新年あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


初瀬基樹  


 年末年始はいかがお過ごしでしたか?

 私は、今年も妻の実家がある岐阜で新年を迎えました。本当にゴロゴロしているだけで、食べて、飲んで、寝るという生活が続いたので、もう少しで牛になるところでした・・・なんていうと牛に怒られそうです。先日ラジオで、「『食べてすぐ寝ると牛になる』というけれど、牛はそんなに寝ていない」という話をしていました。草食動物はいつ肉食動物に襲われるかわからないから、落ち着いて寝てなんかいられない。だから、牛でも1日平均3時間ぐらいしか寝ていないのだそうです。それに比べたら、平均7~8時間寝る人間の方がよっぽどぐうたらですよね。秋からの自転車通勤でせっかく痩せてきていたのに、年末年始で一気にリバウンド。また気(体)を引き締めて今年もがんばりたいと思います。


(保育制度について簡単な補足

 昨年末は2回に渡って保育制度について書き、12月号では「厚労省の少子化対策特別部会の考え方(新制度案)にも納得できる」というようなことを書いたのですが、その後、別の資料などを見ていると、「おや?」と思うことも多々あり、「新制度はやっぱりまずいんじゃないの?」という気がしています。日本では「子どもの育ち」よりも「大人の都合」が優先されているようです。住んでいる地域や家庭が裕福かどうかで、子どもが受ける保育の質が変わるようなことがあってはなりません。「公的な保育が保障されている現行制度をさらに充実させていけばよい」と思うのですが、新たな制度に変えようとしているのは、やはり裏がありそうです。
 
 現在でさえ危ういというのに、これで日本の子どもたちはまともに育っていけるのでしょうか? 制度改革には疑問が残ります。
 



「きょうだいげんか」に学ぶ


 さて、ついこの間の我が家の娘たちの姉妹ゲンカです。小6の姉が、小4の妹のマンガを読んでいたときのこと、

妹:「勝手に見らんでよ!」

姉:「何で?あんただっていつも見るじゃん!それに『見せて』って言ったでしょ」

妹:「『見ていい』って言ってない」

姉:「『見せて』って言ったとき、あんた無視しとったじゃん」

・・・ついには姉がマンガを投げつけ、それが顔に当たって妹は泣き出しました。

 姉は投げたマンガが妹の顔に当たるとは思ってなかったようで、さすがに一瞬気まずそうにしていましたが、今さら引っ込みはつかないといった感じで、しばらくして

姉:「投げたのは悪かったけどさ、なんでマンガ見せてくれんとね!」

・・・泣き続ける妹

姉:「なんでだまっとっと?言わんとわからんたい!」

妹:「・・・」

姉:「ねえ!」

妹:「・・・痛くて、泣いてるのに、なんで今言わなんと!」

姉:「だけん、それは謝ったじゃん!」

妹:「謝ったけんって、まだ痛いもん・・・」

  ・・・さらに言い合いは続く・・・


 いつものことです。この部分だけ見ていると、姉が悪いようにも見えますが、姉は妹にちゃんと「見せて」と言ってから見始めていたのです。しかし、妹のほうは、物を大事にする性格からか、あまり自分のものを人に貸すのが好きではないようで、かといってきっぱり「イヤ」とも言えず、おそらく、わざと答えなかったのでしょう。姉はそんなことはお構いなしにマンガを見始めたものだからこんな喧嘩になってしまったのです。どっちもどっちなのです。

 私は、基本的に「兄弟(姉妹)げんかというのは、いっぱいした方がいい」と思っています。「お互い遠慮が無いから思う存分自分の思いが出せる。だから喧嘩になる」わけで、たとえ大喧嘩しても、一緒に住んでいるから「必ず仲直りもしなきゃいけない。」だから、「人間関係を築いていく(修復する)良い経験」だと思えば、子どものうちにいっぱい喧嘩した方がいいと思います。保育園でも、子ども同士のケンカが起きれば、まずは大人がお互いの気持ちをよく聞いて、理解し、それをわかりやすく、それぞれの思いを相手に伝え、どうすればよかったのかをお互いに考えさせ・・・と丁寧に対応する場面です。

 ところが! わが子となると、そううまくはいきません。せっかく家でくつろいでいるときに、すぐそばでこうした喧嘩が続くと、こっちまでイライラしてきて、「いい加減にしろ!くだらんことでケンカするな!」と、ついつい怒鳴ってしまったりもするものです。

 どうしたものか・・・。なんでこんなに喧嘩ばかりなのかな、何がまずいのかなと考えてみました。

 まず、喧嘩になる原因は「言った!」「言ってない。知らん、聞いとらん」とか、「謝った」「聞こえんだった。謝っても許さん」が非常に多いのです。これは大人でもよくあることかもしれません。

 気をつけなければいけないのは、

  言った ⇒ 相手に伝わった(理解した) とは限らない。

  謝った ⇒ 許してもらえた とは限らない。


 ということ。要は、「確認不足」なのかもしれません。「目と目を合わせて会話する」「相手の表情を読み取る」といったことがだんだん苦手になってきている世の中です。私自身を振り返っても、テレビなどを見ながら、あるいはパソコンなどをしながら、妻の問いに生半可な返事をしていたりすることもよくあることです。

 ここで簡単な実験です。紙とペンで次の指示通りに絵を描いてみてください。
「一本棒を書いてください。その上に丸を書いて下さい。さらにその上に三角を書いてください。そしてさらにその上に四角を書いてください。」

 たったこれだけの単純な指示であっても、おそらく10人いれば10人とも違う絵を描くと思います。(よかったら実際にご家族で試してみてください。)


 言葉だけで伝えるというのは、意外と難しいものです。上のような単純な指示であってもこうなのだから、自分でもよく整理できていない気持ちを相手に伝えるのなんてさらに難しいに違いありません。相手の受け取り方次第では、全く違う受け止め方をされてしまうこともあるでしょう。

 やはり、大事なのは、「言った、伝えた」ではなく、「ちゃんと相手に伝わったのか、相手はどのように理解してくれたのか」を「確認すること」なのではないでしょうか?といっても、単純に「わかった?」と聞いても、そう聞かれれば、「うん、わかった」と反射的に答えてしまうものなので、あまり当てにはなりません。やはり、相手の表情を見て、必要ならば、再度言葉にして確認する。「○○してもらっていい?」「うん」「いつまでだったらできそう?」など、ちょっと会話を膨らませておくのもよいかもしれません。


 また、もう一つ注意しておきたいのは「(あなたが)~しなさい。」「(あなたは)いつも~だから。」といった「あなたことば」ではなく、「(私は)~してほしい。」「(私は)~と思う。」といった「わたしことば」で話すようにすることも大切だと思います。
 
 やはり、人から指示、命令されるのは気持ちの良いものではありませんし、何でも知っているかのように決めつけて言われるのも嫌なものですよね。たとえ相手が子どもであっても、やっぱり同じだと思います。


 これらを子どもたちにどう伝えていくかは今後の課題ですが、私自身も、これから気をつけようと思います。

 新年早々、うまくまとまらない文章になってしまいました。言葉は難しい・・・。




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