戻る  2002年3月卒業生
たくや

キャプテンとしてエースで四番でチームを引っ張りました。5年生の時はキャッチャーもやりました。力強い打撃は5年生のシーズン公式戦で6割近い率で打ちました。2002年、中学の野球部に入部し頑張っています。
身体も更に大きくなり、今後中学で中心選手として活躍して欲しいです。
ひさ

小学生時代は少年野球とダンスを習っていました。年末のNHK紅白歌合戦にも子供たちのバックダンサーとして出演しました。リズム感と運動神経の良さはピカ一でした。2002年、中学の野球部に入部し頑張っています。中学野球で更に技術を磨いて欲しいです。野球が楽しくて仕方ないそうです。こういう言葉は嬉しいですね。
シゲ

礼儀正しい真面目な少年だ。ボールを肩にかつぐような投球フォームが気になった。卒業まで直せなかった。5年生の頃は外野もやった。外野から大きな声を出していた。6年時は捕手も投手やった。たくやとのバッテリーは良き友達だ。野球とサッカーを両立させた。2002年、中学で野球部に入部し、しっかりした野球を経験中だ。
うたや

うたやのグラブさばきは、コーチ以上に子供たちの見本であった。小柄だけれども三塁守備は素晴らしく、特に前に強い三塁手でした。また、打撃は身体が開かない粘っこい打撃で、ライトへ狙って打てるミートの巧い選手でした。2002年、中学で野球部に入り、頑張っています。強豪チームで更に野球を磨いて欲しい。
こうざい

小さい身体で闘志溢れる選手でした。俊敏な動きが特徴で、サッカーと野球を両立させていました。2002年、中学ではサッカーに入部し頑張っています。野球とサッカーどちらでも好選手になれる能力を持ち合わせている子です。好きなスポーツに一生懸命打ち込んでいる話を聞くことは本当に嬉しいですね。
じゅん

入部が遅かったけどセンス の良さと運動能力の高さで野球の飲み込みは早かった。しかし、どちらかと言えばサッカーが好きな選手で野球の練習量は少なかった。中学ではサッカー部に入り活躍している。 サッカーで才能を発揮して欲しいです。

2001年秋、QP杯で国府台じゅんさいずと試合前の整列。

ショート・セカンドのコンビネーション。

確実な捕球


この代の子は5人が野球とサッカーを両立させた子。1人はブラスバンド部と野球だ。練習試合でも全員が揃うことがなくチーム力としては分散していた。複雑な思いで自問自答する。「他チームのように野球だけやる子のチームにすべきか?いやいや、少年野球はチームが強くなればそれでいいのか子供一人一人に目を向けるべきではないか。子供たちにとっては小学生時代くらい、様々なスポーツや芸術に接して心・体を広く使って欲しい。それが北方東部の野球だ。」
 野球はキャリアスポーツになった。小学生で強豪軟式少年野球団或いは、リトル・ボーイズ・ポニー・サンといった硬式野球を経験し、中学ではそれぞれの団体で中学硬式野球をしっかり身に付け、誘われて名門高校野球部で甲子園を目指す野球エリートコースがある。なかには軟式の名門中学校から硬式高校野球というルートも一部ある。いずれにせよ、少年時代から野球一筋でないと技術に遅れを生じ、高校を選択する段階では野球部に入れない状況すらある。巨人・上原投手は高校時代外野手で浪人して大学野球で芽が出た。今プロ野球随一の投手はプロ入り時は野球エリートとなったが高校までは無名。そんな道も細々ながらある。プロのあるスポーツは希望が続く。そんな細い道を歩むのもいいではないか。そして全ての野球少年がプロ野球選手になる訳ではないのだから。プロ野球選手を夢見て憧れてなれずに終わった子供たちは、大人になった時、野球に成し遂げられなかった口惜しい思いと野球に熱中し充実した時を過ごした想い出を持てる。プロ野球を観戦しても選手に憧憬の念を抱けど、汚いヤジは決して投げつけないだろう。プロ野球選手はたとえファームでも素晴らしく野球の達人であることを認識し、彼らに敬慕の念を持っているだろうから。一生懸命に努力した経験を持つ人は他人の努力にも敬意を払える人となれる。

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