あ  れ  こ  れ  っ  と    
外 国 人
日 本 人
リーダー
あれこ
れっと
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 外国人  
変わろうとしないのは、変わるのが怖いからじゃないかな スペンサー・ジョンソン「チーズはどこへ消えた?」
心は、パラシュートと同じで、それを開いたときに最高の働きをする ウォーリー・エイモス
僕が今迄に掲げた目標が一つだけある。聞きたいかね? “明日は今日と違う自分になる!”だよ。 デイル・ドーテン
仕事に支配されてはいけない。すすんで仕事を支配することだ アンドルー・カーネギー 
あなた自身を好きになる。これはたいへん重要です R・コンクリン
初めは人が習慣を作り、それから習慣が人を作る ドライデン(イギリスの詩人)
人生において安定など存在しない。あるのはチャンスだけだ。 ダグラス・マッカーサー元帥
人生の幸福にとっては、人柄こそ、第一の要件 ショーペンハウエル
僕が不機嫌な時、母は言う 「ねえ、今日は、あなたのこれからの人生の最初の日なのよ」 ランス・アームストロング:自転車選手
他人が自分より優れていても、恥ではない。しかし、去年の自分よりより今年の自分が優れていないのは立派な恥だ ラポック 
幸福とは、旅の目的地のことではなく、旅のしかたのことである マーガレット・リー・ランベック (アメリカの作家)
成功とは、素晴らしい事だけが起こる事ではなく、どんな事が起きても、素晴らしい反応を選ぶ事である ジェームス・スキナー
雨は一人だけに降り注ぐわけではない ヘンリー・W・ロングフェロー (アメリカの詩人)
地上に棲む生き物で、人間だけが生き方、あり方を変えられ、運命を築くことができるW・A・ピーターソン(アメリカの作家) 
天才とは努力する習慣を持つ人のことを言う ゲーテ
行動はいつも幸せをもたらすものではないが、行動なくしては幸せはない ディスレーリ (イギリスの政治家)
青年よ、大志を抱け!それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるために大志を抱け W・S・クラーク (アメリカの教育者マサチューセッツ農科大学学長/札幌農学校教頭)
俺は、何度も何度も失敗した。打ちのめされた。それが、俺の成功した理由さ。 マイケル・エア・ジョーダン
貧乏な家に生まれたことを神に感謝しています。おかげで努力することを学びましたから デル・スミス (エバーグリーン・インターナショナル航空の創設者)
明日死んでしまうかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ ガンジー(インドの独立指導者)
およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って、不幸にならない前に不幸になっている心です。 セネカ
信念を正しく理解できれば、それが消極的な性質ではなく、積極的な性質だとわかるはずです。積極的な信念は、恐れを知らない。絶望することを許さない。心が信念で強化されれば、どんなに弱い者でも不幸や災難を乗り越えることができる ヘレン・ケラー
私の道は森の中で二つに分かれた。そこで、私はより人の通らない道を選びました。そして、それが人生の中の大きな違いを生み出したのです。リーダーは先に行く人です。模範を示し、批判されても、自分の心の心理を通す人です。リーダーになろう。自分の道を歩もう。正しいことをしよう。 ロバート・フロスト詩人
人は金銭を時間よりも大切にするが、“失われた時間”は金銭では買えない。 「ユダヤ5000年の教え」 ラビ・マービン・トケイヤー
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる サムエル・ウルマン
奇妙な話ではないか!外部からの悪には憤慨するが、自分の支配下にある自分自身の悪とは、闘おうとしない トルストイ
人生で最大の喜びは、「あなたには無理よ」と言われたことを手がけることだ! ウォルター・ベイグホット
人間の困ったところは、何がしたいのか分からないことだ マリリン・ファーガソンアメリカの心理学者
才能とは、自分自身を、自分の力を信じることである ゴーリキー(ロシアの作家)
この世には、物事が起こるのをただ見ている人と、何が起きたのかを知りたがる人と、物事を起こす人がいる トミー・ラソーダ (ロサンゼルス・ドジャース元監督)
他人より優れている人は、本当に優れているとはいえない。以前の自分よりも優れている人は、本当に優れている人と呼べる 「ユダヤ商法」マーヴィン・トケイヤー
憎しみは、それをいだいた人間の上に返ってくる ベートーベン (ドイツの作曲家)
人は長い歳月を重ねるから老いるのではない。理想を失うときに老いるのである サミュエル・ウルマン (アメリカの詩人)



 日本人
常に信念を持って主体的に生きるためには、やはり心静かに、われ何をなすべきかを考え、そのなすべき事をひたすらに なしていくことが大切である。 失敗の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思う。 自分をほめてあげたいという心境になる日を持ちたい。 仕事をするに当たって、まず心を磨くというか、ものの考え方を成長させる必要があります。 松下幸之助
一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教に任せろ 中村天風
死んだら終わる一生なのだから、良心に従って生きたいと思っている ヤマト運輸、元社長小倉昌男
疲れちょると思案がどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と自信がわく 坂本竜馬
妥協しない、とことんやる、その中で余分なものが削げ落ちていき、光ったものが現れてくる 山岡鉄舟
日本にはあらゆる資源がない。あるのは人間だけだ 本田宗一郎「一日一話」
どんなに小さくても、進歩が見えれば挫折しない 枝廣淳子
朝2時起きで、何でもできる! だが あとじゃできねんだよなあ 今のことは・・・。
出逢い その時の出逢いが その人の人生を根底から変えることがある 出逢いが人間を感動させ 感動が
人間を動かす 人間を動かすものは むずかしい理論や理屈じゃない 人間を根底から変えてゆくもの
人間を本当に動かしてゆくもの それは人と人との出逢い その時の出逢い… 
相田みつを
人生で成功するのは「頭のいい人」ではなく「楽しい人」です。人が集まってくれなければ、一人では何もできない。 堀之内九一郎 「どん 底からの成功法則」より
何も咲かない寒い日は、 下へ下へと根を伸ばせ。 やがて大きな花が咲く 高橋尚子選手の「心の支えの言葉」
影が見えるということは、光が射していればこそのことなのだ 糸井重里
仮に親の顔色をうかがって就職し、安定を選ぶとしようか。が、それが青年自身の人生なんだろうか。“俺は生きた!”と言える人生になるだろうか。そうじゃないだろう。親の人生をなぞるだけになってしまう。 岡本太郎 「自分の中に毒を持て」
やり甲斐、働き甲斐は、やってみてはじめて出てくる。やりもしない、働きもしないで、喜びは得られない。生きがいもそうだ。精一杯生きる努力をして、はじめて生きる喜びを知るのだ 土光敏夫



 リーダー   
誰も、他人が自分を動かしているのではない。 人生の成功は、選択の質にかかっている。 向上心の強さが道を開く。 教育は、人生最大の配当をもたらす投資である。 リーダーとは、人のために犠牲になれる人の事。 成果に対するコミットメント(決心)は自分以外にはできない。 健全な執着の無いところに、良い結果は存在しない。 人生は出会いで決まる。 身につけた能力までしか豊かになれない。 今日この日を最後の日として生きる。 成功の秘訣は、この仕事を一生やると決める事。 成果から逆算をして仕事をする。プロは結果に生きる。 考え方がアクセルになり、ブレーキにもなる。 自分のポジションは自分で創る。 決断、判断、選択の質が人生を決定している。 出来る事と出来ない事を区分し、出来る事に全力投球する。 自分の考えが可能性をつくり、自分の考えが限界を生む。 立派な計画が良い計画ではない、達成できる目標からつくられた達成計画が良い計画だ。 事実(実績)の積み重ねで信頼を得る。 人生に成功の秘訣はない、ただ目の前の目標を一つ一つ達成していくだけである。 自分自身への投資は、もっとも大きな配当を生み出す投資である。 本気で生きている人間だけが人の記憶に残る。 脱皮できない蛇は死ぬ。 よい情報を一人でも多くの人に伝えたいという思いが行動になり、結果につながる。 今日の意志決定が将来の道を開く。 目的のないところには、成果はあらわれない。 人生は、人と人との多くの出会いによって成り立っている。
高いつもりで低いのが教養、 低いつもりで高いのが気位、 深いつもりで浅いのが知識、 浅いつもりで深いのが欲の皮、 厚いつもりで薄いのが人情、 薄いつもりで厚いのがツラの皮、 強いつもりで弱いのが根性、 弱いつもりで強いのが、 多いつもりで少ないのが分別、 少ないつもりで多いのが無駄



