戻る  2005年3月卒業生

明るく楽しい賑やかな雰囲気作りのできるチ ームのリーダーだ。肩も良 くなった。 一生懸命野球に打ち込む姿 は僕たちを感動させてくれ る。これからもムードメー カーとして仲間を引っ張ってね!

地肩が強くスピードボールを投げる。俊敏性とパワー を持った好選手。 チームの中心選手。 リズムのあるフォームを作っ て行こう。非常に楽しみ!

明るく優しい性格の持ち主。 コントロールが良くなり投手 を任せられる。試合でマウン ドさばきを身に付けよう。 もっと伸び伸び投げられるよ! 打撃は力強さは素晴らしい! 俊敏性を身に付けよう!!

小さい時から努力した結果が 今花開こうとしている。 守備で捕れずに流した涙は無駄じゃなかったよ。素晴 らしい動きになった。 打撃もリズムがいい。 あにを抜くようになれ!!

綺麗な打撃フォームは将来 楽しみだ。遠くに飛ばすこ とよりミートを心掛けよう。 大きくなれば飛ばせるよ! 走塁が巧い。相手を 良く見ている。声もよく出 る。リズムが良くなり肩も強くなった。大きく成長した!

元気のいい声を聞くと皆 が元気になる。東部に元 気を与える選手だ。 いい打撃センスだ。球を 良く見たらもっと素晴ら しい。肩も強くなってきた 。これからが本当に楽しみな選手だ。

2005年3月6日北方小学校校庭でお別れ試合。
仲良し5人組。
道はそれぞれ
自分自身で決めて行く。

2005年3月6日
在校生のフレーフレー山森、渋谷、落合、入江、笹竹。そして最後の挨拶。
2001年9月24日 3年生の頃。北方東部一の主将と言われる大輔もあどけない。今この子たちは本当に逞しくなった。

2001年2月14日 2年生の頃。最強の大場・佐久間たちに可愛がられた頃。真ん中は駿に似ているが兄・亮。

ライオンズ杯開会式 國安監督に捕まって
ライオンズ杯は憧れの国府台球場 ライオンズ杯の夜、6年生と松崎監督が食事

この子たちの代は、大場、佐久間たちの代に次いで、野球大好き仲良しメンバーだったと思う。
3年生になる頃、東部の子供たちが減少傾向となった。2001年2月、6年生(大島主将たち)が引退すると残りは17名となり、その17名も実質的に常時参加する子供たちは9名と云った状況に危機感を持った。とにかく4年生以下のジュニアを活発化することにより部員増員を考えた頃である。

2001年春(3年生)にはジュニアの試合を組むこととなった。この年は数試合を戦ったのみだったが。
2002年(4年生)で本格的にジュニア試合を行うようにした。夏前まで彼らはジュニアだったが、上級生が少なかったため、いつの間にかレギュラーチームで活躍するようになった。まだまだ野球も知らない身体も小さい彼らは松崎コーチに鍛えられた。
2003年(5年生)となりレギュラーチームの中心選手として相手チーム6年生と果敢に戦う日々となった。この年は6年生が3人であったため、彼らが主戦であった。松崎監督1年目の年であり彼らは鍛えられた。2004年(6年生)は5年生を引っ張り素晴らしいチームワークを見せてくれた。明るく元気があり、エラーした仲間を励まし、12名のチームは試合や練習の参加者100%であった。

駿は1年生の時から亮・拓に混じって黙々と努力する子だった。彼の真面目に努力を継続する能力は素晴らしい。運動能力が高い子もいるが、そういう子は得てして努力の継続が出来ない。駿の努力は今後の彼を大きく飛躍させる力となり、彼のような子はこれから素晴らしい成長をするだろう。
大輔、大地は2年の秋だったと思う。二人一緒に入部。練習よりもお喋りが大好きな子供子供した二人。続いて更にお喋り好きな陸が入部したが、キャッチボールはまだまだだった。しかし今陸のセンター守備はブロック一番の安定感と積極性があると僕は自負して止まない。彼も仲間に引っ張られ、そして今は仲間を引っ張っている。最後に入部した貴広はサンダル履きで平日練習に良く顔を出したが、中々入部しない子だった。今打撃に関して貴広は自信を持って伸び伸びしている。

こんな仲間が集まって、少年野球に打つ込んだ素晴らしいチームだ。松崎監督には叱られながら育った。その子たちが6年生最後の公式戦ライオンズ杯の後、松崎監督を泣かした。真間ウェスタンさんとの試合後、国府台球場バックネット裏でお疲れさんと言った後、松崎監督は込み上げる気持ちが抑えられず言葉を失した。2005年3月のお別れ会でも松崎監督は「6年生の皆さんに教えられました。ありがとうございました。」と目上の人に話すような尊敬の念がこもった話っぷりだった。酒寄代表は、多くの思い出で別れ難い思いだったことと思う。僕は彼らの日頃の一生懸命さに教えられた。彼らを見ていると本当に「一生懸命に敵うものなし」である。

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