていくことが大切なのです。
 それぞれの特色や持ち味というのは、たとえば、「紙芝居」と「絵本」を例に考えてみると、「絵があって、文がある」という点では紙芝居も絵本も似ています。しかし、基本的に絵本は自分の手にとって自分のペースで読むもの(大人に読んでもらう場合でも大抵の場合、自分で納得がいくまで、じっくり絵を見て楽しむことが出来ます。)ですが、紙芝居の場合は、「紙」という字はつきますが、「お芝居」なので、舞台をはさんで、「観客」と「演じ手」に別れます。観客は舞台から少し離れたところから見ますし、しかも集団で見るため、後ろの子にもはっきりわかる絵でなければいけません。お話の展開に合わせた絵でなくてはならないのです。
文章にしても、絵本の場合は「お話」の形をとっているものが多いのに比べて、紙芝居の場合は、登場人物のセリフを通して、出来事を伝え、ドラマを展開していく場合が多いので、会話が多く、語りの部分は状況説明や情景描写を語ることが多いのです。
 また、絵本は「めくる」ことによって展開していきますが、紙芝居は「ぬく」ことで物語が展開していきます。その違いも大きいのです。
さらに絵本は「個人的な理解」(一人で楽しむもの)であり(読み聞かせの場合は別ですが)、紙芝居は、見ている子どもたちの中から、自然にあがる声も含めて、みんなが同じように感じあえる「集団の理解」であるといった違いがあります。
参考:右手和子『紙芝居のはじまりはじまり』童心社




































いかがでしょうか?紙芝居に対する見方が少し変わってきませんか?

 この「紙芝居の日」は、子ども達は、見ても見なくてもいいのですが、まだ「紙芝居の日」が始まったばかりということもあってか、ほとんど全員の子が楽しみに見にきています。まだまだ始まったばかりで、これからどうなっていくのか分かりませんが、「紙芝居」という日本が世界に誇る重要な「文化財」を、可能な限り子どもたちに伝えていくことが出来たらと思っています。

 「紙芝居の日」は、毎週水曜日の10:00からです。お時間がありましたら、おうちの方も ぜひ見にいらっしゃいませんか?(水曜日は「園庭解放の日」でもありますので、ご近所に小さなお子さんがいらっしゃる場合は、ぜひお声をかけてあげて下さい。)


















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