本当に大切なこと

初瀬基樹

 先日、インターネット上で気になる記事を見つけました。
 
 「裁判員制度」の導入に伴い、長野県のある中学校で、生徒たちに裁判を身近に感じてもらおうという趣旨で、みなさんも良くご存知の童話『三びきのこぶた』を題材に授業が行なわれたそうです。本当の裁判官も呼んで、裁判制度を学んだりしたあと、刑法に照らしあわせて、一番末のこぶたの行為について生徒同士で議論をしたのだそうです。
 
 なかなかおもしろい取り組みだなと思って読み始めたのですが、結果を見て「そんなバカな!」と思ってしまいました。みなさんはその話し合いの結論、どうなったと思いますか?

 「こぶたが湯を沸かした鍋はあまりに大きく不自然なので計画的な犯行」と殺人罪を主張する生徒もいれば「オオカミはこぶたを食べようとしているのだから正当防衛が成り立つ」と無罪を主張する生徒、それに対して「煮えたぎる湯の中でオオカミが出られないようにふたをしたのは防衛の程度を超える」と過剰防衛を主張する意見も・・・。こうした議論の末に、クラスの総意として出した結論は、なんと「こぶたには殺人罪を適用」だったというのです。多くの生徒が下した量刑は「懲役3年から5年」。さらに、裁判官が言うには「実際なら10年から15年のケース」だとか・・・。

 「冗談じゃない!」と思いませんか?一番末のこぶたは、二人の兄をオオカミに食べられているのです。次は自分が襲われる番だとわかっていて、執拗に襲ってくるオオカミを、機転を利かせて、何度も知恵で乗り切るのです。しかし、最後にはオオカミは、煙突から家の中にまで侵入しようとしたので、こぶたは大急ぎで大なべを火にかけ、オオカミを待ち受けて、落ちてきたところをなべで煮て反対に食べてしまうのです。そうしなければ、こぶたはこれから先、いつ自分が襲われるか心配で、安心して生きていけないではないですか。しかも、そうすることで二人の兄の仇をとったのです。これが、殺人罪なんて・・・。

 この『三びきのこぶた』のお話自体、絵本によっては、上の2匹のこぶたも逃げて助かるものや、最後にはオオカミも仲良くなってめでたし(?)などといったおかしな展開のものなどもあるので、実際授業に使われたのが、どの絵本だったのかまではわかりませんが、やはり納得のいかない結論です。実際こうなってくると、裁判員制度も怖いなという気さえしてきました。

 昔から伝えられてきた物語には、生きていくための知恵や勇気、 親切心や正直な心の大切さなど、子どもたちに伝えたいメッセージを教えてくれるものだと思います。そのお話から何を読み取るのかは、聞き手次第かもしれませんが、語り手が、いちいち教育的な説教を聞かせていては、せっかくの物語がつまらないものになってしまいます。そんなことをしなくても、昔話を繰り返し楽しみながら聴いているうちに、そのお話に込められたメッセージみたいなものはちゃんと子どもたちの心に、蓄積されていったのです。

 それが、いくら中学生を対象にしているとはいえ、昔話をこんな結論に導いてしまっていいのでしょうか?「意外性」という点で、注目はされるでしょうが、子どもたちの心にはいったい何が育つのでしょうか?不安になります。

 「子どものためを思ってかもしれないけど、子どものためになっていない」そんな気がしてなりません。単なる大人の満足でしかないのではないでしょうか。今の世の中、そんなことが本当に多くなっている気がします。


 先日のNHKスペシャル「ドキドキ・ヒヤリで子どもは育つ 〜遊具プロジェクトの挑戦〜」をごらんになられた方もいらっしゃるかと思います。今、全国的に公園から子どもの遊具の撤去が進んでいます。一度事故が起きると、しっかりと原因の追求をすることもなく、同型の遊具がすぐに撤去されていき、いつのまにか、公園から遊具がなくなっていき、気がつけばガランとした何もない殺風景な公園になっているというのです。

 「子どもから“遊び”を奪ってはならない。大事なのは、“遊び”の中で“危険”を回避するすべを学ばせることだ。」と専門家や市民たちの共同プロジェクトがスタートし、「どうすればリスクを減らして、子どもたちの手に“遊び”を取り戻すことができるか」を、人間工学の研究者・医師・遊具メーカー・児童心理学者、そして市民らが一緒に考え、理想の遊具を作るという内容のものでした。