 あれこれっと
高齢化社会を明るく生きる!
日本人の平均寿命  男性78歳、女性85歳。 65歳以上を年寄りという。
☆ 健康だけを気にしすぎない
 ・一つ位の病気があったほうが、健康に気を配るので 長生きする。(一病息災)
 ・スポーツ選手が以外に短命(特に、相撲力士)
☆ 前向き発想が心身を強くする
 ・気持ちの持ち方で寿命が決まる。ガンの告知を受けても負けない頑張りで90%が長生き。
   (実際に60歳の人でも、人によっては、生き方の違いで 50歳にも70歳にも見える)
 ・年をとっても自立できる。(自分の事は自分でやる)
☆ 比べないで生きよう
 ・他人の生活との個々の比較 → ストレスが溜まる → 病気になり易い
 ・自分は自分の生活スタイルでよい。
☆ 気分転換をうまく図る
 ・ストレスを溜めない(日本人の多くは、気分転換が下手)
 ・日常から一時、離れよう(趣味、娯楽、旅行など)
☆ 健康で明るく暮らしている人の共通点
  仕事があり、社会や人の為に役立っている自負心。 沢山の友人がいる。 好奇心がある。
  安らぎの趣味がある。 大らかな精神の持ち主。 散歩が好き。 お洒落である。
☆ 友達は無形の財産
 ・夫婦や職場以外の個人同士の友達がいる。(共通な話題で長続きする)
 ・ボランテア、趣味、同好会、勉強会。  地域の人との交流(仕事の違いが良い)
 ・親子関係も友人と同レベルでありたい。
☆ 良い人間関係を作るには
 ・相手をサラリとほめよう → 悪い気はしない → 良い人間関係になる
 ・批判やケチをつける → 本人は気付いていない(優越感) → 友達が去っていく
☆ 感謝する心は幸福のカギ
 ・感謝する人には、人が集まる。  批判やケチをつける人からは、人が離れる。
 ・人は、一人では生きられない(支えあって共生している)
☆ 少欲知足のすすめ
 ・金欲、出世欲、食欲などは、程々に。

最近の親子関係に提言!
某氏によると「しっかり抱いて、そっと降ろして、歩かせる。」 親は子供を早く一人立ちさせようと、甘えてくる子供を突き放そうとする事がある。親にしっかり受け止めてもらいたいと子供が思っている時にその気持ちを良く解からずに突き放そうとすると、子供は不安になる。 子供が親と一緒に遊ぶ時期はそんなに長いものではない。幼児期に親や周囲から自分は愛されていると確信を持てる事が子どもの成長にとって大事な事だ。 「よく遊び、よく学べ。」 夏休みに向けて、子供も親も、勉強ばかりではなく、よく遊んで、親も子も成長して欲しい。

年金問題
厚生省の年金改革案は、「負担増・給付減」である。 まず、グリーンピアなど、厚生労働官僚の天下り先の廃止が先決。 また、どういう全体像で年金改革を進めるのかが不透明。 また、高収入高齢者の年金カットも必要。 財源は、消費税か所得税か、その率も国として決断すべき。 それなしに単なる数字合わせに終始している状況下では、絶対に国民の理解は得られるはずがない。

郵政民営化について
(小泉総理へのインタビュー) 2004- 4- 8
総理が進めている「官から民へ」の改革の中で、郵政民営化は、具体的にどこが良くなるんでしょうか?
郵便にしても、貯金にしても、保険にしても、いま、全部民間でもやっていますね。「民間にできることは民間に」という方向に向かっています。 民間企業は税金を払っていますが、郵便局は、法人税などの税金を払っていないんです。預金の場合は、民間金融機関は預金保険料を納めなければなりませんが、郵便局は免除されています。  この郵便貯金や簡易保険のお金を使って、なかなか利益は出にくいけれども国民にとって必要だといわれる事業を、特殊法人を使って実施しているんです。 年金でいえば「グリーンピア」、簡易保険や郵便貯金でいうと「簡保の宿」や「メルパルク」。何で国が民間より安い旅館やホテルをつくらなければいけないんでしょうか。 民間よりも安い旅館だったらみんな行きます。なぜそれができるのかといえば、簡易保険や郵便貯金などのお金を使っているからです。 民間の金融機関だったら不良債権になったら大変です。利益が出なければ自ら負担しなければならない。特殊法人に赤字が出ても、郵便貯金に預けている人や簡易保険に入っている人に赤字分を負担してくれとは言えない。だから結局は保険料や税金で補填することになるんです。 本当に必要な事業だったら、郵便貯金や簡易保険のお金を使わないで、きちんと説明して、税金を使って進めればいいんです。 特殊法人の住宅金融公庫は廃止するようにしましたが、住宅向けの長期、低利の融資も民間金融機関でできるんです。住宅金融公庫の廃止を決めたとたんに民間金融機関がこぞって住宅融資を始めました。 郵便局を民間に任せれば、もっと多様なサービス展開をしてくれると思います。かつて、宅配便は民間でできるわけがないと言われていました。いまはもう民間がどんどん進出して、郵便局よりもいいサービス、安い料金でやっているでしょう。民間にできないことはありません。 民間は税金を払って事業をしています。郵政事業を民営化すれば、利益を上げないと倒産してしまいますから、一所懸命になるはずです。そして、利益が上がれば税金を払う側になるわけです。貴重な税金は効率的に使わなければいけません。 今まで、郵便貯金、簡易保険のお金を使って、特殊法人という名前のもとに、いろいろな理由をつけて融資していた。そういうお金の使いみちを絶たなければいけない。 皆さんも何でもタダでやってくれればいいという考え方を直していかなければいけないと思います。特殊法人のしている事業にはどこかで税金など国民負担があるんだという意識を皆さんに持ってもらうためにも、どうしても郵政民営化は必要な改革なんです。 これは、全ての役所につながる問題で、全特殊法人につながる改革です。 だからこそ、郵政民営化の改革は大改革なんです。 金融、保険、物流、そして郵便局のネットワークがあるわけですから、民間に任せればどんなにいいサービスが出てくるかわからないでしょ。東京や大阪の中央郵便局、どちらも一等地にありますね。あんないい所にあるのに郵便、貯金、簡易保険の三事業だけで、他のことをやらないのはもったいない。 郵政改革は大改革です。

流通経営の変化!
「店舗販売から無店舗、マスコミから口コミ、男性から女性主導、経営学から消費者心理学」 成長産業は「ふ か け つ」(福祉・環境・健康・通信)。  狙い目は「高齢化と情報化」の急速な進展らしい。

