北方東部部長物語
お母さん代表(部長・会計)の短い思い出 |
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(部長さんの感想) 「中村さん!颯太・海翔を東部に入れて下さい。」幼稚園の年長の時に、遼介君(祥のお兄さん)に かけてもらったこの一言が、北方東部に入部するきっかけでした。一年生から入部し、一つ上の 二年生が三人しかいなかった為、ルールも分からないうちから試合に出して頂き、『ボールがバット に当たった』『アウトが取れた』と喜んでいた頃を懐かしく思います。毎週、練習をしていくにつれ、 二人とも野球が大好きになりました。そして、伊木監督(当時のジュニア監督)・コーチの方々のお陰 で、次第に上達していき、ヒットを打ったり、ナイスプレイをしたりと野球として試合を楽しむ事が出来 る様になりました。三年生の時に参加したルーキーリーグでは、ブロック予選5連勝(うち2試合は サドンデス)し、決勝トーナメントに進出。準決勝で敗れたものの、記憶に残る試合を沢山してくれ ました。六年生になり、東部での最後の年。あと一歩のところで勝利を逃し、悔しい思いも沢山しま した。それでも、QP杯:優勝・住友生命杯:準優勝という結果を残す事が出来たのは、子供達の頑 張りがあったのは勿論ですが、渡辺監督・堀コーチをはじめ、多くの方々の支えがあったと思いま す。また、私自身この一年部長をやらせて頂き、子供達が野球をする為に、どれ程多くの方々が ご尽力下さっているかを改めて知る事が出来ました。一父兄として、心より感謝申し上げます。北方 東部での野球生活を振り返り思う事は、この6年間は親子で野球を楽しんだ貴重な時間だったと いう事です。また、親子共々、成長させていただいた6年間でもありました。本当に有難うございま した。北方東部の更なるご活躍をお祈りしております。 (会計さんの感想) 峻平がまだピカピカの一年生の時に、野球(北方東部)と出合いました!男の子だし小学校に入 ったらスポーツをさせたいという私の願いとタイミングよくお友達に「体験に行こうよ!」と誘われた のがきっかけです。初めて行った時は、人数の多さと身体の大きな6年生に圧倒され緊張の余り カチンコチンになって固まっていたのを今でも覚えています。〓そんな峻平でしたが、伊木監督を 始めコーチの方々、部員のみんながやさしく、丁寧なご指導をして下さったおかげで6年間野球を 続けられたことを誇りに思います。個性豊かなチームメイト達の中でまたひとまわりたくましくなり ました。試合の時には、子ども以上にドキドキしながら応援し、泣いたり笑ったりたくさんの思い出 が出来ました。こつこつ努力した結果が実り、最後にQP 杯の優勝そして最優秀選手賞を頂けた ことは、本当に嬉しかったです。そんな兄の姿を見て弟の諒も今、北方東部で野球に燃えていま す!六年間お世話になり本当にありがとうございました。
(部長さんの感想) 6年前の春、兵庫県西宮市から市川市に引っ越してきました。遼太郎3年生・拓弥は1年生で した。春休みのある日2人で中央公園にグローブを持ってキャッチボールをやりに行き、帰ってくる なり「野球チームに見学においでよ!って誘われてん。」と目を輝かせていました。これが東部との 出会いでした。 拓弥が1年生の時、キャッチャーの防具に興味を持ち、突然キャッチャーデビューしました。 柏井1号で試合前に当時流行っていたドラマのセリフを真似て声掛けをすると、みんな驚いて 笑わせた事を昨日のことのように思い出します。拓弥はお兄ちゃんと毎週末野球することを本当に 楽しんでいました。自分の父親が監督でいつも一緒におり、親子共々貴重な時間を過ごさせて 頂きました。夏季大会ではプレッシャーからか不安気な顔でマウンドに立ち、コントロールが きかないと父親の顔ばかり見ていました。その頃は気持ちの浮き沈みが激しく、沈んでしまった 時は誰も声がかけられませんでした。親の期待が大きすぎなのでは?と思い、毎日口を開けば 家族4人で野球の話ばかりしていたので極力話題を変え、野球の好プレーや部員に対して思い やりある行動が出来たときは褒め、納得のいくプレーが出来なくて沈んでいる時はそっとしておく ように…と親が対応を変えていったら、その内に本来の拓弥に戻ったような気がします。 