怖い!子どものメディア漬け
初瀬基樹
数年前になりますが、西部ブロックの保育士会で『子どもとメディア』に関する調査を行い、福岡のNPO『子どもとメディア』で活躍されていた山田真理子先生をお呼びしてお話を伺ったことがあります。以前のからたちにも掲載した内容と重複しますが、新しいご家庭も増えていますので、再度お伝えしようと思います。
<テレビは刺激物>
我々、大人にとってのテレビは様々な情報源ですが、0歳の赤ちゃんにとっては全く必要ありません。テレビやビデオというのは「光刺激」と「音刺激」の混合物である「刺激物」です。タバコやお酒、覚せい剤などと類似して、段々強くなっていかないと刺激として感じなくなるような、麻痺していく性質もあるかもしれません。そうした刺激物が、現代の生活では、多くの家庭で赤ちゃんの目の前に置かれています。0歳の時期は、自分で動くことが出来ないので、まわりに危険がないか常に敏感なアンテナを張っています。「明るい所」と「暗い所」があれば、刺激が多い「明るい所」を見ますし、「じっとしているもの」と「動いているもの」があれば、必ず「動いているもの」の方を見ます。あるいは、「ずうっと点いているもの」と、「点滅しているもの」があれば、「点滅しているもの」の方を見ます。「黙っているもの」と「しゃべっている(音が出ている)もの」があれば、「しゃべっている(音が出ている)もの」の方を見ます。そちらの方を見ていないと危険性が高いからです。したがって、0歳の子どものそばに、ついているテレビがあれば、そこからは光が出ていて、動いていて、点滅していて、音が出ていますので、情報量は最高です。すると、子どもの目は常にそちらに向いてしまう。「そちらを向いていないといけない状態」に0歳児の子どもはインプットされてしまっているのです。時々「うちの子はテレビが好きなんです。」って言うお母さんもいますが、好きというわけではないのです。好きとか嫌いとかではなく、ただ、そこから音が出て、光が出て、動いているから、そちらを見てしまっている。乳児期にテレビがついている状況の中で、子どもがテレビを見続けてしまうということが繰り返されると、今度はそれが中毒状態になってきます。生後10ヶ月頃になると、もはや中毒がはっきりしてきて、テレビがついていないとなんとなく落ち着かない、テレビを消すと、テレビの前に行って「つけてくれ」って要求するというような、中毒症状が観察され始めます。生後10ヶ月で中毒症状というのは、あらゆる中毒の中で最も早い中毒症状かもしれません。
<コミュニケーション力が育たない>
さらに、今気になっていることは、テレビを見ながら、あるいは携帯メールをしながら授乳しているお母さんが増えていることです。人間の赤ちゃんにだけ、「おっぱいを休み休み飲む」という特徴があります。これは他の動物には見られないことで、飲み休むことで、お母さんが「どうしたの?もっと飲んだら?」など声をかけてくれることを期待しているのだという説があります。生まれてすぐの赤ちゃんの視点も、おっぱいを飲んでいるときに見上げたお母さんの顔にちょうど合うようになっているそうで、赤ちゃんはおっぱいを飲みながら、人としてのコミュニケーションの基本を身に付けていると考えられます。しかし、授乳中にテレビや携帯メールをしながらでは、赤ちゃんとのコミュニケーションがうまくとれません。本来、動物にとって、「目と目が合う」というのは戦闘状態(緊張)の始まりですし、「肌が何かに触れる」というのも危険をキャッチするための触覚防衛で緊張の始まりですが、人間だけが、小さいときからのかかわりの積み重ねにより、目と目を合わせることや、肌と肌の触れ合いを「心地よいもの」と捉えることが出来るようになっていくのです。しかし、今、それが欠如した子どもが増えています。目が合わせられない子、抱っこやおんぶをしようとするとそっくり返って緊張してしまう子が増えています。
<感覚の鈍い子どもたち>
味、におい、満腹感、皮膚感覚の鈍い子も増えています。仮に「これは何の匂いだろう?」とか、「何の音かな?」と臭覚や聴覚を研ぎ澄まそうとするときには、目をつぶって視覚を閉ざします。本来、視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚といった五感を同時に働かせるのは難しいのです。しかし、現代の食卓では、食事中にテレビがついている家庭が非常に多いのです。テレビを見ながらでは、視覚、聴覚を使っていますので、味や匂いには鈍感になりますし、満腹感も感じられずに食べ過ぎてしまう子も多いのです。実際に、激辛を好んで食べるような味覚が麻痺している子どもや、いい匂い=芳香剤の強い匂いという子、肥満の子も増えています。リストカットや自傷行為など「痛み」によって、「自分の存在」を確認しようとする若者が増えているなど、皮膚感覚についても鈍くなっていることがうかがえます。
<青少年事件>
殺したいぐらい誰かを憎むことは、誰にでも1度や2度はあるかもしれませんが、実際に犯行に移されることはほとんどありません。しかし、今の子どもたちは、そのハードルをスッと越えてしまいます。親から虐待を受けて育った子どもなど、怒られることには慣れているので、警察などで厳しく注意されてもピンと来ないのだそうです。少年犯罪の多発で刑罰の年齢引き下げや重罰化が言われますが、それは抑止力にはならないでしょう。人間にとっての最後の抑止力は「そんなことをしたら悲しむ人がいる」と思えることではないでしょうか。人と人との深いかかわり、関係の深さ、生身でかかわってもらう体験が現在は希薄です。親から虐待を受けてしまうような時代。その抑止力になるのは、親でなくても、保育士や、先生、地域の人、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんなど、誰かが、「怒る存在」ではなく、「悲しむ、苦しむ存在」としていてくれることが必要なのです。
テレビ、ビデオ、ゲーム、パソコン、インターネット、携帯、スマートフォンなどなど、メディアの進歩は目覚しく、使いようによっては非常に便利で良いのですが、一方で、今の子どもたちが置かれている現状は、放っておくととても危険な状況にあることも考えておかなければなりません。海外では厳しく規制されている暴力シーンなども、日本ではそれが子ども向けの番組であっても毎度のように出てきます。特に小さな子どもにはストーリーよりも、その暴力的な場面だけが映像として印象に残り、頭の中でそのイメージが延々と再現されやすいので要注意です。遊びが「戦いごっこ」ばかりということにもなりかねません。ごっこ遊びとして、それなりにストーリー性があるのならまだしも、単にポーズを決め、ときにはイメージの世界に入り込みすぎて、相手が痛くて泣きだしてしまっても、お構いなしにパンチやキックを繰り返す姿など、過去には実際にわが園においても見られました。
メディアとのかかわり方にもう少し我々大人が注意を払う必要がありそうです。
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