「プロジェクトX・挑戦者たち〜逆境に負けない」
講演タイトル : 講  師   :  NHK番組制作局チーフプロデューサー 今井彰(大分県佐伯市出身)
プロジェクトXのプロデューサー、今井彰です。 今日は、故郷大分の皆さんの前で話す機会を作っていただきまして、本当に有難うございました。 プロジェクトXという番組を私がどんな思いで立ち上げたのか、更にその中で出会ってまいりましたプロジェクトの精神について、お話しをさせていただこうと思っています。 この番組を始めるようになりまして、よりその気持ちが強くなってまいりましたが、日本という国は、中央に現れた政治的なスーパースターが、ぐいぐい引っ張って来たものではなくて、中小企業と地域とそこに働くサラリーマンたちが、懸命に立ち上げてきた国だということです。昭和20年8月15日に、化学も技術も文化も全て根絶やしになるような状況の中か、自分たちの地域を少しでも良い町にしよう、ボロボロになった自分たちの会社を少しでも立ち直らせようという人々の総意、それこそ数千、数万のプロジェクトの攻防戦の上で、今の自分達があるものと思っています。
●企業に於いても、同じことが言えるのではないかと思っています。 先程、司会の方から「北極でも美味い氷は売れる。」という、ソニーの営業マンの言葉がありましたが、ソニーという会社が出来たのは昭和21年です。その頃は東京通信工業という名前で、焼野原の中で社員20人で生まれた会社です。 その会社が、日本製品は安かろう悪かろうと言われた時代です。外資の持出しも昭和25年までは厳しい規制を受けていましたから、輸出入の貿易すら出来なかった時代に、自分たちのラジオを持って欧州やアメリカ戦線に立ち向かい、その中で日本製品の品質、日本製品の良さを切り開いていった人々がいたわけです。 その小さな東京通信工業が、自分たちの会社を世界企業へと夢見て、ラテン語のソンスからソニーという名前をとって、今の世界企業になっていったのです。
●つい先日も放送しましたけど、浜松にあった小さなオートバイメーカー、ホンダですけど、昭和29年に東京に出まして、無謀にも果敢にも、世界一難しいと言われた、マン島TTレースに挑戦して、1位から5位までを独占し、日本の一小さな会社に過ぎなかった会社が、世界のホンダに飛躍していく、その戦いというのを見てみますと、それこそ、サラリーマンたち、あるいは、その地域に生きた人達の壮絶なまでの戦いの日々が、必ずそこで繰り広げられて来たのではないかと思っています。
●京都に小さな部品メーカーがありまして、立石さんとおっしゃるんですが、奥さんが美容師をしながら、いろんなプロジェクトを立ち上げる御主人を支えているんですが、次々とプロジェクトが失敗していくんです。 その京都の小さな部品メーカーは、ある日、自動改札機の受注を受けるのです。 ところが、会社があまりにも小さいので、近鉄や国鉄から無理だ、そんな会社に出来るわけがないと、言われるんですが、彼等は何回かの失敗の末に自動改札機の技術、その中で磁気の技術を身に付けるんです。 やがてそれが、パーキングメーターとかソシアルシステムなどのいろんなATMのシステムへと発展していきまして、京都の小さな会社が年商5,000億円、海外の従業員の数を含めると25,000人の会社、現在のオムロンになっていくわけです。 
一つの開発、一つのチャレンジが小さな会社を飛躍させていく、その中で、そこに働く人達は、自分達の仕事のやりがい、それから、プロジェクトにとって何が必要なのかを見い出していく、そういったことを考えていきますと、日本人の戦い方というのは、世界のどこも、あるいは他の会社が考え付かないものを思いついて、その開発に果敢に取り組んで市場を切り開いていき、更に世界の誰もが追い付かないうちに、また一歩先に進んでいくということで、日本人は戦ってきたのではないかと思います。 ところが、この10年、私自身が思っています。日本の社会、日本の企業に蔓延した悪しきものというのは、成果主義だと思っています。 日本人は、どんな会社も、どんな地域も、必ず未来に向かったいろんなテーマを持って、戦後の数十年間を生きてきたはずなんです。  ところが、この10年に限ってテーマが無いんです。 それは、成果主義の中では、早く成果を出さなきゃ、早く結果を出さなきゃ、つまり、短期間で何でも良いから利益を生まなきゃという風に、企業も社会全体も焦り始めたんだと思うんです。 テーマというのが見えなくなってきた時に、プロジェクトや組織がどうなっていくかと言いますと、そこに働く人達にとって、自分は一体何のために働き、自分の日々を誰が見つめているのかという、非常に大きな疑問を抱き始めた10年ではなかったかと思っています。 
そういった意味で、この番組を始めます時に、本来日本人が歩いて来た道、それから地域社会、中小企業、サラリーマン達がどういう風に戦いをして来たのか、もう一回再確認をして欲しいという思いを込めました。 それから、メディアの人間の反省から申し上げますと、メディアというのは人を誉めるのが苦手で、特に、こういう時代になってくると、企業が犯した一つのトラブル、地域が抱えた一つの問題を徹底して追及することはしますが、逆に、その会社が新たに生み出した新しいアイデア、地域が取り組んでいる小さな取組みに光を当てるというのは、問題点を指摘することの何十分の一にしかすぎない。それは、何故かといいますと、批評する方が楽なのです。 批評するというのは、その場で言ってしまえばそれっきりで、責任がありませんから。ところが、光を当てるとか、そのことを評価することは、自分達にも責任が来る話ですから、メディアにとっても辛いことになるんだと思うんです。 そういう時に、メディアというのは、一過性であったり、臆病であったりという性質を持っていますので、そういった中で自分達のメディアの生き方、有り様がどうなっているのかという、…自分もテレビの業界で生きる人間ですから…そういうことも含めて、この番組はやってみたいと思ったのです。 一つくらいは、一般の人達が頑張っている姿、一つの地域や会社が頑張っている姿に光を当てる番組があっても良いのではないかというのが、この企画を考えた最初の動機であります。 ところが、この企画を最初に局に出した時には、あまり好意的には受け留められませんでした。 これは、9時台のゴールデンタイムにやる番組です。 この9時台というのは、民放も含めた激しい視聴率競争をしている、非常に厳しい時間帯です。 その中にプロジェクトXという非常に地味な登場人物が通用するのか、というのがまず、大きな議論でありました。 テレビの1%の視聴率というのは120万人なんです。ですから、ゴールデンタイムで最低限の合格点と言われる10%を取ろうと思ったら、1,200万人の人に見てもらわなくてはならないのです。 ところが、この番組に出てくるサラリーマンや営業マンの方々を知っている人達がどれだけいるかといいますと、ほとんどいません。 芸能人の人達ですと、その人を知っている1%や2%の視聴率がありますから、総体としてテレビの視聴率となっていくということが考えられますが、例えば、この番組で出ている東京タワー桐生五郎さんですとか、黒部ダムの中村精さんといっても、その方を知っている人は、それこそ数百人、テレビ的にいうと0.001%に満たない、つまり、視聴率からみれば、とても戦える登場人物ではないのではないかという声があがりました。  それに、この番組は火曜日という時間の設定になったんですが、この火曜日は、NHKがここ10年間負け続けた時間帯でもあったのです。 何故かというと、よく駅伝で花の2区と言われますが、それと同じで大変厳しい時間帯と言われまして、民放各局が非常に強いんです。 私も、新番組開発の前に他局の番組をみましたけど。  日本テレビが火曜サスペンス劇場をしている。正直言って、あまり面白くない。 直ぐに犯人も分かってしまうしストーリーもそう展開するものでない。途中から旅ものなのか推理ものなのか、よく分からないままにズルズル見てしまう。見ているうちに開始から1時間半もすると、犯人が突然浜辺で告白を始める。 これは変わった番組だと思ったんですが、見終わって不思議に思ったんですけど、疲れていないんです。  サラリーマンが、疲れ果てて帰って、9時から2時間テレビに付き合わされて、疲れていない自分が何だろうと考えた時に、番組を作る人達が手足れだと思ったんです。番組を見ている人達が疲れないように2時間付き合わさせる技を持っている人だと思ったんです。 それから、東京では日頃あまり視聴率のとれないテレビ局があるんです。東京12チャンネルといいますが、火曜日だけはお化け番組を持っていまして「なんでも鑑定団」というんですが。これは、バブルが崩壊した後に生まれた番組で、あそこで、掛け軸や壺が出てきますと、ああいうのがあると、うちの工場の運転資金に使えるのではないかとか、苦しいローンの返済に使えるのではないかというふうに、視聴者の生理を巧みにつかんでいるんです。 民放の番組を全て見終わって思ったことは、見ていてすごく楽だったということです。 私は、60分間見ていると辛くて見てられない。
そこで、これだけ力を込めて戦後を生きた人、あるいは1つのプロジェクトに人生を捧げた人たちの番組を本気でやろうとした時に、ゴールデンタイムでプロジェクトXという番組が戦えるのかということは、大きな不安を持ちました。 それから皆さん、この番組1本当たり、作るのにどのくらいの時間がかかると思いますか? 大体3か月半から5か月かかります。 なぜ、そんなにかかるかといいますと、例えば東京タワーを一つとってみますと、昭和30年代初頭に、何故東京のど真ん中に総合電波塔が必要だったのか。それからそれをつくったのは、内藤多仲さんという塔博士と言われた人ですが、その方がどういう経歴を持っていたのか。そこには、いくつの企業が参加して、そこで一体何が起きたのか。それ以上に、その工事に関わった人達が、どんな思いで東京タワーと向き合っていたのか。そういったことを調べていきますと、膨大な資料の山になっていく訳です。 当然会社の社史等に残っている資料は限られていますから、そういった資料を集めて行きますと、それだけで全国に点在している人や1枚の資料あるいは1枚の写真を探して延々と日数がかかり、最終的に番組を作る直前になりますと、1本の番組当たりダンポール箱35箱から50箱が一杯にならないと生み出せないんです。 限られた人間で、それだけの労力をかけて頑張り切れるかという不安もよぎりました。それから、もっと大きな問題が起きました。当初、始めるに当たり、5本の企画を同時並行で始めたが、それは、胃カメラの番組の事前取材をしている時に起きました。 
胃カメラは、昭和25年に宇治達郎さんという東京大学分院の医者と杉浦睦夫さんというオリンパスの技術者の2人が中心になって作られた、世界で初めて、日本人が作った国際的な作品なのです。当時、宇治先生は32才、杉浦さんは34才でした。 2人は、戦後の物資の無い時代に胃カメラを作ったことで、自分たちの仕事は終わったと思われたのです。 本来なら、宇治先生は世界に先駆けて胃カメラを開発したということで、医学会の頂点に立てるパスポートを手にしたものです。そのまま日本ガン学会や日本内視鏡学会のリーダーになれる地位や名誉を手にできたはずです。 ところが宇治先生は、あっさりとそれを捨てて、胃カメラを開発した翌年に東大を辞めて、故郷に帰って町医者になったのです。それからの三十数年間の生涯を地域医療のために尽くしたのです。急な患者があれば朝も晩も厭わず走り廻って、63才で無くなるまで自分が胃カメラを開発した医者であることを家族にも告げなかったのです。 ところが、この取材を始めて、誰が本当に胃カメラを開発したのかというのを辿っていくと宇治先生にどんどん辿り着いて行くのです。そうすると、次々といろんな方々が現れるのです。何故、私のところに挨拶が無いのか、何故、私の断りなしに胃カメラをするのかと。 それは、どういう人達かと言いますと、宇治先生が表舞台から去った後に、胃カメラを使って日本の医学会の非常に大きな地位を占められた方々なのです。その方々にとっては、宇治先生という存在が、この世に出ることが許せないわけです。 逆に言いますと、日本人をガンから救いたいと思って生きた医者の人生を消さないと、自分達の権力が得られないことが分かっているから、そのことについての抵抗というのは相当強いものがありました。もう一度胃カメラの放送をしたいと思います。 こういうことは、ドキュメンタリーの本質に尽きるのではないかと思いますが、本当のことを調べていくと巷間で伝えられている事実と違うことに向き合ってしまうことがあるんです。 
●今年1月浅間山荘事件の番組をやりました。 やって初めて分かったことは、あの事件は決して警察だけの話ではないんです。それこそ地域の人を挙げての総力戦なのです。自分たちの地域が連合赤軍によって汚名を浴びる地域になっては嫌だ、早く問題を解決したいということで、農村の方も工場の方も全員が協力して、物資の補給から後方支援を重ねたんです。 なおかつ、銃弾を浴びながらクレーンを打ち込んだのは民間人なんです。白田兄弟という2人のクレーン操作の技術者の方が自分の命も省みずにクレーンを振るったんです。つまり、警察より先に立って銃火の中であの攻撃を進めたんです。 ところが、日本人というのは、先程の宇治先生もそうですが、自分たちのやったこと、自分たちが使命を果たそうとしたんだ、自分たちが目的を果たしたんだというと、静かにその場から去って行くのです。 白田さんは、30年間メディアにも出ません、地域の牟田泰子さんという人質になった人が救えてよかったという思いで、30年間過ごして来たんです。 それから、浅間山荘の指揮官は長野県警の野中庸さんという方です。私もお会いしましたが、人格的にも優れた人で、彼は、警視庁から応援に来た2人の警官を、自分が殉職させてしまったという深い後悔の念があって、その指揮官は語らずに30年間を過ごしてきたんです。 ところが、皆さんが沈黙していた30年の間に、当時のマスコミ発表担当の方が、突然私が指揮官だと名乗って本を書き、映画の主人公になってしまうようなことだって平然と行われてしまうんです。 そうすると、皆んなが思うんです。あの事件というのは警察だけが頑張ったんだ、こういうスーパー指揮官がいて浅間山荘事件が解決したんだ。 映画が例え冒頭でフィクションだと書いても、皆んなは思ってしまうんです。 ところが、実際は違うんです。本当の話というのは、プロジェクトの中で、多くの人が必死にもがいて、必死に戦っていくというのが本質なのです。 このように、事実を伝えるということは、いろんなことと戦いながら伝えていくようになっていくんだということを、事前取材を始めてよく分かりました。 皆様方には、番組を見て感動していただいているようにありますので、楽に作っていると思っている方がいるかも知れませんが、始める時点でこれは大変厳しい番組になるなと思いましたが、反面本気になろうと思いましたですね。本気になって作って、本気になって頑張らないと、この番組はやれないという覚悟も決まりました。 
