保育者としての葛藤


初瀬基樹
  

 先日の「劇場ごっこ」には、たくさんの方にご来園頂きましてありがとうございました。近年まれにみるインフルエンザの大流行で、十分な取り組みができませんでしたが、取り組みの段階から、子どもたちが、自分たちで考えを出し合ったりしながら楽しく取り組んでいる様子が伺えました。

 また、劇場ごっこの翌週には年長児で「卒園記念金峰山登山」を行い、19人全員、誰一人欠けることなく、みんなで元気で園まで歩いて帰ってくることができました。

 今年度も一つ一つ行事が終わり、年長児は、もうすぐ卒園のときを迎えます。最後まで楽しい保育園生活であるように私たちも精いっぱい頑張りたいと思います。


 さて、今年度も年間を通して、午後に「年長の時間」というのを設けて、それぞれ保育者が得意分野を生かして年長児と関わってきました。私の担当は「アート」。春からいろんな活動をしてきて、最近では、「お面作り」、卒園アルバムの表紙にもなる「自画像」に取り組みました。アートの時間は、私自身にとっても楽しい時間なのですが、同時に悩みも大きいのです。

 どんな悩みかというと、「子どもの個性を潰してしまうことなく、伸ばしてやりたい」という思いと「大人としての常識というか、固定観念」が常に頭の中で葛藤しているのです。「個性っていったいなんだろう?」この問題になかなか決着をつけることができないでいます。

 「十人十色」というように、「人にはそれぞれ個性があって、違っているからこそ面白い」、「それぞれの個性を大事に豊かに育てましょう」ということに対しては大賛成です。しかし、実際、子どもたちと過ごしていると、「これは個性なのか、そうじゃないのか」で悩むことが非常に多いのです。

 「個性」も、「ある程度の決まった範囲の中での個性」なら認められるけど、「極端に個性的すぎるもの」は、周りからは理解し難いのです。不確かですが、解剖学者の養老孟司さんの講演会でそんな話があったように思います。「精神を病んだ患者さんが、排泄物で病室の壁一面に絵を描くといったことを、私たちは『実に個性的でユニークだ』と捉えることはできない。やはり、私たち大人の一般常識的な範疇での個性しか認められないのだ・・・」と。


 ちょっと話しは変わりますが、ピカソなどの有名な芸術家たちの作品の中には、私たち凡人には理解し難い、まるで子どもの描いたような作品が多数存在しますよね。私は、絵や造形物などは、技術的に上手下手はあるかもしれないけれど、最終的には、「作者がどれだけ自分の思いを込めることができたか」が大事で、結局は、それを見る人が「好きか嫌いか」で決まるのではないかと思っています。だから、子どもたちが絵を描いたり、何か作ったときに、単純に「上手にできたね」とか「うまいね」といった一言で片付けてしまうような言葉はかけたくないなと思っています。

 「この部分を一生懸命がんばったんだね」「思いがよく出てるね」という部分を見つけて認めてあげたいと思っています。できるだけ、大人の固い頭で子どもの絵や作品にあれこれ口を出したくない、「思いっきり好きなようにやっていいんだよ」と言ってやりたいと思うのです。

 しかし、現実はなかなか難しく、子ども自身にも「自分がどうしたいのか、わからない」こともよくあるようなのです。

 ある程度イメージが湧いていて、「こうしたいけどできない」と技術的に悩んでいる子には援助しやすいのですが、そもそも自分が「こうしたい」というイメージを持てない子に対しては「好きにやっていいよ」では、余計に難しいことを要求していることになってしまうのです。ちょっと抽象的なのでわかりにくいかもしれません。昨年、今年と「お面づくり」や「自画像」に取り組みながら、せっかく面白い顔が出来つつあったのに、全部つぶして、のっぺらぼうのようにしてしまったり、ちょっとはみ出した部分や、色の塗り間違いなどをやり直そうとして、余計にひどくしてしまって、さらに直そうとして・・・と、さらにさらにと悪循環を招いて、そのうちイヤになってきて投げやりになってしまったり、という姿があったりして、どう関わっていいのかとても悩みました。全員の子が、満足して「出来た!」と言えるまでには十分な取り組みができなかったという反省が残り、自分の保育者としての力量不足を痛感したのです。


 先日の「劇場ごっこ」においても似たような悩みがありました。わが園では「劇場ごっこ」として行っていますが、内容的には、「生活発表会」的な意味合いも持たせており、毎年、できるだけ、「普段の園での子どもたちの様子を見て頂きたい」、また、「子どもの発想や表現を大事にしたい」と思いながら取り組んでいます。運動会などと同じで「はじめから形のあるもの、大人によって作られたものを、一方的に子どもたちに教えこみ、練習させて披露するというだけのものにはならないようにしよう」と考えてきました。しかし、取り組みを通して、何か「物足りなさ」も感じてしまうのです。「子どもたちの持ち味を十分に生かし切れていないんじゃないか?」「子どもたちはもっと力を持っているんじゃないか?」「うまく引き出し切れていないのは私たち保育者の責任なんじゃないか?」・・・と。もちろん、子どもたちが毎回楽しみに取り組む事が出来ているという点は大いに評価出来ると思っていますし、「やらせ」ではない、わが園の行事の取り組み方は自信を持って今後も続けていきたいと思っています。


 行事に限ったことではありませんが、いろんな面で、特に4,5歳児に関しては、これまで通り、「子どもの思い」や「発想」も、もちろん大切にしながら、もっと踏み込んで「保育者の思い」や「意図」を明確にし、時間をかけて子どもたちと話し合いながら、「保育者と子どもが一緒に創っていく」ということを、もう少し考えてもいいのかなと思うようになりました。


 保育所保育指針も改定され、保育の在り方をもう一度考え直す時期にも来ています。

 より良い保育を目指して今後も職員一丸となってがんばっていきたいと思います。




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