今年は最高学年で、私にとっても東部最終の年で、部長という大役をさせて頂きました。 東部愛を持って楽しく子どもたちが野球出来るように、みんなのお母さんになる気持ちでさせて 頂きました。今年は毎年恒例の夏合宿がありませんでした。春季大会5位・夏季大会5位・数年 振りの県大会出場を決め、千葉日報杯・ろうきん杯と大舞台での野球をさせて頂くことが出来ました。 また拓弥は市川選抜選手に選ばれ、他チームの選手と今までとは違った野球を学び、12月1日 にQVCスタジアムでの試合、先発で投げ、打ち、準優勝。優秀選手に選んで頂きました。 日々の素振りやランニングも日課となり、野球に対して真摯に取り組む姿は頼もしいです。 新しい土地で野球をし、素敵な時を過ごせたことに感謝しております。ありがとうございました 。 (会計さんの感想)
(部長さんの感想) (会計さんの感想)
(部長さんの感想) 私は部長をお任せ頂けるほどの器ではないので、初めはどうしたらよいのか手探 りの状態でした。でも、今年の六年生は、雄暉をはじめ、壮、延樹と北方東部に 一年生からお世話になっており、最後に何とかご恩返しをしたいという気持ちだけ で、この一年間を過ごして参りました。 また、この一年間では、運営面で歴代の部長をされたお母さん達のアドバイスを、 また、現場では現役のお父さん、お母さんのご協力や、OBの方々の支えを頂きな がら、どうにか任務を終えることができました。本当に感謝の気持ちで一杯です。 また、六年生も最後まで北方東部で、野球をやりとおしたことは、これからの人生 の上では、絶対に財産になると信じております。北方東部の活動を出発点として、 今後羽ばたいてもらえたら、こんなに嬉しいことはないと思います。 私の至らなかった点は、今後の北方東部の活動に生かして頂くとともに、私は、 これからOBとして、北方東部を陰から支えることを、これからの目標とさせて頂 きます。皆様、本当に有り難うございました。 (会計さんの感想) 壮は、一年生の途中で引っ越してきて、すぐ、北方東部に入部させていただきま した。それまで、キャッチボールなど、ほとんどしたことなく、ヘニャヘニャで、 ちゃんと投げられず、他のお子さんのように、お父さんが相手してあげられず、東 部のコーチみなさんには、大変、お世話になりました。でも、東部は大好きで、低 学年のころは、いきたくない、といわず、楽しんでいました。試合で、他のチーム の監督さんの子供たちを叱咤激励する罵声に、びっくりしました。東部では、あま り、ないからです。のびのび、野球をやらせてあげたいですね、東部の野球がそう なのでしょう、共感しました。4、5年生になると、成長痛で足が痛く、1ヶ月程 度長く休みをいただいたり、度々、お休みをいただきました。そんななかにも、野 球は続けるよ、といってました。6年生になると、成長痛は、影をひそめ、たまに はほかの子と遊びたい、という誘惑にも、うちかち、毎回、練習、試合に参加する ようになりました。プレーも、以前よりは冴えてきて、イキイキしてきました。 ヒョロヒョロだった体が、いまでは、手足に筋肉がっしり、腹筋が割れています。 私のほうは、普段は、なかなか、うまく人付き合いができないたちなのですが、ほ かのお母さんたちの、温かいふいんきで、楽しく会計の役割ができました。試合や 練習に顔をだす機会が増えると、なにより壮が喜んでくれていました。 長いようで、あっという間だった小学生の時期、少年野球、北方東部で、野球の 楽しさ、仲間意識、東部のお父さん、お母さんたちの温かさにふれ、体も心も何 周りも成長できた、と思います。壮が大人になっても、小学生時代、野球をした こと、ひとつの心の糧となり、強く生きていけるのでは、ないでしょうか。 ありがとうございました。
貴一が東部へ入部したのは一年生の五月。その当時は、一、二年生の試合という