ところで、厳しい火曜日、膨大な取材の手間、起こるであろう様々なことも考えた時に、私はこの番組を守ってくれる強力な味方が欲しいと思ったんです。 それは、誰かといいますと、中島みゆきさんです。 NHKに出しました依頼書には、70年代、80年代、90年代に必ずNo1のヒット曲を記録したことのある歌手で、多くの方々が歌声を知っているので、是非お願いしたいと書きましたが、本当は違うんです。 本当の理由は、たった1つ、実は私が熱烈なファンだったんです。 これは、プロデューサーという商売の役得でして、NHKには未だに本当のことは言っていません。 私が、何故中島みゆきさんに執着したかと言いますと、1つは彼女の歌は弱者の視点だということです。デビューして30年以上になりますけど、その歌詞の中味というのは、街角を生きる人であったり、男の人を待つ女の人の気持ちであったり…30年間中島みゆきという歌手の名前は大きくなっても、その歌の内容というのは決して高みに立ったことはないですネ。 いつも、一般の人々と同じ視点で歌い続けて来た、数少ない歌手の一人だと思っています。それから、私のプライベートなことですが、NHKに入って、プロデューサーになる前に、永いディレクター生活がありました。なかなか、順調な生活ばかりではなく、作る番組出す番組うまくいかずに苦しみ続けた永い時期を経験しました。 10数年前になりますが、そういった自分の状況を一変させたいと思い、非常に大きな番組でありますNHK特集に挑戦しましたが、それがまた上手く行きませんで、取材先を探して日本海側のビジネスホテルを2か月半程転々と旅する生活を送っていました。 ビジネスホテルのベッドというのは、最初は良いのですが、10日になり20日になり1か月になると、だんだんそのベッドの硬さというのが自分の身に染みてきて辛いものとなってるのでしたが、この仕事は自分には駄目じゃないのか、今回の番組もまた厳しいのではないかと想っていた時に、有線放送から中島みゆきの「ホームにて」という歌が流れてきたのです。 “故郷に向かう最終に乗る人は急ぎなさいとやさしいやさしい声の駅長が街中に叫ぶ”という唄だったんですが、それを聞いた時にすごく癒されたんです。「自分には大事な故郷がある」そう思った時に、故郷佐伯市の海とか山とか、割りと緩やかな風景が日本海にオーバーラップして、落ち着かせてくれたというか、すごく静かな気持ちにさせてくれました。 それ以来、彼女の歌が自分にとって大切なものになって参りまして、湾岸戦争の時にヨルダンのアンマンからバグダッドに単身入って行った時も、サウジアラビア国境に行った時も、砂漠の中を車でひた走りながら中島みゆきの歌を聞いていました。 その後、「埋もれたエイズ報告」という番組をやりましたが、それがエイズ逆転判決番組といわれまして、裁判所で上映される状況となりました。 自分の作った番組が、色んなことを起こしてしまったので、サラリーマンとしては非常に厳しい状況に置かれました。 一本の番組がエイズ裁判の勝利につながったという一方で、自分の作った番組が裁判所で上映されるという、公共放送としてはあってはならない事態が発生しました。 結果、上映されまして、魚住さんという裁判長によって、全て判決となってしまいまして、ある種ディレクターとしては名誉である反面、厳しい場面にも立たされました。 その時も、彼女の歌を部屋で聴きながら、次も何とか頑張っていこうと思ったものです。 このようなことから、彼女が駄目だったら、歌は止めて音楽だけで行こうと思っていました。 それで、ヤマハさんにお願いをしましたが、難色を示されまして、理由は単純なんです、書き下ろしをしたことが無いんですネ。今迄も、ドラマなどで中島みゆきさんの歌が流れてきたことがあるじゃないですかと言うと、それは彼女が過去に出したアルバムの中から、1曲を借りて、それをドラマに当てて流しているわけなんです。 今回のように、番組のために曲を書いてくれという依頼を引き受けたことが無いと言うのです。 その時、私は諦め切れませんで、彼女に手紙を書きました。それは、今申し上げたと同じような内容で、何故、あなたが好きなのかというのを、ラブレターのように綿々と書き綴りまして、その中に5本の企画書を同封しました。 
●1つが富士山レーダーです。 昭和30年代の頭、丁度日本が成長しようとする最中に日本の台風予知は3時間前にしか出来なかったのです。そのため、伊勢湾台風の5,041人を初め、台風が来る度に数百人規模の人が亡くなるという惨事が続いていたわけです。 そこで、日本を台風から守るためには、24時間前に台風の位置を観測できる場所に作るしかなかったのです。そこは、日本の中では富士山頂しか無かったのです。富士山頂にレーダーを作れば東支那海にある24時間前の台風を観測できる。その時に、大成建設と三菱電機のサラリーマンたちが、実験が可能かどうか雪の富士山頂に登るわけです。世界中どこにも4、000m近いところにレーダーをつくるという馬鹿げたことをする人はいません。 男たちは、妻や恋人に遺書を書いて挑戦しました。 登山経験も無い人達が冬の富士です。冬の富士はアイスバーンが、スケート場を斜めにひっくり返したような滑り方をするという山なのです。そこを必死になって登って実験を成し遂げた男たちの話を書きました。 
●それから、もう1つは青函トンネルです。 海底23km、24年半に亘って掘り抜いた人々の話です。 本州と北海道が1つになっても良いじゃないか。津軽海峡は船の墓場と呼ばれ荒れる海で知られていましてタイタニック号に続く世界第2位の海難事故の洞爺丸事故もありました。 しかし、それ以上に、当時の北海道は景気浮上が遅れていまして、そこに一本の海底トンネルを通すということは、国にとってもすごく大事なことであったわけです。 そして、それを成し遂げたリーダーの1人大谷豊二さんは、自分の部下を6人亡くしていたのですが、その部下の遺影を胸に抱き“おい、ここが約束した北海道だぞ”と言って、本州から北海道へ海底を渡って行く男の話です。 
●それから、もう1つが先程の宇治先生の胃カメラの話です。 それから、ホンダCVCCですネ。 先程、ホンダのマン島レースへの挑戦の話をしましたけど、ホンダはその後、自動車の開発に乗り出すんですが、その自動車が事故を起こし、本田宗一郎さんは殺人罪で訴えられ、社会から叩かれ、本田の経営そのものが危ないという事態になっていたんです。 そういう時に会社の中では、若者達による密かなプロジェクトが進行していまして、それがホンダCVCC低公害エンジンのプロジェクトだったのです。 世界の三大メーカー、GM、フォード、クライスラーというアメリカの巨大自動車メーカーと1台目の車に失敗した会社との戦いになるのです。 その時に若者達はもう一つのものと闘わなければならなかったんです。それは、本田宗一郎さんとの闘いなんです。 神様と呼ばれ、オヤジと慕ったあの宗一郎さんも、その時は既に老いの領域に入っておりまして、彼は機械の出身ですが、低公害エンジンは化学の世界なんです。機械対化学ということでも宗一郎さんと激しく闘うことになるのです。 でも、技術者達は、自分たちの子供から、親父は環境を汚している物を作っているんだと思われたくないという思いで、世界の誰もができなかったCVCCエンジンを開発したわけです。 その結果、ホンダの1回目の飛躍がマン島だとすれば、四輪メーカーとして2回目の飛躍はCVCCへの挑戦だったわけです。 
●最後の5つめがビクターのVHS開発の話です。 もう直き取り潰しになる、リストラされると言われていた横浜工場の連中が、自分達の状況を一変させるため、本社にも内緒で極秘に家庭用ビデオの開発に取り組み、オランダのフィリプスとかソニーとかの世界的な会社と戦いながらVHSビデオを開発し、自分達の置かれていた逆境を一変させていった話です。 
そういった、5本の企画書を面々とした恋文と合わせて彼女に送りました。そうしましたら、彼女から直かに私のところに電話がありまして“やっても良いですよ”って、それで、ヤマハの人たちも大変驚いたんですが、中島さんは、それから3週間他の仕事をキャンセルして、この歌づくりに掛けて下さったんですね。 私が送った企画書の中にありました、サラリーマンや技術者のことを彼女は読みながら「地上の星」という歌を書き上げたわけです。 あの歌には「草原のペガサス」とか「街角のビーナス」、「シリウス」、「ジュピター」というギリシャ神話の神々が出て来ますが、あれは今の時代を生きるあるいは日本の時代を築いて来たサラリーマンや営業マンやいろんな人たちのことを、彼女が歌の世界の中で消化させていった時に、ギリシャ神話の神々になったんですネ。 だから、「地上の星」が流れ出して暫くして、あの歌は番組によく合っていますネという人がいたんですが、あたり前です、合ってなかったら困ってしまいますよネ。 実は、去年の春中島みゆきさんが5年振りにコンサートを開いたんですが、彼女に呼ばれましてコンサートが始まる直前に二人で話したんです。その時、彼女に言われたんです。今井さんネ、私のファンというのは30代から40代の頭、それから20代の女性が中心だったのよ。会場を見て下さい。半分は中年男ですよ。確かに、中年の男たちが半分会場を占拠しているんです。 世代を超えたというか、若い女性と中年のサラリーマンというファン構成のコンサートはあり得ないんじゃないかと感じましたが、彼女は、そのことをすごく喜んでいました。それから、田口トモロヲさんというナレーションの方ですが。 何故、この人と出会ったかといいますと、これも運命的なことなんですが、私は映画や芝居を見ることが好きで、プロデューサーという職業柄、この声は良いなと思う人を手帳に書いているんです。 この人の声は何かで使えないかなということで、150人から200人ぐらい書いているんですが、ナレーションを誰にやってもらうか悩んで悩み抜きました。 この番組で伝える声というのは、ある種の強さが要る、それから登場してくる人物は壮年であったりあるいは若者であったりしますから、そういった若さも要る、それ以上に、そういった気持ちがちゃんと届く声というのは、どういう声があるのかということで探して探し抜いていたんですが。 ある土曜日の午後でしたか、自分の手帳の中に田ロトモロヲという名前が書いてあったんです。 それは、私が以前見ました“うどんとたどん”という映画だったと思いますが、その中で彼が一声だけ普通にしゃべるところがあったんですが、その時の声がものすごく耳に残っていました。 田口さんにNHKに来てもらいましたら、非常に腰の低い方で、「自分はナレーションなんてやったことが無いから、下手でしたら直ぐこの場で駄目だと言って下さい。」と彼は言われたんですが、オーディションルームで彼が第一声を発した瞬間に、うちの技術の連中が皆で振り向いて“今井さん、この人だこの人しかない”と叫んだんです。私もその声を聞いた時に、非常に品が良くて、凛としていて、透明感がありなおかつ声の中に温もりを持っていて、多分こういう仕事をしていても、何十年に1回しか会えない声の人と出会えたというすごくしびれるような感じがしました。 その時、プロジェクトXという番組を守ってくれるために、いろんな人達がいろんな形で応援してくれているのではないか、そういう想いを私は抱くようになったんです。それで、だんだん放送日が近づいて来ますと、最大の問題が追ってまいりました。それは、我が社の宿命ですが企業名と商品名です。テレビの放送が始まって50年近く経ちますが、NHKは公共放送です。 民放の場合ですとCM収入の換わりに会社の宣伝をするということはあり得るでしょうが、NHKは企業名は勿論、商品名も出すことはほとんどありません。何かトラブルになったこと等を除けばあり得ないことなんです。 ところが、この番組の場合は、企業名も出てくれば、商品名も出てきます。それがどういう風に皆さんに捉えれるか、NHKが一民間企業の宣伝あるいは1つの商品の宣伝をしていると思われたらどうするかという議論がありました。その時、社名や商品名をどうみるかということで話しをしました。 一つは、この番組には様々な車が出てまいります。ホンダのCVCC,マツダのロータリーエンジン、富士重工のスバル360、先日は日産のフェアレディZも出てまいりました。それを単純に車とみるのかということです。それぞれの車には、戦後の日本人にとって大事なテーマが込められているのではないかと、私は思ったんです。例えば、ホンダのCVCCは世界に先駆けてつくった環境車です。自動車大国アメリカのメーカーさえ超えられなかった壁を日本人が初めて超え、環境に優しい車を開発したということです。このことは、日本人にとって、誇るべき科学文化ではないかと思います。 それから、マツダのロータリーエンジンです。ロータリーエンジンというのは、二百数十年前蒸気機関を発明したジェームス・ワットの時代から、世界中の人々が挑戦して悉く敗れ去っていたんです。ピストン運動ではなくて円回転のエンジンを作れば、当然車としては道理に適っているんです。 それを可能にしたのは、被爆を受けた地域の人たちにとって、復興のシンボルであった東洋工業であった日本の初期の乗用車は、大変高価で家並みの値段がしました。そうした時に、車というのは富める者と貧しい者を分かつ象徴であったんですネ。 ですけど、皆んなは一台の車に家族が乗って遠出をしたい、少し離れた親だったら会いに行けるのではないかという思いがあったんです。そういったときに、庶民がサラリーマンの給料で買える、町工場のオヤジさんの貯めたお金で買えるという車を目指したということは、日本においては極めて貴重なテーマであったのではないかと思います。 このように、この番組のなかには、確かに、商品名や製品名が出て来ますけど、それぞれのものが非常に大きなテーマを持っていたのではないか、ということを会社の方々に説明しました。 それから、社名については、私にとってある気持ちがありまして、社名というのはサラリーマンにとって命だと思うんです。 自分の会社の業績が良い時あるいは世間から良い会社だと言われている時は、胸を張って会社のことを言えますが、自分の会社が不況に喘いでいる時あるいは何らかのスキャンダルに巻き込まれている時は、会社名を名乗るというのは皆んな辛いものです。 それでも、自分の会社名を語らねばならない時があるんです。社名というのは、その会社、その一家、その個人にとっては、自分の人生と重なっているわけです。 したがって、社名を語らなくて、全国で働いているサラリーマンや企業の人達から、この番組が支援されるかといいますと、それは不可能だと思いました。 そういったことを説明し了解を求めました。そうはいってもテレビには結果が全てです。 
もともと、この番組に登場する人、この番組を支えてくれる人たちというのは、名も無き人々です。そうした時、企業名のことや起こり得る様々なことを含めて、この番組が頑張り切れるかどうか、また、私がこの番組に掛けた時間とか、中島みゆきさん、田口トモロヲさんといった人達が、この番組を守ってくれないだろうか。 そういった想いで放送を迎えました。 今日は一寸、その放送を持って参りました。本当に短く編集をさせて頂いて申し訳ないですがご覧下さい。 
