「保育」という営み
初瀬基樹
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
昨年6月より本格的に「子ども・子育て新システム」の検討が進められ、「幼保一体給付」「幼保一体化(こども園)」「事業者指定制」「直接契約制」「公的責任の後退」「福祉の後退」「公定価格(応益負担)」「要保育度認定」「財源問題」などなど、さまざまな不安材料を抱えたまま、この「子ども・子育て新システム」は導入されようとしています。(このままいけば、今年3月に法案提出、平成25年より施行予定)
このことが「保育の質の低下」につながらないことを祈るばかりです。
そもそも「保育」という言葉の定義が曖昧で、私たち保育関係者にとっての「保育」と一般的に用いられる「保育」との間には、大きな乖離があるように思えてなりません。一般的には、まだまだ単なる「託児」と大差ないと思われているのかもしれません。
「教育」と「保育」にしても同様で、「養護と教育が一体になったもの」が「保育」だと理解してきたわけですが、この度の新システム検討会のなかでは(「法制上の取扱い」として)、「教育」は、「満3歳以上のすべての子どもに対して保障する学校教育」であり、「保育」は、「家庭の状況に応じて保育を必要とする子どもに対して保障する児童福祉」などという記述が見られ、「教育」「保育」という言葉の定義がいかに曖昧であるかを感じています。
「保育」そのものが問われているのかもしれません。こんなときだからこそ、私たちが「大事にしたい保育」、「守るべき保育」について、もう一度基本に返って考える必要があるのではないでしょうか。
保育園に求められるさまざまな機能等は少し横に置き、「子どもを育てる」という視点で私なりに考えてみました。
私の考える「保育」の基本は、子どもたちの「体」と「心」を育てることです。そして、保育は「させる・教える」ではなく、「育む・ひき出す」ことに重点をおくべきだと思います。
まず、長い人生を健康で元気に生きていくために「体づくり」が必要です。特定の部位を鍛えることよりも、バランス良く身体全体の発達を促し、柔軟でたくましい体、病気に負けない抵抗力を持った体、とっさのときに危険を回避できる身体能力、そして何より「体を動かすことが楽しい」と思える子どもに育ってほしいと思います。そのためには、外部講師を招いて体操教室を開くことよりも、大好きな保育者、大好きな友だちといっしょに散歩に行ったり、鬼ごっこをしたり、ちょっと危ないことにも保育者の見守りのなかでチャレンジしてみたりと、毎日くたくたになるぐらいに思いっきり体を動かして遊び、「ああ楽しかった!また明日やろうね!」という生活を大事にしたいと思います。
次に、体づくりと同様に最も大切なことは、自分を大切に思う気持ち、人への信頼や思いやり、好奇心や探究心、意欲などの「心を育む」ことです。
子ども時代を「大人になるための準備期間」と見るのではなく、子どもたちには「今」を心から楽しんでほしい。「この世に生まれてきてよかった、自分はみんなに愛されている」という実感を、まずはしっかりと心に刻みつけてほしい。お父さんやお母さん、保育者など、周りの人からたっぷりと可愛がってもらい、大事にされ、愛されることによって、「自分を大切に思う気持ち」が育まれ、それが次第に「人を思いやる心」にもつながっていくと思うのです。人とのかかわりを喜び、仲間を作り、お互いを理解し合い、協力し合い、自分より弱い立場の人のことを考え、社会のために貢献しようと思える、そんな人間に育てていくことが、就学前のみならず、子育て全般において最優先されるべきことだと思うのです。もちろん、さまざまなものに興味や関心、好奇心を持ち、それを意欲へとつなげ、探究心を育み、豊かな知識を身につけていくこともとても大切だと思います。
今は特に「心を育む」ということを真剣に考えなくてはいけない時代だと思います。子どもたちの「心」と「体」の健全な育ちが保障されるような「子ども・子育て新システム」であってほしいものです。
子どもたちの未来が明るいものになりますように。
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