と秋の若獅子杯しかありませんでした。先輩のお兄さん達と練習やトレーニングを したり、先輩の試合を見ることによって野球の知識を吸収していく様子は、帰宅し てからの会話の中でよく分かりました。息子がどんどん野球に夢中になっていく姿 は、親としてとても頼もしく思いました。学校から帰ると家を飛び出し、毎日公園 で野球、野球!高田コーチの平日練習にももちろん参加!先輩のお兄さん達にはと てもかわいがってもらい、家では長男でしっかり者の息子ですが、チームのお兄ち ゃん達にはここぞとばかりに甘えていたように思います。三年生になり、やっと野 球が野球らしくなってきた頃、夏のルーキーリーグを迎えました。振り返るとこの 学年にとって、この夏のルーキーリーグがスタートラインだったような気がします。 決勝トーナメント進出一位通過をかけた試合に臨みました。相手は夏見パワーズ。 11対11で引き分けた相手との再試合でした。結果は5対4で負けてしまいまし た。子供達はこの試合を通して、初めて、負けることの本当の悔しさを覚えたので はないかと思います。私にとっては、子供達の粘り強さと、精神的な成長を知るこ とが出来、大きな感動をもらった試合でした。この対戦をきっかけに、もっと勝ち たい、もっと野球が上手くなりたいと練習に励む選手。子供達の能力をもっと引き 出してやりたいとの思いを一つに、指導に取り組んで下さった監督・コーチの皆様。 いつも子供達の安全に気を配り優しく見守って下さったお母様方。それぞれの強い 想いが重なり合い、様々な苦労も乗り越えながらこれまでやってこれたと思います。 私は六年間の活動を通して、先輩のお母様方に教えて頂いたことや、経験したこと の全てが勉強になり、貴重な経験をさせて頂いたと思っております。また、子供達 からは一人一人の力を互いに認め合い大切にしていく事で、本当の意味の強いチー ムが出来るのだということを教えてもらいました。選手の皆さんにも、東部で学ん だことを大切にして、これからも元気に活躍してくれるように願っています。有難 うございました。 (会計さんの感想) 瞭が入部したのは1年の夏です。友人から誘われて軽い気持ちで入れてしまいまし た。キャッチボールもしたことが無い息子でしたが半ば不安の中、入部させました。 3年生頃までは、朝、眠いだの寒いだの行くまでゴネていましたが、それなりに行け ば楽しく過ごしていた様です。特に練習より合宿が大好きで、その為に籍を置いてい た様なものでした。そのうち本人も野球の楽しさに気付き、今では立派な野球バカ になっていました。野球を知らなかったら素晴らしい仲間とも出会わなかったし6年 間ダラダラと過ごしていたと思います。学校嫌いもチームの仲間のお陰でなんとか 通学できたんじゃないかと思っています。大袈裟かと思いますが、東部がなかった ら今の瞭はないといっても過言ではありません。いつも東部の皆様に見守られ、こ こまで育てて頂きましたこと本当に感謝しております。本当にありがとうございま した。
東部と我が家の出会いは・・・・、そもそも母のお店(八幡交通の前の満都吉)の常連さんが東部のご 父兄だったようで、当時、母を通して東部のお誘いを頂きました。取り敢えず主人が『話だけでも聞きに 行って来る』と出掛けて、その日に一年生の5月から入部することを決めて来てしまいました。私も遼介 も心構えもなく自然の流れで入部してしまいました。 入部したばかりの頃は一年生が2名。そのうち1名はお父さんの転勤で去り一年生は遼介だけの年が 続き心細く、土日になると『野球に行きたくない』と泣きごとを言っていた時期もありました。今では『野球 バカ』と言っていいほど野球が大好きで寝ても覚めても野球!そして我が家の会話はもっぱら野球会談 です。思い起こせば色々な大会に参加させて頂きました。若獅子杯・・・ピッチャーで無我夢中でボール を投げてはヒットを打たれるとえらく守備範囲が広く外野までボールを追いかけていた・・あの頃。 春季大会・夏季大会・・・勝敗を気にする緊迫した試合を経験する。春季大会予選では一勝一敗。二勝 しないと春季大会には出場できない。その春季大会のキップを掛けた最終戦は北方中央と。サドンデス を二回繰り返しましたが結局勝敗がつかずにジャンケン。ジャンケンに負けて春季大会に出場できなか ったあの悔しさは心に残り忘れられません。硬式試合ではあまり良い結果は残せませんでしたが、子供 たちはチーム一丸となり、より絆も強く楽しい野球から勝敗を楽しむ野球へと変わって来たと思います。 