震災と保育制度


初瀬基樹
  

 ご存じのように今年3月に発生した東日本大震災においては、予想を超える甚大な被害が出ており、連日の報道により、私たち大人だけでなく、小さな子どもたちも心を痛めています。被災地の一日も早い復興を願わずにはいられません。

 先日、被災地の保育園関係の情報が入ってきたのですが、そのなかの新聞記事を読み、とても考えさせられました。

 著作権の関係で全文を掲載するわけにはいきませんので、全文をお読みになりたい方は、下記のアドレスをご覧下さい。


 園児をおんぶ「山に逃げろ」 大槌保育園、30人救う/岩手日報:2011.04.03
 http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110403_8
 

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた大槌町の保育園の記事です。

 地震が発生したのは昼寝が終わったばかりのときで、園児約100人はパジャマのまま防災頭巾をかぶって外へ避難したそうです。町の指定避難所は空き地で、寒さをしのぐ建物がなかったため、保育園は、津波浸水想定区域のぎりぎり外にあるこのコンビニを独自の避難場所と決めていたそうです。まずは、そのコンビニまで避難し、迎えに来た保護者に園児のうち約70人を引き渡していると海岸の方から津波が迫ってくるのが見えたため、さらに近くの山へと避難することにしたそうです。1歳から年長まで残っていた園児30人を散歩用の台車に乗せて車道を駆け上がり約300メートル先の山のふもとまでいくと、そこには近くのスーパーの従業員さんたちも30人ほどが避難していたのだそうです。

 さらに津波が迫ってきたため、考える暇もなく30度を超えるような急斜面を登らなくてはならなかったそうです。女性保育士20人と男性保育士1人、さらにスーパー従業員さんたちが手分けして園児をおんぶし、斜面に張り付くように四つんばいになって、切り株や木に手をかけて山の上へと登ったそうです。

 やっとの思いで斜面を登りきり、難を逃れたそうですが、コンビニで親に引き渡した園児のうち9人が、死亡または行方不明になってしまったそうです。さらに、最後に引き渡した女の子は、乗用車の中で防災頭巾をかぶった姿のまま遺体で見つかったということでした。


 こんな記事を読み、とても胸が痛むとともに、わが園も他人事では済まないなと感じました。約200年前の雲仙普賢岳の噴火によって起きた津波により、ここ河内でも大変な被害が出たと聞いています。20年ほど前の雲仙普賢岳の噴火の時から、避難訓練の中に津波を想定して裏山を登る訓練も行うようにしています。訓練とわかっているから冷静に、万全の体制で上まで登ることができますが、実際に予告もなく津波が襲ってきたらと思うとゾッとします。


 国が定める保育士の配置基準(最低基準)は、0歳児3人に対して保育士1人、1,2歳児6人に対して保育士1人、3歳児は20人に対して1人、4.5歳児に至っては30人に対し1人です。わが園の場合は、この基準よりも多く配置しておりますが、それでも手が足りているとは決して言えない状況です。

 まだ歩くことのできない乳児の場合、保育士1人で連れだせるのは、1人背中におんぶして、前に1人抱っこしたとしても2人が限界です。歩くことが出来るようになった1,2歳児であったとしても、そんな状況下で大人のいうことを聞いて1人で歩いて避難できるとはとても思えません。やはり、1人をおんぶ紐でおんぶし、両手には1人ずつ手をつないでいかなければいけません。そう考えると保育士1人で連れだせる子どもの数は3人が限界ということになります。

 3歳以上児であっても、やはり保育士1人で見ることが出来るのは、せいぜい5,6人ではないでしょうか。

 外国の保育士の配置基準がまさにそれぐらいです。命を守るためにはやはり保育士の数が必要です。日本のこんな基準では、万が一の際に、子どもの命を守れるのか不安になります。

 現状でも不安だというのに、保育制度は、待機児童問題を解消すべく、基準を緩和する方向に向かっています。さまざまな不安材料を抱えたまま25年度から導入されてしまいそうな気配の「子ども子育て新システム」は、今回の震災によって審議が一時中断しているようですが、今回の震災を機にぜひ、最低限、万が一のときでも、子どもの命を守ることができるようなシステムになるよう、今一度見直しをしてほしいものです。






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