手のかからない子に手をかけて / 育てたように育つ

(内田美智子さんの著書 『 ここ 食卓から始まる生教育 』 より)



初瀬基樹
 

 先日、内田産婦人科医院(北九州)で助産師をしておられる内田美智子さんのお話を聴く機会がありました。「日々、誰かのために食事を作る」ということは、「その人のために自分の大切な時間を割く」ということであり、愛情が伝わる最も大事な場面。現代日本の若者たちの様々な問題、性のこと、生(命)のこと、愛情のこと、突きつめて考えていくと、たどり着いたのは「食」。「生」と「性」と「食」は、密接につながっているというお話で、とても感銘を受け、さっそく著書を購入しました。

 今回ご紹介するこの箇所では「食」については、あまり触れられていませんが、私がとても共感した部分です。本からそのまま引用させて頂きました。



手のかからない子に手をかけて

 分娩台の上で産声を上げたときから、赤ちゃんは泣き始めます。そして、泣き続けます。その声を聞きながらその場にいる誰もがみな、「良かった、元気な赤ちゃんで」と泣き声に拍手を送ります。では、そのずっと泣き続ける赤ちゃんはいったい、いつ泣き止むのでしょうか。

 お母さんの胸に抱かれた瞬間に、ピタッと泣きやみます。
 
 赤ちゃんは、不安いっぱいの世界に放りだされて、唯一安心できる人を求めて泣きます。それがお母さんなのです。
 
 ひたすらお母さんを求めて泣き続ける赤ちゃんが、何もしてもらえなかったらどうなるでしょう。
 
 泣かなくなります。無視され続けると、赤ちゃんは何も感じなくなります、次第にあきらめて無表情になります。「サイレントベビー」をご存知でしょうか。そんな泣かない赤ちゃんのことです。
 
 赤ちゃんは、抱っこされる心地よさ、誰かに愛され、支えられる安心感を感じながら人として育っていきます。一人では生きていけない「人」に必要な「信頼関係」を築くことを学んでいきます。そうして、生きる力を身につけ、よりその力を発揮していきます。
 
 お母さんが、少し抱っこすることに疲れたら、誰かが代わってあげればいいんです。お父さんでも、おばあちゃんでも。そしてまた元気になったお母さんが抱っこすればいい。
 
 「泣くんです。ずっと泣くんです。」と、困ったように言うお母さんがいます。
 
 泣き続ける赤ちゃんに困らないでください。赤ちゃんにはそれしか方法がありません。抱っこしてほしいだけです。
 
 抱っこして愛してくれる人がいることに気づいた赤ちゃんは、愛を知りながら大きくなります。そんな赤ちゃんは、きっとお母さんを困らせなくなると私は信じています。
 
 「これから赤ちゃんはいっぱい泣くよ、ずーっと泣くよ。お母さんが泣きたくなるぐらい泣くよ。でもそれはお母さん、お母さんって泣くんよ。だから『なんで泣くの』って思わないで抱っこしてあげてね」
 
 私は、お母さんの胸に最初に赤ちゃんを抱かせたときに言います。
 
 「手のかからない子」にこそ手をかけてほしい。泣かない、わがままも言わない子を、いい子だと思わないでください。
 
 いつの間にか、子どもたちは、声を立てずに泣くようになります。人知れず、お母さんにも分からないように声を殺して泣きます。それが成長の証です。そんな日が、きっとやってくるのです。
 
 声を出して泣けるうちは、たくさん泣かせてあげてください。おかあさんの胸で思いっきり泣くわが子をほめて、抱きしめてください。お母さんが大好きな子どもたちです。


育てたように育つ

 出産が終わると、飽きるほどわが子の顔を見つめ、お父さんとお母さんは子どもの名前を一生懸命考えます。優しい子に育ってほしい、明るい子に育ってほしい、賢い子に育ってほしい、人の痛みを分かる子に育ってほしい、など思いはさまざまですが、わが子の成長を願いながら一生懸命考えます。
 
 でも、子どもは一人で、優しい子、明るい子、賢い子、人の痛みの分かる子に育つ訳ではありません。親がそう育てるのです。その子に関わっていく大人がそう育てるのです。
 
 「抱っこして、辛いよ、寂しいよ、側にいて!」と訴える子どもに、手を差し伸べ、抱っこし、寄り添う親がいて、はじめてその子どもは、心地よさや安心感や信頼感を覚えるのです。
 
 そうやって育った子が、将来、隣の席で泣いているお友達に「どうしたの?」って声をかけられる、優しい、人の心の痛みの分かる子に育ちます。
 
 泣いても、抱っこしてもらえず、声も掛けてもらえない子は、心地よさや安心感を感じることはありません。その喜びを知りません。そんな子が、どうして優しい子に育つことができるでしょう。
 
 笑い掛けてもらえなかった子が、どうして明るい笑顔のかわいい子に育つことができるでしょう。笑い掛け、話し掛けて育てるから、ニコニコ笑う明るい子が育つのです。


 最近はオムツが高性能になりました。三回分のおしっこをためることができるオムツがあるそうです。「三回まで大丈夫と書かれているから」と実際に、三回までオムツを替えないお母さんがいます。

 将来、その子が大人になり、そのお母さんを介護する側に回ります。そうやって育てられた子が、どうして「おばあちゃん気持ち悪いやろ。オムツ替えようね」と言えるでしょう。「まだ二回だから大丈夫だよ、おばあちゃん我慢しとき」としか言えないのです。

 人は、見たこと、聞いたこと、経験したこと、学習したことしかできません。子どもは一人でそだつわけではありません。

 子どもは育てたように育ちます。

             ( 内田美智子・佐藤剛史 『 ここ 食卓から始まる生教育 』 西日本新聞社 )







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