これは、日本ビクターのVHS開発の話です。日本ビクターに戦後中途入社した1人のサラリーマンが、自分たちの部署を守るために極秘計画を進めて参る話です。 今日は、そのリーダーが置かれていた状況と、それを成し遂げた後に、当時のプロジェクトメンバーの経理課長さんが、当時の日々を語るという二つのシーンを見ていただきたいと思います。これより映像…ミスターVHSの話   放送が終わった瞬間、電話が鳴り始めまして、うねるように津波のように…普通、反響の多い番組の電話は50件から100件なんですけど、2日で5,000件掛かりました。 勿論、だんとつの1位でして、それこそサラリーマンの方、一般の主婦の方、女性の方、若い人…ほとんど1週間で万単位の電話をいただきました。そのなかで、一番多かったのは「もう一度頑張る。」という声です。 高野さんがVHSの極秘開発をイチかバチかで始めたのは47才のときです。出来たのは53才です。それから闘い始めて、勝ったのは61才なのです。 40才台後半といいますと、サラリーマンにとっては晩年だと言われますが、そうではないんですネ。サラリーマンは40才台でも頑張れる、50才台でも60才台でも、いくつになっても人はその意思さえちゃんとしていれば闘えるんだということを、彼の生き方が教えてくれたんではないかと思うんです。 この高野さんと同じように、プロジェクトXに出ている人達は、いくつになっても闘う、負けない……。 自分たちの状況を少しでも良くしていくために、諦めずに生き抜いた人達だと思うんです。 諦めた瞬間にどんどん自分たちが下り坂に行く、でも諦めなかったら必ずその日が訪れるんだということを、プロジェクトXの中でいくつものケースで証明していけるんではなかったかと思っています。 只今見ていただきました、高野さんとのお別れの最後の葬送の列というのは、何度もくり返して見たんですが、あの映像の凄いのは2つ有りまして。 1つはこのフィルムは社員が撮ったものなんですが、以前横浜工場に勤務していた女子従業員たちがあの中に来ているんです。それも会社を辞めて何年も経った女子従業員たちが、子供や赤ちゃんを抱えて、かつての上司の葬送の列を見送りに来ているんです。  それから、葬儀に参列したサラリーマンたちの頭の垂れ方、それは正に首の骨が折れても良いぐらい、1人の死を見送っているんです。 あれほど、深く、真っ直ぐに、1人の死に対して頭を垂れて見送っている光景というのは、私も葬儀には何度も出ましたけど見たことはないですネ。 そのくらい、上司と部下、それから1つのプロジェクトの中で生き抜こうとした人達の想いが込められた映像ではなかったかと思います。 この番組の放送後、全国のサラリーマンが東京の出張に行く度に「きしや」詣というのが始まったんです。高野さんが飲んだくれていた飲屋に行って、高野さんはどこらで酒を飲んでいたでしょうかと聞くわけです。 そこで酒を飲みながら、酔っ払いながら俺たちもここから頑張るんだと言って店を出て行くんだそうです。 「きしや」も2代目になっているんですが、去って行くサラリーマンたちの背中が可愛く見えるんだそうで、頑張って欲しいという気持ちになると、おかみさんも言っていました。 おかげで、プロジェクトXという番組も、始まったばかりの頃は、NHKである特集番組が始まったらしいとしか言われてなかったんですが、口込みですネ、宣伝1つしたわけでもありません。… 渋谷の駅で何人かの人がプロジェクトXの名前を出していたとか、焼鳥屋さんで昨日のプロジェクトXを見たか、というような話が出たとか、それこそ口込みで少しずつ、少しずつ這い上がるようにして全国に広がってきた番組で、最初の頃は6%とか7%の視聴率しかとれず厳しい時期もあった。それがとうとう浅間山荘の回は20%を超しまして2,500万の人が視たという…。 テレビのドキュメンタリーで、これほど視聴率が伸びたものも無ければ、これほど視られた番組も無いというまでに成長させていただきましたけど、この番組を皆んなで守り育てようという全国の方々の気持ちを感じます。決して、番組を作っている我々だけではなく、皆んなの総意というか頑張れというメッセージに対して、この番組が応えていかなくてはならないと思っています。 それから、増えてきた視聴者層の700万人か800万人は若い人達です。よく、中高年のオヤジさんの番組と最初の頃は言われましたけど、それこそ10代、20代の人達がものすごく視てくれているんです。 全国で百数十か所の学校で教材となっているんです。大学だけでなく高校、中学も含めて、実に多くの学校で10代あるいは20代前半の子供たちが見てくれています。 そういう子供たちから、実にたくさんの手紙やメールをいただくんです。 一番嬉しいことは、この番組を見始めて自分の親と話すようになったという、手紙です。 自分の父親というのは、何をしているか分からない、家に居るときは寝ころがっているだけの人だった。だけど、父親と話して父もいろんなことを考えているんだということが分かった。 ある18才の予備校生ですけど、お父さんが営業マンで、ある日プロジェクトXを見ていて(それはソニーの回であったんですが。)父親と一緒に初めて酒を飲んだ、親父にどんな仕事をしているか聞いたら、父親が一生懸命になって自分の仕事を語り始めたというんですネ。営業のむつかしいことを言われて、何を言っているのかよく分からなかったんだそうですが、その仕事を語る時の父親が実に良い顔をしていることが分かったんです。それで、たまには父親と話したいと思うようになったんだそうです。その手紙は、本当に嬉しかったですネ。 若い人達から手紙を貰って思うことは、彼らは、決して何も考えずに、無軌道に意味なく生きているのではなく、一生懸命にどう生きるのか、どんな仕事につくのか、どういう日々を送るのか探していると思うんです。 その時に、自分のまわりにいる親というのは、すごく大事な存在として写っているのだと思います。 それから、彼たちが言うのは、この番組に出てくる人達の顔が実に良いと言うんです。それは、私も同じように感じています。素人がゴールデンタイムの中で闘って勝てるわけがないと、思ったと言いましたが、全く違っていました。 先程の大曽根さんという経理専門の人が、最高のサラリーマン人生でしたという名文句を言えるんですネ。つまり、プロジェクトに携わっていた人、それからその時代を真摯に生きた人のいうのは、自分の言葉を身に付けているのです。その言葉を、必死になって吐いたという。 それは、多分、用意されたタレントの方が言ったコメントとかと違う、本当の言葉だと思うんです。 そのことを、若い人達は敏感に受け止められたんだと思うんです。 視聴者というのは、決してやさしいものとは思っておりませんし、テレビをやまのように見てきているでしょうが、皆さんは分かっているんです。 この人の顔は本物だ、この人の声は本物であると…。 何故分かるかと言うと、出ている人たちが、それを本当にやっていたからなんです。本当にやっていたことを、素直に語るからその人の顔は美しいんだと思うんです。 
私はプロジェクトXという番組の顔と、最後のエンディングには、すごくこだわっていまして、1つのプロジェクトを成し遂げた人あるいは1つのプロジェクトに立ち向かって行った人たちが、その後一体どういった人生を送ったんだろうということに、毎回、ものすごい興味を覚えるんです。それで思うことは、1つのことに真執になって挑戦した人たちの生き方というのは、本当に見事に生きた人が多いわけです。 胃カメラの宇治先生のお話をしましたが、私がもう一人好きな方で杉田秀夫さんという方がいます。瀬戸大橋の建設リーダーです。 男が惚れる男といわれたリーダーで、今でもかっての部下たちは…去年も一緒に酒を飲みましたが…10年程前に死んだ杉田さんの話をしながら皆んな泣くんです。何故泣くかと言いますと、やはり男杉田なんです。 杉田さんは、瀬戸大橋の工事を成し遂げた後、そのままいけば国鉄の技師長であったり、本四公団のトップなどに着ける力量と評価を受けていた方なんです。ところが、彼は瀬戸大橋の工事の最中に自分の妻を亡くしたんです。 そこに3人の子供が残されるんです。そうすると、杉田という日本一の技術者は、仕事を捨てて3人の子供を育てるために全ての人生を掛けるのです。閑職から閑職を渡り歩いて、何故、杉田があんなところを選んで行くのか、という具合に暇な部署から暇な部署をずっと歩き続けました。 夜は8時には帰宅して、娘たちのご飯をつくり、洗濯をし、スカートにアイロンをかけ1日に2時間の睡眠をとりながら、白分の愛した妻との子供たちを育てることに、その後の人生を掛けたのです。 その杉田が、死ぬ間際にこういうのです。「人生は難しい、橋を懸けることよりも、もっとむつかしい。」という風に言うのです。 つまり、本当の人の心というのは、一つのことを成し遂げた人間が、その後どう生きたかというのを見ていった時に、その人の内面性とかその人のパーソナリティとかに辿り着けるんだというように、この番組を始めて思うようになりました。そこで、その人たちがどういう風に人生を全うさせようとしたか、知りたくなりまして…。杉田さんや宇治さんそして高野さんの生き方というのを見ていますと背筋が伸びる想いがいたします。 人というのは、醜くもなったり卑しくもなったりしますけど、人というのは気高くも美しくもなれるものだということを、この番組にかかわって知らされた思いがしています。 プロジェクトについて、少しだけお話しをさせていただきます。 冒頭にも言いましたが、今の時代に欠けているもの、それからプロジェクトにとって何が大事かというと、それはテーマ性に尽きるんだと思うんです。 日本社会は、それから目本の企業というのは必ず何らかのテーマを持って生きて来たはずなんです。 先程出ました、日本ビクターのVHSのプロジェクトですが、高野さんは、270人の部下をリストラから守った伝説のリーダーと言われていますが、彼が言っていたことは、新しい産業革命を起こそうということなんですネ。 自分たちの作る家庭用ビデオが出来たらテレビを見る風景、ビデオを見る光景、それから家族の風景が変わるだろうと…。 新しい産業革命のために、自分たちは身を投じているんだと部下に言い続けるわけです。そうした時に出世させてやるとか金儲けをさせてやると言われても、人の心は踊りませんが、新しい産業革命といったテーマに身を掛けないかと言われたら、皆んな必死になるんですネ。 そういったテーマ性を、プロジェクトが持っているかどうかが大事なことだと思うんです。大きな話ばかりではないです。 
例えば、北海道に襟裳岬という浜がありまして、ここは森進一の歌にもありましたが、ここは木材の伐採で砂漠化してしまいまして、コンブの浜だったんですが、砂が海に流れ込んでほとんど地域崩壊の状態になっていたんです。 その時、そこに残った人たちが40年間かけて植林をして、世界に例のない砂漠からの森林復活というのを成し遂げたんです。 それは、漁師の方々が、毎日漁が終わると、モッコを担いで砂地を耕していったんですが、飯田常雄さんという襟裳の地で生きてきた方はこう言ったんです。「長男の最大の仕事、それは故郷を守ることだ。」と… それは、テーマですよ。彼はそういう風に言い切ったわけです。 そう言われた時に、砂漠緑化プロジェクトの人たちにとっては、その地に残ってそれを子や孫にちゃんとした形で伝えていかなくてはならないということが、非常に大きなテーマであったんだと思いました。 テーマというのは、そんな大したものではないんです。大げさなものではなくても、本質的なものだと思うんです。私は「リーダーたちの言葉」という本を書かしてもらったんですが、何故書きたかったかと言いますと、本当の言葉を書きたかったんです。 評論とか社説とか、そういう言葉ではなくて本当にぎりぎりの状態に置かれた時に人は一体何を言うのか、どういう言葉で人を口説けるのか、またどういう言葉を自分という人間が内面から発することができるのか、そういったことを一度一冊の本にしてみたいという想いがあって、書かしてもらいました。 その中で1つだけ言わせてもらいますと、高野さんの話に戻りますが、彼は極秘開発のプロジェクトが困難な状況になっていった時に、自分を助けてくれたのは中小の町工場のおやじさん達だったんですネ。そういうときに、部下の職員が下請けという言葉を便ったんです。「下請けの人達に手伝ってもらったら。」と言った時に高野さんは激怒して、「ふざけるな、お前が何でそんなことが言えるのか。」と言ったそうです。何故かと言うと、高野さんはいつも思っていたんです。  日本の家電メーカーというのは、組立てメーカーで、現実的には中小の工場が精密部品の細部に至るまで作っていて、最終的にはそれらを統合して1つの製品に仕上げるのが、日本の家電メーカーの姿でして、つまり、自分たちを生かしてくれるも殺してくれるも町工場の人達であることに彼は感謝していたんです。だから、彼は生涯町工場の人達を協力工場と言っていたんです。そして「お前のところがないと俺んとこは生きていけん。俺とお前は一心同体だ。」と彼は真剣になってそう言っていたんだそうです。 高野さんは、本質を知っているから、彼にとってその言葉は飾りではないんです。本当にそう思っていたんです。 そう言われた時に、町工場の方々は高野と一緒に心中しようと思ったんですネ。 潰れかかっているビクターの極秘開発のプロジェクトにいろんな方々が協力し、次々とプロジェクトが脹らんでいったのいうのは、おやじさん達にとって、本音を言える男同士の付き合いができる男だと思ったからです。 もう1つ、上司と部下の関係についてお話しをさせていただきます。 この番組に登場する人物の中に、南極越冬隊長をやられた方がいるんですが、西堀榮三郎さんという方です。この方は、もう1つの顔がありまして、東芝の技術者なんです。 戦後、初の真空管“ソラ”というのを日本で最初に作った技術者なんですが、その後システムエンジニアの先駆けとなりまして、敗戦でシステムが無くなってしまった日本の企業や工場をまわって、システムを作っていった方なんです。 その西堀榮三郎さんが、地方の経営者の方に言い続けた言葉があるんです。“再生は地域からだ。お願いがあります、出る杭は打たないで下さい。” それは、どういうことを言っているのかと言いますと、プロジェクト、その会社にとって一番大事なことは何かといいますと、部下を成功させることに尽きるんですネ。 会社が強くなるというのは、若い人それから部下の人達を成功させようとして、上司が尽くすことなんです。 部下の人達というのは、絶えず自分がどういう風に評価をされ、自分がどういう風に生きるかということを悩み続けているんです。 その時に、上司の人達が自分をどう導こうとしているのか、どういう成功を自分にくれようとしているのか、あるいは成功させるためにベストを尽くしてくれているのかということを思って見ているんです。 そこで、小さな成功でも良いんですが、成功体験を持った人が増えたチームは非常に強いですネ。 成功体験を持った社員が1人、2人と増えていった会社というのは、負けない強い会社になります。 ところが全員が失敗の経験しかない、この先待っているのは失敗だけだという風に思った組織は闘っていくことは非常に難しいんだと思います。 そういった意味で、上司あるいは経営者にとって大事なことは、「自分の部下たちに、どんな成功体験を持たせることが出来るか。」ということが、その会社の未来にかかることだと、このプロジェクトXのケースから教わってまいりました。 