 その中で登場した横浜の川和保育園、その園庭の環境がとてもすばらしく、そこで遊ぶ子どもたちの表情も実に生き生きとしていました。ターザンロープに挑戦しながらも、あと一歩の勇気が出なくて、長い時間葛藤する5歳児の姿や、3歳児が高さ2,3メートルはあろうかという石垣登りに挑戦しながらも、登りきれずにずり落ちて、悔しくて泣いている姿。園長先生が「ケガがないようにという親の思いはよくわかります。でもそればかり気にしていては、子どもが本来持っている力まで摘み取ってしまうことになる。」「(やりたいけど、できないことで)自分で自分に憤りを感じて、悔しいって葛藤しながら泣いている姿はいいですね。」というようなことをおっしゃっておられましたが、まさにその通りだと思います。この川和保育園は以前から私も噂を耳にしていて、入園説明会で入園する子どもの保護者に「命までは取らないから、骨折ぐらいは我慢してください」というぐらいに、子どもの遊びにケガは付き物、小さなケガが大きなケガを防ぐ、子どもが本来持っている力、意欲を大事にという思いで真剣に取り組んでいらっしゃるということです。(直接聞いたわけではないのですが、それに近いニュアンスのことをおっしゃっているようです。)それぐらい大人が覚悟を決めなければ、今の子どもたちは健全に育たない。これは私も同じ思いです。

 話はそれますが、本当に大切なことというのは、どうしても目には見えにくいようです。というか、目に見えるようにすると、どこかおかしくなってしまうものなのかもしれません。


 今の子どもたちに無くなったものは“サンマ”だといわれています。サンマって何のことだかご存知ですか?サンマ=三間(仲間、空間、時間) なるほど!と思いませんか?

 子どもの遊びというのは、大人から見れば、実にくだらない、無駄な、あほらしいことの連続です。子ども自身だって、つまらないかもしれないし、ちょっとおもしろいかもしれない、ときどきそんな中から、我を忘れて熱中できるほどの「すごく楽しいこと」が見つかるときもある。そんな、とてつもない膨大な時間(大人には無駄に見える)をたっぷり過ごすなかで、子どもたちは本当に大切なものを自分で見つけ、身につけていくのだと思います。人間として成長していくために必要な根本の部分を育んでいくのです。それなのに、大人はどうしても何かしらの成果を求めたり、教育的配慮をしたりしてしまいがちです。それこそ、子どもたちから“サンマ”を奪っているのです。それが子どものためだと思い込み・・・。
 

 先ほどのNHKスペシャルのなかで紹介されたアンケート調査の結果も興味深いものでした。


   A群: 外遊び 1時間半以上 / テレビ 30分以下 (1日)

   B群: 外遊び 1時間半以下 / テレビ 3時間以上 (1日)



  「自分をダメな人間だと感じるか」
という問いでA群の子どもたちは4.4%なのに対し、B群の子どもたちは、なんと5倍の22.2%、「生きているのがイヤだと感じるか」という問いでもA群は2.3%なのに対し、B群は6倍近い13.3%、「何もしたくないと思う」もA群が15.6%なのに対し、B群は3倍近い42.2%、他にも常にイライラするとか、むかつく、学校へ行きたくないなども明らかにB群の子どもたちの方が高い数値を示していたというのです。

 このデータからもわかるように、今の子どもたちは、もっともっと外で遊ばせる必要がありそうです。戸外に出て、自然のなかで体を動かしてあそび、自然に目を向ける体験をいっぱいすることが、子どもの世界を広げることにもなると思うのです。学力にしても、小さいときに自然のなかでたっぷり遊びこんだ子のほうが絶対伸びると思うのですが・・・。 

 子どもの遊びは「悪」だという人もいます。悪=AKU(A:あぶないK:きたないU:うるさい)大人からみたらそんなものなのかもしれません。そんな子どもたち本来の姿をもっと大人が寛容な態度で受容していってあげなければ、今のいじめや引きこもり、その他もろもろの子どもたちの問題は解決しないような気がします。
 
 まもなく、つくし組が卒園していきます。この河内町からどんどん子どもが減り、昨年の苦渋の選択から、新たな保育を目指して縦割りクラスでスタートした今年度。1年を振り返り、しっかりまとめをしなければと思いつつ、どうまとめてよいものか・・・。ただ、今の子どもたちの姿、表情を見る限り、私たちの思い以上に立派に育っているではありませんか。胸を張って「からたちの卒園児です!」と小学校に送り出せる子どもたちばかりです。
 
 来年度、ますます園児数は減り、園の運営はさらに厳しさを増していきます。そんな中でも、やはり、私たちの園は「本当に大切なものを見失ってはいけない」と心に誓い、私たちの進むべき道を歩み続けていきたいと思います。





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