先日、神田英雄先生(名古屋:桜花学園大学保育学部保育学科教授)の研修会に参加してきました。子どもたちに規範意識をどう育てていくかというお話にとても共感しましたので、そのお話を私なりの解釈を交えながらご紹介したいと思います。
ここ河内では、あまり耳にしませんが、「小1プロブレム」と呼ばれる現象が全国的に多発し深刻な問題となっているようです。小学1年生になった子どもたちが、授業中に私語ばかりしていたり、勝手に歩き回ったりし、集団生活になじめず、先生が学級運営にとても苦労しているというのです。以前なら2〜3ケ月も経てば大抵は落ち着いていたものが、ずっと継続してそのような状態が続くのだそうです。高学年の「学級崩壊」なども少し前に話題になっていましたね。
小学生だけでなく、マナーが悪い、決まりを守らないなど、モラルのない大人も増えています。さらに極端な例では、先日の秋葉原の通り魔事件などのように殺人を犯すなど、社会的なルールを大きく破る人も増えているように感じます。
そもそも、ルール(約束事)は何のためにあるのでしょうか?
その答えは「自分と周りの人がよりよく生きるため」のはずです。
新しく改訂された幼稚園教育要領には「規範意識の芽生えを培う」という項目が加えられたそうです。小1プロブレムなどの問題を受けて、小学校に上がる前から「45分間座って授業が受けられるように育てておく」ということが目的のようなのですが、下手をすると、就学前に「45分間座る練習をさせられる」ということも考えられます。しかし、「45分間座っていられること」が大切なのでしょうか?苦痛に耐えながら、あるいは退屈と格闘しながらじっと座っていることに何の意味があるのでしょう。そんなことよりも、「興味を持って先生の話が聞ける」とか、「意欲的に勉強に取り組む姿勢」を育てることの方が重要だと思いませんか。
いま、少年犯罪にしても「刑が軽すぎるから、もっと厳罰化すべきだ」とか、「学力が落ちたから授業時間を増やす」だとか、問題の根っこを見ようとせずに、うわべだけで問題解決をしようとしているのではと感じることが多々あります。もっと、少年たちが犯罪を犯す原因は何なのかを真剣に考える必要があるのではないでしょうか。多くの子どもたちにとって、今の社会は、生きていくことに喜びを感じられない社会です。自分の存在を肯定的に見ることもできないような嫌な世の中になってしまっているのです。そのことにもっと多くの大人たちが気付き、少しでも、子どもたちが生きていく楽しみを感じられるような世の中に変えていくべきではないでしょうか。子どもたちに学力をつけたいなら、学習時間を増やすことよりも、学習に対する意欲や、知的好奇心を湧かせるような取り組みが必要なのではないでしょうか?
話を戻して、ルールを守れる人に育てるためにはどうすればいいのでしょうか?
ルールを守ることの大切さを、小さいうちから厳しく教えれば、ルールを守る人に育つのでしょうか?善悪の区別をしっかり教えさえすれば、間違ったことをしなくなるのでしょうか?
答えはNOです。どんな極悪人であろうと、良いこと悪いことの区別はついているはずです。悪いこととわかっていながら、悪いことをしているのです。
私たちは、子どもたちに善悪の区別を教えなければなりませんが、それよりも悪を選択しない力、善を選択する力を育てなければならないのではないです。
保育園や小学校の低学年のうちなら、「厳しさ」だけで子どもを押さえつけることができるかもしれません。子どもたちも「怒られるのが怖いから」、ルールを守ろうとするでしょう。しかし、内面的にも体力的にも力が付いてくる高学年頃から、中高生頃になってくると、「厳しさ」だけでは逆に反発を招き、反抗しようとするでしょう。小さい頃から、「大人は自分のことを理解してくれない、大人は自分の味方じゃない」という思いを募らせてしまったりすると、秋葉原の事件を起こした彼のように「社会やまわりの大人に対する復讐」という形で表に出てきてしまうかもしれません。飲酒運転の取り締まり強化などのように、犯罪に対し、厳罰化することで、ある程度は抑止力につながるかもしれませんが、本当の意味での抑止力とは言えないと思います。結局のところ、「見つからなければ・・・」ということにもなりかねませんから。
ではどうすればいいのか。やはり、一番大切なことは、幼いころからまわりの大人が「愛情」をたっぷり注ぐことだと思います。それぞれの心の中には、お母さんやお父さん、大好きな人が住んでいるはずです。自分の行動を決める際には、「こんなことをしたら、きっと悲しむだろうな。」反対に、「こうすればきっと喜んでくれるにちがいない。」と、その心の中に住む人を思い浮かべながら、行動を判断しているはずですですから、もしも、その心の中に住む人が、「いつも怒ってばかりで自分の気持ちをぜんぜん理解してくれない」と感じてしまうような存在だったらどうでしょう。それこそ、悪を選んでしまうことになりかねません。まわりに「自分の気持ちをちゃんと理解してくれる。自分の存在を認めてくれる。自分のことを心から愛してくれている」と感じさせる人が誰か一人でもいたら、秋葉原のような事件も起こさずに済むでしょう。
子どもが一番はじめに出会う大人は、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、家族です。そして、保育園に通っている子どもたちにとって、長い時間を一緒に過ごす私たち保育者も、きっと子どもたちの心の中に住む人となるでしょう。温かなまなざしで見守り、心の支えとなれる存在でありたいと思います。
レミオロメンの『3月9日』という歌の歌詞に「瞳を閉じればあなたが まぶたの裏にいることで どれほど強くなれたでしょう あなたにとって私もそうでありたい」というのがあります。まさにそんな気持ちです。
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