最後になりましたが、今、日本は駄目になったと言われています。国際競争力が20何番とか30何番とか、アフリカと同列になるとか、日本は恐れずに足らずということを散々言われ続けています。でも、間違いなくいえることは、日本の技術力、営業力、企画力は世界一です。 それは、今もって何ら変わっていません。日本の技術力、営業力、企画力が一番でなければ、この国はここまで来ていないんです。それから、戦後最大の不況だと言われる方がいますが、本当にそうなのかということを考えていただきたいと思います。 日本の多くの会社、プロジェクトが崩壊の危機に立ったということをいえば、オイルショックの時の方が、今よりも遥かに大きな痛手を日本経済は受けました。 さらに言いますと、昭和20年8月15日に日本が被った損害、不良債権の量、人的損失の莫大さというのは、今の不況の何千倍、何万倍の凄まじさだったと思います。日本人は、自分たちの力で世界の一流国の仲間入りを果たしたんです。 何でそれが可能だったかといいますと、それは人材に尽きるわけです。日本という国は、決して恵まれた土地ではないんです。年間28の台風が来る、地震列島です。資源は無いんです、しかも周りは4つの海に隔たれているんです。 更に、敗戦というハンデキャップも背負ったんです。それ等の中から、今日の日本になれたのは人材を大事にしたからです。 人材についていいますと、決して中央の大企業とか官庁に優れた人達がいたわけではないんです。リストラといわれる部署にいたり、地域にいたり、また有為な人材になる人が育っていたりしているんです。 そういう人材というのは、全国どこにでもいる、どこの地域にも、どこの会社にも眠っている、住んでいるというのが、日本社会の強さだと思います。 だから、人材を大事にしながら、この厳しい時代を闘っていっていただきたいと思います。 最後になりましたけど、この番組に込められました一言を言わせていただきます。
“思いはかなう。努力する人間を運命は裏切らない。逆境の中でも道は切り開ける。思いはかなう。”

