戻る  2000年3月卒業生
まさ

小学2年生で入部した時から天才肌の選手だった。オールラウンドで、守備では難しい打球程、処理することを楽しんでいた感がする。打撃は球を引き付けてヘッドを残したシャープなスウィングであった。小さい体で遠くに飛ばしていた。6年の夏季大会で4回8三振四投手ゴロにしとめた事が伝説だ。中学野球で主将で県大会出場を果たした。
けんた

まさの良い相棒であった。運動能力が高く、捕手や外野をやった。5年生時、ライオンズ杯2回戦で見せたライトライナーの捕球は東部の「ザ・キャッチ」である。内角コース打ちは特技でもあった。6年生時は捕手として見事な守備・強肩を見せてくれた。中学では野球から離れたが、運動能力・野球技術はもったいなく感じている。
ひで

しっかりとした確実な野球をする選手だ。運動能力に任せて何でもやるタイプではないが、基本に忠実に一歩一歩確実に進歩する努力ができる。努力することが出来るのは能力のうちである。6年生の時は受験があり練習に参加できないこともあり辛かったと思う。努力するという能力で更に素晴らしい道を切り開いて欲しい。

青空の北方少年広場
うめ

4年生時は最も期待できる存在であった。安定した打撃とパワーを持ち、投手候補として期待できる球速とコントロールを持っていた。残念なのは、気持ちがついて来なかったことである。5,6年生時は練習に参加することも少なくなり素質は磨かれずに卒業となった。兄を越える選手になると思っていた。練習に優る天才はなしだ。










2002.07.23サイン確認

2002.07.23東野野球場で逆転の決め手となるスクイズ成功

2002.07.23逆転勝ち。喜びが全身から溢れる。

2002.07.24国府台球場での決勝戦。執念のライト前ヒット。

2002.07.24口惜しい気持が選手を育てる


 

少年野球は子供たち一人一人の芽を伸ばし育てる場であり、誰彼一人のためのチームではない。だがこの代は雅のチームであった。東部きっての野球センスの持ち主が主将で四番ピッチャーの正にワンマンチームだった。切れの良い速球が入れば打者は打てない。伝説になった夏季市内大会は初戦で敗れた。4回までに取ったアウト12の内訳は三振8個にピッチャーゴロ4個。打たれたヒットは振り遅れたライト前ヒット1本。これでも負けた。完全な一人相撲。四球が何個あったか忘れた。キャッチャーは良く雅の四球を捕り、諭し、気持を和らげた良き相棒として懸命の働きをした。中学に入学し、少年野球で対戦した相手チームのメンバーが中学でチームメイトとなった。そして時は流れて、中学3年夏季大会準決勝。所は浦安東野野球場。雅の右中間を抜く三塁打が初得点に結びつく。180センチを越えるエースはコントロールが定まらない。そんな時、ショートから爽やかな笑顔で駆け寄り、一言二言エースの尻をたたき激励する。主将としてピンチの時程チームの雰囲気作りに努めている姿がまぶしい。6回裏4−1でリードされている場面では体制を崩しながらも確実にスクイズを決めた。心臓バクバクの場面だ。結局逆転勝ちした。翌日、国府台球場での決勝戦は元北方中央の篠原君が投げるチームとの対戦。3−0でリードされた最終回表、雅の執念のヒットがライト前に落ちた。それが口火で2点をもぎ取った。一打逆転まで追い詰めたがそこまでだった。試合に勝ち負けはあるが、野球に勝ち負けはない。感動が胸に込み上げる。そんな野球をした両チーム選手に心より拍手拍手だった。決勝戦を投げた金田君は少年野球チーム下貝塚で子供の頃対戦した子だ。
 少年野球で知り合ったライバルたちと中学でも対戦は続く。そして高校でも続くだろう。凌ぎを削るライバルたちもチームメイトと同じ大切な友である。そういう友とめぐり逢えることが貴重である。


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