子どもにかける言葉


初瀬基樹  

 
 よく、子どもは「叱るより、ほめて育てたほうがよい」と言われます。たしかに、私もその通りだと思いますが、ほめすぎもどうかと思います。ほめることと、叱ることは全く反対のことですが、「子どもを評価している」という点では同じことだからです。

 熊本市保育園連盟でもここ数年研修でお世話になっている神田英雄先生の著書のなかから、少しご紹介したいと思います。保育者向けに書かれた本なので、文中では「保育者」となっていますが、お父さん、お母さんでも同じことが言えると思います。ぜひ参考になさってみてください.。



神田英雄 『保育に悩んだときに読む本』 ひとなる書房
第3章 トラブルを越えた先に育つもの
3 ほめる保育をこえて
・・・叙述する言葉 より



(子どもにかける言葉を目的から分類すると・・・)

共感語・・・子どもが転んだ時「痛かったねえ」なとどかける言葉。子どもは自分の痛みを保育者が理解してくれたという喜びによって涙をこらえることもあります。

指示語・・・「みんなでお外に行こう」などと子どもたちに行動を指し示す言葉。

禁止語・・・「上履きのままお庭に出ないでね」などと子どもの行動を制限して、よい悪いの判断力を形成するための言葉。

説得語・・・「どうしてお昼寝をしないといけないか知ってる?お昼寝をしないとね・・・」などと理由を説明して、子どもが自ら望ましい行動を選びとれるように導く言葉。

質問語・・・「昨日の日曜日何をしていたの?」などと、子どもが自分の体験を自覚して言語化できるように導くための言葉。


 そのほかにも、たくさんの言葉があるかもしれません。それぞれとても大切な言葉ですし、生活のなかでいっぱい使われる言葉です。一方、それぞれの言葉は使い方によってはマイナスの影響を子どもに与えてしまうことがあります。共感語は、あまり使いすぎると、「そうなの、私はとても悲しい目にあったの」という被害者意識を必要以上に引き出して、気持ちが立ち直りにくくなることがあります。指示語も多すぎると子どもの主体性を奪ってしまうでしょうし、禁止語も不適切に使うならば子どもの判断力を奪って大人の顔色をうかがう子にしてしまったり、反発を引き起こしたりします。説得語も、多すぎると保育が理屈っぽくなって楽しさを奪ってしまいます。一長一短あるわけですから、それぞれの言葉の使い方を保育者は洗練させていかなければなりません。ほめるにしても叱るにしても、子どもを評価してしまう「評価語」についても同じことが言えます。
 
 ここで、もうひとつの言葉の必要性を強調したいと思います。それは、子どもの行動結果や子ども自身の姿、子どもが見つめているものを、そのまま写生するように語る言葉です。「叙述語」と名付けてみましょう。
 
 子どもが砂場でお皿に砂や木の実を盛りつけて、「カレーライスができた」と保育者に持ってきた場面を想定しましょう。その時、保育者が「わあ、おいしそうなカレーライスできたね」と対応したあとで、「すごい、湯気が出てる!アツアツだね。オッ、にんじんも入ってる。大きなお肉も入ってるぞォ」と続けたらどうでしょう。ごっこの世界のことですが、子どもがつくった「カレーライス」を写生するように描き出しています。これが叙述語です。

 叙述語は写生するような言葉でほめ言葉ではないのですが、このような保育者の言葉を聞いた子どもは「自分のつくったカレーライスを保育者が喜んで食べてくれた!」という喜びを感じることでしょう。そして、またつくりたいという意欲とともに、「今度はシーフードカレーにしようかな?」などと想像力も刺激されるのではないでしょうか。

 鬼ごっこで敏捷に走りまわって勝ち残った子どもに対して、「○○ちゃんはすごく速かったね」と言うと評価語になりますが、「○○ちゃんは足できゅっとブレーキかけてクルンと方向転換して逃げたね」と叙述することも可能です。

 叙述語には、子どもを賞賛する言葉や非難する言葉が直接的には入っていませんが、結果としては、子どもにその気持ちが伝わります。

・・・中略・・・

 叙述語は子どもの行動対象や行動のしかたを叙述するがゆえに、子ども自身がそのことに主体的に思いをめぐらせ、自分でさらに工夫したり考えたりする契機となりうる特徴を持っているからです。



 子どもは親や保育者に「理解されている」と感じたとき、本来持っている力を発揮して輝いてくれると神田先生もおっしゃっておられますが、私も本当にそう思います。

 自分自身をちょっと振り返ってみて、叱りすぎかな?ほめすぎかな?と感じることがあったら、この「叙述語」も使ってみてはいかがでしょう。






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