健康豆知識
*** 健康に良いと言われているよ! *** 
・五穀:もちあわ、大麦、もちきび、いりごま、アマランサス  コラ-ゲン:免疫力増強  亜鉛:味覚・生殖に作用  ウコン茶:肝臓に良い  納豆:善玉菌が増加  小粒の玉子:コレステロ−ル低下  山菜:ポリフエノ-ル  パプリカ:美肌効果が大きい。1日半分を1週間から10日間は食べ続けよう。ビタミンC+ビタミンTの相乗効果で、肌年令の若返りとシミの防止に多大の効果があるらしい。また、赤いパプリカは、動脈硬化の改善効果もあるらしい。 ガルギ−ル:エジプト原産のスタミナ野菜。(元気が出て、頑張りが効くらしい) ビタミンA・C・E、カルシュ−ムが豊富に含まれている。 消化を助けるので肉と一緒に食べると良い。 アルツハイマ−型痴呆症の抑制:非ステロイド系抗炎症薬の投与(米国、約9000人を対象)によって効果を確認。 有名なギンさんの場合、魚好きが痴呆症の抑制に良い効果をもたらしたとの事。 魚には、DHAが多く含まれおり、40才を過ぎたら肉食を控え、魚を毎日食べると良いらしい。 目安(DHA摂取1日1g):魚では、マグロ2切れ、タイ5切れ、イワシ2匹、サンマ1匹は食べたいもの。 MBP:長年の研究で判った。 牛乳・母乳に含まれており、骨を造る。 カルシュ-ムは不足すると骨から採り入れ、骨が弱って骨粗しょう症になる。 大人でも骨は造られるが、骨芽細胞より壊骨細胞が増えるため、段々骨が弱っていくらしい。
*** 韓国式、血液型別の痩せ方! ***
痩せる準備には、乳酸菌を摂り腸の動きを活発にすると良いらしい。
ところが、血液型によって腸の長さが違うので摂るものが異なるのです。
・A型:最長の腸 → 納豆・フレッシュチーズ
・B型:普通の腸 → ヨーグルト・納豆
・AB型:AorBに近い → 納豆・ヨーグルト
・O型:最短の腸 → キムチ・ヨーグルト