小笠原杯ベスト8、ライオンズ杯、QP杯等大会を通して遼介自身にも変化が・・・。『勝ちたい』という気持 ちが強くなり週末野球だけでは勝てない。平日もランニングや公園に行ってはグローブとバットを持ち 公園にいる仲間を見つけては日が暮れるまで野球をしていましたね。時には大会前、私がノックをしたり・・ いつしか私まで野球の虜になっていました。こんなにも子供たちと密接にして6年間を過ごせたことが何 よりも私の『宝』です。忙しい合間に少しでも子供たちが一生懸命野球に励んでいる姿を見たい!見ない と後悔する!と思っては試合応援や練習を見に行っていました。今思えば、私の私生活の源は週末野球 あってこその6年間だったような気もします。子どもたちから沢山のエネルギーとパワーと感動をもらいま した。そして微力ながらジュニア・レギュラー部長を承ることで色々な方々と交流の場も増え、これから先 きっと役立つことと思ってます。また、東部のご父兄の皆さまには大変ご協力・ご理解をいただき支えて 下さったこと感謝しております。普段当たり前の様に大好きな野球ができるのも、目に見えないところで 酒寄代表はじめ高橋審判部長、高田コーチ、OBの皆さま、お父さん、お母さんのお力添えがあればこ そです。素晴らしい環境の中で野球ができることに子供たちは感謝の気持ちを忘れないで欲しいです。 最後に今年(平成21年)5月の市川選抜セレクションを受け市川選抜に選んでもらえ、5月〜12月まで、 12/5,6のNPO地域選抜6年生大会に向け東部を離れ初めて選抜チームの仲間と練習に試合に 遼介は大変貴重な体験をさせて頂きました。12/6のNPO大会決勝戦ではマリンスタジアムで試合が 出来て優勝することも出来ました。初めての金メダルと優秀選手賞までいただけ本当に感無量でした。 6年間親子共々頑張って来て良かったと実感した日でもありました。我が息子をここまで育てて下さった 北方東部の皆様に感謝いたします。これからも北方東部、部員の皆さんのご成長とご活躍を楽しみに しています。 (会計さんの感想) 『「絶対勝つぞ!!』の円陣を組んで北方東部の高学年チームが試合の舞台に散って行きます。 キャプテンでみんなの中心、市川選抜にも選ばれた松遼。足が速くてどんなフライも追いつける センター達ちゃん。どんな時も泣いたりしない冷静だけど心優しい銀ちゃん。東部の秘密兵器、 ピッチャーの大輝。打てば大きいいつもニコニコ哲ちゃん。いつも一生懸命で皆がしないボール 磨きも進んでやる宏人。そして我が息子、セカンドの開登。一人一人個性豊かな面々です。開登が 東部に入部させて頂いたのは4年生の10月でしす。スポーツを何もしていなかった開登が突然 『野球をしたい!!』と言い出し、私は耳を疑いました。『もう今更遅いんじゃないの?』と思いましたが、 本人の強い思いで入部しました。本当に一から野球、そんな開登を東部の皆さんは快く受け入れて くれて、お父さん方・コーチの皆様・笹子監督の熱心な御指導のもと、2年半で驚くほど上達しました。 人と人との繋がりが薄れていくこの時代、同じチームでプレーした仲間たち、温かくも厳しくも指導 してくれたお父さん方、声を張り上げて一生懸命応援し見守ってくれたお母さん方、大切なものを たくさん得た北方東部での野球だったと思います。本当にありがとうございました。
大介が、東部でお世話になったのは、3年生の5月からでした。4月に、 長野県より引越してきたばかりで、たまたま北方小に遊びに行った時に 東部が練習していて、クラスの子に声を掛けてもらったのが始まりです。 体験初日にいきなりユニフォームを貸してもらい、『来週は大町小で練習 試合が有り、お昼はカレーが出ます!』と言われ、カレー食べたさに釣 られそのまま入部した・・・と言っても良いくらいでした。入部してから の大介は6年生まで、まさに“野球小僧”でした。大町小での練習試合で は、いきなり出場させてもらい、たくさん褒めてもらい嬉しかったのでし ょう!その後、一度も弱音を吐かず最後まで頑張りました。そんな大介の 頑張りや、東部の試合を観たくて、私も毎週の様にグラウンドに応援しに 行く様になり、誰も知り合いのいなかった私もたくさんの方と仲良くなれ ました。皆様もお時間が有る時は、グラウンドに足を運んでみてください 。頑張ってる子供たちの姿、そして成長していく姿は、見ていて気持ちが 良いものです。子供たちの顔と名前を覚えると、学校行事に行っても、 『池内さ〜ん!』とか『大ちゃんのお母さん!』と声を掛けてもらえたり して、自分の子以外の学年を見るのも楽しいです。大介自身は、よい成績 を残せませんでしたが、学校の友達以外にも、他の学校や他の学年の 仲間もたくさん出来た事は、良い想い出になった事でしょう。また、 小笠原杯・ブロック対抗戦・ナイター野球などの他のチームとの交流も 良い経験でした。私も最後の年には、笹子さんと一緒に部長という大役 を務めさせて頂きました。これも6年生の保護者の方々や、監督・コーチ ・ご父兄の皆様のご協力のおかげです。心より御礼申し上げます。少年野 球そして東部の野球が、目に見えない所で色々な方々のお蔭で成り立って いる事が分かり、感謝の気持ちでいっぱいです。これからも東部の皆様の ご成長とご活躍を楽しみにしています。本当に4年間お世話になりました 。 (会計さんの感想)
「東部にお世話になり足掛け6年。息子一弥にとってそして、私にとっても言葉でいいつくせない程充実した
有意義な時間を過ごす事ができました。当時を振り返ると、一年生での入部&家が遠いので長続きしな いのではと少し不安のスタートでした。ボールを捕ったり、投げたり、打ったり、走ったりなど全ての事が初めて の体験でハラハラドキドキの連続のようでした。しかし、監督やコーチの褒めて伸ばして頂いたおかげで、 不安な気持ちもいつしか消え、週末が楽しくて待ち遠しくて仕方のない日々が始まりました。そして、 ルールの知らない私も子供の練習や試合を見にいくにつれ楽しくなり、あっという間に野球の魅力に 引き込まれて、毎週のように応援に行く日々が始まりました。 少年広場での若獅子杯で初めてピッチャーをやらせて頂き、緊張でがちがちだったり、ジュニアでは、
ベスト8を経験したり、夏の大会では、サドンデスや抽選や同点に追いついたり逆転したり等数々の 場面に涙し、レギュラーでは、国府台球場や東国分球場での優勝を経験させて頂いたり、6年生では、 韓国遠征に行かせて頂いたりと、とてもすばらしい経験を通して大きく成長したと喜んでおります。 好きな事を続ける、努力する大変さや辛さ、また楽しさ喜びをたくさん経験した事と思います。勝ったり
負けたり、泣いたり笑ったりと子供達の真剣な顔や眼差し、瞬間瞬間の輝いている姿がどれもすばらしい 思い出となって心に刻まれています。 皆さんもお時間のある時、クランドに足を運んでみて下さい。きっと輝いている子供達に出会うはずです。
そしてたくさんの声援を送って下さい。子供達は、親の声援で断然力を発揮します。そして,共に感動を 味わって見て下さい。 皆様もご存知のとおり、精神的に弱かった一弥も東部の皆様に、監督、コーチ、OBの方々のご指導、
仲間との触れ合いを通してたくましく、大きく成長する事ができました。感謝の気持ちで一杯です。また、 私も力不足ではありましたが、皆様のお力をお借りして会計、部長という大役を務めさせて頂く事が できました。目に見えない所で、色々な方々のお力で少年野球や東部が成り立っている事を知るにつれ、 頭が下がる思いでした。また、ご父兄の皆さんと楽しい時間を共有出来た事もとても有意義でした。 今の子供達は、同級生と遊ぶ機会はあっても異年齢や地域の大人の方々とかかわる機会が減って
いる中、少年野球を通して学年や学校の違う仲間や親子で地域にかかわっていく事ができる事は幸せだと 思います。そしてそういう環境の中で子供達が成長し、そして見守る事ができた事を大変嬉しく思います。 子供達には、出会った仲間を大切にする心、すばらしい環境で野球ができた事、できる事に感謝する心を
忘れないでほしいと思います。 これからも,かげながら東部の皆様の成長ご活躍をお祈りしたいと思います。監督、コーチ、各役員、
ご父兄の皆様、大変お世話になりました。」 心より御礼申し上げます。
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