北海道の猛暑!
北海道大学山崎教授らの研究によると北海道の夏の気温は、シベリアの雪解け時期と深い関係がある事が解ったと言っている。  雪解けが早いと冷夏、遅いと猛暑らしい。 これって、真実なら多方面で役立ちそう! 身近な所で、海の家、ビアガーデン、各種の観光地などの売り上げ予測が出来そう! 素晴らしい研究成果です!

D・M・K・S対応の仕事
D打撲症:一ヶ月、 Mムチウチ症:三ヶ月、 K骨折:六ヶ月、 S死亡:最低金額の支払いなどの
交渉をする職業がある。 自動車事故の際、加害者側の支払い負担を軽減するための仕事らしい。

懸賞に当たる秘訣!
企業は個人情報を求む。 コメントが鍵。 企業と商品を褒め、次に当ったら、どう利用/活用/調理するかなど、追記して気を引く。 企業はこれらの情報を重要視するため、この人を当選させる事が多い。 また、販売促進の有益な情報ともなっている。  また、一人一通の制約条件は絶対に守る事。 (違反は落選確実らしい)。

世の中で一番・・・な事は
・楽しく立派な事:一生涯を貫く仕事を持つ事。 
・惨めな事:教養のない事。 
・寂しい事:仕事がない事。
・醜い事:他人の生活を羨む事。 
・尊い事:人の為に奉仕して決して恩に着せない事。
・美しい事:全てのものに愛情を持つ事。
・悲しい事:嘘をつく事。

北海道弁
あきあじ:鮭   あっぱくさい;幼稚だ   あっぺ:逆   あづましくな:落ち着かない   あめる:腐る   いいふりこく:かっこつける   いずい:(体のある部分が不愉快である時につかう)   いたましい:もったいない   うるかす:水分を含ませる   おがる:背が伸びる、成長する   おここ:つけもの     おばんでした:こんばんは   かしがってる:傾いている   かじられる:噛みつかれる   がす:濃い霧   かっちゃく:かゆい場所を掻くこと。カサブタをがすこと   かっぱがす:ひっくりかえす   がめる:ぬすむ   がんべ:かさぶた   きかない:犬や猫などの動物や幼児の気の強いこと   けっぱる:がんばる、ふんばる    げれっぱ:最下位   ごしょいも:じゃがいも   こわい:疲れた   ごんぼほる:だだをこねる 。 「だはんこく」ともいう。   しばれる:厳しい冷え込み   しゃっこい:冷たい   じょっぴん:カギ   すったらこと:そんなこと   すっぱね:雨の日、歩行中に足にはねる泥のこと。   ぜんこ:お金   そったらもん:そんなこと   たくらんけ:ばかもの   ちゃんこい:ちいさい    ちょす:いじる   ちょんが:独身、未婚   でれっき:ダルマストーブのかき混ぜ棒   とうきび:とうもろこし   内地:北海道以外の日本の地    なげる:捨てる   なまら:すごく,とても   なんぼ:(量・お金が)いくら   なんもだー:(感謝された時に)どういたしまして   ねっぱる:ものが粘ること   はく:(手袋を)はめる   ばくる:交換する   はっちゃきこく:張り切る   はんかくさい:ばか、どじ   ぶす色:あざ。打撲した部分が紫色になっていることを指す   ぼっこ:木の棒   まかなう:(服を)着る   みったくない:主に女の子のルックスが良くないのを指して言う言葉   めっぱ:瞼にできた腫れもの   めんこ:(誰かの)ひいきになってる子   めんこい:可愛い   もちょこい:くすぐったい    やっこい:やわらかい   やむ:痛む   ゆるくない:簡単でない、大変だ   わや:ひどいこと



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